![]() | 生きているユダ―ゾルゲ事件 その戦後への証言 尾崎 秀樹 (2003/04) 角川書店 この商品の詳細を見る |
評価:☆☆☆
1941年10月、戦時下の日本で大規模なスパイ網が摘発された。ドイツ人ジャーナリストとして入国していたリヒャルト・ゾルゲが、実はソ連のために働くスパイだったことが判明した。
ゾルゲがソ連に流した情報はかなり正確だった。それもそのはず、ゾルゲの協力者の一人が政府の中枢に居た人物だったのだから。その人物こそ尾崎秀実(ほつみ)。
「爾後国民党政府を対手とせず」などと宣言することで泥沼と化した中国戦線から講和によって手を引くチャンスを潰してしまった戦時中一大無責任男、近衛文麿の信任厚かったのが尾崎であった。そのため、ゾルゲは常に重要度の高い情報を極めて効率的に集めることができていたのだ。
個人的に、政権放り投げ四天王といえば平沼騏一郎、近衛文麿、細川護煕に加えて安部前首相だと思っているのだけど、他に案はあるでせうか。栄誉ある四天王のうち、二人までもが最近だったのは嘆かわしいことである。
さて、国を揺るがしたゾルゲ事件は、首魁であるゾルゲと、尾崎が死刑となって幕を閉じた。なお、ゾルゲに関しては生きてソ連に帰っても粛清された可能性が極めて高いといわれる。スターリンがゾルゲの情報を無視して独ソ戦はありえないと判断したため、開戦直後にソ連は押されに押されたわけだが、共産国家において指導部の間違いを知る人物が生き残れるわけがないのだ。
著者は処刑された尾崎の異母弟である。その立場から秀実の獄中手記を読み返し、秀実は単なる売国奴などではなく、真の世界平和を求めていたのではないか、という立場から、ゾルゲ事件の謎である、誰がゾルゲ機関を権力に売ったのかを追う。
このあたりの理屈は私から見たら噴飯物なので、どうにも感情移入ができなくて困る。そもそも、ナチスとソ連がポーランドを仲良く半分こ(勿論ポーランドの主権は無視)したのに、ナチスが唾棄すべきファシズムでソ連が平和の使者、というのはおかしくないのか。
私は人種差別主義者ではないので、”たった600万人”のユダヤ人を虐殺したナチスが非難され、”2000万人も”殺戮したソ連が褒められるのは大いなる矛盾を感じる。600万人の殺害が悪なら2000万人だと巨悪である。国籍や民族など関係なく、国内であろうと国外であろうと数多の人々を殺害するようなことが正義のわけがないのだ。
それはともかく、著者は秀実の思想を追う中で共産党にシンパシーを感じるようになる。そして、当初は入党を拒んでいたのだが、いつしか党員となっていく。この辺りの心の動きは、戦後の環境を知らない身には真に迫りはしない。ただ納得するしかないのだろう。
共産党内でゾルゲ事件の真相を解き明かそうとする著者らの試みは、しかし凄まじい妨害に遭う。なぜソ連のために祖国を裏切ることまでした秀実やゾルゲの真実を、共産党が隠そうとするのか。そこには、秀実を裏切ったユダの姿が見え隠れしていた。
熾烈な党内闘争(共産党にとっては戦前からのお家芸である)も絡み、真相追求は果たせそうと思うとまた遠ざかる。そんな中で朝鮮戦争が勃発するなど、戦後の
朝鮮戦争については、南朝鮮が北へ侵略しただとか、金日成を褒め称えるだとか、共産主義の独裁者にばかり都合の良い解釈を採っていて、かなり萎えるのは否めない。ついでに、アメリカから核技術を盗み出してソ連に売り渡したとされ、処刑されたローゼンバーグ夫妻についてもでっちあげとするが、残念ながらローゼンバーグがスパイだったことはソ連で公開された情報によって明らかになっている。皮肉なのは、ソ連に核技術に関する主要な情報をもたらしたのは他のスパイだったということだろうか。
それでも、共産党の内膜、党内の権力中枢に近い人物に不利なことをしようとすればたちどころに圧力が加えられ、病人から職業も住むところも奪ってしまう卑劣なやり口が明らかになるのは貴重な証言ではなかろうか。しかも、失脚前は偉大な指導者だったはずの人物も、一度失脚すれば昔からずっと誤っていたことにされてしまう恐ろしさ。オーウェルが『一九八四年』で予言した、共産主義的な圧制国家で歴史を書き換える組織(書き換えられた歴史が”正しい”歴史になる)がフル稼働している様子が、実に正鵠を射ていたことを理解できるだろう。そんなわけで、著者の主張を鵜呑みにしないのであればなかなか面白い本ではなかろうか。
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