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273冊目 霊はあるか
霊はあるか

安斎 育郎著

講談社 (2002.9)

\924

評価:☆☆☆


 悪質な霊感商法に騙される人々は跡を絶たない。これまでもそうだったし、未来永劫それは変わらないだろう。なぜかと言うと、霊とかいうものを、信じたいヒトが決して絶えることがないからだ。

 そもそも、霊なるものがどのようなものか、はっきりしたことが分かっていない。これは霊なるものが存在すると仮定したらとても不思議なことだ。少なくとも数千年前には既に霊についての意識はあったのに、解析技術が凄まじく発達した現在でも数千年前と同じ状況と言うのは霊なんてものが存在しない可能性を強く示唆している。もちろん、神も同じ。不在の証明ができないことだけが、霊が生き残る(?)根拠になっているというのはなんとも皮肉だろう。

 本書はそんな霊について、存在するのかどうか、存在するとしたらどのような姿をとるのかを考察している。著者は懐疑主義者である安齋育郎(彼のプロフィールは立命館大学内の安齋先生のページに詳しい。また、安齋育郎研究室にて近著などの予定が掲載されている)。

 第二章で、霊や霊感商法についての各宗派の認識を紹介しているが、その認識の幅の広さは特筆物で、これが元を辿れば一人の人間の思想に行き着くのか疑問に思わずには居られないほど。だが、それでも共通点はある。それは、どの宗派も霊障などというものはないとしていること。霊の存在そのものを認めない宗派はもちろん、霊はあるとする宗派であっても霊障はないとするのはなかなか興味深い。

 ついで第三章で、霊が存在するとしたらどのようなものかを科学的に検討しているのだけれども、これが面白くない。目で見えるなら物質でできていなければいけないとか、エネルギー収支を考えれば幽霊の排泄物がなければおかしいとか、かなりシュールな批判方法のような気がする。同時に扱われている過去の幽霊騒ぎの事例(そのいずれもがインチキだった)の方がずっと面白いのだが、残念なことにほとんど全て有名な事例で、その手の本を読みなれている人には物足りないだろう。

 全体として、霊についての懐疑的な姿勢に触れたことがない“初心者”(何の?)向けで、そういった意味で価値があるのではなかろうか。

 第四章では金縛りについても触れられているので脱線を承知で私のことを。私も大学生の頃金縛りに遭ったことがある(遠い目)。体は動かず、ああ、これが金縛りか、睡眠リズムが崩れていたからかなと冷静に判断して、そのまま寝たら金縛りは終わっていた。それ以降、遭ったことがない。脳と体の不思議を実感したが、予備知識を持たない人であれば霊だとか神だとかいうものを持ち出して説明してもおかしくないのかもしれない。

 で、一番の問題はここにあると思う。なぜ、霊だとか神だとか言った類の、存在が明らかになった例のないものを想定しなければならないのか。すでに分かっている知見で説明できるものはないのか。安易に人知を超えた存在を持ち出す前に、もっとできることがあるはずだろう。

 著者もその不合理なあり方を批判している。そして懐疑的なあり方についての知識を広めるべく努力をしなければならないだろうと提言をされている。本の中には書いていないが、著者はそれを実際に実行しているのは、私が敬意を払う理由となっている(啓蒙的な本を執筆したり、Japan Skeptics会長として活躍したりと、大変な努力をされている)。

 だけど、それで良くなるのだろうか。啓蒙されることを、人々は本当に望んでいるのだろうか。霊なんて存在しないんだということを、喜んで受け入れられる人ばかりなのだろうか。私は無理だと思う。大衆は不合理な考えであっても自分の趣味に合う考えを好み、懐疑主義になんか耳を貸さない。霊感商法に遭って、言われるがままにカネを払って、そこでようやくテレビなどのオカルト番組を恨みに思うのがせいぜいで、そのテレビ番組だって大衆がそのレベルのものを好むことを知っているから低レベルな番組を作っているのであって、事実として騙されることさえなければ大衆は喜んでそんな番組を娯楽として消費しているのだ。その意味で、我々はアメリカ人の90%ほどが天使の実在を信じているなどと嗤えない。

 懐疑主義であることは意味を持たないとは思わない。むしろ、重要なことだと思うし、広報の努力には頭が下がる思いがする。でも、それだけでは騙される人はなくならないというのも間違いない事実だ。懐疑主義になんて普段は目を向けない人、そういう人であっても霊感商法に騙されないようにする、そんな手段を考えないと霊感商法への対抗策にはならないと思われて仕方がなかった。
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反疑似科学・反オカルト | 2007/02/18(日) 23:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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