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237冊目 信仰が人を殺すとき
信仰が人を殺すとき

ジョン・クラカワー著 / 佐宗 鈴夫訳

河出書房新社 (2005.4)

\2,625

評価:☆☆☆☆☆


 1984年7月24日、おぞましい事件が起こった。一人の女性と、そのわずか1歳3ヶ月の娘が惨殺されたのだ。犯人はこの女性の義兄たちだった。彼らは神からの啓示を受け、冷静に犯行に及んだのだった。

 犯人はこの残酷で無慈悲な犯罪から、全く心の痛みを感じていない。彼にとってこの殺害は神から命じられたことを淡々と実行しただけのことで人界の法になど関わっていないのだ。

 犯人が信じていたのはモルモン教から派生したモルモン教原理主義。モルモン教の創始者であるジョセフ・スミスが当初唱えていた、信者と神との直接の対話を重要視するモルモン教の一派である(ただし主流派のモルモン教徒は一緒にされるのを嫌がるらしい)。

 事件からショックを受けたのか、著者は犯人とモルモン教原理主義に関して調査を進める。とすると、必然的にモルモン教についても光を当てることになる。モルモン教の経典はどうやらトンでもないものらしい。しかし、なぜそんなトンデモを人々は信じるのか(モルモン教の信者数はユダヤ教のを上回るという)。その不思議を引用する。

 『モルモン経』は、出版される前からすでに、モルモン教徒以外の人々からひどい嘲りの対象とされていた。(略)『モルモン経』には、歴史的に観て、とんでもない年代の誤りや相容れない矛盾が数多くあるのだ。たとえば、車輪つきの馬車のことがたくさん出てくるけれども、コロンブス以前の時代、西半球には、そうしたものは存在していなかった。(略)
 だが、そのような批判や揶揄は、大部分が的外れである。信仰はすべて、理性に基づかない信念の儀式なのだ。その信念は、とうぜん、知的な議論も学問的な批判もうけつけようとしない傾向がある。
(P.108~109より)


 ここで書かれていることは私の宗教に対する見方を実に的確に表現している。信仰にはどのようなものであっても必ず疑うことなく信じることが付きまとう。信じることこそが信仰を持つ人々が持つ信仰への誇りなのだから仕方がない。麻原彰晃が最終解脱者だということを信じることと、磔にされた3日後に甦ったということを信じることは、どちらも同じ程度の真実性しかない。おまけに検証もできない。

 マリアが処女懐胎したなどというのは新約聖書が書かれた当時は誰一人思っていなかったことは文献学的な証拠から明らかであっても、敬虔なキリスト教徒はマリアの処女懐胎を信じているだろう。これが翻訳上のアクロバットから生まれた妄信であるにもかかわらず(「若い女」を「処女」と誤訳したのが処女懐胎説のきっかけ)。

 とある宗教の信者が害を与えるのでなければなにを信じていてもかまわない、というのは一つの立場だろう。私もそこに属する。だから、特定の宗教が一夫多妻体制を採ることに反対はしない。それどころかその宗教内で被害者も納得した上であれば殺人だって別に構わないと思っている。それが他人の信仰を認める立場の行き着くところだと思う。

 信仰上の理由によって、自らの意思で一夫多妻制を選ぶ女性に反対はしない。一夫一婦制に従って”売れ残り”の男しか選べないよりは女性がすばらしいと思う既婚の男性と付き合っても、(男性の配偶者を含め)誰にも迷惑をかけていないなら反対する根拠がない。

 しかし、それはモルモン原理主義の集団が、そこで生まれた女の子たちに対して十分な教育を受けさせず、10代の前半には幹部の決めた相手と結婚させられるというのを容認する態度とは程遠い。彼女らには選択の余地がない。それだけの経験もない。そんな女性たちに一夫多妻を強制するのにはぞっとする。創始者ジョセフ・スミス自身も多くの女性と結びつきがあったらしいが、それを強制するときの脅し文句は常に同じ。従わなければ地獄に落ちるぞ。信仰の自由を認める社会では不可抗力的に発生する、おぞましいセリフだ。

 そしてまた、モルモン教の経典から明らかに読み取れる有色人種差別には胸が悪くなる。現在では放棄されているそうであるが、原理主義者にはそれが気に食わないらしい。

 妄信を要求する、宗教というものが存在する以上は冒頭で取り上げたような悲惨な事件は発生せざるを得ないのかもしれない。本書が取り上げているのはあくまでモルモン教から派生した原理主義の問題だが、それがモルモン教だけに留まるものではないことは明らかだろう。アメリカには他にもプロテスタント系の原理主義が根強い勢力を張っている。モルモン教もプロテスタントも共和党の強い支持基盤であることは、彼らが根絶されることがないと思う根拠になるだろう。日本でもオウムに引き起こされた悲惨な事件の数々や足裏占いなどのインチキによって命を失う人々までいたことが大きく報道されたではないか(そういえばパナウェーブって結局のところなんだったの?)。原理主義という、批判を受け付けず理性に耳を貸さないのはなにもイスラム原理主義に限ったことではない。

 また、日本では余りなじみのないモルモン教についてその成立から現在までの歴史を紹介していることは大変に貴重なことだろう。その非合理的に思える教義(特にインディアンは神に呪われたせいで色つきの肌になったことなど)に加え、権力と非合法的な対立を辞さず、多くの殺人に関与したらしきことなどは全然知らなかった。多くの世界宗教が狭いコミュニティでのみ支持を受ける段階から規模を世界に広げる中で多くの者を取り込めるように変貌していったのと同様、今では過激で人種差別主義的な色彩は薄れているようである。しかし。それでも我々はモルモン教がどのような成立をしたのかを知って損をすることはないと信じる。

 本書はモルモン教全体の持つ怪しさとモルモン教原理主義者の起こした特定の事件を章毎に渡り歩くことで特定の事件の背景に潜むモルモン教の影響を浮き彫りしていると強く感じさせる。

 信仰とは何か。それを考えるのに、本書のような冷静かつ緻密な本はとても役に立つのではなかろうか。ぜひ、他の方も正しい信仰というものがありうるのか、考えてみてもらいたい。

 最後にもう一箇所、本書から引用する。この一節には、本を書くきっかけとなった殺人事件に加えてモルモン教の血塗られた歴史と権力との闘争について記す中で著者の宗教への思いが端的に語られていると思われてならない。

(略)信教の自由を守ることに熱心な民主主義社会で、ひとりの人間の非理性的な信仰は賞賛に値する合法的なものであり、べつの人間の信仰は常軌を逸していると断定する権利が、誰にあるのだろうか?社会は、積極的に信仰を奨励する一方で、他方では、過激な信仰者に有罪の判決をくだすことが、どうしてできるのだろうか?(P.378)
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ノンフィクション | 2006/12/13(水) 23:20 | Trackback:(0) | Comments:(4)

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先日は拙ブログにコメントありがとうございました。さっそくまた物色しに参りました(笑)。本書と↑の現代史おもしろそうですね。

ただ…、すかいらいたあさんの書評で自分も読んだ気になってしまうのです。相変わらずさえわたっていますね。

私は塾講師ですから、年末年始も忙しいのですが、2.3日は休みがあるでしょうから、1・2冊読めるかなと思っております。またおじゃまします。
2006/12/16 土 15:12:14 | URL | VIVA #-編集
私はここに書くときには構成を考えたり文章を推敲することなく一気にばばっと仕上げています。なので、書きたかったことを後で思い出して後悔することしきりです。

自分の文章だと粗がモロバレで困りますね。
そんなわけで、もう一つ感銘を受けた言葉を引用します。本書の結びです。信仰を捨てたある人物が、信仰生活を続ける人々は全体的に幸せだろうと述べた後で、こう語ります。
「だが、人生には、幸せよりも大事なことがあります。たとえば、自分で自由にものを考えることです」
この言葉をできる限りずっと覚えておこうと思います。

さて、この本も『「たら」「れば」~』もVIVAさんには大変お勧めですよ。私も過去塾でバイトをしていたことがありますのでこの時期の大変さの一端は分かるつもりですが、そんななかでもVIVAさんが良書に巡り会われることを願っております。
2006/12/16 土 23:10:43 | URL | すかいらいたあ #-編集

たしかに「真理は汝に自由を得さすべし」といいますよね。
2006/12/27 水 03:06:07 | URL | 獅子児 #6GgKOieI編集
コメントありがとうございます。

ただ、私は「真理は汝に自由を得さすべし」とは思わないんです。
というのは、私は不可知論者なので、何が真理なのかは分からないという立場をとっているからです。

科学で言えば、真理に近い立場にいたと思える人々が必ずしも自由に近い立場にいたとは思えないことから疑いを禁じえません。

ただ、真理などといった絶対的なものとは離れたところで、自由な思考をできるということには大変な価値があるのではないかと思う次第です。

特に、あらゆる宗教がなんらかの形で自由な思考を阻害しようとしているのを見ると。
2006/12/30 土 01:04:57 | URL | すかいらいたあ #-編集
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