![]() | 論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書) 香西 秀信 (2007/02/16) 光文社 この商品の詳細を見る |
評価:☆☆
魅力的なタイトルに惹かれてついつい購入。読み始めてそうそうからのけぞることになる。
正直言って、私は、生真面目な動機から、論理的思考について学ぼうとする人間が好きではない。そういう人間に限って、論理的思考力の効能を固く信じ、正しい議論を真剣になってやろうとする(略)。だが、議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。(略)
(P.8-9)
論理について書く本でここまで明け透けに論理の限界を示したものはあるだろうか。著者は論理など弱者の護身術に過ぎないと喝破するのである。
まあおっしゃるとおりではあるのだが、私のよく読む類の本にはそうでもないものが沢山ある。というのは科学の世界であるが、純粋に学問的であれば数の勝負に堕することはない。確固たる証拠(それを出すのは難しいというのは措いておくとして)があれば、反対論者が数を頼りに異論を圧殺するようなことは出来ない。
たとえばアインシュタインの相対性理論は多くの人々がその正当性を疑ったが、水星の観測結果が相対性理論の予言する通りのものだったことなどの証拠から正しいとされている。そこにあるのは論理だけだ。
つまり、本書は文系の分野について論じられるべきことだ。哲学を筆頭に政治学、社会学、経済学、宗教学、その他諸々の当てにならない自称学問ではしばしば行われることなのだろう。
「議論に世の中を変える力などありはしない」というのは確かに政治や社会ではその通りなのだろう。しかしそういう世界ばかりでもないと思う。
そんな限界はあるものの、本書を読み進めると実に多くの類型の詭弁が存在することが分かって面白かった。たとえば、「あなたはもう奥さんを殴っていないのか」という質問。これは詭弁だという。というのは、ハイと答えてもイイエと答えても、どちらの場合でも過去に奥さんを殴っていたことになってしまうからだ。
他にも、日本の商業捕鯨を巡って、A鯨は賢い動物だから食べてはいけない、B動物愛護協会によって不買運動が展開される、という二つを並列することも詭弁という。その理由は?興味を持ったらそこだけでも読んで損はないと思う。「お前も同じだろう」という開き直きも正当な理由となるというのは目から鱗。
読んでいるうちに、ここまで厳しく詭弁か否かを分けてしまうと詭弁無しに何かを語ることは困難と思わされる。でも、詭弁を弄さないようにしようとは思えないところがなんとも不思議な読後感とでも言おうか。
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