![]() | 黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち (文春文庫) (1994/11) 深田 祐介 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
昭和18年、アジアの独立国であるタイ、ビルマ、フィリピン、中国(南京政府)、インド、満州、日本の代表を集めた大東亜会議が開かれた。後、東京裁判では茶番で片付けられてしまうこの会議は、しかし参加者たちにとってはとても大事な場だった。
満州国や汪兆銘の南京政府が日本の傀儡国家であったこは論ずるまでもないが、いずれも傀儡で済むような人々ではなく、汪兆銘は祖国を救うためには早期に日本と和を結ぶ必要があるとの熱い思いを抱き、満州の張景恵は反ソの立場から日本に接近、難局ではあっても日本を利用してやろうとの大胆な思いを抱えている。
インドの代表は英国からの独立のためなら全てを犠牲にする覚悟をしているチャンドラ・ボース。外交巧者のタイは、国家元首ではなく王族のワンワイタヤコーン。
大東亜会議がどのような性格を持ったかを説明した後、それぞれの元首たちが以後の戦局でどう振舞ったかが丁寧に解説されている。また、当時は独立していなかったインドネシアの事情を明らかにするなど、日本の対アジア戦略についてはかなり触れられているのではなかろうか。一方、中国および満州については余り触れられていない。その辺りに興味がある方は他の本に当たるのが良いだろう。
括目すべきは、著者のバランスの良さか。日本がアジアを開放すると言いつつ、現地を植民地化したことには目をそらさず、なおかつ日本の功を見詰めなおすことを厭わない。往時を知る貴重な方々の証言を渉猟しているらしく、興味深い証言が次々出てくる。
私としてはチャンドラ・ボースと、ビルマの”策士”バー・モウといった一筋縄ではいかない人々のことを知ることができたのが収穫。そして、日本人が外交の場でも浪花節に頼ろうとした情けなさも。残念なことに、これに関しては現在も完全になくなったとは思えない。
それにしても、日本の汪兆銘への裏切りは何度読み返しても腸が煮えくり返るような憤りを覚える。汪兆銘は日本の侵攻に苦しむ故国をなんとか救わんと、日本の特務機関からの説得によって南京に政府を立てるが、肝心の日本政府が汪兆銘を無視して蒋介石と交渉する始末。汪兆銘からすれば梯子を外された格好で、南京に独自の権力基盤が無く、日本からも見捨てられた彼は悲憤のうちに世を去ることになる。この裏切りの背後にあるのは、なんてことはない縦割り組織の弊害であった。
二次大戦における日本の功を声高に唱えるでもなく、過度に卑下するのでもなく、冷静にバランスの取れた姿勢を崩していないのは貴重だと思う。戦中の日本に興味がある方なら、一度は触れておくべきではないか。
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![]() | 空の戦争史 (講談社現代新書 1945) (2008/06/17) 田中 利幸 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆☆
自由に空を飛ぶことは、長く人類にとって見果てぬ夢だった。ギリシア神話に見えるイカロスの逸話から窺えるように、空を飛ぶことを渇望しつつも技術では到達できない境地。気球、そして飛行機の誕生によって空への道を見出したのは、そう遠い過去の話ではない。
だが、夢にまで見た空への活路が開けたとき、そこには軍が触手を伸ばしていた。
一七八三年一一月二一日、パリ郊外で、人間が乗った気球が歴史上初めて空を飛んだ。この気球に乗り込んだのは医者と陸軍士官の二人であった。この気球の実験飛行に見られるように、「空を飛ぶ」ということには、軍人たちが当初から高い関心を持ち、気球が将来持つであろう軍事的重要さを先見的に見通していた。
本書p.12より
気球によって、早くも無差別爆撃が行われている。しかし、これは上手く行かなかった。爆弾の技術が進んでいなかったためである。やがて技術の進歩と共に、気球は飛行機にへ、初歩的な爆弾は焼夷弾を経て遂には原爆にまで姿を変えることになる。
だが、絨毯爆撃や原爆投下といった、銃後の人々の大量殺人が可能となったのは、爆撃を支える思想の進化があったことが本書では強調されている。端的に言えば、無差別爆撃は相手の士気を下げることで戦争終結を早めるために有効だ、ということである。そしてそれ故に、無差別爆撃は人道的である、とまで言う。
なぜこのような矛盾したように思われる考えが成立しうるのか。一つには、精密爆撃によって相手の生産力を低下させることが困難であることが挙げられるだろう。生産拠点を隠蔽する、あるいは分散させる、といった手段によって精密爆撃による工業生産力への打撃は低下させることが容易である。
効果の薄い爆撃を、それでも正当化する手段は何か。それは、相手の士気が下がるとするしかないのだ。なんとなれば、工業生産力は誤魔化しが効かないが、相手の士気が下がったという主張は反論不可能であるからだ。まさか、こちらは爆撃を実行した者ですがお宅の士気は下がってますか、などというインタビューなどできないのだから。
しかし、それも欺瞞である。なんとなれば、指導者たちは爆撃によって相手の士気が下がり、戦争終結が早まるという考えを否定する材料を持っていたからだ。それは、自国民の反応である。爆撃を受けた地域では、士気が下がるどころか敵愾心に燃える傾向があったことである。自国民は勇敢だから反発するが、敵国民は臆病者だから士気が下がるに違いない。そんな莫迦な考えは当てはまらないのだ。
もう一つ、本書で指摘されていることを紹介しておきたい。それは、戦局が一方的になると大規模な無差別爆撃が行われる、ということだ。これは最早、国家が行うテロ行為に他ならない。連合軍が行ったドレスデン爆撃や、東京大空襲を想起すればよい。どちらも、爆撃が戦局に大きな影響を与えなくなってから実施されたものである。そして、日本軍による重慶爆撃などもまた同じ構造を持つ。
我々は、効率よく大量の人殺しを実行することが人道的であるなどという莫迦な考えからは抜け出さなければならない。戦争は常に精神の昂揚や、敵国民を蔑視する姿勢をもたらす。だからこそ、冷静にならなければならないのだと思う。技術の進歩によって手に入れた力を、大量殺人を可能とする無差別爆撃に用いてしまった過去から学ぶことは沢山あると思わされた。
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![]() | 「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻) (2008/07/23) J. K. ローリング 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆☆
何も説明せずとも皆ご存知だろう、ハリポタの最終巻。6巻にて最大の庇護者であるダンブルドアを喪ったハリーは、それでもヴォルデモートに立ち向かう。どのような結末が待っているか、多くの人が発行を楽しみにしていただろう。
過酷な戦いにより、ハリーの仲間達は次々と斃れていく。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人組は、協力しあったり反発しあったりしながら、友情を更に深めることになる。
これだけヒットした作品を、上手く纏め上げたという感じがする。魅力的な脇役達も大活躍し、最後の決戦のあたりは大変な盛り上がりを見せる。個人的にはネビル・ロングボトムの成長が頼もしかった。
相変わらずの上手い展開に、ノンストップで一気に読んでしまった。
以下ネタバレ防止。
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毎度おなじみの日経サイエンスの紹介。過去ログ見たら前の紹介は前年11月だけど気にしない。私が気にしないのでここに来てくださっている方も気にしないでくれたら嬉しゅうございまする。
さて、今回の記事はこんな感じ。
南硫黄島探検記
「時間の矢」の宇宙論的起源
生物の形を決める遺伝子スイッチ
生物の種とは何か
今をとるか,未来をとるか 温暖化対策の倫理
偽造を見破るデジタル画像鑑定
カミオカンデとスーパーカミオカンデ 物理学を変えた四半世紀
未知未踏に光で挑む
南硫黄島がガラパゴス諸島にも匹敵する、進化の楽園(このフレーズ、実は進化学者にとっての楽園に使われる言葉だったりするのだが)であることをはじめて知った。海と接するところがいずれも急峻な崖になっているお陰で人が入らなかったのが大きいのだろう。この南硫黄島への科学調査の模様を紹介しているのだが、科学記事というよりも探検隊の記事になっていてとても楽しい。研究者にとっての至福の時間だということが伝わってくる。
「生物の種とは何か」を眺めると、生物というものがどれだけ複雑かに改めて思いを巡らせることになる。種は非常に有益な考え方ではあるが、定義すら難しいという。連続性のあるところに無理やり線引きをする営みであることは間違いなく、それゆえの難しさなのだろう。
「今をとるか,未来をとるか 温暖化対策の倫理」は、例によって例の如く、二酸化炭素を減らさないと温暖化で大変ですよという前提に立っての話。既に現在ある二酸化炭素の量だけで温室効果が起こる分の光はすべて吸収しているため、これ以上増えても別に大したことはないと思うが。前にも書いたとおり、バイキングが活躍した時代にはグリーンランドは緑の地だった。こんな近い過去を無視して、わずかな温度上昇が人類滅亡に繋がるかのように表現するのはいかがなものか。まあ、そうでもしないと研究資金がもらえないという切実な理由は分からぬでもないが。
「カミオカンデとスーパーカミオカンデ 物理学を変えた四半世紀」を読むと、先日亡くなられた戸塚洋二さんが偲ばれてならない。(訃報記事)ニュートリノに質量があることを証明するなど、カミオカンデとスーパーカミオカンデで優れた業績を残し、ノーベル賞の有力候補だったのだが・・・。兎も角、この記事を読むと巨大科学を舞台裏で支えた技術者集団の姿が見えて嬉しい。技術の楽しさって、未踏領域に挑むところにあるんだろうなと思う。
さて、今回の記事はこんな感じ。
南硫黄島探検記
「時間の矢」の宇宙論的起源
生物の形を決める遺伝子スイッチ
生物の種とは何か
今をとるか,未来をとるか 温暖化対策の倫理
偽造を見破るデジタル画像鑑定
カミオカンデとスーパーカミオカンデ 物理学を変えた四半世紀
未知未踏に光で挑む
南硫黄島がガラパゴス諸島にも匹敵する、進化の楽園(このフレーズ、実は進化学者にとっての楽園に使われる言葉だったりするのだが)であることをはじめて知った。海と接するところがいずれも急峻な崖になっているお陰で人が入らなかったのが大きいのだろう。この南硫黄島への科学調査の模様を紹介しているのだが、科学記事というよりも探検隊の記事になっていてとても楽しい。研究者にとっての至福の時間だということが伝わってくる。
「生物の種とは何か」を眺めると、生物というものがどれだけ複雑かに改めて思いを巡らせることになる。種は非常に有益な考え方ではあるが、定義すら難しいという。連続性のあるところに無理やり線引きをする営みであることは間違いなく、それゆえの難しさなのだろう。
「今をとるか,未来をとるか 温暖化対策の倫理」は、例によって例の如く、二酸化炭素を減らさないと温暖化で大変ですよという前提に立っての話。既に現在ある二酸化炭素の量だけで温室効果が起こる分の光はすべて吸収しているため、これ以上増えても別に大したことはないと思うが。前にも書いたとおり、バイキングが活躍した時代にはグリーンランドは緑の地だった。こんな近い過去を無視して、わずかな温度上昇が人類滅亡に繋がるかのように表現するのはいかがなものか。まあ、そうでもしないと研究資金がもらえないという切実な理由は分からぬでもないが。
「カミオカンデとスーパーカミオカンデ 物理学を変えた四半世紀」を読むと、先日亡くなられた戸塚洋二さんが偲ばれてならない。(訃報記事)ニュートリノに質量があることを証明するなど、カミオカンデとスーパーカミオカンデで優れた業績を残し、ノーベル賞の有力候補だったのだが・・・。兎も角、この記事を読むと巨大科学を舞台裏で支えた技術者集団の姿が見えて嬉しい。技術の楽しさって、未踏領域に挑むところにあるんだろうなと思う。
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![]() | メルニボネの皇子―永遠の戦士エルリック〈1〉 (ハヤカワ文庫SF) (2006/03) マイクル ムアコック 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
人間を超越した力を持つメルニボネ人(びと)。一万年にも及ぶその栄光は衰えを見せ始めていた。そのメルニボネを統べるのは、アルピノの皇帝エルリック。メルニボネの没落と時を同じくしたのか、エルリックは魔法と薬とによってかろうじて命を永らえているにすぎない。だが、だからこそエルリックは一般のメルニボネ人と異なり、思索を巡らすことに情熱を注ぐことになる。
だが、余りにも異質な存在である皇帝に反発を覚えるものもいる。エルリックの許婚、サイモリルの兄であるイイルクーンは常にエルリックを挑発し続ける。宮廷で一触即発の状態が続く中、<竜の島>に眠る財宝を狙って人類が戦争を仕掛けてくる。
外にあっては侮れぬ敵、内には陰謀を巡らすイイルクーン。エルリックはどう逃れるか。
という感じの第一部では、エルリックが<黒き剣>ストームブリンガーを手に入れイイルクーンとの対決に臨む。続く第二部では、エルリックは玉座から離れ、より良き世界をもたらすべく、他国を彷徨うことになる。夢盗人との不可思議な旅とその顛末は手に汗を握るものになる。
エルリックは冒険の果てに何を見出すことになるか。異色のキャラクターを主人公に据えたファンタジーの開幕である。
不思議な世界を作り出すことにおいて、確かに著者は成功しているように思う。魂を吸い取る魔剣ストームブリンガーや、夢の中の世界を旅するなど、道具立ても見事で、独特の世界を楽しむことができると思う。
ただ、ストーリーを盛り上げる上で、どうしても主人公に何度も危機が訪れることになるが、そこからの脱出方法がどうにもご都合主義っぽい雰囲気があるのが珠に傷といったところか。見方を変えて、局面がころころ変わる物語を楽しむのが正しい読み方かもしれない。
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![]() | ゲルマーニア (岩波文庫 青 408-1) (1979/01) コルネーリウス・タキトゥス 商品詳細を見る |
評価:☆☆
ローマのタキトゥスが記したゲルマーニアは、しばしば司馬遷の史記、匈奴列伝と対比される。どちらも強大な帝国として他を周辺諸国を圧していながら、遊牧民族の脅威に晒され続けたのである。だからこそ彼らは異民族のことを記さねばならなかった。タキトゥスが恐れたように、やがてローマ帝国は異民族の襲来によって滅亡することになる。
タキトゥスが記したのはゲルマン人のこと。未だ文明化されていない時代のゲルマーニアは、ローマと一進一退の攻防を繰り返す。ローマがゲルマーニア奥深くに攻め入ることがあっても、ゲルマン人たちはローマ化を拒み、機を見ては反旗を翻す。この辺りも漢に下った匈奴が中央政府の威令衰えるや反乱を起こしていたことに重なる。
文字を持たなかったゲルマーニアは彼らオリジナルの記録を残さなかった。それもあり、タキトゥスのゲルマーニアは貴重な同時代の記録となった。だが、それは同時にゲルマーニアについて知るためにはローマの色眼鏡を除かなければならないことも意味する。本書を読んでいても、ローマ側の言い分と感じられる点も多かった。
特に史記との共通点で面白かったのは、匈奴もゲルマーニアも略奪で主力となる青年・壮年の扱いが良く、年長者が軽んじられる点。文明人たるタキトゥスはそれを非難しているが、遊牧民であるゲルマン人からすれば自分達の栄華を保障する若者こそ尊重されるべき、と取り合わないことだろう。
一方で違いもある。婚姻について、ゲルマーニアでは一夫一妻制は厳格に守られ、仮に配偶者が死んでも未亡人は再度嫁ぐことが無いとしているところ(妻に先立たれた夫についての記載は無いが、恐らくこの制限は女にのみ適用されたのだろう)。匈奴では、父が死ねば子が(実母以外の)夫人を自分のハレムに入れることが指摘されている。これを儒教的な立場から非難する向きも多かったようだ。曰く、だから匈奴は劣った野蛮人なのだ、と。
また、ゲルマーニアの農耕についても記載している点は貴重と思う。全ての遊牧民族は、遊牧だけで食っているわけではなく、域内に相当数の農耕従事者を抱えていたことからすれば彼らの存在は当たり前なのだが、その当たり前が記載されるのは史家の目の行き届く範囲が広いことを示している。
評判どおり、ローマ時代の辺境について広く記されている貴重な記録だろう。
それにしても、この訳文のダメさはなんだ。これだから人文系の奴らは仕方がないと思われても仕方がなかろう。無駄に難解な表現を使い、発音も一般に流布するものを使わないために地名や地域が浮かびにくくなっている。正しい発音に従った結果だとしても、これでは読みづらくて叶わない。教養書が没落したのはこの手の輩が蔓延ったのが原因ではなかろうか。
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![]() | 卑弥呼は大和に眠るか―邪馬台国の実像を追って (1999/10) 大庭 脩 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
邪馬台国はどこにあったのか。畿内である。あるいは九州である。いや、沖縄である。と、ことが邪馬台国ともなると大変に姦しい論争が巻き起こる。なんと、邪馬台国はエジプトにあったのだという珍説を唱えたヒトまでいるくらいである。興味がある方は望夢楼の記事へどうぞ。
結局のところ、大勢としては畿内説が最有力であり、九州説を唱えているのは今ではごく一部であるという状況である。なぜ畿内であるといえるか。その辺り、歴史に疎い私には全く知識が無かったので、本書はとても勉強になった。
三世紀当時の遺物を見ると畿内からの出土が圧倒的に多いことや、その直後の古墳時代は畿内にこそ大量の古墳が見られることがあげられる。取り分け、銅鏡の分布から、中国からもたらされたものが畿内に集められた後で地方に分配された形跡があることは畿内説に有利だろう。
この畿内説にケチをつける余地を与えているのが、魏志東夷伝(倭人伝なんてものは無い)にある、日本までの距離の話である。魏志が正確に距離を書いているのであれば、魏の使者は畿内に辿り着くことは無い。だから論争になる。この点を、地図学の立場から検証しているのも興味深い。
また、卑弥呼はどのような服装をしていたか、食事はどのようなものだったか、宗教のあり方はどうか、と、考古学の発見を広く紹介しつつ、邪馬台国の実像に迫っている。かなり専門的な話なのではあるが、歴史に興味があるなら楽しく読み進めることができるのではないか。
最終章で毎日新聞と朝日新聞の元文化部記者が対談をしているのだが、その中でなぜ卑弥呼の話題が特別注目を集めるか、考察している。結論としては、卑弥呼が女性であること、謎に包まれていることの二点が大きいということになっている。
が、私はもう一点加えたい。
それは、邪馬台国と卑弥呼が記されているのが三国志であるということである。卑弥呼の使者が辿り着いたのは曹操(一説に、袁紹)の孫である曹叡の時代の魏である。曹叡が帝位にあった時期はそんなに長いわけではないのだが、この時期には三国の興亡を彩る最後の事件的な雰囲気もある、諸葛孔明の北伐と陣没があった。だから思いを馳せやすいというのがあるのではないか。・・・単に私が三国志との関係で興味があるだけなんだけど。
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![]() | CIA 失敗の研究 (文春新書) (2005/06/20) 落合 浩太郎 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
成功したスパイの記録は残らない。だから、我々が知るスパイは全て失敗したスパイである。その失敗にも、様々なレベルのものがある。中でも、とりわけ諜報機関の失敗を悟ることができるのは911のような大事件の時だ。
頭のおかしい一人の人間が起こす犯罪は、諜報機関だって止めることはできない。しかし、犯罪組織やテロリストネットワークについては情報を集めることは不可能ではないだろう。そして、現実問題として幾つものテロ計画が実行に移される前に阻止されてきた。が、この世界の厳しさは、何件阻止したとしても、一件阻止に失敗すれば諜報機関はその責任を問われることになる。
本書は911事件に至るまで、CIAを始めとする諜報機関が犯してきた失敗を取り上げている。とりわけ、組織としての失敗がどれほど大きいかに焦点が当てられており、その点で個人の活躍に焦点を当てていた『スパイの世界史』と大分雰囲気が異なっている。
本書からは、アメリカと言う国家においてどれほど諜報が軽んじられているか、日本の予算分捕り合戦と同様の低レベルな争いが結果を左右しているかが余すところ無く紹介されている。スパイ組織も最後は政治によって成否が左右されてしまう存在なのだとよく分かる。
民主主義国家の諜報組織だからこそここまで失敗が明らかになっているのだろうから、本書からアメリカの諜報組織が弱点だらけだと思うのは恐らく過ちだ。むしろ、弱点を知った上で、諜報機関はどのようなあり方をすべきなのか、政治に多少なりとも興味があるのならば読み物として楽しめるのは間違いないだろう。
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![]() | パンとワインを巡り 神話が巡る―古代地中海文化の血と肉 (中公新書) (1995/10) 臼井 隆一郎 商品詳細を見る |
評価:☆☆
個人的な感覚で恐縮だが、解釈というやつが好きではない。○○は××を指す、なんてのは幾らでも後付できてしまうので、それを正しいと判定することができないのだ。
例えばノストラダムスの予言である。ノストラダムスはこんな事件やあんなことを正しく予言していたんだよ!な、なんだってー!!っていう流れは良くあるが、不思議なことにノストラダムスの予言とやらで未来を予想すると、その全てが外れる。解釈なんてものにはせいぜいそれくらいの力しかない。もっともらしく過去だけは説明できるが、それだけ。
辟易したのが、本書では実に多くのところでこの解釈が使われてしまっているところ。なので、どうにも興味が沸いてこない。解釈学が好きな人には堪らないのかもしれないが、私のように、文章は読んだままの意味で受け取るのが正しいと思うような散文的かつ即物的な人間には向いてないのかも。
と、苦言から入ってしまったのでちょっとだけ内容を紹介。タイトルどおり、地中海世界においてパンとワインがどのような位置づけにあったかを神話から探る試みである。
ユダヤ教、ギリシア神話を経て、キリスト教に至るまで、多くの印象的な場面にパンとワインが現れてくる。それは、これらが生活に深く結びついた結果として象徴的な意味をも持ち合わせたことによるのだろう。キリスト教など私にとってはどうでも良い話なので、もっぱら興味が沸いたのはギリシア神話。もう一度ギリシア神話を読み直そう、という気にさせられた。
あと、美味しいワインが飲みたいな、という気になった。(←一番の収穫)
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![]() | ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫) (2005/10) 古橋 秀之緋賀 ゆかり 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
今日の早川さんにて、富士見さんが仲間を洗脳(?)しようとしてラノベを貸す話で存在を知る。その後でcocoさんの紹介を読み、手に取った次第。
表題作を始め、7つの短編が収められている。そのいずれもが、超自然的かつ不思議な事件を取り上げながらのボーイ・ミーツ・ガールものとなっている。これらの超常的な出来事はあくまでもボーイがガールにミートするための小道具に過ぎない。だから、ちょっとした異世界における普通の小説となっていて、ライトノベルという括りに留まらないと思う。
空から降ってきた女の子(自称・最新型爆弾)とデートする表題作よりも、決まった時間だけ窓に映る女の子とメッセージを遣り取りする三時間目のまどかの雰囲気が好き。次は風邪によって一時的に記憶が退行する”阿呆風邪”ことゴードン症候群にかかってしまった同級生の話かな。
どの話でも登場人物のキャラクターがしっかりと作られている。無茶なキャラクター造形に走らないのが良い。キャラに走ると、結局はキャラに振り回されてしまって話が破綻するし、ストーリーがなくなってしまうので。どれも程よい余韻を残して完結しているので、読了後も満足できる。トップクラスに面白いライトノベルだと思う。
それにしても、この表題作、空から女の子が〜ってところはラピュタっぽいが、それよりも汗や涙が爆発するという設定はどう見ても星里もちるの初期の傑作、『危険がウォーキング』を髣髴とさせて懐かしさを感じさせる。カンガルーさんは怒っています。がるる〜。(分かりにくいネタですみません)
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![]() | ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ―ハイテク海洋動物学への招待 (光文社新書 (315)) (2007/08) 佐藤 克文 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆☆
海の生物を研究するには、陸上の生物と違った難しさがある。それは、海の生物が活動しているところを観察するのが難しい、ということに求められる。考えてみれば当然の話で、人間にとって都合の良い陸上に引き上げてしまえば水中の生き物は死んでしまうわけだ。スキューバダイビングなどで、生物の生活史の一瞬を観察することはできるかもしれない。しかし、そんな断片的なデータだけで全貌を掴もうというのは無理がある。
悩める研究者達にとって、救いとなったのが高性能のデータ収集装置(データロガー)。これによって得られる情報量が桁外れに増え、それによって生物達の姿が徐々に明らかにされていっている。研究の最前線である。本書からは、最前線の科学を切り開く喜びが感じられてとても楽しい。
ウミガメやペンギン、アザラシにデータロガーを取り付けて、加速度やら深度やらのデータを集めることで、海洋生物達の意外な振る舞いが明らかにされている。意外だったのは、海に飛び込むペンギン達が、シンクロでもしているかのように、同じタイミングで海に飛び込み、また陸に上がってくること。その他にも、海で生きる生物達が想像も付かないような行動を取っていることを知ることができ、収穫が多い。
また、極地で行う研究生活についても楽しく紹介しているので、南極に興味がある方は余計に楽しめるのではなかろうか。コラムでアムンゼンやスコットに触れているのも、私としては嬉しかった。
研究生活は苦しいことも多いだろうが、こうやって成果を見ると自分もその世界に入りたくなる。科学の魅力を改めて教えてもらったように思う。
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