![]() | 二十歳の原点 高野 悦子 (2000) 新潮社 この商品の詳細を見る |
評価:☆☆☆
1969年、僅か二十歳で自ら命を絶った高野悦子が死の直前まで綴っていた日記は、出版されるやベストセラーになったという。評者は当時まだ生まれていなかったのでそのあたりの状況は知らないのだが。
本書は立命館大学の学生として、当時多くの学生を魅了してしまった学生運動との関わり、異性との触れ合いなどを赤裸々に綴っている。本書が多くの人々の共感を得たからには、そこには何かがあるのではないか。
そう思って手に取ったのではあるが、なんとも青臭い思いの羅列に少々食傷気味である。
というのは(ここに来る人の殆どが二十歳の頃をそこそこ前に過ぎ去ってきたという前提で言うが)、ご存知の通り二十歳の頃、学生であればなおさら、なんて自分では何もできないのに、自我だけはやたらと肥大しているものだからである。
加えて、金がないのに暇はあるから本当の友情とは何かとか、人生の意味とは、とか、そういう意味のない問いに嵌ってしまいがちである。学生運動が盛んだった時代というのは、要するに世間知らずで頭でっかちな学生がなんとはなしにのめりこんでいき、集団が持つ過激化のエネルギーによって暴れる学生を大量に生み出した流れだろう。
従って、高野悦子が日記に戦いだの弾圧だのといっても、我々にはリアリティが全くない。左派的な運動の裏にはソ連や中国のような共産国家が理想としてあったという厳しい現実を知るならば、そこには戸惑いしか生まれない。
高野らが国が弾圧しているとか、自由がないといって求めた共産主義国家こそが、人類史上最も過酷な人民支配と搾取を行っていたのだから。
圧制だ、弾圧だ、帝国主義だなんて勇ましい非難も、民主主義国家だから唱える分には自由にさせてもらえていたのだ。実際、圧制国家であれば高野の日記が出版されることはありえない。ソルジェニーツィンの『収容所群島』がソ連では出版されなかったように。
ただ、そういった時代の空気をそぎ落とせば、自分の容姿に汲々として他人の目を気にしながらも、音楽や読書(およそ私の趣味とはかけ離れているが)を好み、タバコや酒を愛した一人の学生の姿が浮かび上がる。不安を抱え、所詮人は孤独だと思いつめ、恋に破れた一人の女性が、自殺へたどり着いてしまったのは一つの悲劇には間違いないだろう。残念なことに、よくあるパターンに過ぎないのかもしれないけれど。
そんなわけで、個人的には青臭さを感じつつもその青臭さで自分の痛かりし頃を思い出してそこそこ楽しめた。二十歳って、こんなにガキだったんだな。
それにしても、タバコが抵抗の印で自己表現とは痛いなあ。。。悪いが、わが子にはファッションでしか自分を語れない程度の人物にはなって欲しくない。ファッションなんて、所詮は他人が作ったものだ。内面から溢れる魅力を持つこと。それが魅力的な人への道だと思う。残念ながら私には欠落しているのだが。
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