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407冊目 中国の歴史3 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国)
第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)
(2004/11/10)
鶴間 和幸

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評価:☆☆☆☆


 ファーストエンペラーと言えば、なんといっても始皇帝である。強烈な個性を持つこの人物は、他の六国を滅ぼして初の統一王朝を築いただけではなく、皇帝の称号を考え出し、文字や度量衡の統一を実施し、法家主義に基づいた強力な官僚制を整備した。自体は統一後わずか15年で滅びてしまったが、による諸制度こそ後の中国を形作っていったのである。

 は小さな地方反乱が呼び水となった全国規模の蜂起により崩壊する。このときに名を上げたのが項羽劉邦項羽を遂に打ち破った劉邦の開いた王朝は、王莽の新を経ながらおよそ400年間命脈を保つことになる。王朝成立の際にの遺産を大量に取り込むことで、秦の諸制度は名と形を変えて遥かな時代を生き抜くことになる。

 本書はまず近年になってから発見された大量の出土品がもたらした研究へのインパクトを伝えてから、一気に2000年以上の過去へ戻る。始皇帝暗殺未遂事件。風は蕭蕭として易水寒し、壮士は一たび去って復た還らずと謳い暗殺に赴く荊軻の覚悟、逃げる秦王(まだ皇帝になっていない)の焦り、その結末。名場面の多い史記でも、屈指の印象的なシーンである。

 なぜこの名場面が始まりとして描かれたのか。それは本書を読めばよく分かる通り、秦が天下を統一する、その直前の場面として最適だから、である。天下を統一するまでと、天下統一後を繋ぐシーンを導入することで、天下統一後の秦の動向が理解しやすくなるのだ

 匈奴をはじめとする諸外国との攻防は、中国の地に宿命として残る。三国魏に続く晋は北方からの異民族流入により中原の地を失い、隋は高句麗遠征に失敗して国を傾けた。魏晋南北朝時代、五胡十六国時代、金、元、清と異民族の立てた王朝が長く中国を支配したことからも窺えるが、対立の萌芽もまた秦帝国から存在した。

 特に匈奴との争いについては、蘇武と李陵の物語、「雁書」や「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の故事でも知られているし、ちょっと詳しい方なら蒙恬、衛青、霍去病、李広利などの匈奴戦に従事した将軍のこともご存知だろう。

 この辺りの、外征がなぜ行われたかということもかなり詳しく触れられているのだが、後の班超による西域経営よりも前漢の武帝時代の方が分量が多い。倭国からの使者やマルクス・アウレリウス・アントニウスとの接点など、諸外国との付き合いの全体像は見えてくるのではないか。

 トピックごとにぶつ切りの印象があるが、全体としてみれば秦~後漢成立くらいまではかなり詳しく書かれていると思う。ただ、後漢の終盤から我らが三国志の時代にかけては記述が非常に雑になってしまう。たとえば黄巾の乱。

張角が病死した後、(略)横の連帯の絆は緩み、略奪集団化していった。結局、各集団は曹操の軍に鎮圧されていく。
(p.413)


 とあるが、実際には黄巾の乱鎮圧に活躍したのは皇甫嵩と朱儁である。その功として、皇甫嵩は車騎将軍(最高級の将軍職の一つ)に上る。曹操は西園八校尉(黄巾の乱鎮圧に功のあった若手軍人への褒章的な地位として新設)に任じられたに過ぎない。曹操が青洲黄巾賊を討伐し、一部を自己の軍に組み込んだのは世に言う黄巾の乱より後の話である。

 また、袁紹についてはこうだ。

 反董卓の動きは秦始皇帝王莽の時と同様、山東(関東)の諸郡から起こった。袁紹は汝南郡汝陽の名族の出身であり、霊帝の外戚何進と宦官勢力の一掃を謀ろうとし、二千余人を殺した人物である。董卓が献帝を立てると、袁紹は従弟の袁術とともに、地方の州刺史や郡太守の諸勢力を加えた。董卓討伐を目的に盟主として同盟決起し、董卓を攻撃した。これに対して董卓は都にいた袁紹一族の高官とその家族を殺し、青城門外と東都門内の場所に埋めた。この後、建安五年(二〇〇)、袁紹と曹操は官渡の戦いで雌雄を決することになり、袁紹は大敗した。
(P.425より)


 この文章読んだら、多分だけど知らない人は大誤解するのではなかろうか。まず時系列の問題があり、次に事実の問題がある。実際の流れはこうだと思うのだが。

1.外戚の何進が宦官勢力と対立する。何進は袁紹と図り、地方軍閥を都に呼び寄せ強大な軍事力を背景に宦官駆逐を狙う。
2.先手を打った宦官が地方軍閥がまだ首都洛陽に入る前に何進を暗殺
3.何進暗殺を機に袁紹は宦官を一掃する(189年)。宦官を中心に死者二千余人。
4.混乱する洛陽を地方軍閥の一人董卓が押さえ、皇帝を擁立して独裁権力を握る。
5.董卓の独裁を不快に感じた勢力が同盟を結んで董卓と対立する。
6.董卓は関東諸侯の鋭鋒を避けるため、洛陽から自らの本拠に近い長安へ遷都を強行(190年)。その後、董卓は長安で配下の呂布に暗殺される(192年)。
7.主導権争いのため同盟は有効に機能せず、解散。以後漢帝国は名目だけの存在へ。
8.諸侯の覇権争いが激化し、権力の空白地となった中原の地を中心に再編が進む。その争いの一つが官渡の戦い(200年)。

 といわけで、本書を読むと、袁紹が外戚まで排除したように読めるがそれは違うし、董卓との対立の直後に官渡の戦いがあったわけではない。なにせ、宦官皆殺しが189年で官渡の戦いが200年と、10年以上の開きがある。これを一行で片付けちゃうのはどうかなぁ。

 そんなわけで、専門ではない時代の記述は甘いと判断せざるを得ない。加えて、内容はとても面白かったのだが、構成がやや散漫なので☆4つ。もうちょっと全体を読み物として一貫性を持たせるようにできたのにと思うとちょっと残念である。
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中国史 | 2007/11/10(土) 15:18 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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凄いですね
「三国志」の序盤部分はまさに高校世界史教科書レベルですね(^^;
教科書では
「黄巾の乱で弱体化した後漢の中で、乱を鎮圧した曹操が実権を握り~」
と非常にあっさり味です


ちなみに、このシリーズは04巻のみ購入・読了しています
(「三国志の世界」 金文京)

が、正直ちょっと期待はずれでした
著者が文学畑の所為か「演義」が出発点でそれと史実との違いを延々と紹介されたりすると、うんざりしてしまいます。この部分を削除すれば良い出来だったのに、と思わざるを得ません。あと、「演義」が出発点ですから社会経済史がどうしても弱いです。個々のトピックスはなかなか良いのですが、全体的なまとまりを欠いている感じでした。このへん、3巻に通じるものがありますね~

amazonでみるともの凄く評価が高いんですけどね(^^;
2007/11/12 月 01:53:43 | URL | オジオン #-編集

後漢末についてはお粗末ですが、秦~前漢滅亡まではかなり目新しい話題も多く、楽しめましたよ。
そこだけで終わっていたら文句なしの五つ星です。
全体的なまとまりについては目を瞑る方向で(笑)

>4巻「三国志の世界」
趣味の人なら演義が出発点なのも分かりますけどね……

歴史の叙述となれば歴史にこだわって欲しいものです。というか、積読済みなんですが……(涙)

いずれ読むと思うので、その時にまたお相手頂ければ幸甚です。
2007/11/12 月 22:54:22 | URL | すかいらいたあ #-編集
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