騙される脳 (扶桑社新書 18) (2007/08/30) 米山 公啓 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆
流行というものは、渦中にある人にはたまらなく魅力のあるものであるが、外側の人には全く訴求力を持たない。お笑いが嫌いだという人に、テレビでやっていた最新ギャグを披露しても下水に浮かぶゲジゲジを眺めるような冷たい視線で見詰められるのが関の山。で、外側の人はなんでまたこんなものが流行るんだろうと思うわけだ。
外側に立つのは、実のところ簡単な話。なにせ、流行は一過性の上に人を選ぶわけだから、ちょっとでも自分がその範疇から外れてさえ居れば良い。昔の話、異性にターゲットの絞られている話、ヲタな人を狙った話、などなど。今更がちょーん、と言うならば、その台詞で笑いを取るには狙い済ました一撃が必要だろうけど、往時はそれだけで一斉にナウなヤングが莫迦ウケしていたはずなのだ。
ではなぜ流行があるのかというと、「新しさ」を追求する脳の仕組みがあるからだ、というのが本書の主張。
タイトルからも分かるとおり、流行に流されることについて著者は否定的な立場にあるようだ。前書きでも「騙されないためには、自分なりの価値観を持つことが重要」と言っている。
しかし、流行はそんなに悪いものではない。そもそも、それほど共通の知識基盤のない職場などにおいては当たり障りのない話題づくりには貴重ではないか。そうでもなければ仕事の話しか出来なくなってしまうではないか。
などと言いながら、私は全く流行に興味が無いので会社では無口です、はい。会社の人とは円滑に仕事を進めることさえ出来れば他に望むことはありません。
世間で大流行した朝青龍の大バッシングには、普段相撲なんか見ないくせにバッシングだけに参加するとは暇な人がいるもんだ、と思っていたほど。私自身は、相撲なんかに一切の興味が無いので犯罪が無い限り報道は不要だと思うのだが。もっとも、角界というところは凄惨なリンチ殺人を行ってもなかなか逮捕さえされないという摩訶不思議なところのようなので、犯罪が起きても表に出てこないかも知れないけれども。
著者によるとこういうのは男に多いそうで、とりわけおじさんに多いと指摘されている。ええ、おっさんですとも。
「新しいこと」と、「自慢したがる」ことをキーワードに、ゴッホや軽井沢、ニセコスキーリゾート、京都などの良さがどのように”発見”されたのかを語るのには説得力がある。とりわけ淋しく感じるのは、日本人が軽井沢を認めるようになるのは外国人が絶賛してからというくだり。外国でもそうかも知れないけど、良い物は良いと認められるようになりたいものだ。
ただ、タイトルに脳が冠してあるが、脳そのものの話題はほとんど出てこない。脳に興味がある方には別の本を当たることをお勧めする。
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