前回の雑文で小ネタのつもりで書いた学界について、下記のご意見を頂いたので、これについて思うところを。
結論から言ってしまえば、ある政党の名前に特定の宗教名が含まれていたとしても、それが直ちにその政党が特定の宗教に従っている、とはならない。異教徒、異民族が移民として無視しえぬだけの勢力を持つのであれば、自分達の文化の象徴として宗教名を持ち出して不思議はない。
では、カルトが支配する政党と、只単に宗教名を冠しただけの宗教はどうやって分けるのか。
私の考えでは、無謬の存在が頂点にあるかどうか、が分かれ道になる。
例えば、自(国内のまともな人と)他(国の人が)共に認める公カルト宗教、創価学会を例にとって見る。創価学会は周知の通り池田大作の絶対的な支配下にある。池田大作こそが、教徒たちに何が正義であるかを教え、導く役割を担う。なので、内部から池田大作へ批判が集まることは考えられない。仮にそのような動きがあった場合、即刻破門されてしまうので、教団内で反主流派が大きくなることは極めて困難である。
この創価学会の選挙マシーンが公明党であり、あんな政党に投票する○迦(※)は学会員しかいない。従って、公明党は、国会議員ですらない池田大作の支配下にある。この事実は、政党のありかたとして極めて異例であり、また極めて危険なシステムである。極端な想定をすると、公明党が一党だけで政権政党になった場合、首相よりも権力の強い人間が政府の外にいるということになることからも明らかだろう。
創価学会が危険である、というのはこの一事をもって足りる。
では、キリスト教の名を冠する政党はどうだろうか。広く知られているのはドイツのキリスト教民主同盟だろう。では、この政党は裏にある宗教組織あるいは宗教指導者に従うだけの存在なのだろうか。
決してそうではない。ローマカトリック教会、あるいは自国の宗教指導者が政治に介入しすることはできない。イベントの時に政治指導者が教会に赴いたり、教会指導者を尊重したとしてもそれは直ちに教会が政治を壟断している証拠にはならない。日本の首相が靖国神社に参拝したからといって靖国が国権を左右する力を持っているわけではない、というのと同じ。
敷衍していくと、かつてキリスト教が世俗の権力までをも一手に握っていた時代には、キリスト教は危険なカルト以外の何物でもなかったと判断することができる。非寛容で、異教徒や異民族に暴虐の限りを尽くした教会の過去は決して消せるものではない。しかし、現在のヨーロッパにおいてもキリスト教会が絶大な権力を持つかというと、それも違うだろう。
現在のキリスト教は文化の奥底に潜む概念であり、ヨーロッパの統合と思われる概念の象徴に過ぎない。EUにトルコが入れないのは、結局はそこだろう。だからこれまでトルコはEUに入れなかったし、これからも当分の間は入れないに違いない。
むしろ教会が大きな力を持つのはアメリカであり、オバマ対マケインの選挙戦でも教会指導者がどうこうといったニュースが海外にまで流れるのが、かの国の異常さであると思う。元々、プロテスタントの方が聖書に帰れという言葉の通りに原理主義に近いし。だからアメリカがイスラムを嫌うのは同属嫌悪に過ぎないというのもそんなに的を外した意見じゃないか。
また、私が共産党を蛇蝎の如くに嫌う(というか、共産党と蛇だったら蛇の方が遥かに好きだが・・・・・・)のは、共産党がシステムとして上に従わざるを得ない組織になっていることが主因である。指導者と意見を異にすればたちどころに解党的活動とやらのレッテルを貼られ、破門される。このようなシステムそのものが、人を不幸にはし得ても幸福にすることはできないものだと思う。
最後に、カルトがなぜ危険なのかだが、私としては彼らが絶対の正義を信奉してしまうことにあると思う。十字軍において、キリスト教徒が神の名の下にイスラーム教徒たちを虐殺しまくったのは、オウムやシャロン・テートを虐殺したマンソン・ファミリーのやり口と変わらない。正義を確信したとき、人はどこまででも他人に対して残酷になれると思う。だから、正義を標榜する組織には、まずは胡散臭い目を向けるだけの冷静さは重要なのではないだろうか。
※○の中には仏教用語らしく「莫」が入ります仏教政党に敬意を表して「釈」を入れてくださいねー。
ちょっと気になったのが、カルト云々について。政党名に「キリスト教」なんてのが入っているヨーロッパが、公明党を批判できないとは思います。
創価学会が人を不幸にするのは周知の事実ですが、キリスト教は戦争を振りまく極悪宗教だと思います。
結論から言ってしまえば、ある政党の名前に特定の宗教名が含まれていたとしても、それが直ちにその政党が特定の宗教に従っている、とはならない。異教徒、異民族が移民として無視しえぬだけの勢力を持つのであれば、自分達の文化の象徴として宗教名を持ち出して不思議はない。
では、カルトが支配する政党と、只単に宗教名を冠しただけの宗教はどうやって分けるのか。
私の考えでは、無謬の存在が頂点にあるかどうか、が分かれ道になる。
例えば、自(国内のまともな人と)他(国の人が)共に認める公カルト宗教、創価学会を例にとって見る。創価学会は周知の通り池田大作の絶対的な支配下にある。池田大作こそが、教徒たちに何が正義であるかを教え、導く役割を担う。なので、内部から池田大作へ批判が集まることは考えられない。仮にそのような動きがあった場合、即刻破門されてしまうので、教団内で反主流派が大きくなることは極めて困難である。
この創価学会の選挙マシーンが公明党であり、あんな政党に投票する○迦(※)は学会員しかいない。従って、公明党は、国会議員ですらない池田大作の支配下にある。この事実は、政党のありかたとして極めて異例であり、また極めて危険なシステムである。極端な想定をすると、公明党が一党だけで政権政党になった場合、首相よりも権力の強い人間が政府の外にいるということになることからも明らかだろう。
創価学会が危険である、というのはこの一事をもって足りる。
では、キリスト教の名を冠する政党はどうだろうか。広く知られているのはドイツのキリスト教民主同盟だろう。では、この政党は裏にある宗教組織あるいは宗教指導者に従うだけの存在なのだろうか。
決してそうではない。ローマカトリック教会、あるいは自国の宗教指導者が政治に介入しすることはできない。イベントの時に政治指導者が教会に赴いたり、教会指導者を尊重したとしてもそれは直ちに教会が政治を壟断している証拠にはならない。日本の首相が靖国神社に参拝したからといって靖国が国権を左右する力を持っているわけではない、というのと同じ。
敷衍していくと、かつてキリスト教が世俗の権力までをも一手に握っていた時代には、キリスト教は危険なカルト以外の何物でもなかったと判断することができる。非寛容で、異教徒や異民族に暴虐の限りを尽くした教会の過去は決して消せるものではない。しかし、現在のヨーロッパにおいてもキリスト教会が絶大な権力を持つかというと、それも違うだろう。
現在のキリスト教は文化の奥底に潜む概念であり、ヨーロッパの統合と思われる概念の象徴に過ぎない。EUにトルコが入れないのは、結局はそこだろう。だからこれまでトルコはEUに入れなかったし、これからも当分の間は入れないに違いない。
むしろ教会が大きな力を持つのはアメリカであり、オバマ対マケインの選挙戦でも教会指導者がどうこうといったニュースが海外にまで流れるのが、かの国の異常さであると思う。元々、プロテスタントの方が聖書に帰れという言葉の通りに原理主義に近いし。だからアメリカがイスラムを嫌うのは同属嫌悪に過ぎないというのもそんなに的を外した意見じゃないか。
また、私が共産党を蛇蝎の如くに嫌う(というか、共産党と蛇だったら蛇の方が遥かに好きだが・・・・・・)のは、共産党がシステムとして上に従わざるを得ない組織になっていることが主因である。指導者と意見を異にすればたちどころに解党的活動とやらのレッテルを貼られ、破門される。このようなシステムそのものが、人を不幸にはし得ても幸福にすることはできないものだと思う。
最後に、カルトがなぜ危険なのかだが、私としては彼らが絶対の正義を信奉してしまうことにあると思う。十字軍において、キリスト教徒が神の名の下にイスラーム教徒たちを虐殺しまくったのは、オウムやシャロン・テートを虐殺したマンソン・ファミリーのやり口と変わらない。正義を確信したとき、人はどこまででも他人に対して残酷になれると思う。だから、正義を標榜する組織には、まずは胡散臭い目を向けるだけの冷静さは重要なのではないだろうか。
※○の中には
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お久しぶりです。ハリーポッター最終巻、まだ買っただけです。
右とか左とか宗教とか近くの国の人とか、なんでこう普通に人に話すようにネットで文章を書けないのかと疑問に思っていたのですが、自分が正義だと確信しているため、抑えが利かないのですね。
キリスト教の場合、残虐なことを散々やって、もう飽きた、いや、社会に適応するために丸くなった後の宗教なので、まだ社会に適応できずに軋轢を起こしている段階の宗教である創価学会と一緒に扱うのはよろしくないと思います。
右とか左とか宗教とか近くの国の人とか、なんでこう普通に人に話すようにネットで文章を書けないのかと疑問に思っていたのですが、自分が正義だと確信しているため、抑えが利かないのですね。
キリスト教の場合、残虐なことを散々やって、もう飽きた、いや、社会に適応するために丸くなった後の宗教なので、まだ社会に適応できずに軋轢を起こしている段階の宗教である創価学会と一緒に扱うのはよろしくないと思います。
調べてみたら、前回コメントを頂いたのはもう2年も前になるのですね。
細々とではありますが、随分長いこと続けてきたのだと改めて思いました。
(誰も聞きたくない自分騙り)
トラックバックもありがとうございます。
私の記事を引用することは全く問題ありません。これからも無断でどんどんやってくださって結構です。
私も色々なところから文章を引用して来ましたが、著者に断ったことはありません(笑)
引用するなら出典を明記すれば良いし、引用されるのが嫌なのであればそもそも文章を公開すべきではないと思いますから。
私の拙い文章を、それだけ評価いただいたことだけでも身に余る光栄です。
キリスト教についてですが、これまた長くなりそうなので別エントリにてお返事させてください・・・・・・
細々とではありますが、随分長いこと続けてきたのだと改めて思いました。
(誰も聞きたくない自分騙り)
トラックバックもありがとうございます。
私の記事を引用することは全く問題ありません。これからも無断でどんどんやってくださって結構です。
私も色々なところから文章を引用して来ましたが、著者に断ったことはありません(笑)
引用するなら出典を明記すれば良いし、引用されるのが嫌なのであればそもそも文章を公開すべきではないと思いますから。
私の拙い文章を、それだけ評価いただいたことだけでも身に余る光栄です。
キリスト教についてですが、これまた長くなりそうなので別エントリにてお返事させてください・・・・・・
2008/12/08 月 05:54:17 |
URL |
Skywriter #-編集
正義を確信したとき、人はどこまででも他人に対して残酷になれる
Skywriterさんの『ダメ人間、東欧の地で大いに喚く 何がカルトなのか』より
2008/12/07 Sun 11:51:24 | 一人人海戦術
2008/12/07 Sun 11:51:24 | 一人人海戦術