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Skywriter

Author:Skywriter
あまり一般受けしない本ばかりが好きと言う難儀な管理人です。
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BK1書評の鉄人31号。
鉄人


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2008年 私的ベストテン
 今年もこのときがやって参りました。誰も頼んでいなければ楽しみにもしていない、ベストテンの発表でーす。どんどんぱふぱふ。さー、随分と盛り上がってまいりました(私が)。

 では発表~


10位  567冊目 空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか
 
 極地では些細な、本当に些細な判断ミスが死に繋がる。エヴェレスト大量遭難の渦中にあった著者だからこそ書けた、迫力に満ちた書。


9位  556冊目 最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか

 事故は突然起こるものではない。事故に至る様々なプロセスがある。しかし、それが明確になっていることは少なく、システムの巨大化に伴って事故も巨大化している。悲惨な過去の事例から人と機械が共にある場で何が必要か考えさせてくれる。


8位  543冊目 実録三国志

 後漢における政治的な策動が色々書かれており、ついつい戦場に目が向きがちなゆるヲタ(私のこと)にはとても合っていた。何進の立場など考えていなかったので、霊帝の死から献帝擁立までの見方が変わったような気がする。正史ファンなら読んでおくべき一冊。


7位  536冊目 & 537冊目 ハリー・ポッターと死の秘宝 上下

 言うまでもない、有名シリーズの最終巻。ハリーとヴォルデモートの宿命の対決はどうなるか。読み始めたら気になって止まらなくなるので注意が必要です。


6位  485冊目 ホワイトアウト

 引き続き小説。テロリストがダムを占拠する、という奇抜なアイディアを見事に小説に纏め上げている。緻密で緊迫感溢れるストーリーに一気に引き込まれたことが忘れ難い。


5位  551冊目 ブレンダと呼ばれた少年

 この事例については性格の遺伝について興味を持った人は必ず触れるだろう。しかし、このブレンダと呼ばれた少年がどれほど辛い人生を歩まざるを得なかったかは本書に当たるまで知らなかった。性は後天的に作られるという神話がもたらしたこの悲惨な事実を、親になる人は知っておいたほうが良いと思う。


4位  508冊目 & 509冊目 リヴィエラを撃て 上下

 高村薫の濃い世界をたっぷり味わえるのが魅力。東京で起こった外国人の殺害事件を巡って、話は時間と空間を縦横に移動していくことになる。あの独特の緻密な設定、息が詰まるようなシーンの連続は一度はまると抜け出せなくなるのです。


3位  507冊目 世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

 飲み物は食べ物より更に頻繁に補給が必要な大切なものである。だから、食べ物に文化があるのと同じように飲み物にも文化がある。アルコール類とノンアルコール類で各3種類の歴史を追うと文明史になるというのは実に面白かった。そしてビールやワインを前より楽しめるようになったと思う。


2位  518冊目 迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか

 我々が進化してきた過程を覗き込めば、今の我々を悩ます病気が果たす役割が見えてくる。鎌状の赤血球をもつことによる貧血など、遺伝に刻み込まれた病から人類進化を見ると、先祖が辿った厳しい歴史が浮かび上がってくる。病気について実に意外な視点を与えてくれた。


1位  504冊目 & 505冊目 ビッグバン宇宙論  上下

 さすがはサイモン・シン。どうせ宇宙論の大枠は知っている、と読まずにいた自分を呪いたくなるほど、実に読みやすく分りやすく、しかも楽しく纏め上げている。この才能、やはり尋常ではない。宇宙に興味がある人は、もう迷わず本書を手にとって見てください。損はしないはずです。






 東欧への島流しもあったりしたのだけれども、今年も100冊以上の本に巡り会うことができた。良い本との出会いはやはり嬉しいもの。このブログが他の方が本に巡り会う一助になれば望外の喜びです。

 コメントやトラックバックをいただけたことを深く感謝致します。これらを頂ける事がどれほど心の励みになったかは言葉では良い現せられない程です。

 では、来年も私と皆様が良書に巡り会えることを祈りつつ、今年最後の更新を終えたいと思います。皆様、良いお年をお迎えください。
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未分類 | 2008/12/31(水) 12:00 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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580冊目 カツラーの秘密
カツラーの秘密 (新潮文庫)カツラーの秘密 (新潮文庫)
(2004/03)
小林 信也

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評価:☆☆☆☆


 人間、得るものもあれば失うものもある。失うものは大抵切実なものであるが、とりわけこれを失うことには多くの男、ああいや、人類が恐怖を覚えるという。そのため、失ってしまったものを取り戻す活動が行われることになる。

 即ち、すでに損なわれてしまった自然環境、もしくは進行途上にあるが有効な解決手段を持たない環境破壊に対し、元にある自然環境に見せかけた人工的な工作物で覆い隠してしまうことで、見せ掛け上でのみ環境への対策を行うもの、つまりはヅラである。

 この環境破壊について論じるのはとてつもない困難を伴う。人工的な被覆を施した人物を前にして、「それって自然物ではないでしょ?」とはなかなか言えるものではない。例えそれが故パ×チョ×藤氏ほど明らかなものであったとしても。そして、被覆物論は陰でのみ交わされることになるのである。

 だが、陰でしか会話が交わされないというのは当の被覆物を纏う人々、つまりカツラーにもデメリットが大きい。というのは、口コミが全く期待できないためである。勿論、メーカーサイトに行けば”喜びの声”は聞ける。でも、幸福のペンダントみたいなのと同じ、胡散臭さがあるのは否めない。

 状況を打破するにはカツラー本人が人工物を纏っていると言うしかない。本書は、そんな勇気あるカツラーが自らの被覆物遍歴を明るく語っているのが特長である。

 著者が自分のカツラ履歴を語る気になれたのは、満足のいくカツラに出会えたことだという。それまではカツラであることをひた隠しにし、晴れの日は蒸れるから、風の日は飛ばされるから、と苦労の絶えない日々を過ごしていたという。

 とにかく、なかなか表立って話せないことを堂々と話しているためか、真面目な話でもつい笑ってしまう。笑えるように書いているのだから当然かもしれないが、カツラの選択で笑い、カツラが故の苦しみに笑い、そして満足いく結果に辿り着けたときにはいつしか一緒に胸をなでおろしてしまう。頭髪に悩みのある方も無い方も、カツラーについて知る機会になるので是非どうぞ。
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エッセイ | 2008/12/30(火) 23:55 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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579冊目 笑ってよ、北極点
笑ってよ、北極点笑ってよ、北極点
(1989/08)
和泉 雅子

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評価:☆☆☆


 541冊目で紹介した『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』とか、567冊目で紹介した『空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』を読んで極地への興味が俄然沸いてきたわけですよ。そんなわけで手に取ったのが本書、『笑ってよ、北極点』。テレビを見ない私は著者が芸能人であるということすら知らず、タイトルだけで買ったというもの。

 和泉探検隊が目指すのは北極点。ただただ著者が北極点に立ってみたいという思いを叶えるためだけのものである。その情熱、素晴らしい。北極探検に行くために私財を投じ、芸能人であるのに体型まで北極探検に合わせ、万全の準備をして挑む。こういった情熱が、所変われば人を月にまで到達させたものになったのだろう。

 南極と違い、北極は氷だけでできている。そこが北極特有の難しさになって探検隊を阻むことになる。次々と現れる氷の切れ目、海流に押されてできる氷の山。これらを打ち破らなければ、北極点に辿り着くことなく帰還しなければならなくなるのである。

 極地の旅故に、きついと思われるシーンもあるのだが皆が夢を叶えるためだけに旅をしているのでなんとも楽しそうなのが良い。女性ならでは、なのか食べ物の話も豊富で、スコット達とのあまりの落差には笑ってしまうほどだ(こちらは定期的な補給も受けているし)。

 とにかく、極地で旅というと悲惨なシーンが頭を過ぎるが、この本は安心。最初から最後までそんなシーンは無く、楽しい旅行記のように読むことができる。極地好きな人(?)は機会があれば読んでみてください。
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未分類 | 2008/12/29(月) 18:05 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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578冊目 そして殺人者は野に放たれる
そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)
(2006/10)
日垣 隆

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評価:☆☆☆☆☆


 刑法第三九条。悪名高いこの法律によって、多くの悪人が何の裁きも受けないまま世に放たれている。そんな大げさな、と思うかもしれないが事実である。

 というのは、殺人犯であっても精神に異常があるとされれば、裁判すら受けないまま精神病院に入院となるが、精神病院で治ったとされれば直ちに退院できる。なので、異常を装って裁判を逃れることに成功すれば、あとはもう娑婆が待っているといって過言ではないのだ。

 そこにあるのは恐るべき思考停止でしかない。本書ではこれらの事実を、痛ましい事件の裁判を通じて明らかにされる。司法の余りにも杜撰なあり方には心の底から怒りを覚える。あんなヤツらには任せておられぬと裁判員制度が導入されてしまうのも仕方ないかもしれない。(と言っても、私は裁判員制度もダメだと思っているのだが・・・・・・)

 更に、狡猾な犯人は心神耗弱を狙った証言をすることで減刑を図り、そしてその演義にコロリと裁判官が騙される。あとは(検察の求刑×0.8)-減刑というお定まりの公式で刑期が言い渡されておしまい。

 加えて、アルコールやシンナー等の摂取による酩酊にまで心神耗弱の範囲が広げられているというのは恐るべき状態である。これについても著者は何度も実例を挙げて説いてる。

 犯人が殺人を犯す前に景気づけに酒を飲んでいれば減刑される。明らかに常識から外れた判断が司法の場で行われているのだ。そこに被害者と遺族への視線はない。この被害者無視は徹底しており、この国では、無惨に家族を殺された遺族が法廷に遺影を持ち込もうとしただけで裁判官から罵声を浴びせかけられる、といった異常なことが起こっているのである。

 この異常な現実を改善するには、刑法三九条の廃止しかない、と著者は説く。その論理は明確で、非が見当たらない。貴方の大切な人が、酩酊した粗暴な人物に殺されたら。精神病を装う健常者に殺されたら。犯人はろくに裁きを受けることもなく、被害者は殺され損に終わる。

 それはおかしい、と思う方は是非本書を手にとって欲しい。そして刑法三九条がどれほど暴走し、社会の悪弊となっているか知って欲しい。異常を装うだけで減刑、なんてことは許されてはいけないのだ。いずれこんな異常な法は変わる。その時を少しでも早めるのに、世論の力は決して小さくはないだろうから。
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ノンフィクション | 2008/12/28(日) 21:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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571-577冊目 史記
史記〈1〉本紀 (ちくま学芸文庫)

史記〈3〉―世家〈上〉 (ちくま学芸文庫)

史記〈4〉―世家〈下〉 (ちくま学芸文庫)

史記〈5〉―列伝〈1〉 (ちくま学芸文庫)

史記〈6〉―列伝〈2〉 (ちくま学芸文庫)

史記〈7〉―列伝〈3〉 (ちくま学芸文庫)

史記〈8〉―列伝〈4〉 (ちくま学芸文庫)

評価:☆☆☆☆☆


 東欧での友は司馬遷の史記。2巻が入っていないのは仕様です。

 なぜ史記なのか。それは、史記が面白いからである。司馬遷は、歴史をあるがままに書き記すことには恐らく興味を持っていなかった。その代わり、司馬遷から見て後世に伝えるべきと思われることを書いた。だから、歴史的事実というには余りにもドラマティックなストーリーが出来上がっている。

 史記の中では、宮廷での権謀術数や戦場での駆け引き、舌先三寸に命を賭ける男たちの姿が余すところ無く描かれている。扱っている時代は神話時代である夏王朝から、司馬遷と同時代の前漢の武帝まで。

 孫氏、呉氏、孔子、老子、韓非子といった思想家は世界史の授業で馴染み深いし、蘇武と李陵や項羽と劉邦の物語のように文学として知られているものもある。更に、怒髪天を衝くや完璧といった故事成語にも彩られているのが魅力の一つでもある。

 私が特に興味深いと思っているのは秦の始皇帝による中国統一から、漢成立までの激動の時代。この短い間に、あらゆるパターンの人物や行動が出尽くしているのではないかというほどに、様々な人間が活躍を見せる。

 それらの中には、現在ならテロリストとして断罪されるだけの存在もある。しかし司馬遷はそのような一面的な見方はしなかった。恐らく、だからこそ荊軻による始皇帝(当時はまだ秦王だったが)暗殺未遂事件が胸に迫るのだと思う。

 ただ、史記に興味を持ったからといっていきなりこれを手に取るのは避けたほうが良いと思う。史記は紀伝体を取るため、個々人の紀や伝で活躍が纏められているため時系列的なストーリーが組み立てづらい。一通りの流れを頭に入れてから手に取れば、きっとそこには珠玉の物語が待っていると思う。
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中国史 | 2008/12/26(金) 23:23 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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無事に帰国しました
 何事も無く、無事に帰国致しました。一事はどうなるかと思ったこともあったのですが(主に皿に盛られたジャガイモの山を見たときに)、今は何事も無く過ごしております。でも、もしかしたら今の体にヨウ素を垂らしたら紫色になってしまうかも知れません。

 久々に体重計に乗ってみたら、5キロくらい増えててショック。いや、太るのは良いよ、太るのは。元が痩せてるし。でもね、どうせなら旨いもの食べて太りたいわけですよ。何ゆえに不味いものばかりで太らにゃならぬのか。

 ジャガイモのばかーーーー!!

 切実な叫びは置いておくとして、2ヶ月という期間は仕事では短いけれども家族と離れる時間としては結構長いと改めて思った。帰国したら、息子の雰囲気が変わっている。私の頭の中ではもっと幼い感じだったのが、語彙が増えたりとか自分でできることが増えたりとか、大きくなっている。まずは年末年始、親としての時間を過ごしたい。

 暫く雑記ばかりになっておりましたが、また人気(「にんき」と読んでも「ひとけ」と読んでもOK)のない書評ブログに戻りたいと思います。今後もご愛顧いただければ幸いです。
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雑記 | 2008/12/24(水) 16:20 | Trackback:(0) | Comments:(6)

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終戦
 食べ難きを食べ、飲み難きを飲み、以て万世の為に空腹を満たさんと欲す。

 といったような食事風景は終わりです。耐え難くて忍び難い食事は入院していたときの流動食以来だと思う。アレも凄かった。

 でも、思うんですよ。ここの食事も、御飯だと、楽しい時間だと思うから間違いなのであって、私を精神的に追い込むための拷問の一環だと思えばなんかマシな気になるわけですよ、ええ。

 例えばだけど、これまで散々書いてきたジャガイモ。普通、日本でステーキを頼んだら、ステーキ皿に肉が乗っていて、その横に申し訳程度にジャガイモとニンジンあたりが付いてくるでしょ?こちらではこんな感じ。

1.まず大き目の皿を用意します
2.皿の地が見えなくなるまでポテトフライを敷き詰めます
3.一層目のポテトフライが見えなくなるまで更にポテトフライを敷き詰めます
4.あとは貴方のさじ加減で、更にポテトフライを敷き詰めます
5.肉を載せます
6.客に出します

 これは大げさでもなんでもなくて、事実。このポテトを食べていると、マクド×ルドのポテトが如何に美味しいか実感するわけですよ。これも冗談でもなんでもなくて本当。なので、戦い途中で斃れる戦士が続出する。

 味付けはやたらと濃いか、全く無いか二択問題。どちらを選んでも茨の道。あのなあ、中庸の精神って知っているかね。中庸ってのはだね、孔子が説いたと論語に・・・って、知るわけないか。

 同僚にはそれを毎食平らげるヒトも居て、皆の賞賛(?)を買っている。いかにも不味そうにしながら、美意識で残したくないと言う。その心がけたるや良し!なのだけど、不味いもの食べて太るとなると割があわなすぎるような気がする。その一方で、一口食べた瞬間に潔く敗北を認め、夜までの持久戦に持ち込むヒトもいるわけで、その意気も半分こすれ良いのにとも思ったり。

 でもそれも、もう過去の話。東欧での食事は終えた。後は美味しい御飯が待っている。

 などと気楽なことを言ってられるのは、嫁のメシがまずいわけじゃないからなんだなあ。幸せを噛み締めたいと思う。美味しい御飯と一緒に。


 とか言って、空港に向かう最中に事故ってこちらで入院なんてことになったら目も当てられないんだけどね。(飛行機が堕ちるリスクは限りなく低いので無視)
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雑記 | 2008/12/22(月) 19:45 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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仕事納め
 東欧での仕事は終わり。後はもう帰るだけである。

 最終日、現地の人々が声をかけてくれたのはとても嬉しかった。色々と思うことはあるし、恐らくは相手側にも不満はあっただろうけど、終わりの時にはそれも懐かしくなるから不思議。

 「結婚はしてるの?」
 「うん。子供が一人。早く会いたい」
 「そりゃあそうだよね。クリスマスはゆっくり家族と過ごしなよ」
 「ありがとう」
 「無事に着くことを願ってる」
 「そちらこそ良い冬休みを」

 なんて感じの会話を何回か繰り返す。こちらではクリスマスは家族のイベントなんだと実感する。店も全然開いてないらしいし。私としては日本に帰れるからという理由でクリスマスが楽しみだったのだけど、こちらに残っても何もないとなれば更に楽しみに。

 実感すると言えば、店などでモミの木を売っているのだけど、これが木を切ってきて、クリスマスが終わったら全部ゴミという話が本当なんだとしみじみ。切っちゃってるからもう捨てるしかないからね。

 こういった、本の中でしか知らなかった世界が実際に目の前にあるというのは稀有な経験だったと思う。ちょっと大げさに書いたけど、ジャガイモがこちらでは主食レベルで出てくるとか、アルコール類がやたらと安いとか、知識としてあるのと生活観と結びつくのとは別物だ。

 だから、日本に帰れる!子供に会える!!という嬉しい気持ちの中に、一抹の寂寥感が混ざる。生涯来ないかも知れないからだろう。国内の出張ではそう感じたことがないのだから、現金なものといえば現金なものだ。それでも、次に来る機会があるなら仕事じゃないと良いな、と思うあたり、私も社会人としてまだまだである。って、何年社会人やってるんだ?>自分
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雑記 | 2008/12/22(月) 04:39 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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食い改めよ 終末の日は近づいた
 出張も終わりが近づいてきて、私の頭の中は日本で食べるべき食べ物で一杯になっている。同僚たちと話をしていても話の中心はそれ。帰ったら何を食べるか、それが問題だ。

 食べたいものについては色々と意見が分かれている。焼肉(肉好きだけどこちらの肉が合わない人に多い)、寿司、テンプラ、ゲイシャガールと人間の欲は止まることをしらない。ラーメン派が少なからずいるのだが、私は別にラーメンには惹かれない。むしろ煮物が食べたい。トマトソースとかブイヨンスープじゃない煮物が。

 ところが、ちっとも分かれない意見もある。それは何かというと、日本に帰っても当面食べたくないもの。ダントツでの一位は、いうまでもなくジャガイモに決まっている。次いでパスタ。意外かもしれないけど、昼食でジャガイモを避けたいならパスタだから。でも、ソースがまた美味しくないんだ。

 他にやりたいこと、となると、パチンコという意見があるのだけれども、半島への送金機関には行きたくありません私ならやっぱり本屋だろうか。家に着く前に最寄の本屋にちょっと足を運べばすぐにトイレに行きたくなって当社比3倍のスピードで家路を急ぐことになる。なので愉しみはもうちょっと取っておこう。

 とりあえず、年賀状の構想でもするか・・・・・・。
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雑記 | 2008/12/20(土) 05:26 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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クリスマスの街
 クリスマスといえば、キリストの誕生日を祝うものと思っているヒトもいるだろうが、それは違う。キリスト教が版図を広げるために他の宗教から寄せ集めたネタの一つであり、時期的に冬至と深く結びついた地域イベントだった。キリスト教が換骨奪胎してキリストの誕生日としてしまったのが起源である。

 そのため、天文学的に見ればキリストの誕生日は6月だったという説まで現れるほど。12月25日がキリストの誕生日ではありえないという説の論拠は様々で、聖書の記述から見れば首肯し得ないというのは確かだ。聖書が間違ってる可能性もあるからどっちがどうとかはいえないんだけどね。(聖書は矛盾だらけだから間違いが含まれまくってるのも事実)

 でも、12月25日がクリスマスとしてキリスト教に受け入れられたからにはこの日は聖なる日なんですよ。で、本場はやっぱりヨーロッパなので、こちらも随分と盛り上がってまいりました。

 そんなわけでお土産の買出しを兼ねてショッピングへゴー。お供にはやっぱりクリスマスソングですよ。そんなわけで、Joni MitchellのRiver(本人バージョンとSarah Mclachlanカバーバージョン)とかSomething CorporateのForget Decemberがヘビー・ローテーション中。

Joni Mitchell-River


Something Corporate - Forget December


 ちなみに、Riverは、「川があったらこんなつまらない街からスケートで逃げていけるのに」という故郷を愛する歌で、Forget Decemberは「クリスマスなんて限られた曲しか流れてなくてちっともサイレントでもなければホーリーでもない」という家族愛に溢れた歌です。心が温まらないような気がするのは気のせいじゃありません。

 でも、クリスマスソングって、明るくない曲多いと思いません?Wham!のLast Christmasとか、達郎とかが毎年流れるけど、あれってクリスマス楽しいなあ、って雰囲気からはかけ離れてるもんね。きっと、クリスマスを楽しくない気分で過ごす人が少なくないんですよ。国内外問わず。

 日本においては某IT戦士様が勇名を馳せており、わたくしめも毎年楽しみにしている次第。この記事はとにかく面白いので未読の方は是非全文をお楽しみください。



 スーパーにはクリスマス・コーナーがあって、車だとか人形が所狭しと並んでいる。どこの国も、小さな子供達が欲しがるものは同じなのだと思うと微笑ましい。で、そのおもちゃを見て「塗装甘いよ、コレ」とかダメなことを言っているガイジンがわたくしです。すみません。

 でも、塗装が甘いなんてどうでも良いんだ。俺自信が子供だった頃、そんなの気にしなかったからね。(注:ここでいう年齢は実年齢のことであり、精神年齢ではありません)

 大問題なのはこっち。人形が、可愛くないんだ、コレが。こんなの。
東欧の人形


 ぎゃーす!という感じが伝わると嬉しい。最近の若い者は美的センスをわかっとらん、と言ってしまいそう。いや、作ってるのは同世代なんだろうけどね。このような素敵な人形で育った子供達の美的センスがどうなるか、とても心配です。

 何はともあれ、もう間もなくクリスマス。皆様にジャガイモのない素敵な日が訪れますように(しつこい)。
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雑記 | 2008/12/15(月) 07:52 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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土産に悩む
 主食はジャガイモ、おかずもジャガイモでも清く正しく生きています。人間、ジャガイモがあればなんとかなるものです。なぜこんなにジャガイモジャガイモというのかというと、食事のたびにソレを見なければならない私の絶望的な気分を少しでも分けてあげたいから(はぁと)です。他に他意はありません。


 さて、帰国が迫ってくるとお土産の確保に奔走することになる。主に近くのスーパーで買いそろえている。友人にはそれこそジャガイモ1個とかでも良いような気分になる。しかし、そのジャガイモが根付いてしまって日本までジャガイモで汚染されたら国家の一大事なのです。従って、小さくて東欧らしいものでありかつ安価という条件で捜しているのだが審査がなかなか大変です。

 他に買い込んだものと言えば、息子と妻へのものばかり。なにせ、自分の自由になるカネは本とCDとたまの飲み会にしか使わない私にとって、東欧語の本は読めないから買っても仕方ないしCDは買ってもたかが知れているし酒は毎日飲んでるしでイマイチ思い浮かばない。

 たまに都市にでても目に留まるのは嫁のヒトが好きそうなものばかり。いかに私が嫁のヒトを心の底から恐れている愛しているか分っていただけると思う。お土産無いと家に入れてもらえないかも知れないしね。

 そんなわけで、自分用のお土産は全然無いのだけれども、荷物だけはだんだん満杯になっていくのが恐ろしい。詰め込めるのかなあ。ダメなら土産を厳選するしかない。例えばワインはこちらで消費してしまうとか。仕方ないなあ。緊急避難的措置だもんね。いざとなったらスイカ味のメントス1個とかで許せ、友人たちよ。
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雑記 | 2008/12/13(土) 07:21 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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早いものでもう2ヶ月
 ジャガイモ王国にやってきて、もう2ヶ月にもなろうとしている。アレにもコレにも芋がある、リアル芋粥状態というか、強制的芋粥状態というか、米がないなら芋を食べればいいじゃないという世界のため、この僅かな期間に日本に居たら5年分くらいの芋を消費しましたよ。多分。

 てか、芋粥の話は芋粥以外も食べられる人のものなんだよね・・・・・・。

 食事の度に「わー、これまずーい(笑)」と言っていられた長閑な時期は疾うに過ぎ去り、今はいかに犠牲を少なく敗戦処理をするか、が課題となっている。

 そんな社食を乗り越えて宿に戻れば、待っているのはわたくしめの手料理。これがマシというのだからこちらの料理は推して知るべし、です。それも毎日作るのは面倒くさいので、適当な煮物を作ってタッパで保管。こちらで買った中で最も役に立っているのはタッパかもしれん。

 煮込むというのは便利なもので、鍋に材料を放り込んでひたすら煮れば食べられるものができるのでとても楽。おまけにこちらのひたすら筋っぽい野菜もなんとか食べられるようになる。

 昔、ポトフなんてただただ煮込むだけのものがなぜ料理なのかと思ったものだけど、そうでもしないと食えたものじゃないからという切実な理由だと思い知るわけです。キャベツの酢漬けだって、ああでもしなかったら食べられないものなの。キャベツは。

 斯くのようにしてなんとか軟着陸を試みようと現地の調味料などを使っていると
 「馴染み過ぎ」
 などと言われてしまうわけだが、馴染んでいるわけがない。具体的には、晩御飯には、晩御飯にだけはジャガイモを使いません。晩飯でまでジャガイモ食えるか!。ジャガイモ王の臣下になるにはまだまだ時間が必要なようです。その前に帰国だけど。
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雑記 | 2008/12/12(金) 05:07 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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「キリスト教」という宗教はあるのか
 「キリスト教」という宗教は存在しない。存在するのは、「キリスト教」○○派という宗教である。

 また頭のおかしいことを言い始めたと思われるかもしれないが、要するに、日本に仏教なんていう名前の一つの宗教があるわけじゃなくて、浄土真宗だとか真言宗だとか門徒宗だと日蓮宗だとかがあるのと同じだと思えば良い。浄土真宗も日蓮宗も、その背後となる文化的な背景は一致しても、とても同じ宗教とは言えない。創価学会は間違いなく仏教系であるが、同じく仏教系の顕正会とごっちゃにしたらどちらの信者からも猛反発を食らうだろう。興味の無い人が見たら違いなんて分らないんだけどね。

 それと同じ意味合いで、「キリスト教」という単一の宗教は存在しない。実在するのはペンテコステ派だとかネストリウス派だとかメソジスト派だとかモルモン教だとか、といった集団である。「キリスト教」という宗教が存在し得たのは、キリスト本人が率いた初期キリスト教から、せいぜいローマ帝国の国教となったあたりまで、ではなかろうか。

 キリスト教を標榜する一部勢力が社会にとって危険になる瞬間、とはどういう時か。前回書いたとおり、それは「正義を確信したとき」だと思っている。では、どのような時に正義を確信するのか。

 一つのヒントは十字軍で、このときには教会が世俗の権力までをも一手に握っていた。一度教が暴走すれば、誰もそれを止められなかった。この時、キリスト教はカルトだったと言って良い。交渉によって平和裏に聖地エルサレムを奪回したフリードリッヒ2世がキリスト教世界から戦争を挑まれる様にその異常さを見ることができる。

 ところが、教会は世俗権力を失ったことから宗派を束ねる力も弱めてしまう。例えば教皇はカトリックのトップではあっても、プロテスタントや東方正教会などを従える力は持たない。

 キリスト教は全体として危険という扱いをすることができなくなっている。全体を統御する場がないのだから当然のことである。

 危険と言い得るのはキリスト教の中の特定の宗派、ということになるだろう。指導者が宗派全体をコントロールできるのであれば、それは中世のキリスト教が持った危険さを同じく持ち合わせることができる。

 なので、キリスト教の特定の宗派は今でも社会との軋轢を引き起こしている。アメリカでたまに報じられる、中絶専門医がキリスト教右派に射殺される事件などがその一例。別の例としては、学校教育に執拗に干渉し、進化論を教えさせないようにしようとしたりID説なるインチキを紛れ込ませようとしたりする。

 イスラム教でも同じことが言える。イスラム教全体としては神の教えを尊ぶ集団ではあるが、一部先鋭化した宗派が過激な行動を繰り返し、結果としてイスラム教そのものが世界から危険視される。

 特定の宗教指導者が過激化すれば、それに従う信者が指導者の意に沿う形で先鋭化し、それが指導者に自分が正しいという自信を与えてしまう。こうなればもう誰も指導者を止められない。正義に酔った指導者はどれほど危険なことか。

 翻って考えると、我らが創価学会はどうか。創価学会は恐るべきファシスト制によって異なる意見を受け入れない。従って、池田大作という教祖の完全な支配下にある。つまり、ある行動が正義かどうかを判断する存在として池田がいる。これこそが危険な集団の証であると言っていい。

 現行のシステムを維持し続ける限り、創価学会は危険であり続ける。時の指導者が平和路線に転じたとしても、それはいつブレるか分らないし、後継者がどうなるかも分らない。このようなシステムは、全体主義が何をやったかを見れば是非が判断できる。共産主義を名乗る政党が自国民を殺した人数は1億人に上る、という試算まである。我々はこの過去に学ばなければならないと思う。
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雑記 | 2008/12/11(木) 06:59 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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何がカルトなのか
 前回の雑文で小ネタのつもりで書いた学界について、下記のご意見を頂いたので、これについて思うところを。

ちょっと気になったのが、カルト云々について。政党名に「キリスト教」なんてのが入っているヨーロッパが、公明党を批判できないとは思います。
創価学会が人を不幸にするのは周知の事実ですが、キリスト教は戦争を振りまく極悪宗教だと思います。



 結論から言ってしまえば、ある政党の名前に特定の宗教名が含まれていたとしても、それが直ちにその政党が特定の宗教に従っている、とはならない。異教徒、異民族が移民として無視しえぬだけの勢力を持つのであれば、自分達の文化の象徴として宗教名を持ち出して不思議はない。

 では、カルトが支配する政党と、只単に宗教名を冠しただけの宗教はどうやって分けるのか。

 私の考えでは、無謬の存在が頂点にあるかどうか、が分かれ道になる。

 例えば、自(国内のまともな人と)他(国の人が)共に認める公カルト宗教、創価学会を例にとって見る。創価学会は周知の通り池田大作の絶対的な支配下にある。池田大作こそが、教徒たちに何が正義であるかを教え、導く役割を担う。なので、内部から池田大作へ批判が集まることは考えられない。仮にそのような動きがあった場合、即刻破門されてしまうので、教団内で反主流派が大きくなることは極めて困難である。

 この創価学会の選挙マシーンが公明党であり、あんな政党に投票する○迦(※)は学会員しかいない。従って、公明党は、国会議員ですらない池田大作の支配下にある。この事実は、政党のありかたとして極めて異例であり、また極めて危険なシステムである。極端な想定をすると、公明党が一党だけで政権政党になった場合、首相よりも権力の強い人間が政府の外にいるということになることからも明らかだろう。

 創価学会が危険である、というのはこの一事をもって足りる。

 では、キリスト教の名を冠する政党はどうだろうか。広く知られているのはドイツのキリスト教民主同盟だろう。では、この政党は裏にある宗教組織あるいは宗教指導者に従うだけの存在なのだろうか。

 決してそうではない。ローマカトリック教会、あるいは自国の宗教指導者が政治に介入しすることはできない。イベントの時に政治指導者が教会に赴いたり、教会指導者を尊重したとしてもそれは直ちに教会が政治を壟断している証拠にはならない。日本の首相が靖国神社に参拝したからといって靖国が国権を左右する力を持っているわけではない、というのと同じ。

 敷衍していくと、かつてキリスト教が世俗の権力までをも一手に握っていた時代には、キリスト教は危険なカルト以外の何物でもなかったと判断することができる。非寛容で、異教徒や異民族に暴虐の限りを尽くした教会の過去は決して消せるものではない。しかし、現在のヨーロッパにおいてもキリスト教会が絶大な権力を持つかというと、それも違うだろう。

 現在のキリスト教は文化の奥底に潜む概念であり、ヨーロッパの統合と思われる概念の象徴に過ぎない。EUにトルコが入れないのは、結局はそこだろう。だからこれまでトルコはEUに入れなかったし、これからも当分の間は入れないに違いない。

 むしろ教会が大きな力を持つのはアメリカであり、オバマ対マケインの選挙戦でも教会指導者がどうこうといったニュースが海外にまで流れるのが、かの国の異常さであると思う。元々、プロテスタントの方が聖書に帰れという言葉の通りに原理主義に近いし。だからアメリカがイスラムを嫌うのは同属嫌悪に過ぎないというのもそんなに的を外した意見じゃないか。


 また、私が共産党を蛇蝎の如くに嫌う(というか、共産党と蛇だったら蛇の方が遥かに好きだが・・・・・・)のは、共産党がシステムとして上に従わざるを得ない組織になっていることが主因である。指導者と意見を異にすればたちどころに解党的活動とやらのレッテルを貼られ、破門される。このようなシステムそのものが、人を不幸にはし得ても幸福にすることはできないものだと思う。

 最後に、カルトがなぜ危険なのかだが、私としては彼らが絶対の正義を信奉してしまうことにあると思う。十字軍において、キリスト教徒が神の名の下にイスラーム教徒たちを虐殺しまくったのは、オウムやシャロン・テートを虐殺したマンソン・ファミリーのやり口と変わらない。正義を確信したとき、人はどこまででも他人に対して残酷になれると思う。だから、正義を標榜する組織には、まずは胡散臭い目を向けるだけの冷静さは重要なのではないだろうか。


※○の中には仏教用語らしく「莫」が入ります仏教政党に敬意を表して「釈」を入れてくださいねー。
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雑記 | 2008/12/07(日) 05:06 | Trackback:(1) | Comments:(2)

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東欧に旨いものなし
 極論を言うなとか、日本の味しか受け入れられないんだろうとか言いたい気持ちは分かる。ああ、よく分かるとも。でもね、飽きるんだよ!!

 一撃必殺の破壊力を持った狂気の食べ物こそでてこないけど、ボディーブローのように効いてくるのは事実。多分、現地料理を食すところが会社の食堂だけってのが致命傷なんだろうなあ。外国人が日本に来て社食ばかり食べて日本食が嫌いになる、というのに近いかも。

 夜は基本的に自炊なのだけれども、調味料が無ければただただ筋っぽい野菜を茹でて食べるか、塩っぽいベーコンを焼いて食べるか、硬い肉を食べるかの三択。缶詰は売ってはいるけど同僚曰く、「缶詰何種類か試しましたが、全部外れでした」とのこと。

 こちらに来るまで、ポトフみたいにただただ茹でるだけのものが何で料理なんて名乗れるのかと思ってたけど、私が間違ってました。アレこそ料理です。こちらの筋っぽい食べ物を胃の腑に収めるには必要な工程だったんですよ。

 そんなわけで、ウィーンで出会った、かつて私が味わったうち、世界で一番高貴な味わいで完成度が高く、人類に普遍的に受け入れられるであろう至高かつ究極、神の如き調味料をちまちま使いつつ生きています。そんな素敵な調味料があることが羨ましいでしょ。これ、なんにでも合うんですよ。肉によし、魚によし。茹でたり煮たりするのに使うと味に深みが出るし。

 特に欠乏するのは、魚。もうインスマス産で良いから魚ください、という感じ。秋刀魚の塩焼きとか、この季節なら鮟鱇鍋とか、もう溜まらんですよ。魚中毒が出そうなくらい。なお、魚中毒の主な症状は、とても魚が食べたくなること。以上。

 日本には色々と不満がある(主にカルト教団が政治の中枢にいることなど)けど、食事はやっぱり日本が一番ですよ、ええ。というわけで、同僚達との会話に占める、日本に帰って何を食べるか話が盛り上がっているのでした。
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雑記 | 2008/12/05(金) 06:38 | Trackback:(0) | Comments:(4)

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東欧遊び人列伝 巻三 ~プラハ編~
 ハンガリー動乱の舞台たるブダペストを訪れたからには、プラハの春の故地も訪ねなければならない。そんなわけで、今回の遊興先はチェコの首都、プラハ。

 かつてはボヘミア王国として名を馳せたものだが、この王国はボヘミア王がある女生と写真をとってしまったことが発端となった事件や、「ママ~、人殺しちゃったよ~」という歌でも有名である。そしてなにより、科学を愛する人間にとってはチェコ・プラーエとヨハネス・ケプラーが活躍したことが思い浮かぶのではないだろうか。ティコと言えば、おしっこを我慢しすぎて死んでしまったという稀有な人でもある。

 師走を前にしたプラハは、我々を歓迎するかのように雪景色で迎えてくれた。前日に降ったらしく、路上には残らない程度ではあるが、雪無し関東人の心をくすぐる。降りしきる最中だったらそんな悠長なことは言ってられなかっただろうが。街に出るなりそこらじゅうにカメラを構えるなど、まるで日本人のようだがその通りだから仕方ない。

 いつものように一日券を買い込むと、いそいそと王宮へ。人の流れに付いていきながら地下鉄とトラムを乗り継げば、そこはもう王宮である。この王宮には聖ヴィート大聖堂という、他を圧する教会がある。

プラハ1
(クリックで拡大、以下同じ)

 眼前にあると凄まじい迫力で迫ってくる。写真にすると威圧感が消えてしまうのが残念でならない。プラハに訪れたら是非直接見て欲しい。というか、ここが目玉なので見ないヒトはいないだろうけど。

 このヴィート聖堂、中には見事なステンドグラスが飾られている。他の国でもそうだけど、教会が実に豪華で、娯楽施設のような趣がある。絵や彫像が所狭しと飾られ、美術館の雰囲気を備えているのだから観光地にもなるわけだ。また、ブダペストのイシュトバーン大聖堂と同じように登って眺望を楽しむことができるそうなのだが、残念なことにテクニカルな理由によって立ち入り禁止だった。多分だが、観光のオフシーズンなので改修していたのであろう。

 ヴィート大聖堂の上から愛を叫ぶ獣になるのは諦め王宮内の美術館に立ち寄る。こぢんまりとしたところだが、好みの絵もちらほらとはある。ボリュームはやや不足かな。持論として、異国を訪れたら料理と酒と文化を楽しむべし、というのがあるので美術館か博物館には行かないといけないからね。私としては、この3つでその国の雰囲気を味わえる気がする。観光客が齧る程度には、だけどね。

 残念ながら余りのんびりもしていられないので、トラムで王宮から街に戻る。これまた観光の目玉であるところのカレル橋を渡る。橋の両側には精巧な彫像が並んでおり、美術館の彫刻を見ているようなリッチな気分を味わう。私が一番気に入ったのはこれ。
プラハ2


 キリストの遺体を抱える聖母マリアとマグダラのマリア、他1名(無教養なので知りません)。このシーン、西洋の美術家たちの心を痛く刺激するらしく、美術館でも頻繁に見る構図である。

 ダ・ヴィンチ・コードでも知られるようになったが、一説にマグダラのマリアはキリストの妻だったとされる。一方、彼は童貞を貫いた魔法使いだったという説もある。私としては、古今多くの宗教指導者はその地位を利用して色に耽っていた事実からして彼がそこから外れていたと想定する方にこそ無理があると思うが、まあこの世界は闇ですから。確かなのは、ユダヤ教の両親により割礼されていたことなのだけど、史料批判を怠る美術家たちの魔の手によって必ず、絶対、確実に包茎にされてしまう可哀相な人でもある。

 ちなみに、女性の皆様へ良いニュースと悪いニュースがあります。キリスト教によると最後の審判で救われるのはたった14000人の童貞の少年だけですからね。あなた方は全員地獄行きです。以上、悪いニュース。良いニュースもありますよ。私も一緒に地獄に落ちるところとか。

 何はともあれ、フォーク・クルセイダーズの歌った「天国よいとこ一度はおいで、酒は旨いしねーちゃんは綺麗だ」はウソである。でも、14000人の童貞少年しかいない空間に監禁されたら、それこそ地獄じゃないかなあ。賛美歌聴き放題かもしれないけど、興味ないし。神様の性的嗜好が分ったところで本題に戻る。

 このカレル橋には日本にも大変に馴染みの深い、フランシスコ・ザビエルの像もある。ザビエルを支える人の中に東洋人らしき風貌の人もいるのだが、像の形状からどうにも踏みつけているように見えてしまうのが残念。

 イエズス会が果たそうとした理由というのを真面目に考えたら日本にとっては歓迎すべき人間ではなかったことは間違いないだろうが、彼は異教と共にメガネも布教していったためメガネっ娘好きな人にとっては聖人扱いされているに違いあるまい。ちなみに該当しませんです。


 話がとっても逸れまくったのだが、王宮側からカレル橋を渡って右手に折れると、モルダウで有名なスメタナを祭った博物館がある。ここからはカレル橋と王宮を一望できる。
プラハ3


 カレル橋通りを抜けていくと旧市庁舎に出る。この旧市庁舎は仕掛け時計で有名であり、毎正時(×時00分)には仕掛けを見るべく観光客が押し寄せる。勿論、我々も押し寄せる。それがここ。
プラハ4


 上の写真、時計の上に横に並んだ二つの窓が見えると思う。ここに仕掛けが隠れているのだが、時間になるとこの窓が開いて、奥の方で何か変なのがくるくる回ります。それだけ。

 「それだけかよ!」という観光客の心の叫びをBGMに無常にも窓は閉じ、そして時計は次の犠牲者観光客が来るのを待つのである。プラハ、侮り難し。

 西洋にあるまじき諸行無常を感じ、観光を再開する。ヨーロッパの街は小さいので、基本は行きに歩いて戻りは地下鉄、という感じ。ティーン教会の横を抜け、道を進めば火薬塔に行き当たる。この火薬塔にも登ることができるそうで、これまた景色が良いらしい。
プラハ5


 が、オフシーズンは登れないとのことで、無念のリタイヤ。安全点検とかも結構だけど、そんなの平日にやってくれよ(勝手な理屈)。下はその隣の市民会館。
プラハ6


 地下鉄で旧市庁舎まで戻り、買い物へ。チェコと言えばやはりボヘミアングラスでしょう。そんなわけで、同僚達はジャパンマネーの底力を見せるべく自分用の何かを買い漁っていたのだが、私は嫁のヒトへのお土産に留める。基本的に物欲がほとんど無いので、買い物の時間がとっても困るわけです。

 最後の愉しみはやはり食事。街を歩き回った疲れを取るにはやっぱりビールですよ。チェコはドイツと並んでビールの有名なところだし。ビールはやや軽すぎて私の好みでは無かったがそれなりに美味しく、料理は東欧とは思えぬ美味しさで、大変満足して楽しいチェコ旅行は終わりを告げたのだった。



 なお、日本でも人気の高いアルフォンソ・ミュシャ(チェコ語ではムハ)はチェコ出身で、そのためムハ美術館があるとのこと。小さいとの話だが、好きな方はどうぞ。土産やにもミュシャ関係の色々なアイテムがあります。あと、王宮にはカフカの仕事場があるそうです。ガイドによると青くて趣味の悪い建物らしい。『変身』やら『城』といった不条理小説は、不条理な色の家だからこそ生まれたのかもしれない。

 よくよく考えてみれば、ウィーン、ブダペスト、プラハのいずれもハプスブルグ家の支配下にあったところだったりするのだが、それは旅費が安いから偶然である。
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雑記 | 2008/12/02(火) 06:53 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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