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963冊目 ゴードン・スミスの日本怪談集
ゴードン・スミスの日本怪談集 (怪BOOKS)ゴードン・スミスの日本怪談集 (怪BOOKS)
(2001/08)
リチャード・ゴードン スミス

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評価:☆☆☆☆


 日本の怪談を集めた人物と言えば小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が思い浮かぶ。しかし、何処の国でも民話は面白いのだから、その1バリエーションである怪談を好む外国人が他にいてもおかしくない。例えば、中国の怪談集である『聊斎志異』は日本でも人気。祟りにあった的なオチが、結婚相手は足が大きかったって、それ何のジョークですかと言いたくなる面もあるが、纏足の社会ということで目をつぶろう。

 ともあれ、本書はそんな日本の怪談に魅せられた人物の一人が、ゴードン・スミス。彼の遺産の中から発見されたこの怪談集がこうして日本の読者の元へ戻ってきたのは、歴史の妙を感じさせる。

 人々の印象に残る物は人を介して広まっていく。そんな中でも、世代の異なる人でも魅力を感じる物には普遍性が宿っていることが多いのではないだろうか。加えて、特定の世代・地域でしか魅力を発揮できない物は、まして、本書に収録されている物語は、外国人までをも魅了したものだ。今の我々にも十分に訴求するものがある。

 トラディショナルにしても同じだと思うのだが、やはり時代を超えて残るものには訳がある。死後の世界を信じない私のような人間にも、それぞれの話が面白く、なぜ語り継がれたのかが分かった。

 ただし、語り継がれた物語の魅力も、時代が極端に変わってしまえば失われてしまうこともある。近代化の結果として、あるいは仏教の凋落(そこには葬式仏教へ堕したという宗教界の側の問題も大いにあるが)の影響は大きいだろう。例えば、怪談でよくあるのが、徳の高い御坊様に念仏を唱えてもらって感激したとかいうパターンだが、今の世では徳の高い坊さんなんて、まずお目にかかれない。念仏を日常で聞くことも無くなり、聞く側も何を言っているのか理解出来ないのだから当然だろう。社会にふさわしいレベルの宗教人しか得られないのだから。

 そんなわけで、現代社会に生きる身からすれば、感覚に合わないところは少なくない。しかし、個々の話は面白く、どのような思いでこれらの物語が語り継がれてきたかを伺えるところが嬉しい。夏はもう終わってしまうが、残暑はまだまだ続くと思われるので、秋の夜長に楽しまれては如何でせうか。




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未分類 | 2011/08/29(月) 23:39 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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962冊目 アシュリーが教えてくれたこと
アシュリーが教えてくれたことアシュリーが教えてくれたこと
(2009/11/17)
ロリー・ヘギ

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評価:☆☆☆☆☆


 早老症という病気がある。実年齢と比べ、老化が著しく進むことを特長とする、遺伝病だ。

 その早老症の中に、プロジェリアというものがある。新生児・幼年期に発症し、平均寿命は13歳。10代でありながら、老化に伴う症状によって死を迎える、恐るべき病。

 本書は、娘のアシュリーを早老症で亡くした母が、娘と過ごせたからこそ伝えられることもあるだろう、として書かれている。そこから見えてくるのは、アシュリーがどれほど積極的に人生を楽しもうとしたかということであり、そう遠くない時期の死を約束された病気だからといって苦しみに浸ることが愚かであるということだ。

 彼女の言葉として、下の文章が載っていた。
もし生まれ変わっても、もう一度自分を選ぶ。
私は私であることが好きだから。
(P.43)

どうしてそんなにハッピーか聞かれてもわからないけど、人生は不満をいうほど悪いものじゃないから
(P.98~99)


 彼女は、普通に学校へ行っていた。だから、同じ年代の人は自分とは違いうことを知っていた。自分には避け難い過酷な運命が待っていることも理解していた。この病気は精神遅滞を伴わないから。それなのに、生まれ変わっても他の人生を歩みたくない、人生は不満を言うほど悪くないと言い切れるのは、物凄い強さだ。

 その背後に、キリスト教への帰依があるようだが、それにしても若干17歳で物故した少女の言葉としては感動的なまでに気高いものになっていると思う。

 私が早老症を知ったのも、彼女のことがきっかけだった。だが、とても深く知ろうとは思えなかった。ハンチントン病やクロイツフェルト・ヤコブ病もそうなのだが、現状で治療方法の見つかっていない難病は、なぜそのようなものがあるのか知りたいという好奇心と同時に、そこで苦しむ人の姿を見るのが苦しいから知りたくないという、相反する気持ちが生じる。

 だが、本書を読むと、彼女の障害を外野から憐れむのは、きっと最悪の間違いだと思う。それは、彼女が短いながらも楽しく、堂々と生きた事実を否定するものでしかないから。

 惜しくもアシュリーは他界したが、その気高い精神を少しであってもこうして見られたことは幸いだった。人はいつか必ず死ぬものなのだから、いつか自分にその時が訪れた時にも、彼女の生き方を見習いたいものだと思った。
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ノンフィクション | 2011/08/22(月) 22:22 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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961冊目 「死体」が語る中国文化
「死体」が語る中国文化 (新潮選書)「死体」が語る中国文化 (新潮選書)
(2008/06)
樋泉 克夫

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評価:☆☆☆☆


 死をどう受け止めるか。それは文化ごとに大きく異なる。死人が蘇って悪さをすることを防ぐようにと死体を埋葬前にロープで縛ったり巨石を抱かせたりした文化もあれば、エジプトのように遺体をミイラ化させて保存しようとした文化もある。チベットでは輪廻を繰り返して再び苦しみに満ちた現世に戻らないようにと願い、ギリシアでは霊魂不滅が説かれることもあった。

 世界各地の様々な風習の中でも、中国における死体の扱いほど異色なものはあまり無いのではないか。まず、なんとしても故郷の地へ葬られたいという強い欲求。その願いは、異郷の地で亡くなった遺体を、遥々故郷まで送り届けるというビジネスをも生じさせた。

 驚くのは、2人の運搬人が前後から遺体を挟み込むようにして、2人+1体で飛ぶように走ったという話。運搬人は黒衣を纏っているというので、2人の間に棒を渡し、その棒に遺体の腕を結びつけて運搬すれば、それは私が子供の頃に流行したキョンシーの動きにそっくりになるということ。子役のテンテン(彼女可愛さに見ていた人も多かったはず)が活躍する幽幻道士は、この死体を送り届けるビジネスを扱っていたのかと思うと目からウロコ。

 そして、簡素化が進む日本の葬式からは想像もしがたいことに、今でもひたすら豪華に葬式を営むことが子孫にとっての義務となっているらしいところ。現地の調査結果も紹介されているのだが、とても理解出来ないほどの金のかけ方で、その背景となる思想についても語られてはいるものの、共感はできなかった。風習はすべてそういうものかも知れないが。

 皇帝や貴族だけではなく、庶民に至るまで派手に金をかける、というのは悪習の面があるのは事実だろう。そう考えると、三国志で合理主義者として知られる曹操が葬儀は簡素にするようにと強く命じたことも納得できる。一方で、関羽の首を孫権から送り付けられた際に、諸侯の礼で葬ったとされるのが相当に派手なものだったのだうろうとの推測ができるのも面白い。

 一方で、死体を食べることもまた多かった。魯迅は『狂人日記』において、狂人の言葉を借りる形で中国の食人の風習を嘆いている。歴史書にも、兵糧攻めに遭ったために、子を交換して食べた(我が子はさすがに殺して食べるのは難しいため)ことを初めとして、食人の事実には事欠かない。

 読めば読むほど、死への考えや死体の扱い方が中国と日本では大きく隔たっていることを実感させられる。そういう点で、死体を軸に据えて中国文化を語るのは面白い試みだと思う。


関連DVD:
幽幻道士 DVD-BOX幽幻道士 DVD-BOX
(2005/11/11)
シャドウ・リュウ

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 テンテンが活躍するシリーズ。めちゃくちゃ可愛かった記憶があるのだが、きっと今見たら、技術上のヘボさが目につくのだろうなあ。本当に映像技術の進歩は凄まじい物がある。

 子役の可愛さという点では、ハリー・ポッターと賢者の石の頃のハーマイオニーよりテンテンかなあ。
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ノンフィクション | 2011/08/17(水) 12:13 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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960冊目 奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン
奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン (宝島社文庫)奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン (宝島社文庫)
(2010/07/06)
ジョン・F・クラウリー

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評価:☆☆


 ポンペ病という、遺伝によって引き起こされる病気がある。およそ4万人に1人が発症する稀な病気で、乳児期に発症すると心臓の肥大等をもたらし、予後は良くない。

 3人の子供の内、2人がポンペ病と診断されたある父親が、それまでの仕事を投げ捨て、新薬開発のベンチャー企業を立ち上げ、そして新たな治療薬を創りだした。それが著者のクラウリーさん。その治療薬のお陰で、子供たちの病気の進行はかなり緩和されたという。

 難病の子供を持った親はどうするのが良いか。その難しい問いに、唯一絶対という正解はたぶん無い。生きている間に極力楽しい思いをさせてあげたいというのも正しいあり方だろうし、敢然と立ち向かい治癒の可能性に賭けてあらゆる手段を試すのも正しいありかただろうと思う。

 著者は、子供の性格もあり、戦う道を歩んだ。その葛藤は物凄かっただろうし、治療薬の開発における苦労も並のものではなかったに違いない。

 が、その辺りのことはかなり流されていた。ベンチャーを起こしたと思ったら、もうすぐに薬が開発されて、それでベンチャー企業を高額で買収してもらった、と怒濤のように進んでしまう。残りのパートでは、自分たち家族が、普段どのように生活をしているのか、ということがメインになっている。致死的な心臓肥大は収まったとはいえ、いつ痰が絡まって死ぬかわからない毎日。それでも、子供たちも両親も強く生きているのが印象的だ。

 ただ、ユーモアのセンスの違いが目立った。随所でユーモアが挟まれるのだが、これがアメリカンジョークで、笑えないのが残念。笑いは免疫の強化につながるという説もあるので、きっとクラウリー一家にとってはこのジョークの存在は大きいのだと思うが、それが十分には伝わってこない。

 障害を持ちながらも、普通に過ごす、普通に楽しむということに価値を見出し続ける著者一家の姿からは学ぶものも多いと思った。
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生物・遺伝・病原体 | 2011/08/15(月) 21:39 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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959冊目 ナショナル ジオグラフィック ノンフィクション傑作選 冬のライオン
ナショナル ジオグラフィック ノンフィクション傑作選 冬のライオン (ナショナルジオグラフィックノンフィクション傑作選)ナショナル ジオグラフィック ノンフィクション傑作選 冬のライオン (ナショナルジオグラフィックノンフィクション傑作選)
(2010/07/01)
セバスチャン・ユンガー他

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評価:☆☆☆☆


 911同時多発テロに端を発するアフガニスタンでの戦争の直前、同国の北方でタリバンに抗し続けてきた軍閥指導者マスード将軍がテロに斃れた。タリバンの蛮行があったからだろうか、マスードはソ連のアフガン侵攻以来、戦場にあり続けた英雄としての呼び声も高い。

 マスードがテロに遭う直前の日々をナショナルジオグラフィックの記者が追っていた。部下に無駄な犠牲を出させぬよう不眠不休で戦うタフな指導者で、不屈の闘志を持ちながらも攻勢だけを求めるような愚は犯さない賢者の側面も併せ持つ。ほぼアフガン全土を掌中に収めたタリバンが、遂にその勢力を排除できなかったことも頷ける。

 この、マスードとの日々を追うタイトル作、同じくアフガン軍閥であるドスタム将軍に付き従ったグリーンベレー、極めて高い致死率を誇るエボラ出血熱を抑えこもうと奮闘する医師たち、オスがタテガミを持たない奇妙な人食いライオン、ゾウやマウンテンゴリラの保護活動等、世界各地で起こっていることを描き出したノンフィクション。

 続発する紛争、繰り返される自然破壊、恐るべき致死率の伝染病。まさに、生と死の領域に肉薄している言って良い記事に溢れている。新聞記事等では、ほんの数行で片付けられてしまうその奥で、実際には何が起こっているのかを知るにはうってつけの一冊。私としては、ウガンダで発生したエボラ出血熱の感染爆発と戦う医師たちの戦いに心を打たれた。

 もう一つ取り上げるなら、なんといってもナチスの迫害を逃れるため、1年以上も地下の洞窟に身を潜めたユダヤ人一家の物語だ。1年以上日の目を見ることがない、というのは恐るべきことである。人間には体内時計があるが、これは朝日を浴びることでリセットされ、新たな一日を刻むようになっている。ということは、その刺激を得られない彼らの生活はいかなるものだったか。本当に、恐るべきは人間だとの思いを強くする。

 一方で、行動を見る限り、どう贔屓目に見ても単なるテロリストにしか見えないシーシェパードを、絶滅危惧種を密猟者から守る英雄というような扱いで取り上げるのは如何なものだろうか。

 マウンテンゴリラの保護なら分かる。彼らは生息域の減少等により、もう数百頭しか生き残っていない(ナショナル ジオグラフィックに拠ると、650頭)。ここから先数十頭が狩られたとしてもたら、遺伝的な多様性の点で問題が大きい。

 翻って、クジラ類はどうだろうか。例えば、ミンククジラは国際捕鯨委員会の調査で76万頭(マウンテンゴリラの1000倍以上!)となっており、これらを同列に語ることはできないだろう。こういった事実は記さず、捕らえたクジラをせめて早く楽にさせようとする努力すら残虐というイメージ操作しかしない。環境保護団体の主張に偏りすぎているのでは、ジャーナリスティックとはとても言えないだろう。

 というわけで、彼我の主張を冷静に比較して、何が正しいのかを追求するという視点からはかなり弱いものがある。むしろ、ある陣営に密着して取材する中で何が見えたか、がせいぜいなところ。そういう限界はありながら、現場に赴き、そこで危険に身を晒しながら世界で何が起こっているかを明らかにしようとする姿勢には感服。そういう点で、価値のあるノンフィクションになっていると思う。
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ノンフィクション | 2011/08/12(金) 23:30 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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958冊目 三国志―演義から正史、そして史実へ
三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書)三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書)
(2011/03)
渡邉 義浩

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評価:☆☆☆☆


 三国志と言えば、普通は演義を指す。三国志演義は、三国志を元に作られた小説で、事実の取り上げ方の上手さに加え、劉備-諸葛亮を主役に据えることで前半の歴史の流れを説明し後半は悲劇的な物語となる、という、実に上手いストーリーを組み立てている。

 しかし、演義が余りにも広まっているため、では三国時代は実際にはどのような時代で、何が起こっていたのかを語ろうとすると、あちらは演義を語り、こちらは正史を語るといった齟齬が生じる可能性がある。正史から入る人もまず居ないだろうから、正史を語っているつもりで演義のネタが入ってしまうこともあるだろう。

 本書はそんな三国志の演義と正史の違い、そして正史と史実の違いを、まずは説明してくれる。演義と正史は兎も角、正史と史実の違いは?とお思いの方もいるかも知れない。しかし、正史というのが、権力者が正しい歴史書と認めたもの、という認識を持てれば話は変わるだろう。

 このあたりは本書で丁寧に解説されているので興味を感じたら是非読んで欲しいのだが、簡単に言うと、正史は魏を正当としているので、魏の君主を基本的には悪く書かない。例外は、晋を建てる司馬一族との権力争いのところだけ。

 例えば、赤壁の戦いは魏の記録だと遠征はしたが疫病が流行ったので船を焼いて撤退した、くらいにしか書かれない。その後の荊州失陥を見れば、これが史実からかけ離れているのは明らかだろう。

 その上で、本書が力を入れているのは、”名士”が実際にはどのような位置づけだったのか、ということ。名士の力は侮れなくて、劉備の蜀では荊州閥と益州閥が争い、呉では君主も陸家(陸遜の一族)を始めとする名士が時に君主の権力すら及ばないようになっていた。これらの知識を持っていることで、三国志をより楽しめるようになると思う。新書らしく、上手いことマニアックなことと基本的なことが押さえられているように思ったのだが、これについては私が少々マニアック側に偏っているので、評価は是非皆様で下してみて欲しい。
関連記事
中国史 | 2011/08/08(月) 22:13 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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957冊目 カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿
カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)
(2009/07)
高野 潤

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評価:☆☆☆☆


 ケチュア語で「老峰」を意味する、マチュピチュ。山の上に築かれたこの小さな都市は、山裾からはその姿を見ることができない。”空中都市”とも讃えられる所以である。

 マチュピチュを作ったのは、インカの人々である。首都であるクスコから100キロ強のところに位置するこの都は、恐らく宗教的な行事と深く結びついていたのだろう。仮に山城だとすれば、確かに力攻めは不可能だったかも知れない。しかし、食料を自給できないといった、致命的な欠点も抱えているため、城塞と捉えるよりも宗教施設と観た方が実情に即している。(実際、出土する遺物に武器はほとんど無いらしい)

 この幻想的な都市が宗教的な価値観の下に築かれたと言われれば、信じるに足るだけの証拠がありそうだ。それは、圧倒的な美しさである。カラー版を謳うだけのことはあり、美しい写真が満載の本書は、滅多なことでは行くことのできないマチュピチュの姿を垣間見せてくれる。

 インカが建国されてから、ラストエンペラーアタワルパの悲劇や王族トゥパク・アマルの叛乱と敗北を経て、スペインの侵略者によって滅ぼされる悲しい最後までの一通りを、伝承と共に解説してくれているところもポイントが高い。

 この美しい地がどのような意味を持っていたかは、まだまだ分からないことが多いらしい。だから、本書は魅力的な仮説として楽しむのと、数多く収められている美麗な写真を愛でるのが良いだろう。黄金から離れてインカ帝国を概説している、数少ない本だと思う。そういう点でも価値が高そうだ。

 
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ノンフィクション | 2011/08/03(水) 23:46 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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956冊目 トラが語る中国史―エコロジカル・ヒストリーの可能性
トラが語る中国史―エコロジカル・ヒストリーの可能性 (historia)トラが語る中国史―エコロジカル・ヒストリーの可能性 (historia)
(2002/07)
上田 信

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評価:☆☆☆


 ライオンは百獣の王と称されるが、単体で見たときに、最も恐ろしいのはトラなのではなかろうか。藪に潜んで獲物を待ち伏せし、襲いかかる時には素早く優雅に、そして必殺の一撃を加える。風林火山を地で行くような猛獣である。それ故、古来より人はトラを恐れた。論語にも”苛政は虎よりも猛し”との言葉がある程だ。

 そんなトラの一種である、アムールトラは、しかし現在、絶滅の瀬戸際にある。開発によって住処を奪われたためだ。本書は、そんなトラの目を通して語る、異色の中国史になっている。

 トラと人間が接するようになりトラが猛威を振るっていた頃から、トラが追い詰められるまでに何が起こったか。それを環境の面から語っている。

 こうした環境を重視する視座は、環境決定論と言われ、あまり顧みられてこなかった、しかし、三国志の動乱がアジア全域を覆った寒冷化の影響であり、漢帝国の崩壊と寒冷化が倭国大乱を初めとしてアジア諸国の安定を乱したとなると、環境の重要さはもっと叫ばれても良いだろう。

 本書では、植生の変化によって環境の大きな変動を示しているが、これなどは地球がダイナミックにその姿を変えていることを垣間見せてくれる。それにも負けず、人類はひたすら増えてきた。増加のスピードは一時期よりも落ちたかも知れないが、それでもまだ人類は増えている。その将来を占うにも、こうした環境からみた世界史は重要な位置を占めるのではないだろうか。
関連記事
中国史 | 2011/08/01(月) 23:46 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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