![]() | 毒―風聞・田中正造 立松 和平 (1997/06) 東京書籍 この商品の詳細を見る |
評価:☆☆☆
本書は日本最初の公害事件である足尾銅山鉱毒事件に敢然と立ち向かい、心骨を削って人々を守ろうとした田中正造の戦いを描いた小説である。
田中正造については足尾銅山鉱毒事件で、とりわけ打つ手に窮して遂に命を賭して天皇に直訴したことで広く知られているだろう。しかし、足尾銅山鉱毒事件においてなぜ田中がそこまで思いつめなければならなかったかは余り知られてはいないのではなかろうか。
知られているとおり、上流の足尾銅山の開発によって大量の鉱毒が流れ出し、下流域の農村に甚大な被害を及ぼした。しかし、人々の艱難辛苦はここにだけあったのではなさそうである。
村人達が爪に火を灯す思いで貯めた資金で行う堤防工事は妨害に遭い、被害を訴えに東京に出ようとすれば騒擾罪に問われる。やがて、谷中村は強制廃村とされる。洪水の原因は保水力が失われたことにあり、その措置として下流の村を廃村とする矛盾。村人が、ただ昔ながらの暮らしをしたいというそれだけの希望を持っているのに、その思いを踏みにじる行政。
日本が近代化を遂げる中で噴出した矛盾が凝集したとして片付けるのは容易だろう。しかし、そこにある余りの悲劇、あまりの暴挙には、後の水俣などの公害やサリドマイド、スモン、血液製剤によるHIV感染、脳硬膜移植によるクロイツフェルト・ヤコブ病感染、薬害肝炎などの薬害に続く国の姿勢が見える。それは、近代化や一部営利企業の利益を優先して、弱者を切り捨てるという姿である。
一度権力の側に身を置いても、心は常に弱者と共にあった田中正造は、最後には無一文になるまで救済運動に取り組んだという。その気骨、その強さは今も心を打ってやまない。
ただ、小説としてはどうなのだろう。田中に巣食うノミやシラミの視点やら、村に住むカエルやナマズに語らせる必要があるのだろうか。即身仏になった行者の話をくどいほどに繰り返す必要があるのか。読み物としてはちょっと疑問の残る構成だったのが残念である。
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