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420冊目 東アジア 民族の興亡―漢民族と異民族の4千年
東アジア 民族の興亡―漢民族と異民族の4千年東アジア 民族の興亡―漢民族と異民族の4千年
(1997/12)
大林 太良、生田 滋 他

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評価:☆☆☆


 東アジアの歴史を語るとなると、やはり中国が中心になるのは当然だろう。王朝によってはモンゴル、チベット、朝鮮半島、ベトナムと広大な版図を誇った。中国の体制に組み入れられなかったとしても、日本のように文字をはじめとして多くの文物を輸入することで影響を受けた地もある。

 しかし、中国は一方的に他の国々へ影響を与えてきたわけではない。古くは周も秦も異なる民族だったのが中原を支配する中で互いの文化を混交しあって来た。その後も魏晋南北朝、隋、唐、五代十国、金、元、清と異民族が豊かな中原の地で興亡を繰り広げた。

 本書は中国から視線を広げ、東アジア全体に目を向けることで、世界史としての位置づけとして東アジア世界がどのように発展してきたかを探っている。

 刺激的な指摘として、温暖化の時期は強大な農民国家が花開き、寒冷化した時期には異民族が南下している傾向があるということ。匈奴相手に戦功を誇った漢代は温暖な時期だったこと、三国志の動乱が始まるのに寒冷化が無視し得ない影響を与えたことは知っていたが、それが歴史全体を通しての姿だというのは知らなかった。

 また、ベトナムや朝鮮が日本と同じく漢字文化圏でありながら、地理的な要因が日本とそれらの国々との中国文化の受容度における大きな違いを導いたというのも面白い。程々の距離があったことで文化を選択的に受容できたこと、中国支配が無かったために文化の混交が無かったことは大きいのだろう。

 随所で日本の状況にも触れられているので、アジア史の中の日本という見方が出来ることも嬉しい。この辺りは『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』とも被ってくる。

 ただ、北方の異民族については岡田英弘さんの一連の著作の方が知的好奇心を刺激されて楽しかった。興味がある方は是非『中国文明の歴史』、『紫禁城の栄光―明・清全史』、『世界史の誕生』に当たってもらいたい。
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中国史 | 2007/11/30(金) 23:48 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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419冊目 ゴミと罰
ゴミと罰 (創元推理文庫 (275‐1))ゴミと罰 (創元推理文庫 (275‐1))
(1991/08)
浅羽 莢子、ジル・チャーチル 他

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評価:☆☆☆


 281冊目で紹介した『老人たちの生活と推理 』のように、生活密着型の推理小説。違いといえば、登場人物が中年か老年かといったところか。

 主人公は夫を亡くしたばかりの主婦。3人の子供を抱え、生活に追われながらも隣人達との付き合いを楽しんでいた。

 隣人の家でパーティーが開かれるはずの日に、事件が起こる。隣人宅で掃除婦が殺害されてしまったのだ。勿論警察が駆けつけて捜査に当たるわけだが、それに怯むようでは主人公にはなれない。自己流に推理を重ね、犯人を絞り込んでいく。

 登場人物のほとんどが女性ということもあり、軽妙な会話が続く。それが好きな人は楽しめるのではないか。ただ、一作目でキャラクターが固まっていないせいか、強く印象に残る人物が居なかったのが残念。
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推理小説 | 2007/11/29(木) 23:51 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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418冊目 古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇
古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))
(2002/06)
皆神 龍太郎、ピーター ジェイムズ 他

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評価:☆☆☆☆


 古代史の分野には迂闊に足を踏み入れてはいけない。真面目な考古学や歴史学に混じって、どうしようもなく愚かな妄想が立ち現れては消えていく、百鬼夜行のような様を呈しているためだ。

 例えば大航海時代に描かれた地図に南極の正確な地理が記されているという説がある。また、エジプトのスフィンクスが作られたのは1万年以上前だという説もある。それどころか、南米の遺跡にはロケットに乗り込む宇宙飛行士が描かれているなどというものまである始末なのだ。

 困ったことに、こういったトンデモの方が真面目な研究よりも世間に訴える力が強いために、正当な学説を霞ませてしまうのである。本当は事実の世界もとても面白いというのに。

 そんな妄想を正面切って批判するのは大変なことだ。なにせ、十分に批判できなければあたかもオカルトを信じる側が正しいかのように見えてしまう。もちろん、批判者が間違っていることは直ちに批判を受ける者の正しさを意味しない。

 例えば、私が人類はレティクル座から来た宇宙人の末裔だと主張したことに対して、批判者がいや違う、人類はシリウスからやってきたのだと主張したとする。シリウスが生命体の住める環境ではないことが明らかなので批判者が誤っているのは確実だ。だから人類はレティクル座から来た、となると論理としておかしい。それなのにオカルト側は理屈にもなってないこんな言説で自らを護ろうとする。だから厄介なのだ。

 本書はオカルト考古学を徹底的に批判する。それだけなら他にもあるだろう。本書を特徴付けているのは、古代史にまつわるオカルト説を批判するのに留まらず、代案を出そうとする姿勢である。

 太平洋に沈んだというアトランティスについては、そのような大陸がありえないことを明快に論じ、次いで当時アジアと呼ばれたトルコにあった都市がモデルになったのではないかと指摘する。また、神によって滅ぼされた都市ソドムとゴモラにもモデルがあり、そこには地球規模の災厄があったのではないか、と述べる。更には、ヨシュアがカナンの地を攻め滅ぼす際に起こった数々の不思議な現象は、彗星の接近と予想しているのだ。

 一見すると、オカルトを批判するうちに新たなるオカルトの世界に足を踏み入れてしまっているようにも見える。しかし、本書はそれでも学問の世界に留まっていると思う。一番大きな要因は、著者が正しさを盲信していないことだ。自分達の主張に対して客観的な裏づけが無いことは理解している。だから自説の正しさに拘泥しない。説は説として延べ、あっさりと次の話題に移っていく。

 古代史への深い関心に加え、冷静な姿勢こそが不思議と付き合う上で必須なのだろう。古代史の謎を全て解いたというよりも、既に明らかになったことを教えてくれた上で更なる謎の世界を見せてくれているように思う。謎がなければ学問なんて成り立たないのだから、古代史にはまだまだ魅力的な謎が込められている、と確信させてくれた。
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その他歴史 | 2007/11/27(火) 23:21 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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417冊目 もう一つの『三國志』 ―「演義」が語らない異民族との戦い―
もう一つの『三國志』  ―「演義」が語らない異民族との戦い―もう一つの『三國志』 ―「演義」が語らない異民族との戦い―
(2007/08/12)
坂口 和澄

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評価:☆☆☆☆



 毎度の事ながら、本書を教えていただいたのはオジオンさんの幻想工房から。紹介記事での詳細な個評を読めば、もうこれは読破せねばなるまいと思わされた。


 三国志といえば、曹操や劉備、孫権らが覇を競い、劉備亡き後は諸葛亮が悲壮な決意で北伐を敢行するストーリーが思い浮かぶ人が大半だろう。かく言う私もそう。しかし、意外なことに三国の興亡を分けたのは相互の争いではなく異民族との攻防だったことを指摘しているのが本書。

 南方の雄、孫権が積極的に魏蜀と事を構えなかったのは国内の異民族対応に手を焼いていたからというのは知っていた。なにせ、呉の戦いと言えば防戦ばかりで、目ぼしい攻撃戦といえば魏と結んで関羽の勢力を荊州から一掃したこと、諸葛亮の北伐と合わせて合肥を攻撃したことくらいである。いずれも単独攻撃は無し。しかも、後者は大敗したものだ。

 その呉だけではなく、三国志に登場する有名部将のほとんど全てが異民族との関係で名を成したというのは知らなかった。

 烏丸、高句麗、鮮卑、羌、氐、匈奴、蛮、西南夷、山越と、言われてみれば四方を異民族で囲まれている以上、争いは避けられないことだろう。ところが、三国志演義は異民族との争いをほとんど取り上げない。詳しいのはせいぜい諸葛亮の南征で触れられる程度であろう。

 だが、争いがあればそこには英雄が居て、興味深い攻防の歴史がある。三国志の登場人物たちも、あるときは異民族の侵入を防ぎ、またあるときは異民族と結んで敵と当たってきた。異民族との関係を知れば、後漢から三国時代を経て晋に至るまでの歴史が見通し良くなるように思った。

 個人的に面白かったのは、蜀の異民族戦のヒーロー張嶷の項。彼こそは隠れた名将だとかねがね思ってきたので、その活躍をゆっくり楽しめた。三国志のストーリーを知っているのであれば、あの戦いにはこんな裏があったのかと感嘆しながら読めるのではなかろうか。

 なお、個評は是非オジオンさんのを参考にしてください(手抜き)。
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中国史 | 2007/11/26(月) 23:17 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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416冊目 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?
漢文の素養   誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書) 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)
加藤 徹 (2006/02/16)
光文社
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評価:☆☆☆☆


 漢文はかつて東アジアのエスペラントだった。著者はそう喝破する。

 日本も政治的に中国の支配を受けたことは無くとも、文化的には明らかに色濃い影響を受けている。文化の受容を可能にしたのが、漢文の素養だったのは間違いがない。

 大変に意外なことに、漢文による利はそれだけではない。遥か後世において、西洋文化を受容する際にも漢文の素養が役立ったとなると、俄然興味が沸いてくる。

 今の我々も、ひらがなを飛ばして漢字だけ拾い読みしても文章の大意は読み取ることが出来る。同じ流れで、学生時代に漢文も読めたという記憶を持つ方も多いのではないか。私自身、教科書に載っていた韓非子や荘子から持ってきた文章を眺めては楽しんだものである(残念なことに授業そのものは楽しめなかったが)。

 それと同じことが、かつては東アジア文化圏全体で行われていた。言葉は地域によって違えども、漢文を筆談に用いることで意思疎通が可能だったのだ。それも、つい100年ほど前まで。

 明治の軍人、乃木希典は二百三高地を占領したときに漢詩を読みそれを北方軍閥を率いた張学良が好んだ、あるいは孫文が日本へ亡命中に漢文で筆談をしていた、という例を本書で挙げている。

 また、中国や朝鮮で書かれた史料が、日本にだけ残っているものも多いというのは面白い。日本において、昔から識字率が高かったこと、漢文の素養が出世に必須だったことから多くの文献が出回ったことが原因だろう。それが喪われてしまったのは残念に思えてしまう。

 本書の魅力は、これら漢文がもたらした多くの影響を、歴史上の人物と重ねて書くことで関心を持ちやすくさせていることにある。例えば、第一章のタイトルは「卑弥呼は漢字が書けたのか」。いきなりドキっとさせられる。考えたこともない話題を冒頭に持ってくることで一気に話題に引き込ませ、以後も読者の興味をそらさないよう次々と興味深い歴史上の逸話を織り交ぜているので楽しみながら一気に読める良書である。
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その他歴史 | 2007/11/21(水) 22:33 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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415冊目 奇妙な経済学を語る人びと―エコノミストは信用できるか
奇妙な経済学を語る人びと―エコノミストは信用できるか 奇妙な経済学を語る人びと―エコノミストは信用できるか
原田 泰 (2003/08)
日本経済新聞社
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評価:☆☆☆


 うーん、正直に言って、私に本書を評する資格があるとは思えない。というのは、経済学には全く明るくないためだ。従って、経済学については良く分からんという前提で書く。

 円圏を作ることの意味と是非、デフレはなぜ解消されないか、中国がデフレの原因というのは本当か、等の問題を通じ、世間に広められているエコノミストの説がどれほど経済学の常道から外れているかを解説している。

 また、経済学を通して見ると少子化対策や高齢化対策はどのようにあるべきか提言したり、一部の投資家達のモラルの暴走がどれほど経済に悪影響を与えているかに苦言を呈したりしている。

 その全ての根幹にあるのは、経済学を学問として活用せずに自分と雇い主にばかり有利な言説を主張するエコノミスト達への批判である。

 本書の内容はなかなかに魅力的なので、一度市場で実験するのも悪いことではないように思われる。仮説を立て、それを実行に移すことで検証を図ることができるわけだし、その間に致命的な事態に陥ることはどうもなさそうだ。

 といっても、経済の実験というのは科学の実験と異なり、高度な再現性はない。指標の取りかたによって結論は変わるし、そもそも前提となる社会情勢を揃えての実験などできはしない。経済学を科学として扱うにはどうしても越えざる壁があると言わざるを得ない。

 ノーベル賞も、経済学賞は後から加えられたもので、その経緯もあって今もノーベル賞の中で最も格下とされている。ノーベル賞に数学が無いのはノーベルが数学を嫌いだったためとも、ミッターク・レフラーという優秀な数学者と女性を巡っての争いがあったため彼を受賞させないためにしたとも言われるが、数学賞の代わりに経済学賞というのは強引なように思われてならない。

 読んではみたけど、やはり経済学には関心が沸かないようだ。ビジネス書ともども封印の世界にしよう。なので間違っても私にこれらを勧めるようなことはしないでください。面白い、面白くないの世界ではなく、興味があるなしの世界ですので。
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未分類 | 2007/11/20(火) 22:57 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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414冊目 ユーモアのレッスン
ユーモアのレッスンユーモアのレッスン
(2003/06/24)
外山 滋比古

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評価:☆☆


 兎に角、第一章のユーモア問答がダメ。ひたすらダメ。このダメな章が最初にあるというそれだけの理由で放り投げた読者が3割はいると思う。

 いや、只のユーモア解説なのだが、古来笑いを解説するという行為が面白かった例がない。そして、残念なことにユーモアがどのようなものかという解説に成功したからといって、ユーモアを使いこなせるわけではないということだ。それは投資の本を読む人の殆どが貧乏人であることや、モテる秘密について読む人が非モテであることからも分かるだろう。

 解説が終わってユーモア紹介になるとようやく面白くなる。といっても、ユーモアなのかジョークなのか、垣根は曖昧だ。つまるところ、『世界の日本人ジョーク集』とか『世界の紛争地ジョーク集』のようなものである。

 で、比べると余計な贅肉が付いている分こちらの評価が下がるのは仕方があるまい。

 また、随所で教養をひけらかすような表現があり、面白くない。他人を莫迦にするのは楽しいけれど、他人から莫迦にされるのは面白くないのは当然だろう。それはたとえばこんな表記から感じられてしまう。知っていることで面白さが増えるものの例として、

  花のるす悠然としてシラミを見

がある。”悠然として”がキーワードで、すぐに陶淵明の有名な詩句「悠然として南山を見る」が頭に浮かばないようでは、この句を楽しむ資格がない。庶民といえども、それくらいの教養はある。
P.212より


 ねえよ。悪かったな。

 昔の日本人のユーモアを紹介しているわけだけど、そんな昔の人々の知識というか常識についていけないのは当然で、そうなると解説が必要になる。

 笑いは他の感情と同じく文脈に依存する。しかし、他の感情と違って短いセンテンスでも威力を発揮するからこそジョーク集は面白いのだ。ジョークの解説を読んで笑うようなヤツがいるわけがないので、それが更に本書の魅力を減じることになる。

 2章の前半だけ読めば楽しめるので、立ち読みでそこだけ読む分には良いと思う。
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未分類 | 2007/11/17(土) 23:58 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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413冊目 非線形科学
非線形科学 (集英社新書 408G) 非線形科学 (集英社新書 408G)
蔵本 由紀 (2007/09)
集英社
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評価:☆☆


 科学の内側の人が内側の論理で外側の人に面白さを伝えようとして失敗したように思う。確かに数式は使われていない。しかし、数式さえなければ専門チックじゃないというわけではない。

 新書にしてはかなり詰め込んだ内容なのは良いとして、外から見た面白さに配慮されているかというと、そうではないように思えるのだ。そのため、複雑系という魅力的な分野を紹介することに成功しているとはいえない。

 非線形という聞きなれない概念は、実は自然界にありふれている。非線形とは何か。それを知る前には線形というものを知らなければならない。

 で、単純に言ってしまえば、線形というのは幾つかの入力-出力関係を知ってしまえば他の関係も分かってしまうというもの。そんな抽象的な話をされても分からんって?

 卑近な例で言おう。例えば、ケーキを100g食べたら20g太るとする。この人がケーキを10kg食べたら何キロ太るか。多分2キロだろう。食べる量と太る量の間に実に明確なつながりがある。これが線形。というわけで、太らないためには食べないことですよ。

 非線形というのは、あるときは100g食べて80g太っておきながら、別の時には10kg食べて1g太るというように、食べる量と太る量がてんでバラバラな現象の場合に当てはまる。しかも、一見するとつながりが見えないような入力-出力関係を一皮向けば、素人目にも明らかな秩序が現れてくるのだ。

 概念が難しいと言えば、難しいのは事実。

 しかし、非線形科学を素人にも分かり易く紹介するのが困難なのかといえばそうでもないはずだ。たとえばネットワークの科学については299冊目で紹介したマーク・ブキャナンの『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』は読み易くかつ面白かった。

 取り上げている話題も魅力的なものがあるので、もうちょっと料理のしようがあったように思えてしまう。例えばベローゾフ・ジャボチンスキー反応。これは複数の化学反応が互いに影響を与え合うことで定期的な物資の濃淡が生じる現象なのだが、薬品の種類によっては濃淡の変化が目で見て分かる。この時、溶液の中では奇妙で美しい幾何学模様が意思を持つかのように動きまわる。化学の不思議さと魅力を味わわせてくれる実験である。

 また、地図がフラクタルを描くこと、川の流れを見ていると杭の後ろに出来る渦巻きと全く同じ構造が人工衛星から観測した雲でも見られることも興味深い。サイズも違えば媒体も違うのに、同じようなものができるということは、同じ法則が働いていることが推測されるからだ。

 カオスというものが混沌を表すわけではなく、ランダムに起こっている現象のその裏に分析可能な構造が秘められていることを示している。それが複雑系の面白さのようで、面白そうな話題がまだまだ潜むように思われた。
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その他科学 | 2007/11/16(金) 23:06 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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412冊目 自衛隊指揮官
自衛隊指揮官 (講談社+α文庫) 自衛隊指揮官 (講談社+α文庫)
瀧野 隆浩 (2005/08/23)
講談社
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評価:☆☆☆


 自衛隊は軍隊である。神学論争に踏み込む気は無いので憲法上の話は無視してしまえば、そういう以外に無い。

 幸運なことに、自衛隊は軍隊といえども、戦場で外国軍と戦わずに済んできた。しかし、だからといって自衛隊が訓練にのみ終始してきたわけではない。ある時は裏方として、ある時は戦争の危機と直面して、これまでやってきたのだ。

 化学兵器を用いて不気味な野望を叶えようとするカルト教団、北朝鮮の不審船、そしてソ連からのミグ25亡命事件と領空侵犯事件。そこには思いもかけない事実があり、部下の命を賭けた決断を強いられた指揮官たちが居た。

 著者は卒業した防衛大学のツテを辿って様々な事件の指揮官と会い、話を聞く機会に恵まれた。それぞれの事件が重大な意味を持っていたため、貴重な記録となっている。

 サリンで汚染された地下鉄の除染作業を指揮し、最後の確認作業として防毒マスクを外して深呼吸した指揮官もいれば、不審船事件で北朝鮮の侵略船に乗り込もうとした指揮官もいる。だが、とりわけ私が戦慄を禁じえなかったのは、ミグ25亡命事件に伴う決断をした指揮官の話である。

 本書に当たるまで知らなかったが、当時、ソ連が軍を派遣してミグを奪取あるいは破壊しようとしているとの情報が寄せられたという。ソ連の侵攻に備え、自衛隊は戦争準備に取り掛かる。幾つかの部隊が気付かれぬように配備までされたという。結局、恐れられたソ連侵攻は無く、自衛隊内でもこの事実は封印されたに等しい扱いを受けてしまう。

 これらの事件から、どうしようもないほど現実から乖離した軍の在り方が見えてくる。軍隊存在の是非とは別に、それが必要悪として存在するのであれば、それなりの配慮が必要なのは事実だ。外国からやってくるゲリラに対しほぼ丸腰で、しかも先制攻撃は許されない状態で立ち向かえというのは無茶だ。

 他国への侵略を禁ずるというルールを保ちつつ、もっとリアリスティックな対応ができるのではないか。法や制度、設備の整備が不足するからこそ歪な決断を迫られる指揮官がいるのではないか。

 もちろん、どんな状況でも指揮官は重い責任を負わなければならない。軍であれば自分と部下の命を賭す命令も下さなければならないシーンもある。しかし、それと制度がおかしいために無為に危険に晒されるというのは話が違う。軍事アレルギーは措いておき、まずはリアルを見よう。軍隊を賛美したり、必要以上に共感したりしなくても、もっとまともな組織作りはできるはずなのだ。そんなことを考えさせられた。
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ノンフィクション | 2007/11/15(木) 23:48 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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411冊目 論より詭弁 反論理的思考のすすめ
論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書) 論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)
香西 秀信 (2007/02/16)
光文社
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評価:☆☆


 魅力的なタイトルに惹かれてついつい購入。読み始めてそうそうからのけぞることになる。

 正直言って、私は、生真面目な動機から、論理的思考について学ぼうとする人間が好きではない。そういう人間に限って、論理的思考力の効能を固く信じ、正しい議論を真剣になってやろうとする(略)。だが、議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。(略)
(P.8-9)


 論理について書く本でここまで明け透けに論理の限界を示したものはあるだろうか。著者は論理など弱者の護身術に過ぎないと喝破するのである。

 まあおっしゃるとおりではあるのだが、私のよく読む類の本にはそうでもないものが沢山ある。というのは科学の世界であるが、純粋に学問的であれば数の勝負に堕することはない。確固たる証拠(それを出すのは難しいというのは措いておくとして)があれば、反対論者が数を頼りに異論を圧殺するようなことは出来ない。

 たとえばアインシュタインの相対性理論は多くの人々がその正当性を疑ったが、水星の観測結果が相対性理論の予言する通りのものだったことなどの証拠から正しいとされている。そこにあるのは論理だけだ。

 つまり、本書は文系の分野について論じられるべきことだ。哲学を筆頭に政治学、社会学、経済学、宗教学、その他諸々の当てにならない自称学問ではしばしば行われることなのだろう。

 「議論に世の中を変える力などありはしない」というのは確かに政治や社会ではその通りなのだろう。しかしそういう世界ばかりでもないと思う。

 そんな限界はあるものの、本書を読み進めると実に多くの類型の詭弁が存在することが分かって面白かった。たとえば、「あなたはもう奥さんを殴っていないのか」という質問。これは詭弁だという。というのは、ハイと答えてもイイエと答えても、どちらの場合でも過去に奥さんを殴っていたことになってしまうからだ。

 他にも、日本の商業捕鯨を巡って、A鯨は賢い動物だから食べてはいけない、B動物愛護協会によって不買運動が展開される、という二つを並列することも詭弁という。その理由は?興味を持ったらそこだけでも読んで損はないと思う。「お前も同じだろう」という開き直きも正当な理由となるというのは目から鱗。

 読んでいるうちに、ここまで厳しく詭弁か否かを分けてしまうと詭弁無しに何かを語ることは困難と思わされる。でも、詭弁を弄さないようにしようとは思えないところがなんとも不思議な読後感とでも言おうか。
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未分類 | 2007/11/14(水) 23:03 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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410冊目 ハンニバル アルプス越えの謎を解く
ハンニバル アルプス越えの謎を解くハンニバル アルプス越えの謎を解く
(2000/10)
ジョン プレヴァス

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評価:☆☆☆☆


 人類史上、最高の軍事指導者は誰かと聞かれたら、楽毅、項羽、曹操、アレクサンドロス、ユリウス・カエサル、ナポレオン・ボナパルトなど錚々たる人々と共に挙げられるであろう人物こそ、ハンニバルである。

 カルタゴ軍に加え史上名高い象部隊を率いてスペインからアルプスを超えてイタリアへ進撃。古代最大規模の戦闘であるカンナエの戦いに圧勝したハンニバルは、ローマを望むところまで軍勢を進めることに成功する。この時にローマが滅亡を免れたのは、ハンニバルの戦略にローマを直接攻撃するという選択肢がなかったために他ならない。

 カルタゴローマの間で行われたこの戦争は、ただの大規模な戦闘と片付けられるものではない。それは良くも悪くも古代地中海世界の行く末を決定付けるものだった。三次に渡る大戦争の中で、カルタゴが最も優位に立ったのこそ、ハンニバルの活躍した第二次ポエニ戦争だった。

 本書はローマを脅かしたハンニバルが、アルプスのどのルートを辿ったのかを探りつつ、ハンニバルの戦いの人生に迫っている。

 特筆すべきは、著者が実際にアルプスの地を何度も訪れ、往時の人々が残した記録と地形、距離が合致するか確認しながらハンニバルの辿ったであろうルートを探っていること。これにより、従来有力だったルートが、実は疑問の余地があること、また批判にさらされていたルートが記録上も無理なく説明できることを明らかにしている。

 このあたりはかなり専門的で、歴史学の分野に属する議論であることは間違いない。

 ではハンニバル個人に興味がある人には楽しめないのかというと、そうではないのが面白いところ。というのは、具体的にルートを絞ることで、ハンニバルが遭遇しなければならなかった数々の危機が、読者の目の前に迫ってくるのだ。

 著者がアルプスでルートを探る試みと、古代のハンニバルの苦難を平行して語ることで、現代のアルプスの写真を見ながら歴史への想像力を働かせることができるのは大きな魅力だ。特に、ハンニバルがアルプスの山岳部族によって危地に追いやられるシーンは、ただ文章を追うよりも遥かに迫力を持つ。攻撃されれば身を護る術すらない隘路。そこに溢れる人馬と襲い掛かる山岳部族が脳裏をよぎる。

 ハンニバルの父ハミルカル・バルカの戦い(第一次ポエニ戦争)が義理の息子ハスドルバル、そして息子ハンニバルへと引き継がれる歴史、ハンニバルがアルプスを越えて掴んだ栄光、そしてローマの反撃。それらが実に魅力的にまとめられていると思う。ローマ時代に興味がある方なら楽しめるのは間違いないと思う。
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その他歴史 | 2007/11/13(火) 22:48 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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409冊目 不思議な少年第44号
不思議な少年第44号不思議な少年第44号
(1994/07)
マーク トウェイン

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評価:☆


 一言で言うなら、理解できん。

 中世ドイツの田舎町の印刷所に忽然と現れた不思議な少年。彼は給料は要らないから置いてくれと言って、それを認められるのだが、その日から印刷所には不思議なことが次々と起こるのだった。44号と名乗るこの少年は一体何物なのか―――。

 不思議な人物を書くのは難しい。というのは、論理的に非論理的人物を作り上げなければいけないという苦行が付きまとうから。その結果として、キャラが固まっていない。44号は登場当初と後半で同じ人物とは思えないし、また彼の行動原理がどれほど読んでも理解できない。

 また、他の登場人物の行動も到底理解できないものである。職長っぽい人は44号に反発し、44号を残すならストライキを決行するといって働かない。いや、それなら分かるのだけど、雇い主を破滅させようとして、それが44号の不思議な力によって回避されると今度は働かなかった間の給料を寄越せとごねる。で、この行動もろくに説明らしき説明がないので困ってしまう。

 主要と思われる登場の仕方をして、それっきり出てこないキャラもいれば、宇宙戦艦ヤマトにおけるサナダさんの必殺兵器が如く、唐突な設定が現れる。小説としての出来は最低レベルではなかろうか。晩年の作で、推敲せぬままの原稿だというのを差し置いても、もうちょっとまともな作品を作れるのではないかと思う。オチがまともなのかと期待したのだけど、それも期待はずれ。アメリカだったら意味があるのかもしれないけど。とにかく時間の無駄だった。


 って、私如きがマーク・トウェインをそうこき下ろしても説得力は無いな。
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その他小説 | 2007/11/12(月) 21:54 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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気持ちの悪い考え
 憂鬱な昨日に猫パンチ 不安な明日に猫キックで紹介されていた、ITmediaの記事「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査は実に気持ちが悪い。何が気持ち悪いって、これだ。

 「雑誌、DVD、ビデオ、ゲームソフトなどの有害情報から子どもを守るために、どのようにすべきだと思いますか」という質問には「国として規制すべきだ」が63.2%、「各都道府県の条例で規制すべきだ」が21.8%。ネット上の「有害情報」について、国が「規制すべきである」は68.7%、「どちらかといえば規制すべきである」は22.2%と約9割に達した。


 自分が好ましいと思わないものは法律で規制しろというのは実に恐ろしい。私はボーイズラブを気持ち悪いと思うし、それを無理やり読まされたらいやな気分になるのは間違いない。だからといって、それを規制しろとは言わない。私が読まなければ良い話だ。

 では、ロリコンマンガが犯罪の原因になるのか。ちょっと犯罪白書を見て欲しい。これを見ると明らかだが、強姦の認知件数、発生件数は昭和33~45年(1958~1970年)がピークで、以後は減少している。(昭和33年は複数での強姦が親告罪ではなくなったので急増している)

 成人マンガが性犯罪を起こすというなら、当時はどんな凄いマンガやイラストやゲームがあったというのか。wikipediaの「成人向け漫画」を見てみよう。

現在は劇画調が薄まり、アニメ絵への接近が感じられる絵柄が増えている。このようなスタイルは自販機本「少女アリス」(1980年)などに吾妻ひでおが連載したものが元祖になっている。吾妻は友人らと同人誌「シベール」を出版しており、商業誌、同人誌ともにこの分野の開拓者であるといえよう。


 というわけで、1980年をロリコンマンガ発祥の年と仮定して、当時の強姦件数を犯罪白書で見てみよう。なんと、最盛期の1/3で、その後微減を続けている。つまり、ロリコンマンガに犯罪を起こす力など無かったということだ。いや、微減が続くというなら、逆が成立する。ロリコンマンガは犯罪を抑制するのである。

 それを受けて、性犯罪を無くすために我々は何をすべきなのか。全ての家庭にエロマンガあるいはエロゲーの保有を義務付けるというのはどうだろう。

 いや、警察のほうから来たんですけどね、今度法改正がありましてね、全家庭にエロゲの保持が義務付けられたんですよ。

 なんてことになるわけです。消火器売りつけ詐欺みたいなエロゲ詐欺あるいはエロマンガ詐欺に気をつけてくださいなんて注意が出回ってですね、政府推奨のエロゲやらエロマンガができるわけですね。夏休みの課題エロゲなんてのが出されてですね、やらないひとは性犯罪者扱いされちゃうって寸法です。建売住宅メーカーはですね、今ならエロゲ20本付ける、あるいは格好良いエロマンガ収納ボックスを付けることなんかをセールスポイントにしちゃうわけですよ。

 これがどれほど莫迦げているかは分かるだろう。どれくらいかというと、漫画・イラストも児童ポルノ規制対象にするべきだというのと同じくらい莫迦げているのだ。見たいヤツは見れば良いし、見たくないヤツは見なければ良いのだ。見たくない人のために、本屋はゾーニングをやっているわけだし、フィルタリングソフトがあるのだ。kids gooなどこのブログまで弾く高性能さを誇っているわけだし。

 ついでに、規制ならある。またもwikipediaから引用する。

ゾーニングマークによる自主規制があるとはいえ、何を描いてもいい訳ではない。多くの自治体では、条例で18才未満への販売及び内容が規制される。内容(主に社会情勢と連動する)等に問題があると、東京都の場合、東京都青少年健全育成審議会から不健全指定図書(他道府県における有害図書)に指定される。同一タイトルの雑誌(増刊含む)が連続3回、または年間通算5回指定されると「雑誌を自主廃刊する」もしくは「一般書店での販売をやめ、直販もしくは成人向け雑誌専門店での販売に特化する」といった出版業界内自主規制機関による申し合わせがある。東京都の規定は、警察基準同様に尊重される。他の道府県条例では、基本的に東京都基準に準ずることが多いので独自の影響力は持たないが、指定が続くとその県に配本されない「局地廃刊」が行われることもある。


 というわけで、既にある規制を更に強めようとする意思が働いているとしか思えない悪質なアンケート結果なのが分かる。というのは、ゾーニングや規制について何の説明もしておらず、犯罪とメディアの関係の間に無関係以上の関係が存在しないことを説明していないことが、ITmediaから透けて見えるからだ。

 調査は、「有害情報」を「子どもたち悪影響を与える恐れのある情報」とし、(1)わいせつ画像などの性的な情報、(2)暴力的な描写や残虐な情報、(3)自殺や犯罪を誘発する情報、(4)薬物や危険物の使用を誘発する情報──などと定義。こうした「有害情報」が「近年、多くなっています」などととする説明を調査対象に提示して実施した。


 まず、「有害情報」を「子どもたち悪影響を与える恐れのある情報」と考えるべき事実は存在しない。既に見たように、エロマンガ出版後にも強姦件数は減少している。「有害情報」が「近年、多くなっています」というのは事実としても、それと平行して犯罪が減少していることを説明しないのはフェアではないだろう。

 こんな莫迦莫迦しいアンケートであっても、世論として力を持ちえてしまうのだから、マスメディアはもっと批判的に取り上げないといけない。規制はいつか自分に跳ね返ってくると知れ。そんなこと、戦前に経験しただろうに全く学ぼうとしないのだから、そのダメさには呆れるしかない。

 そもそも、少数の犯罪を切り出して、それが社会全体を映し出すように考えること自体が危険なのだ。少年犯罪データベースを見て欲しい。少年犯罪の態様がどれほど変わっていないか。件数で言えば昔の方が遥かに多かったことも含め、犯罪については正しく事実を把握しないと木によりて魚を求むことになりかねないのだ。

 表現の規制についてはちょっと考えてみて欲しい。世間で言われていることや自分の印象は正しいのか。自分が不快なものは国による規制の対象にするべきなのか。自分が好きで他人には迷惑をかけていないものを、他人が不快だからというだけの理由で法規制をかけようとしたらどうするか。

 エロマンガやエロゲで、どれほど受け入れ難いことが行われていても、そこに犠牲者は存在しない。現実の犯罪と、架空の世界を取り違えてはいけないと思う。私のような厳罰主義者に言わせれば、強姦犯は死刑または去勢後に20年以下の懲役とするのが相応しい。殺人並みに厳しいのは法の一貫性上相応しくないというなら、強姦に準ずる犯罪も全部死刑を含む厳罰にすれば良い話だ。

 死刑に抑止効果が無いことははっきりしているが、なんてことはない、犯罪者が二度と外に出てこなければ再犯による新たな犠牲者は生まれない。

 犯罪者の再犯率は弁護士河原崎法律事務所にある犯罪者の再犯率をみるとこうだ。

平成11年に出所した受刑者のうち、平成16年12月31日までに、再度、刑務所の入った受刑者の割合は次の通りです。

(受刑者の再入率)






出所事由平成11年に出所した受刑者数平成16年12月31日までに再入した率
総数23,12549.9
満期釈放9,87061.8
仮出獄13,25541.1


 恐ろしいことに約出所した元犯罪者の半数がたった5年でまた犯罪者になって戻ってきているのだ。日本の教育刑思想が失敗したことは明白であり、別の思想を導入するべきだ。たとえば社会から隔離するという思想や罪に対して罰を与えるという思想に。大体、性格は遺伝して、人格は環境に左右されないというのが明らかになっているのにそれを踏まえないのはおかしいのだ。

 なので、犯罪者には厳しく。犯罪を犯していない人にはできるだけ規制をしない。それが大事なのではなかろうか。
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雑記 | 2007/11/11(日) 23:29 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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408冊目 無理は承知で私立探偵(ハードボイルド)
無理は承知で私立探偵(ハードボイルド)無理は承知で私立探偵(ハードボイルド)
(2000/03)
麻生 俊平

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評価:☆☆


 「探偵は孤独だ」

 私立探偵(ハードボイルド)を(自称する)山田太一郎は、しかし17歳の高校生。空き教室を事務所と称して占領し、授業をサボって捜査に当たる。天敵は風紀委員。先生の影が薄いのは、多分もう彼の更生を諦めているからなのだろう。

 ハードボイルドを目指すが故、学生服の上にトレンチコートを着込みソフト帽。それが真夏であっても。事務所にはウイスキーのボトルが常備(ただし、中身はウーロン茶)され、愛用のジッポは常に胸ポケットに。その理由は、タバコを吸うためじゃなく、銃撃やナイフ投げから心臓を護るためである。

 この紹介を読んだだけで分かるだろうが、主人公はハードボイルドを演じる自分に酔っている。だが、ナルシスト小説にならないのは、それを誰もが相手にせず、主人公も相手にされていない自分を理解しているからだったりする。

 それでも曲がりなりにも助手(主人公は秘書と呼びたいのだが拒否される)もいて、学生に相応しい程度の依頼がくる。それは、友人が学校に来なくなった理由を探ることだったり、演劇部に寄せられた謎の嫌がらせを解決することだったりする。この点で、遊びに行く先々で殺人事件に巻き込まれてしまう、版権の都合でじいちゃんの名前を呼べない某少年とは異なる。

 ハードボイルドというには無理のある環境を用意することで、周りから浮いた探偵像を作ることには成功しているのだけれども、キャラの作りすぎ、次のストーリーへ引っ張るための露骨な伏線がマイナス要因。また、無理に作ったキャラなゆえ、主人公に感情移入するのが難しいのもある。かなり久々に読んだライトノベルだったが、昔ほど楽しめなかったのは残念。
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その他小説 | 2007/11/11(日) 14:53 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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407冊目 中国の歴史3 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国)
第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)
(2004/11/10)
鶴間 和幸

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評価:☆☆☆☆


 ファーストエンペラーと言えば、なんといっても始皇帝である。強烈な個性を持つこの人物は、他の六国を滅ぼして初の統一王朝を築いただけではなく、皇帝の称号を考え出し、文字や度量衡の統一を実施し、法家主義に基づいた強力な官僚制を整備した。自体は統一後わずか15年で滅びてしまったが、による諸制度こそ後の中国を形作っていったのである。

 は小さな地方反乱が呼び水となった全国規模の蜂起により崩壊する。このときに名を上げたのが項羽劉邦項羽を遂に打ち破った劉邦の開いた王朝は、王莽の新を経ながらおよそ400年間命脈を保つことになる。王朝成立の際にの遺産を大量に取り込むことで、秦の諸制度は名と形を変えて遥かな時代を生き抜くことになる。

 本書はまず近年になってから発見された大量の出土品がもたらした研究へのインパクトを伝えてから、一気に2000年以上の過去へ戻る。始皇帝暗殺未遂事件。風は蕭蕭として易水寒し、壮士は一たび去って復た還らずと謳い暗殺に赴く荊軻の覚悟、逃げる秦王(まだ皇帝になっていない)の焦り、その結末。名場面の多い史記でも、屈指の印象的なシーンである。

 なぜこの名場面が始まりとして描かれたのか。それは本書を読めばよく分かる通り、秦が天下を統一する、その直前の場面として最適だから、である。天下を統一するまでと、天下統一後を繋ぐシーンを導入することで、天下統一後の秦の動向が理解しやすくなるのだ

 匈奴をはじめとする諸外国との攻防は、中国の地に宿命として残る。三国魏に続く晋は北方からの異民族流入により中原の地を失い、隋は高句麗遠征に失敗して国を傾けた。魏晋南北朝時代、五胡十六国時代、金、元、清と異民族の立てた王朝が長く中国を支配したことからも窺えるが、対立の萌芽もまた秦帝国から存在した。

 特に匈奴との争いについては、蘇武と李陵の物語、「雁書」や「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の故事でも知られているし、ちょっと詳しい方なら蒙恬、衛青、霍去病、李広利などの匈奴戦に従事した将軍のこともご存知だろう。

 この辺りの、外征がなぜ行われたかということもかなり詳しく触れられているのだが、後の班超による西域経営よりも前漢の武帝時代の方が分量が多い。倭国からの使者やマルクス・アウレリウス・アントニウスとの接点など、諸外国との付き合いの全体像は見えてくるのではないか。

 トピックごとにぶつ切りの印象があるが、全体としてみれば秦~後漢成立くらいまではかなり詳しく書かれていると思う。ただ、後漢の終盤から我らが三国志の時代にかけては記述が非常に雑になってしまう。たとえば黄巾の乱。

張角が病死した後、(略)横の連帯の絆は緩み、略奪集団化していった。結局、各集団は曹操の軍に鎮圧されていく。
(p.413)


 とあるが、実際には黄巾の乱鎮圧に活躍したのは皇甫嵩と朱儁である。その功として、皇甫嵩は車騎将軍(最高級の将軍職の一つ)に上る。曹操は西園八校尉(黄巾の乱鎮圧に功のあった若手軍人への褒章的な地位として新設)に任じられたに過ぎない。曹操が青洲黄巾賊を討伐し、一部を自己の軍に組み込んだのは世に言う黄巾の乱より後の話である。

 また、袁紹についてはこうだ。

 反董卓の動きは秦始皇帝王莽の時と同様、山東(関東)の諸郡から起こった。袁紹は汝南郡汝陽の名族の出身であり、霊帝の外戚何進と宦官勢力の一掃を謀ろうとし、二千余人を殺した人物である。董卓が献帝を立てると、袁紹は従弟の袁術とともに、地方の州刺史や郡太守の諸勢力を加えた。董卓討伐を目的に盟主として同盟決起し、董卓を攻撃した。これに対して董卓は都にいた袁紹一族の高官とその家族を殺し、青城門外と東都門内の場所に埋めた。この後、建安五年(二〇〇)、袁紹と曹操は官渡の戦いで雌雄を決することになり、袁紹は大敗した。
(P.425より)


 この文章読んだら、多分だけど知らない人は大誤解するのではなかろうか。まず時系列の問題があり、次に事実の問題がある。実際の流れはこうだと思うのだが。

1.外戚の何進が宦官勢力と対立する。何進は袁紹と図り、地方軍閥を都に呼び寄せ強大な軍事力を背景に宦官駆逐を狙う。
2.先手を打った宦官が地方軍閥がまだ首都洛陽に入る前に何進を暗殺
3.何進暗殺を機に袁紹は宦官を一掃する(189年)。宦官を中心に死者二千余人。
4.混乱する洛陽を地方軍閥の一人董卓が押さえ、皇帝を擁立して独裁権力を握る。
5.董卓の独裁を不快に感じた勢力が同盟を結んで董卓と対立する。
6.董卓は関東諸侯の鋭鋒を避けるため、洛陽から自らの本拠に近い長安へ遷都を強行(190年)。その後、董卓は長安で配下の呂布に暗殺される(192年)。
7.主導権争いのため同盟は有効に機能せず、解散。以後漢帝国は名目だけの存在へ。
8.諸侯の覇権争いが激化し、権力の空白地となった中原の地を中心に再編が進む。その争いの一つが官渡の戦い(200年)。

 といわけで、本書を読むと、袁紹が外戚まで排除したように読めるがそれは違うし、董卓との対立の直後に官渡の戦いがあったわけではない。なにせ、宦官皆殺しが189年で官渡の戦いが200年と、10年以上の開きがある。これを一行で片付けちゃうのはどうかなぁ。

 そんなわけで、専門ではない時代の記述は甘いと判断せざるを得ない。加えて、内容はとても面白かったのだが、構成がやや散漫なので☆4つ。もうちょっと全体を読み物として一貫性を持たせるようにできたのにと思うとちょっと残念である。
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中国史 | 2007/11/10(土) 15:18 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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406冊目 敵中漂流
敵中漂流 敵中漂流
デイモン ゴーズ (2000/07)
新潮社
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評価:☆☆☆


 太平洋戦争の勃発と同時に日本は南方へ兵力を展開、白人諸国が植民地にしていた地を占領し、日本の植民地へ変えた。

 その際、フィリピンで日本軍から逃れ、なんと日本軍が制海権を握っている上に鮫がうろつく海域を全長6メートルの木造漁船でオーストラリアまで辿り着いた米軍パイロットこそ、著者であるデイモン・ゴーズ。

 事実は小説より奇なり、を地で行く出会いと別れ。木造漁船で台風を凌ぎ、珊瑚礁で船を傷め、日本軍に何度か発見され、鮫に後を付けられる。

 その不屈の精神、強靭な体力と危機にあっても自分を失わない冷静さには敵ながら(?)頭が下がる。冒険記として一流であることは間違いない。

 ただ、日本人としては作中で描かれる日本軍への蔑視観には閉口する。同時代の日本人が欧米人を鬼畜米英と呼びけなしていたのと好対照であるだけなのだろうけど。それでも、著者は何度もフィリピン人達の助力や援助を受け、決して日本に売られなかったことから我々は過去の歴史の一部を垣間見ることができる。白人が圧制を敷いていたのを日本が解放したのだという史観では、なぜゴーズが出会った多くのフィリピン人が積極的にゴーズを助けたのか、理解できないことになるからだ。

 複雑な思いを抱かざるを得ないが、それと読み物として面白いかどうかは別問題。そう割り切れば稀代の冒険譚を楽しめるだろう。
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ノンフィクション | 2007/11/08(木) 23:23 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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405冊目 脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ
脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ 脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ
アンドレア・ロック (2006/03/16)
ランダムハウス講談社
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評価:☆☆☆☆☆


 夢というのは奇妙なものである。毎夜毎夜我々の元を訪れるのに、夢を見る最中にはそれが夢であることにすら気づかないことが多い。しかも、目覚めた直後は奇妙な夢を覚えていても、掌から砂がこぼれ落ちるかのように記憶から消えうせてしまう。

 一体、夢というのは何なのか。昔から人類は疑問に思ってきた。そのうち、正否はともかくとして最も人口に膾炙したものはジグムント・フロイトの理論であろう。

 フロイトは自分が性欲魔人だった。別に特定の人物がセックスに耽溺してもどうということは無いのだが、彼が厄介なのは他の誰もが自分と同じくらいセックスに夢中で他の事なんて考えられないという体系を纏め上げてしまったことである。その結果、欲求不満(もちろん性欲魔人たるフロイトのこと、欲求の内容は性欲である)と夢が強固に結びつくことになってしまった。

 ところが、脳の研究が進むに連れ、フロイトの主張はかなりの部分間違っていることが明らかになってきた。

 意外なことに、夢を見ている際には脳が活発に活動している。部位によっては起きている時以上に活動している、という。活動する部位を精査することによって、夢を生み出す脳活動の重要さが明らかになっていく様は大変にエキサイティングで、かつ興味をそそられる事実の連続である。

 詳細は是非本書に当たってみてもらいたいのだが、少なくともここでは夢が何の意味も持たない不要物ではないどころか生存に重要な役割を果たすことだけを紹介しておこう。

 特に面白いと思ったのは、明晰夢のこと。明晰夢とは、夢の中で自分が夢を見ていることに気付き、意図した行動を取ることができる夢のこと。数を数えたり、歌を歌ったりすると、そのとき、脳内では起きている間と同じ部位が活動しているというのだ。

 また、夢の中で思わぬ学習が起こっていることも興味深い。一つのテーマで悩み続けていて夢の中で答えを思いついたというウソのような話を聞いたことがある人もいるだろう。私の修めた化学の分野では(少なからぬ人にとっての悪夢の象徴である)ベンゼン環の構造を発見したケクレのエピソードが知られている。これは偶然ではなく、脳の正常な働きによる可能性があるとはなんと面白い話だろう。

 脳にはまだまだ謎が多く、その分だけ面白い話題が沢山あることを実感させてくれる。語り口も軽妙で、読み物としても実に楽しいので、読みながら夢の世界に誘われることはないだろう。読み終わったら眠りたくなる。本の中で出会った不思議な話を実地で確かめるために。そんなわけでおやすみなさい。
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医学・脳・精神・心理 | 2007/11/07(水) 23:05 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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404冊目 パンダの死体はよみがえる
パンダの死体はよみがえる (ちくま新書)パンダの死体はよみがえる (ちくま新書)
(2005/02/08)
遠藤 秀紀

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評価:☆☆☆☆☆


 あの愛くるしいパンダは、熊の仲間である。そして熊の仲間であるということは、親指が他の指と対向していないことを示している。だとすると、パンダはどうやって竹を掴んでいるのだろうか。

 パンダの手には人間の親指に相当する骨がある。そしてその周りを筋肉が取り巻いている。この偽の指のおかげでパンダは円筒形の竹を掴むことができるのだ。

 と、信じられてきた。

 この神話を打ち破ったのが著者である。パンダの遺体をCTスキャンにかけることで詳細な骨のデータを手に入れ、解剖することで筋肉の動きを理解することで、パンダをより深く理解する。本書はパンダの”親指”の謎を解明したことで一躍名を馳せた解剖医による、解剖学の魅力の解説書である。その立場について、著者はこう述べる。

 生きとし生けるものは、今日も遺体に変わり果てる。それを文化の源泉ととらえるか、それとも不要不急の”生ごみ”として廃棄してしまうか。いうまでもなく私は、人類の知を生み出す根源として遺体を大切にしていくのが正しいと信じるが、それは学者が社会を変革し、社会を説得し切って続けていくべき、アカデミズムの闘いなのだ。
(本書P.216より)


 著者の信念は「すべての遺体は学問に、文化に、そして人類の知に貢献する」だという。実際に数多の遺体と格闘して知の世界を切り拓いてきた著者の言葉だから重みがある。

 本書で取り上げられている例だけでもパンダ、象、レッサーパンダ、モグラ、ツチブタ、イリオモテヤマネコなどが挙げられ、それぞれがユニークな生物であることがとても分かりやすく表現されている。また、ハプスブルク家のコレクションにあるコウモリ、忠犬ハチ公、かわいそうな象、テディベアに名を残すセオドア・ルーズベルトなど面白い話題が目白押しだ。

 扱っているのは遺体だとしても、本書に動物への愛と知への飽くなき探究心が込められているのは間違いない。科学博物館に行って知的好奇心を広げたくなる、そんな一冊。
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生物・遺伝・病原体 | 2007/11/05(月) 23:32 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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403冊目 殴り殺される覚悟で書いた親日宣言
殴り殺される覚悟で書いた親日宣言殴り殺される覚悟で書いた親日宣言
(2005/04/13)
チョ・ヨンナム

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評価:☆


 読む価値はない。以上。

 と片付けてしまっても良いのだけど、”韓国人の癖に日本を良く言うなんて怪しからん”と思っていると誤解されるかもしれないので、ちょっとだけ書く。

 著者は韓国人の歌手で、親日を宣言している人なのだが、いかんせん面白くない。話題の取り上げ方が上手いとは思えないし、上手く日本の姿を切り取っているようにも思えない。むしろ、自分が体験した、あるいは思い込む日本の姿に振り回されているように思われてしまう。

 また、著者は韓国人がしばしば主張することの枠から出ていない。韓国は侵略されるばかりであるなどというが、ベトナム戦争では韓国軍による無差別大量虐殺が行われたため今もベトナムからは大変に嫌われている事実を無視している。また、日本の賠償が足りないとも主張しているが、日韓基本条約によって金銭的に解決済みである。一度、これで解決しましょうといってカネを貰っておきながら賠償が足りないというのはどのような了見なのか。

 まさか日韓併合前の状態に戻せというのか。私が見るに、日韓併合前のソウルはスラム街なのだが、まさか日本が占領中に近代都市にしてしまったのがいけなかったのか。税金は東北地方の方がはるかに高く、その投資先は朝鮮だったのは紛れもない事実である。当然、それは純粋に日本のために必要だったからであり、日本が誇るようなことじゃないのだが。それとも日本の支配に当たって死んだ人を生き返らせろとでも言うのか。そんなことが無理だからカネでケリをつけるとなるはずなのだが。

 賠償がないなどというなら、まずは貰った分のカネを日本に返して、そこから交渉をやりなおして欲しい。で、国交を結ばなければ万事めでたしだ。経済的に重要な市場ではないし、投資先として優れているわけでもない。それで仲が悪いなら無理をしてまで付き合う必要はないのではないか。

 正直なところ、戦前・戦中に日本に協力的だった人々の子孫から財産を没収するというような野蛮な法律を平然と成立させるような国に好意を抱けないのは事実だ。異様なほどに強姦が多い(10代の性犯罪:韓国の強姦犯は米国の2倍・日本の10倍)こと、スポーツ大会で見られる卑劣な行為(わざとデッドボールを放ったり、その投手をハイタッチで迎えたり、日本選手の足元にボールを転がしたりした類のもの)から、どう考えても好意は持ち得ない。なので、当面は日韓が相手を嫌い合う関係は続くだろう。

 ただ、個人的には、韓国がまだ成り上がり国家だからこの手の不快な出来事が起こっているとは思う。先進国としてあと50年か100年くらいを過ごせば、韓国もまともな国になると思うのだ。問題は、その頃には私は既に死んでいるであろうこと。

 明らかな事実誤認を信じているなどの欠点はあるけれども、親日的な主張をする人は大事にしなければならないのかもしれない。なにせ、互いに嫌い合おうと好かれ合おうと、日本と韓国が隣国にあることは変わらないのだから、これまでの軋轢を解消する方向に行くこと自体は良いことのはず。
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エッセイ | 2007/11/04(日) 11:00 | Trackback:(0) | Comments:(6)

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402冊目 タイムマシンをつくろう!
タイムマシンをつくろう!タイムマシンをつくろう!
(2003/06/18)
P.C.W. デイヴィス、林 一 他

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評価:☆☆☆☆


 物理学者が真剣に考えるタイムマシンの作り方の解説である。

 時間を越えての旅ということは、時空を扱うわけだから、時空を解き明かすための理論的な最強の武器が必要だ。アインシュタインの相対性理論こそがそれである。奇妙に思われるかもしれないが、相対性理論の解からはタイムマシンを実現不可能とする理由は何も出てこない、という。

 ではどうすればタイムマシンを作れるのか。ここで大変な困難にぶつからざるを得ない。というのは、相対性理論が支配的な世界というのは、超高速の世界か想像も付かないほど強い重力の働くところだからだ。

 実現困難な世界であるとしても、そこには紛れも無くタイムトラベルの可能性がある、というのはなかなか面白い。

 だが、ここで我々はパラドックスに陥る。というのは、誰も未来から来た人を知らないからである。

 いや、未来から来たと自称する人はいる。ところが、その人々が語る世界は明らかに特定の小説や映画の影響を受けたことが明らかなものだ。前世を思い出した人々がやるのと同じである。未来から来たと自称するのに未来の科学や技術を何も語れないというのは、前世を思い出した人がしばしば当時は当たり前に知られていたことを全然知らないということと符合する。つまり、どちらも相手にする価値が絶無であるということだ。

 なぜ未来人に会えないのか。それについても、合理的な解決が示されている。タイムマシンにも様々な制限が付く、ということだ。

 結論を冷静に評価すれば、少年の心を忘れていない人(所謂大きなお友達)が最も望むようなタイムマシンの使い方、即ちタイムマシンに乗って恐竜を見に行くというようなことは決して出来ないというところだろう。

 物理学者としての考え方である、タイムマシンの可能性が完全にゼロかどうかについてはまだなんとも言えないというところだろう。アインシュタインの相対性理論の一般的な解によれば時間を遡り得るとの結論が出る。

 人間が乗り込んで過去や未来を自在に行き来することは無理だとしても、情報のやり取りだけでもできるとなればまた興味も沸くのではないか。

 たとえば、1000年後くらいの人々に宇宙人探査計画がどう進展しているか聞くとか、医学の情報を聞き出すことで現在は難病とされている疾病の治療法を拓くなんてことが出来たら素晴らしいではないか。この場合、未来からの知識を元に特許権を取得できるのか大変興味深くはある。なにせ、最初の発明者というのが時系列で言えば良いのかどうか争われるようになるから。ブラックなところだと、結婚しようと思う相手の評価について30年後くらいの自分に聞いてみる、なんてのも有りかもしれない。もっとも、そんなことが出来たら結婚する人なんていなくなるかも、だけど。

 一番下らない類の話だと未来の自分に株価を聞き出せば確実な投資が可能になる。この場合、未来からの情報を元に投資を受けたのが原因となって会社が発展した、となると自己成就する予言のようになるがタイムパラドックスにはならないだろう。

 いずれにしても、理論の修正か、タイムマシンの完成か、どちらが結論になるのか、部外者として今後の展開を楽しみたいと思う。
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素粒子・宇宙論 | 2007/11/03(土) 11:49 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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401冊目 補給戦―何が勝敗を決定するのか
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)
(2006/05)
マーチン・ファン クレフェルト

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評価:☆☆☆☆☆


 腹が減っては戦は出来ぬ。

 人類の歴史は戦争の歴史とも言われるが、ということは補給をどうするかということが絶えざる問題だったということになる。戦場において、いかにして兵士に飯を食わせるか、消耗品をいかにして手に入れるかは、しばしば戦略そのものよりも大きな問題となって立ちふさがったのだ。

 しかしながら、これほど重要な補給について、十分な研究は行われてこなかったと著者は指摘する。第一次世界大戦前に、ドイツの参謀長だったシュリーフェンの計画した壮大な計画であるシュリーフェンプランは、ベルギーやオランダを迂回することでフランス-ドイツ間の国境地帯にある要塞を無力化し一挙にフランス中枢に攻撃をかけるというものだった。

 このシュリーフェンプランへの兵站面での批判が、迂回する半径より行動距離が長いので補給が現実的ではないという程度のものとはなんとも意外な話である(もっとも、本書の初版が1977年であることを考えればその後に研究が進んでいる可能性もある)。

 厳密に事実と妥当性に基づいて近代戦争における兵站の問題を取り上げる意欲作である。といっても、取り上げられるのはヨーロッパの戦争であることは手に取る前に知っておいたほうが良いだろう。具体的にはナポレオン戦争から二次大戦に至るまでの戦争である。従って日露戦争やアメリカ独立戦争は扱っていないし、島嶼を舞台にした戦争についても触れられていない。その点で、日本の読者としてはちょっと物足りなさを感じるかもしれない。

 さて、本書では近代戦争に移る前、16~17世紀の戦争について述べるところから始まる。スウェーデン王グスタフ・アドルフの戦争を取り上げることで、近代戦とそれ以前の闘いの違いがはっきりしてくる。

 補給に興味がある方は是非読んで確認して欲しいのだが、兵站のあり方が大きく変わったのは、意外なことに二次大戦という。私のような半可通の場合、普仏戦争において大モルトケが列車を利用した補給体制を築いたのが変化点だと認識していたのだがそれは違ったようだ。

 具体的にいってしまえば、ナポレオン戦争のような大規模な軍事行動を含め、軍は現地調達に頼っていたという。従って、補給線の問題は存在しなかった。むしろ、行動を止め、一箇所に留まろうとするとその地方の食料を食い尽くしてしまうという問題が起こった。ということは、歴史上ほとんどすべての軍隊は食料を求めて徘徊する武装集団と言い換えることすら可能かもしれない。

 なんとこれがナポレオンも可能だったというのだから驚くのは当然だろう。なにせ、グスタフ・アドルフの軍はたかだか数万で、それですら一箇所に留まれば食料が不足したというのにロシアに攻め込んだナポレオンの軍は60万である。皮肉なことに、ナポレオンはロシア遠征にあたって過去になく兵站に気を配ったというのだが補給計画は画餅に終わった。大モルトケが失敗した理由は、なんと列車によって兵站駅に到着した物資を前線まで運ぶ手段がなかったことだという。

 兵站の重要性に視点が置かれているため、取り扱っている個々の戦争の展開や帰趨について詳しく触れられていないのが残念だが、どれほど兵站業務が実行困難かつ重要か思い知らせてくれている。

 冗談抜きでかなり専門性が高く、私を含め一般人が読んでも何かの役に立つということはないだろう。しかし、兵站という思想、特に近代戦においては戦略や政略すら兵站の限界に従わなければならない以上、このような専門知に触れる機会があることは評価されるべきだろう。どれほど嫌でも、今後も戦争は起こるだろうし、そうなれば兵站が死活問題として迫ってくるのだから。

 また、ナポレオン戦争、モルトケの分進合撃、シュリーフェンプラン、砂漠の狐ロンメルの戦いと、興味を引く戦争を中心に扱っているので戦史に興味がある方は兵站という視点からこれらの戦争を眺めると、戦略中心の観点からは得られなかった知識を得られるのではなかろうか。難解ではあるが価値ある一冊だった。
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ノンフィクション | 2007/11/01(木) 23:54 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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