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Skywriter

Author:Skywriter
あまり一般受けしない本ばかりが好きと言う難儀な管理人です。
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BK1書評の鉄人31号。
鉄人


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1644冊目 信じない人のための講義



評価:☆☆☆☆


 宗教は、信じる人には大切なモノだが信じない人には不条理の極致である。例えば、外部の人間からすれば、マリアの処女懐胎を信じろと言われても、おいおい、人間は雲丹じゃないんだからそんなこと起こらんぞ、としか思えない。しかし、信者にしてみればそれこそが神の存在する証拠ともなるのだ。

 では、不条理なのが宗教なのかというと、それもまた違う気がする。儒教が宗教と言われるように。

 本書は、文化の1つとしての宗教を、外側から眺めてやろうという試みである。著者は特定の宗教を信じてはいないという。それは、こうやって宗教を外側から眺めるには必須の条件のようにも思える。なんとなれば、特定の宗教を信じていれば、己の信じる宗教には寛容に、信じていない、更にはライバル関係にある宗教には冷たい目を向けがちだからだ。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教、ヒンドゥー教、神道といったメジャーどころをしっかり押さえて解説してくれているので、大まかな形を知るにはうってつけだろう。そうした各論的な宗教情報に加えて、多種多様な宗教から見えてくる共通点を探ろうとしているのも面白い。

 なぜキリスト教がこんなにも多くの信者を獲得したのかという疑問に対して、ローマ帝国内で宗教トーナメントとでも言うべき現象が起こり、たまたま勝ち抜いたのがキリスト教だった、という偶然要素が強い考え方は、スティーブン・ジェイ・グールドの唱えた進化の偶然性を彷彿させる。

 ある程度知識をお持ちの方には、新しい情報は無いと思われてしまうかもしれないが、普段宗教について考えることは無いという、非宗教的な人にはうってつけのガイドになるのではないだろうか。
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未分類 | 2015/04/30(木) 23:41 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1643冊目 歴史が面白くなる 東大のディープな世界史
歴史が面白くなる 東大のディープな世界史歴史が面白くなる 東大のディープな世界史
(2013/06/22)
祝田 秀全

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評価:☆☆☆☆


 東大の入試で問われる世界史の問題は、通り一遍の知識ではどうにもならないようだ。

 個人的なことになってしまって申し訳ないが、私は雑学本が嫌いだ。一行で語れる知識を100万得ようとも、そんなものは知ではない。辞書の変形に過ぎないのだ。知が知足りうるのは、知識に出すのではなく、知識と知識の間の連続性を理解していなければならないと思う。

 そして、東大の問題に出てくるのはこの連続性である。例えば、第二次世界大戦中に起こったことがその後の社会をどう規定していったのかを問う問題では、以下のキーワードを使って回答しなければならない。

大西洋憲章  日本国憲法  台湾  金日成  東ドイツ  EEC(ヨーロッパ経済共同体)  アウシュヴィッツ  パレスチナ難民


 キーワードを見ただけで、通り一遍の知識ではどうにもならず、アジア、ヨーロッパ、中東の歴史を知っていなければならないことが分かるはずだ。

 本書はこうした問題と回答の間を結ぶ解説を附しながら、問題が本当に求めているのは何かを教えてくれている。

 どの時代に関する問題も同じで、広い知識と、出来事と出来事を裏で結ぶメカニズムを知っていなければならない。答えるのは大変だろうと思う。しかし、読む側とすればこれほど面白いものも少ない。なにしろ、短文の中に様々なことが詰め込まれているのだ。

 事実の羅列に終始する授業が嫌で、覚えるのが嫌で、歴史が受験科目に無いような進路を選んだのだが、こういう教え方をしてくれる先生がいたら、もっと歴史を好きになっていたかもしれない。歴史を志す人にはぜひ読んでみてほしい。
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その他歴史 | 2015/04/28(火) 19:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1642冊目 100のモノが語る世界の歴史〈2〉帝国の興亡
100のモノが語る世界の歴史〈2〉帝国の興亡 (筑摩選書)100のモノが語る世界の歴史〈2〉帝国の興亡 (筑摩選書)
(2012/06)
Neil MacGregor、 他

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評価:☆☆☆☆☆


 100のモノから世界の歴史を眺めようとする意欲作、全3巻の2巻目。前巻では文明の誕生を扱っていて、とても面白かったので続きを楽しみにしながら手にとった。

 この巻では帝国の興亡とある通り、世界各地に広大な地を支配する国が現れては消えていった時代を扱っている。具体的には、紀元前300年頃から紀元1500年ごろ。

 アレクサンドロスの大帝国が生まれたのが紀元前4世紀後半。そして、1500年といえば、大航海時代である。およそ1800年間から、35のものを取り上げている。

 中東と北アフリカには、アレクサンドロスの帝国崩壊後、その武将たちが君臨する国があった。セレウコス朝ペルシアや、プトレマイオス朝エジプトは互いに相争い、やがてローマに飲み込まれていく。そしてヨーロッパにはギリシアやローマが生まれ、滅んでいった。アジアに目を向けると、インドでも中国でも地域全域を覆うような大帝国が生まれては崩壊することを繰り返している。三大宗教が生まれ、世界宗教として変化していったのもこの巻が扱う時代だ。

 まずはアレクサンドロスの顔が刻まれた金貨。そして、プトレマイオス5世の時代に刻まれたロゼッタストーンへと話が進む。ロゼッタストーンは税金の軽減についての話なので、文章自体は面白くも何とも無い。だからだろう。単なる基石として再利用されているほどだ。それなのに、発見、争奪、そして解読に至る歴史があるから、これは人類の宝へと姿を変えた。

 漆器、頭部像、モザイク画、兜、ツボ、銅鏡、チェス。

 こうしたモノから、当時の世界を蘇らせ、そこはどのような社会で人々は何を考えていたかを明らかにしている。もちろん、通史的なものではないので、大きな流れはわからない。なので、年表や世界地図を横において読むと、より楽しめるのではないだろうか。

 またいつか、大英博物館に行ってみたくなった。
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その他歴史 | 2015/04/26(日) 13:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1641冊目 空白のユダヤ史: エルサレムの再建と民族の危機
空白のユダヤ史: エルサレムの再建と民族の危機 (学術選書)空白のユダヤ史: エルサレムの再建と民族の危機 (学術選書)
(2015/02/12)
秦 剛平

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評価:☆☆☆


 ユダヤ人は早くから文字を持っていた。おまけに、古代にあって驚くほど高い識字率を誇っていたという。それなのに、彼らの歴史を彼ら自身が残した資料からは追うことは困難である。何故かといえば、強国に挟まれていたために独立を保てなかったからだ。

 そもそも、イスラエル人の名前が史上に現れるのは、エジプトがシリア地方へ遠征した時の戦勝記念碑で、イスラエルの民が滅んだことを記すものだった。その後もエジプトやアッシリアといった国に悩まされることになるが、中東を席巻した新バビロニア時代に、破局を迎える。エルサレムは占領され、人々はバビロンに連れ去られてしまうのである。いわゆるバビロン捕囚である。このバビロン捕囚の間にユダヤ教は整えられていく。

 アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼすと、キュロス2世はイスラエル人がエルサレムへ帰ることを許す。だが、再び手に入れた独立も長くは続かなかった。最終的にローマに滅ぼされると、第二次世界大戦後にイスラエルとして復活するまで彼らは依るべき国を失ってしまったのだ。

 ユダヤ人が凄いのは、この間のおよそ1900年間を異国の地で過ごしながら、民族としてのアイデンティティを失わなかったことであろう。そうした彼らの拠り所の一つだったのが、ユダヤ戦争を目撃し、後にユダヤ人の歴史を書き残したヨセフスの著作だ。

 本書はこのヨセフスの著作についての史料批判である。本書を読むと、ヨセフスが巧みに複数の先行する文献を使い、極力矛盾を無くしながら、自分たちの歴史を顕彰していることが分かる。

 分かった中に正確性がないことに気が付かれただろうか?

 そう。ヨセフスは、あるがままの事実を書くつもりはなかった。ユダヤ戦争でローマに打ち負かされ、故国を失ったユダヤ人であっても、過去は優れた歴史を持っていた(だからその誇りを胸に生きていこう)だとか、過去神とともにあるユダヤ人に対して悪く接した国や人はひどい目に遭っている(だからローマ帝国はユダヤ人を保護すべきだ)だとかいうことを一生懸命書いていることが分かるのだ。

 だから、彼の本を歴史書として読んではならない。ユダヤ人が自身の歴史をどのようなものであって欲しいと願ったかを見るべきであろう。

 中には我々の倫理観とは相容れない話もある。同胞の男が異民族の女と同衾していたのが気に食わないと女を追放してしまうあたりは、そういうことをやるから嫌われてしまうのだろうと思ってしまう。彼らが他民族と交わろうとしなかった(実際にはしっかり交流していたことが現代のユダヤ人の遺伝子に残された証拠からは分かっている)ことは、差別の原因ともなっていく。その指摘は、現代史における悲劇を見ると実に重いものに感じられる。

 ユダヤ人ではない私からすると、選民思想が鼻につくのは事実だ。先行する資料を平然と捻じ曲げ、都合よく引用するところも好意的にはなれない。その一方で、膨大な文献をまとめ、生きる縁にしようとして纏める意志力には感嘆する。なので、ヨセフスの本はフィクションとして読むために、こうした本で事前に知識を得ていくのは良いと思う。
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未分類 | 2015/04/23(木) 23:47 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1640冊目 物語 イスラエルの歴史―アブラハムから中東戦争へ

物語 イスラエルの歴史―アブラハムから中東戦争へ (中公新書)物語 イスラエルの歴史―アブラハムから中東戦争へ (中公新書)
(2008/01)
高橋 正男

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評価:☆☆☆


 ユダヤ人というのは実に変わった括りである。イスラエルが定義しているユダヤ人の項を見れば分かるだろう。本書に引用する帰還法第四B条にはこう書かれているそうだ。

ユダヤ人の母親から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した者で、他の宗教を信仰していない者


 この定義に従えば、私も貴方も改宗すればユダヤ人、ということになる。血統に基づく定義をすれば良いと思われる方も居るかもしれないが、それはできない。なんとなれば、ユダヤ人は世界中に離散し、定着した地で文化を守りながらも人々と混交してきたからだ。そのため、ユダヤ人に顕著な遺伝的特徴は無いという。

 歴史的には弱小民族だったユダヤ人だが、文化的な影響というのであれば、世界屈指の存在感を示すだろう。その1つは間違いなく一神教だ。

 興味深いのは、この一神教も、どうやらユダヤ人が弱い勢力だったから生まれたらしいことであろうか。ユダヤ教が成立していったのは、新バビロニアに国を滅ぼされ、都市は破壊されて人々がバビロンに連れ去られた、いわゆるバビロン捕囚の時代だという。

 アケメネス朝ペルシアによって帰還を許されたユダヤ人は国を再興するが、それもローマに滅ぼされるまでのこと。ただ、この間にキリストが生まれ、死んだことを考えると、世界史に与えた影響は大きそうだ。

 本書はユダヤ人についての神話から、イスラエルにおける国家の誕生と滅亡、十字軍時代のイェルサレム攻防、ユダヤ人の辿った近現代の痛ましい歴史を経て、核武装を行い有数の強国となった現代までを概観している。とはいえ、古代オリエントを巡る状況についてだけでも何冊も本が出ている通り、詳しく見ようとすれば新書一冊ではヴォリュームが全然足りないので、やはり入門書として読むのが良いのだろう。

 そうした視点で見ると、古代も中世も現代もバランスよく取り上げられているし、イェルサレムを支配した人々についてもしっかり取り上げられているので、広く浅く知るには実にうってつけである。

 部分部分は知っていることもあるが、歴史を通しての姿は詳しくないという私のような読者には実に優れた入門書であった。
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その他歴史 | 2015/04/20(月) 22:42 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1639冊目 古代インドの科学思想
古代インドの科学思想古代インドの科学思想
(1988/10)
佐藤 任

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評価:

 インドについてある程度本を本を読んでみたので、科学史についても知ってみようと思って手にとった。ゼロの発見のように、インドの科学というのなら数学分野では功績を残したイメージが有る。それ以外の知識はほぼゼロである。

 近代科学について言えば、インドの功績はほぼ無い。黎明期についてはヨーロッパ以外の影響はほとんど無く、現代でも日本を始めとする例外が現れてきたと言うのが正しいだろう。しかし、古代インドでも人々はしっかりと世界を正しく理解しようと務めてきた。

 例えば、地水火風の4元素からなるというギリシアに匹敵するような原子論があったようだ。別の説では、これに空を加えた5元素だとし、それに5感を対応させて、治療方針にあてたという。もちろん、5元素からなるなどというのは現代科学の面からすればナンセンスでしかない。こんな治療を受けていた人々の健康が心配になるのではあるが、病気と治癒の背景にある本当の理由を探ろうとしたところは科学の萌芽として良いであろう。

 来世思想と結びついた身分制度も、誰もがそれを信じていたわけではないようだ。来世や魂を否定し、現世での幸せなり快楽を追求する一派もいたという。ところが、そのような考えが支配的になってしまえば、バラモンは困る。なにしろ彼らは身分制度にあぐらをかいて安楽な暮らしをしていたのだから。なので、バラモンによってこうした考えは激しく排斥されたようだ。既得権益を侵されるのを嫌うのはどこでも一緒ということか。だから、バラモンたちはこうした人々を無神論者として罵り、王には国が危うくなるのは無神論者のせいだと訴えたそうだ。

 面白いことに、仏教は原子論は受け入れた(ただし、大乗仏教は否定した)が、こうした合理的な考え方には反対する立場から、彼らの教義は批判の対象となり、無視されたようだ。

 インド思想と原子論は、始まりがなく全ては変転するという考えに結びつくというのは面白い。また、ゼロの発見にも触れられている。ここでもインドならではの思想的な背景があった可能性が指摘されている。思想は社会的背景を無視して存在し得ないことの証拠かもしれない。

 科学史に興味がある方でもなかなか触れることのできないインドの、それも古代の思想をしるにはうってつけ。かなり古い本なので入手すら大変だろうが、興味がある方はチャレンジしてみてはいかがだろうか。
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その他科学 | 2015/04/11(土) 20:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1638冊目 図説 聖書考古学 旧約篇
図説 聖書考古学 旧約篇 (ふくろうの本)図説 聖書考古学 旧約篇 (ふくろうの本)
(2008/03)
杉本 智俊

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評価:☆☆☆☆


 聖書考古学について、"聖書に書かれたことはほぼ伝説(フィクション)で、実際の歴史は反映されていない"とするミニマリストの主張を幾つか目にして興味がわいたので、こちらも読んでみた。

 もちろん、ここで取り扱っているのは考古学が主であるので、個人の信仰や感情といったものは分からない。同時代の文字資料や遺物から、合理的に導き出される過去の姿である。それでも、祭祀に用いられた道具が見つかればどのような神を信仰してたかの証拠にはなるわけで、それらと聖書を比較すれば、聖書の記事の真実性についても判断できるのだ。

 聖書の真実性は信仰を持つ方には重要かもしれないが、私はユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれも信じていないので、聖書がフィクションでも史実でも構わない。太陽が動きを止めただとか、モーゼが海を割っただとか、大洪水でアララテの山々まで水没したなどといった、非科学的なエピソードが真実ではないことは論をまたない訳だし。

 こうした神話の世界を離れて見ても、ユダヤ人が強国ひしめく古代オリエント地方にあって、それなりに存在感を示した存在だったことが分かる。モーゼの出エジプトはフィクションだろう。出エジプトに続くカナンの地の征服についても、先行するカナン人の祭祀とユダヤ教の祭祀が共通するものが多いため、征服そのものも無かったと唱える人もいる。同時期の都市の破壊があまり見られないためだ。

 確かに、聖書が語る規模での征服は無かったかもしれない。もしかしたら、カナン人の一氏族が一神教を取り入れ、その勢力が徐々に大きくなっていったのかもかもしれない。言えるのは、この時期に一神教を奉じる都市が現れ始めた、ということのようだ。南部の都市がユダヤ人の支配下に入り、北方まで徐々に浸透していったことは聖書の士師記に記されている。これも都市様式の違いから裏付けられるそうだ。

 こうした事実を見ると、モーゼの出エジプトは事実ではなくとも、もしかしたら聖書の唱える百万単位のユダヤ人ではなく、もっと小規模な移動はあったのかもしれないとも思えてくる。特に、異民族であったヒクソスが駆逐された際に出エジプトを結びつける考え方は、エジプトの記録に出エジプトに相当する記事がない理由も説明していることになるだろう。セム系の奴隷がエジプトに居たことは確認されているのだから。

 他にも、ダビデとソロモンといった伝説の時代に王国が繁栄したらしいこと、都市は防御施設が整っており、戦乱に備えていたこともはっきりしているらしい。

 信仰があるかないかは別に、古代オリエントの歴史に興味があるのなら、意外な事実が多く読んで楽しいのは間違いない。図版も多いので、楽しく読むことができた。
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その他歴史 | 2015/04/05(日) 09:46 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1637冊目 インド神話
インド神話インド神話
(1990/06)
ヴェロニカ イオンズ

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評価:☆☆


 インダス文明が滅んだ後、インドへ入ってきたのがアーリア人。彼らは先行する文明と融合しつつ、新たな文化を作っていく。その一つが神話である。

 アーリア人のルーツである西アジアと共通する神々に、インダス文明由来と思われる神々が融合し、新たな神話が生まれていく。中には土着の神が下層の神に落とされたり、あるいは善の神が悪の神へと転じていくこともある。後者の格好の例は、日本で阿修羅として知られるアスラであろう。西アジアでは善の神アフラ・マズダーとなった神なのに、インドでは悪の神となっていった。

 多神教の面白いところは、神様が悟りきっていないところ。酔った挙句に娘と近親相姦に及んでしまったり、腹を立てて他の神の首を切り落とし、すぐに後悔して生き返らせたりと、実に人間臭い。いや、生き返らせるのは人間には無理なんだけど。

 こうした神々が織りなす様々な物語が神話の魅力なのだが、インド神話を初めて知ろうとする人に問題なのは、インドでは文明が非常に長く続いたことと、他民族との抗争があったこと。すなわち、時代や他文化との接触によってによって物語がどんどん変わっていく、あるいは、場所によって異なる物語があるために、物語が複雑で分かりにくいのだ。

 この欠点は、本書でも回避できたとは思えない。文章が読み難いのも相まって、理解がとても難しかった。

 残念なところはあるが、エピソード集として見れば、名前だけは知っていた神々がどのような存在なのかを知ることが出来るメリットは確かにある。人身象頭のガネーシャの誕生エピソードあたりは実に面白かった。仏教系の神話についても軽く触れられているのも嬉しい。

 多神教の神話が好きな方は楽しめるのではないか。
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神話・伝承 | 2015/04/02(木) 22:19 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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