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533冊目 卑弥呼は大和に眠るか―邪馬台国の実像を追って
卑弥呼は大和に眠るか―邪馬台国の実像を追って卑弥呼は大和に眠るか―邪馬台国の実像を追って
(1999/10)
大庭 脩

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評価:☆☆☆☆


 邪馬台国はどこにあったのか。畿内である。あるいは九州である。いや、沖縄である。と、ことが邪馬台国ともなると大変に姦しい論争が巻き起こる。なんと、邪馬台国はエジプトにあったのだという珍説を唱えたヒトまでいるくらいである。興味がある方は望夢楼の記事へどうぞ。

 結局のところ、大勢としては畿内説が最有力であり、九州説を唱えているのは今ではごく一部であるという状況である。なぜ畿内であるといえるか。その辺り、歴史に疎い私には全く知識が無かったので、本書はとても勉強になった。

 三世紀当時の遺物を見ると畿内からの出土が圧倒的に多いことや、その直後の古墳時代は畿内にこそ大量の古墳が見られることがあげられる。取り分け、銅鏡の分布から、中国からもたらされたものが畿内に集められた後で地方に分配された形跡があることは畿内説に有利だろう。

 この畿内説にケチをつける余地を与えているのが、魏志東夷伝(倭人伝なんてものは無い)にある、日本までの距離の話である。魏志が正確に距離を書いているのであれば、魏の使者は畿内に辿り着くことは無い。だから論争になる。この点を、地図学の立場から検証しているのも興味深い。

 また、卑弥呼はどのような服装をしていたか、食事はどのようなものだったか、宗教のあり方はどうか、と、考古学の発見を広く紹介しつつ、邪馬台国の実像に迫っている。かなり専門的な話なのではあるが、歴史に興味があるなら楽しく読み進めることができるのではないか。

 最終章で毎日新聞と朝日新聞の元文化部記者が対談をしているのだが、その中でなぜ卑弥呼の話題が特別注目を集めるか、考察している。結論としては、卑弥呼が女性であること、謎に包まれていることの二点が大きいということになっている。

 が、私はもう一点加えたい。

 それは、邪馬台国と卑弥呼が記されているのが三国志であるということである。卑弥呼の使者が辿り着いたのは曹操(一説に、袁紹)の孫である曹叡の時代の魏である。曹叡が帝位にあった時期はそんなに長いわけではないのだが、この時期には三国の興亡を彩る最後の事件的な雰囲気もある、諸葛孔明の北伐と陣没があった。だから思いを馳せやすいというのがあるのではないか。・・・単に私が三国志との関係で興味があるだけなんだけど。
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その他歴史 | 2008/07/16(水) 23:40 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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お久しぶりです。

『日本史の誕生』(岡田英弘)では、考古学ではなく文献史学から邪馬台国について言及がありました。まぁ、結論から言えばデタラメが多すぎて、所在地については信用できないと言うことなんですけど。
要するに、「邪馬台国のみで七万戸」という数字だけでかなり怪しい(当時の蜀漢滅亡時でも人口は100万人弱。弥生時代の列島全体の人口がせいぜい70万程度と見られる中、7万戸というのはあまりに多すぎる)ということで、これに関しては『三國志 正史と小説の狭間』(満田剛)などにも言及されていましたが、要するに魏王朝内の両巨頭である曹真・司馬懿のうち、曹真が西方の大国・大月氏国(クシャーナ王朝)の取り次ぎを担う栄誉に預かるなら、司馬懿にも取り次ぐべき「東方の大国」が必要・・・ という政治的なバランス感覚が働いた結果、というのが実情だと思います。
しかし、なかなか面白そうな本です。中古だと安そうですから、ひとつ読んでみたいですね
2008/07/17 木 00:42:19 | URL | オジオン #-編集

オジオンさんがコメント下さるだろうと思いながらの紹介でしたので嬉しく思います^^

文献史学から邪馬台国を探るのは難しそうですね。当時日本に文字が無かったことが悔やまれます。それがあれば情報量が随分と違ったでしょうに。

オジオンさんには文句なしにお勧めできるのですが、刷られた数自体が少なそうですので手に入れるのは難しいかもしれません。

本がすぐに消えていくのも残念な話ですね。
2008/07/17 木 23:59:10 | URL | Skywriter #-編集
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