![]() | その死に方は、迷惑です―遺言書と生前三点契約書 (集英社新書 393B) (2007/05) 本田 桂子 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆
好むと好まざるとに関わらず、死はいずれ訪れるわけで、それには備える必要がある。十分な備えをしなかったばかりに、死を前にした自分の願いが叶えられないことは愚か、親族に無用な争いの種を蒔くことにもなりかねない、と指摘するのが本書。
大した財産があるわけじゃないから、あるいは、うちは家族仲が良いから、といったような理由で遺言状などを遺さない人が多いようだが、そんなことはない、と公証人としての経験から指摘している。
確かに、家族仲が良い、特に嫁姑間の仲が良いのは良いことに違いないが、それは自分が生きているから成立する関係であることは忘れないほうが良いのは間違いないだろう。うちみたいに嫁姑が絶対揉めないことが確実な場合はともかく(ブラックジョーク)。
カネを巡っての争いなど無く、皆が故人の遺志を尊重する社会ならそんなことは必要ないかもしれない。しかし、残念ながらそうではない。僅かな遺産を巡っての争いは珍しいことではないし、そうであるからには法律も性悪説的に組み立てられざるを得なくなる。なので、実際に親族に争い無く故人の遺志どおりに相続が行われるとしても事は容易に進まない。というのは、故人の口座などは凍結されており、利用できるようになるまでは煩雑な手続きを経ないといけない。
と、こうなれば確かに遺言は残した方が良さそうだ。何時でも撤回はできるので、遺言状があることによるデメリットはほとんど無い。むしろ、遺言状が無いことで生じる様々なデメリットを回避できるなら儲けもの、というのは分かる。
家族が互いを尊重していれば争いは起こらない、というのは無茶な想定なのは、例えば私が家族で出かけたときに事故に遭い、一家全員が死んだとする。息子、私、妻の順で死ねば、我が家のつましい全ての財産が妻の両親の手に渡るわけで、これでは私の親族が面白くないと思うのは当然だろう。争いの種は常に有り得る、というのがリアルな考えだ。
遺言状に加え、ボケた時、瀕死のときと、いずれも自分の意思表示ができなくなった場合に備えることの重要さについて警鐘を鳴らすと共に、これらの事態に備える具体的な方法について啓蒙してくれる本。
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