![]() | 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書) 加藤 徹 (2006/02/16) 光文社 この商品の詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
漢文はかつて東アジアのエスペラントだった。著者はそう喝破する。
日本も政治的に中国の支配を受けたことは無くとも、文化的には明らかに色濃い影響を受けている。文化の受容を可能にしたのが、漢文の素養だったのは間違いがない。
大変に意外なことに、漢文による利はそれだけではない。遥か後世において、西洋文化を受容する際にも漢文の素養が役立ったとなると、俄然興味が沸いてくる。
今の我々も、ひらがなを飛ばして漢字だけ拾い読みしても文章の大意は読み取ることが出来る。同じ流れで、学生時代に漢文も読めたという記憶を持つ方も多いのではないか。私自身、教科書に載っていた韓非子や荘子から持ってきた文章を眺めては楽しんだものである(残念なことに授業そのものは楽しめなかったが)。
それと同じことが、かつては東アジア文化圏全体で行われていた。言葉は地域によって違えども、漢文を筆談に用いることで意思疎通が可能だったのだ。それも、つい100年ほど前まで。
明治の軍人、乃木希典は二百三高地を占領したときに漢詩を読みそれを北方軍閥を率いた張学良が好んだ、あるいは孫文が日本へ亡命中に漢文で筆談をしていた、という例を本書で挙げている。
また、中国や朝鮮で書かれた史料が、日本にだけ残っているものも多いというのは面白い。日本において、昔から識字率が高かったこと、漢文の素養が出世に必須だったことから多くの文献が出回ったことが原因だろう。それが喪われてしまったのは残念に思えてしまう。
本書の魅力は、これら漢文がもたらした多くの影響を、歴史上の人物と重ねて書くことで関心を持ちやすくさせていることにある。例えば、第一章のタイトルは「卑弥呼は漢字が書けたのか」。いきなりドキっとさせられる。考えたこともない話題を冒頭に持ってくることで一気に話題に引き込ませ、以後も読者の興味をそらさないよう次々と興味深い歴史上の逸話を織り交ぜているので楽しみながら一気に読める良書である。
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