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538冊目 空の戦争史
空の戦争史 (講談社現代新書 1945)空の戦争史 (講談社現代新書 1945)
(2008/06/17)
田中 利幸

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評価:☆☆☆☆☆


 自由に空を飛ぶことは、長く人類にとって見果てぬ夢だった。ギリシア神話に見えるイカロスの逸話から窺えるように、空を飛ぶことを渇望しつつも技術では到達できない境地。気球、そして飛行機の誕生によって空への道を見出したのは、そう遠い過去の話ではない。

 だが、夢にまで見た空への活路が開けたとき、そこには軍が触手を伸ばしていた。

 一七八三年一一月二一日、パリ郊外で、人間が乗った気球が歴史上初めて空を飛んだ。この気球に乗り込んだのは医者と陸軍士官の二人であった。この気球の実験飛行に見られるように、「空を飛ぶ」ということには、軍人たちが当初から高い関心を持ち、気球が将来持つであろう軍事的重要さを先見的に見通していた。
本書p.12より


 気球によって、早くも無差別爆撃が行われている。しかし、これは上手く行かなかった。爆弾の技術が進んでいなかったためである。やがて技術の進歩と共に、気球は飛行機にへ、初歩的な爆弾は焼夷弾を経て遂には原爆にまで姿を変えることになる。

 だが、絨毯爆撃や原爆投下といった、銃後の人々の大量殺人が可能となったのは、爆撃を支える思想の進化があったことが本書では強調されている。端的に言えば、無差別爆撃は相手の士気を下げることで戦争終結を早めるために有効だ、ということである。そしてそれ故に、無差別爆撃は人道的である、とまで言う。

 なぜこのような矛盾したように思われる考えが成立しうるのか。一つには、精密爆撃によって相手の生産力を低下させることが困難であることが挙げられるだろう。生産拠点を隠蔽する、あるいは分散させる、といった手段によって精密爆撃による工業生産力への打撃は低下させることが容易である。

 効果の薄い爆撃を、それでも正当化する手段は何か。それは、相手の士気が下がるとするしかないのだ。なんとなれば、工業生産力は誤魔化しが効かないが、相手の士気が下がったという主張は反論不可能であるからだ。まさか、こちらは爆撃を実行した者ですがお宅の士気は下がってますか、などというインタビューなどできないのだから。

 しかし、それも欺瞞である。なんとなれば、指導者たちは爆撃によって相手の士気が下がり、戦争終結が早まるという考えを否定する材料を持っていたからだ。それは、自国民の反応である。爆撃を受けた地域では、士気が下がるどころか敵愾心に燃える傾向があったことである。自国民は勇敢だから反発するが、敵国民は臆病者だから士気が下がるに違いない。そんな莫迦な考えは当てはまらないのだ。

 もう一つ、本書で指摘されていることを紹介しておきたい。それは、戦局が一方的になると大規模な無差別爆撃が行われる、ということだ。これは最早、国家が行うテロ行為に他ならない。連合軍が行ったドレスデン爆撃や、東京大空襲を想起すればよい。どちらも、爆撃が戦局に大きな影響を与えなくなってから実施されたものである。そして、日本軍による重慶爆撃などもまた同じ構造を持つ。

 我々は、効率よく大量の人殺しを実行することが人道的であるなどという莫迦な考えからは抜け出さなければならない。戦争は常に精神の昂揚や、敵国民を蔑視する姿勢をもたらす。だからこそ、冷静にならなければならないのだと思う。技術の進歩によって手に入れた力を、大量殺人を可能とする無差別爆撃に用いてしまった過去から学ぶことは沢山あると思わされた。
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太平洋戦争・二次大戦・現代史 | 2008/07/29(火) 23:27 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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