![]() | メディアスクラム―集団的過熱取材と報道の自由 (2004/07) 鶴岡 憲一 商品詳細を見る |
評価:☆☆
マスコミはしばしばマスゴミと揶揄されるが、それも報道被害について知れば正当な評価にも思えてしまう。しかし、最終的には我々が情報を得るためにはマスメディアに頼らなければならないのは事実である以上、マスゴミと揶揄して溜飲をさげることで満足するのではなく、いかにしてマスコミをより重要な役割に従事させるかを考えるべきだろう。
その意味で、北朝鮮に拉致されていた被害者達が帰還した際に、メディアが個別取材の自重を約束し合ったのは一つの試みとして評価されて良い。ただ、報道の自由と制限について考えなければいけない点を残したのは事実だろう。
それでもやはりメディアは情報集めに走った。勿論、北のあの異常な国の実情を詳らかにし、拉致被害者達がどのような生活を送らざるを得なかったかという辺りは知らせるべき価値があると思う。でも、彼らの健康状態やらプライベートな付き合いやらにまで取材の手は延びていた。
考えて欲しい。拉致被害者の同級生のコメントだとか、近所の人の言葉なんて、ニュースバリューあるのか?そこに、世間に知らせるべき情報があるのか?下種な覗き見主義は満足されるかもしれないけど、それだけに過ぎない。こんな莫迦なことを知ろうとすべきでは無いし、報道側も好奇心だけ満足させるネタ集めに狂奔すべきじゃない。でもできないところに問題があると思う。そういったところに、本書は触れていないことは残念。
記者出身ということもあり、例えば害の方が遥かに大きい記者クラブ制度の利点を語るなど、承服しかねる点も多い。印象としては、現在のメディアが持つ既得権益は全く手放すことなく、自分達を倫理で律していきましょう、というところか。
でも、それが今までできていなかったから、危険なメディア規制ですら国民の反対に合わなかったことを、もっと真剣に考えなければいけない。強きを助け、弱きを挫くようなことを平然とやってきたことを振り返らなければならない。
試みの一つとして、新聞では外部の識者に問題点を指摘してもらうことが行われるようになっている。その嚆矢は毎日新聞で、定期的にどの報道や表現に問題があるかを検証されている。基本的に、新聞社側から書き直しを依頼されることは無いという。しかし、同じことをやろうとした朝日新聞は、批判されると書き直せと言ってきた、とは委員に選ばれたジャーナリスト、日垣隆さんの指摘。結局、自浄作用はなかなか身に付けられないのだろう。
私としては扇情的で上っ面だけをなでて終わりにしてしまう報道機関、事なかれ主義で、言葉狩りには奔走するが本質を突いた議論は中々見られないメディアの在り方そのものがダメだと思う。その根源として、結局のところ、国民はそのレベルに合ったメディアしか手に入れることができないという絶望的な現実が立ち塞がっていると思う。
なんでもかんでも欧米を有難がるのはどうかしているわけだけど、それでも欧米のニュース専門チャンネルなど、インテリ用のテレビ局が事実上存在しないのは問題を深くしていると思う。どこもかしこも当座の視聴率稼ぎで扇情的な報道か、さもなければ下らない番組ばかり垂れ流している。例えばだが、占い師だのスピリチュアルなんとかーだのを有難がる番組は次から次へと作られるが、彼らの言説が検証できない(検証したら外れまくる)ことを冷静に指摘する番組は作られない。
要するに、マスゴミの存在は、我々自身が生み出している存在なのだ。幾ら報道被害の実態を知る人が憤りを感じて、マスゴミと罵っても、それを必要とする圧倒的大多数の人々の前には無力だと思う。
学校の授業と同じで、誰にでも理解できるレベルの報道しかしなければ、読書やネットなどで多くの情報を手に入れている人には物足りない低レベルなことまでしか言えないし、そういう人に合わせようとすれば一般人は難しくて理解できないとなる。だから低レベルに合わせるというのをやってきたわけだけど、そろそろもうちょっとランクの高い人だけが見るのでも、そこに公共性が在るんだ、ということになってほしいと思うのだがどうだろうか。もちろん、私はそうなったとしても、どちらも見ないのだけれども。
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