R.グラント・スティーン著 / 小出 照子訳
三田出版会 (1998.4)
\2,730
評価:☆☆☆☆
多くのフェミニストや左派的な主張を持つ人々が想定してきた、人は環境によって作られるというドグマは完全に崩壊したと言っていい。少なくとも学問的には性差や性格、能力などの多くの分野で遺伝が大きな影響を持っていることが明らかになっている。
性格や知的能力の4〜6割は遺伝で説明できると言われているが、(遺伝情報が完全に一致するが環境は全く違う存在である)生まれてすぐに養子に出された一卵性双生児の研究を見るともっと遺伝の影響は大きいように思われる。
これらの研究で言われる性格の違いというのは、双子の片方が陰気で孤独を愛し、もう片方が社交的で常にグループの中心にいるというような差を意味してはいない。双方とも社交的だとしたら、その程度の差を取り上げている。つまり、バラツキの幅も遺伝の影響を受けているのだろう。
それでもDNAが全てを決してしまっているわけではない。本書はまた、環境や教育の与える影響もまた無視し得ないことにも触れている。特に鉛に暴露された子供の知的能力が落ちるという研究成果から、知能は遺伝で大まかな方向付けがされるとしても環境を無視してはいけないことも理解されるだろう。
遺伝の影響がどこまでわかっているかを冷静な姿勢で見極めようとしている。環境の影響が無視し得ないのであれば正直にそれを認めることで、扇情的で注目を集めるための誇張や曲解に陥ることを防いでいる。一般の読者から見たら煩わしいくらいに。
本書が取り上げているのは、人間の行動や病気、知能、精神障害、人格、性的嗜好、薬物中毒、犯罪と暴力など多くの分野である。それらの中には遺伝でほとんど全てが説明できるものもあれば、遺伝の影響が少ないと思われるものもある。また、特定の項目に働く遺伝子があるわけではなく、他の作用を通じて間接的に働く遺伝子があることも示唆される。
それだけの情報を提示した上でも、著者は遺伝子決定論には距離を置いている。遺伝子が多くを決めているということを認めながら決定論ではない、というのはどういうことなのか。著者がエピローグで語っていることこそ答えだろう。ちょっと長いが引用する。
人はそれぞれである。失敗したわけでも、本来の利点があったわけでなくとも、人は愚かだったり賢かったり、ゲイだったりストレートだったり、精神が安定していたり分裂病だったりする。ときには出産の条件に修正を加えることができることもあるが、どんなに努力しても変えられないこともある。どこまで修正できるか、その範囲は遺伝子によって決定される。(略)だからといって、自分がどうなろうと自分の責任ではないという意味にはならない。われわれは皆、もてるもののなかで、最大限のことをする義務を課せられているのだ。(略)
(P365-366)
遺伝の力、環境の力を知り、未来をどのように作るのかを考えさせてくれる良書である。冷静な筆致と、面白そうだからと言って少数の実験結果にとびついたりしない姿に好感が持てる。特にこれから子育てに携わろうとする人は目を通しておくと良いのでは無いだろうか。
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テッド・ヴァンクリーヴ著 / Editorial Partners訳
主婦の友社 (2004.4)
\1,449
評価:☆☆
個人の発明家を愛するためだからだろうか、アメリカにはm膨大な個人発明家が存在する。嫌なヤツだったことで名を馳せるかのエジソンもその一人で、彼の高みを目指して多くの人々が日々精進を重ねている。
ところがDr.中松もそうなのだけど、そうした発明にはどうかしているものが少なからず含まれている。そんなどうかしちゃった発明ばかりを集めているのが本書である。
とは言うものの、これがどうにも面白くない。恐らくは、書き方が不快なほどにフランクで、しかもふざけているのが元凶だろう。
フランクな口調は親しければ良いもののそうではない相手にされれば腹が立つものだし、馬鹿馬鹿しいものは却って大真面目に取り上げた方が面白みが増すのだ。『イグ・ノーベル賞』が示してくれたように。
欠点のおかげで、どうも楽しさが削がれてしまうのだけれども、暇つぶしにページをめくる分には不足は無い。寝る前に10ページくらいずつ読むのが正しいやりかたかも。
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犬塚 則久著
日本放送出版協会 (2006.6)
\1,071
評価:☆☆☆
哺乳類にとっては幸いなことなのだろうけれども、研究者には不幸にして恐竜は絶滅してしまっているので、恐竜の研究は化石を対象とせざるを得ない。もちろん、その生態を探るのに現生の動物たちが参考になっているのは事実なのだけれども、恐竜たちがどう生きたかはやはり骨から見るしかないのだ。
骨からどんなことが分かるのか、というと、これが驚くほど色々わかるのだ。たとえば恐竜がどのような環境で生き、どのような姿勢をとっていたか。
私が子供の頃などは、ティラノサウルスはゴジラ型の立ち姿で知られていた。両足と尻尾の3点で地面に接し、直立した頭は遥か高みにあった。しかし、今ではそのような姿は否定されている。映画としての出来はまあ措いておくとして、アメリカ版ゴジラのようなダイナミックな姿勢をとっていたとされている。
これらの知見が得られた背景に、骨学がある。骨同士がどのように繋がりあうことでどのような動きを実現できたのかを、かなり詳しく説明できる学問である。本書を全て理解すれば、きっと博物館や恐竜展などで見取ることのできる情報が飛躍的に増えることだろう。
ただ、本書の難点は分かりづらいところにある。関節の仕組みや動作などは図示してくれれば分かりやすくなっただろうに、ほぼ全て文章で説明されているためどうしても頭に像を結ぶことができないのだ。
そういう点で、本書は私のような初心者(あるいは広く浅く型)向けでは無い。体の仕組みに関しての基礎的な知識があれば随分と楽しみ方が違っただろうにと思うと大変に残念だった。逆に言えば、そのあたりの知識を持っている方であれば恐竜の生きた姿を頭の中で生き生きと描き出せる素晴らしい本だったのではなかろうか。
そんな欠点はあるが、それでも多くの知見を紹介してくれている本なのは間違いないと思う。理解できないところは読み飛ばすくらいの積りで面白い話題だけを追いかけても楽しめるように思う。恐竜博などに行く前に目を通しておくと、きっといつもよりも発見が多いと思う。
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麻生 幾著
新潮社 (2001.8)
\500
評価:☆☆☆☆☆
危機管理という言葉は誰もが聞いたことがあると思う。しかし、具体的に何をどうすることが危機管理なのかが冷静に論じられてきたわけではない。
本書は国家規模の事件に対して、官邸にどのような情報が伝えられ、あるいは伝えられなかったかを通して日本の抱える問題点を示している。取り上げられているのは以下の5つの事件。
1999年 JOC臨界事故
1995年 オウム真理教教祖逮捕
1995年 阪神・淡路大震災
1994年 金日成の死に伴う北朝鮮クライシス
1994年 ルワンダ難民救援PKO派遣
これらの事件を取り上げた後で、内閣の機能強化の試みが潰えた経緯を伝え、最後に情報戦略のないことがどのような問題を招いているかをまとめている。ちょっと古い本なので、取り上げている事件はいずれも10年以上前のものであるのだが、古さを感じさせない迫力がある。
本書を読んで気づくのは、日本は情報を集約し分析する機能が実に弱いということ。同盟国間でも熾烈な情報戦争が戦われ、経済分野などでの交渉を有利に導こうとしている中にあって日本の取り組みは余りにもお粗末過ぎる。
また、一度災害や事件が発生すれば迅速な情報の伝達と適切な対応が要求されるが、分析がなされないことで重要な情報とどうでも良い情報が官邸に殺到し、結局は情報が活かされないこともある。また、重大事件勃発時にも省庁を横断する危機管理体制がないことも問題を深くしていると言わざるを得ない。
情報システムに重大な欠陥があることは明らかである。それを強く認識させてくれるノンフィクション。その後の10年で、少しは状況が変わっていることを祈らずにはいられない。
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武田 邦彦著
洋泉社 (2007.3)
\1,000
評価:☆☆☆☆☆
本書は環境問題全般について、世間にどれだけウソが撒き散らされているかを明らかにしている。多くの人は善意で環境問題に取り組んでいるのだろうが、その行動の多くは環境を改善する効果が全くない、とは驚きではないか。
たとえば、ペットボトルのリサイクル。実は、回収されたペットボトルのほとんど全ては焼却されている。熱にしてエネルギーを回収するという意味でリサイクルという言葉が使われているのである。それでは何のために多くの人が苦労してゴミの分別回収に協力しているというのか。
それでもゴミを分別して出すことに何らかの利点があるなら良い。しかし、現実はそうではない。ゴミを分別しなければならなくなったことで、排出されるゴミの量は増加してしまった、と本書は指摘する。環境先進国とされることの多いドイツも、ゴミの分別収集を実施した結果、ゴミが激増してもはや国内では捌ききれなくなっている。なんのために我々はゴミの分別回収をしているのだろうか。もう一度じっくり考える必要があるのではないか。
いや、それでもダイオキシンの問題があるではないか、と指摘されるかもしれない。ダイオキシンを発生させないためにゴミを分別するのだ、と。それにも本書は応えている。ダイオキシンには、大した毒性はない。
驚かれるかもしれないが、これはもう明らかになっている。冷静さを欠いた、おどろおどろしい報道によってダイオキシンが猛毒だと思わされてしまうかもしれないが、ダイオキシンの急性毒性として知られているのはなんとニキビができることくらいである。ダイオキシンは環境問題で注目を浴び、徹底的に調べられたのに、人間にニキビ以上の害をもたらす証拠がないのだ。タバコとは大違いである。
いやいや、ダイオキシンの真の威力は急性毒性ではなくて慢性毒性にあるのだ、と思われる人もいるかもしれない。しかしそれも過ちである。イタリアで起こった化学製造会社で起こった爆発によって近隣の住人が大量のダイオキシン類を浴びてしまったセベソ事件があるが、ここでも多くの調査が行われたものの、ダイオキシン暴露が原因と確定できる死者は出ていない。カネミ油症に至っては、ダイオキシン類ではなく毒性があることが明らかになっているPCBがダイオキシンと強弁されている始末である。
これらの事実を明らかにしているだけでも本書の価値は大きい。その価値を更に高めているのは、なぜこのような不合理なことがまかり通っているのかまで踏み込んでいる点だろう。気になる方は是非とも本書を手にとって欲しい。
環境問題は善意だけではなく、冷静に何が必要なのかを知らなければ取り組めないテーマである。イメージ優先で、感情に訴える手段はコマーシャリズムとしては有効かもしれないが、環境を守るためには役に立たない。まず知識を手に入れ、考える土壌を作る。その上で、極めて有効な本だと思う。
なお、環境問題については私もそれなりに興味を持ってきたので、このブログでも何冊か紹介している。興味がある方は以下のレビューも参照して欲しい。
310冊目 地球温暖化は本当か?
297冊目 リサイクルアンダーワールド
104冊目 環境問題のウソ
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掛谷 英紀著
ソフトバンククリエイティブ (2007.2)
\735
評価:☆☆☆☆☆
理系の学者が明らかな事実の捏造をしたらどうなるだろう。学者生命は絶たれ、それまでの研究成果は地に落ちるに違いない。それどころか、自分の研究が誤りであったとなれば何年後であっても権威は失われる。ノーベル賞候補者にまでなりながら、後に目ぼしい研究成果のほとんど全てが間違いであったことが判明し、今に残る功績のない野口英世のように。
文系的な学問であっても、科学に近い学問であれば捏造やウソは非難される。旧石器捏造事件からもその姿が窺われる。
ところが、平気でウソをでっちあげ、誤謬が明らかになっても恬として恥じずない学者の方々がいらっしゃる。この立派な方々は、自分達が中心となって学会を運営することでウソでも出鱈目でも思いつきでもなんでも自分にさえ有利であれば肯定的に評価し、あろうことか政治まで巻き込んでしまう。その結果として、誤った前提に基づいた政策が展開され、庶民は大迷惑を蒙ることになる。
そんな酷いことをやっていらっしゃる先生方が属する社会を、フェミニズムという。フェミニズムは男女の脳が発生の時点から異なる事実を認めず、男性による科学だと非難する。他の学問領域での再現性ある結果を、自分の好みと合わないからといって排撃するのが学者の姿勢なのか。
いや、実はそんなのは日本が最初ではない。アインシュタインはユダヤ人だったため、ナチスドイツでは相対性理論はユダヤの科学として過ちであるとされていた。スターリンの支配するソ連ではルイセンコなる人物が政治と結びつき、まっとうな農学者らを次々と粛清していった。
これらの科学を無視し他者を激しく攻撃する輩が政治と結びつくや、数百万人のユダヤ人がガス室などで殺害され、数千万のソ連に居た人々が凍てつく大地に屍をさらした。フェミニストたちも同じような性質を持っているので、きっと同じくらい”すばらしき新世界”を築いてくれることだろう。
と、皮肉ばかり言っていられなくなってしまったというのが本書を読んでの実感。
たとえば、女性の社会進出が出生率回復に繋がるとの主張は全くのウソ。彼らの出すグラフは、自分に都合の悪いデータを全て削除して無理やり作り出したものであって、フェミニストの主張する方法で出生率を上げることに成功した国はないことが示される。
おまけに、フェミニスト達は女性に多様な生き方を認めよと主張しながら、専業主婦を税金泥棒と呼ぶ。専業主婦は多様な生き方には入れないらしい。なんてことはない、フェミニストの言う多様な生き方とは、フェミニストが認める生き方に他ならない。それは、多様性とは言わない。
しかしフェミニストは政治と結びつくことに成功している。フェミニストの主張する、全く効果のない社会政策がいくつも実行に移され、数十億、数百億という税金が全く無駄なことに使われてきたのだ。せいぜい得られた結果は、理論上効果の全くないことが示される政策は実行に移しても効果がないということだけだろうか。
責任は?こんなことになってしまった責任を誰が取る?
フェミニストのおえらい先生方は責任は決して取りません。効果がなかったところから錬金術のように自分に都合の良いデータのみ取り出して効果があったと強弁するか、投資がすくないから効果が無かったのだと他人を非難するかどちらかだ。
なにやら自称超能力者が手先のテクニックを使っていただけであることを暴かれた後でするみっともない言い訳に近いような気がするが、それは気のせいではない。そもそも、フェミニストは学問をやっているわけではない。学問をするふりをしているだけの政治的圧力団体なのだ。
いつの間にこんな嘆かわしい事態が立ち現れてしまったのだろうか。(特に文系の)学者の倫理はどこに行ってしまったのか。
本書が独創的なのは、学者のウソを暴くだけではなく、まともな学問世界を築くために何が必要なのかを提言しているところにある。具体的な提言内容は本書を当たってもらうことにするが、その提言を運用するのがあまり現実的ではないのは事実であっても案そのものは面白い。
批判されて然るべき、学者達の過ちの内容そのものも知るべきものが多い。たとえば、フェミニスト達が勝ち取った成果として、母子家庭への給付が減り、高給取り(まさにフェミニスト達のことだ)からは減税している事実。消費税の時には非難の大論陣を張ったマスコミも、税制改革で高給取り(まさにマスコミ人のことだ)からは減税されるとなると、下層社会が増税になっても非難しない。強者なのに弱者を装う、そんな人々の浅ましい姿を知っておくべきだ。そこに多くの人が怒りを感じてこそ社会は変わるのだから。
過ちを生み出している言論空間のありかたを理解しておくのも大事だ。それによって容易に騙されないようになる可能性もある。最後に、誤りだらけの学者の世界を糾す方法について、著者の挙げた例を参考に考えてみるのも良いだろう。フェミニストのように、ウソでも何でも持論に都合の良いことなら認める人々が居るわけだから、そんな横暴から自分を守るための有効な武器として、学者がウソをつきにくいようにしておいて損をすることは絶対にないのだ。
学者のウソを暴き、対処法を提言している価値ある一冊。多くの人に読んでもらいたいと思う。
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三野 正洋著
光人社 (2006.4)
\840
評価:☆☆☆☆
近現代の歴史からどの民族が戦争に強いのか、強さの理由はどのようなものかを探る。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、日本といった列強各国はもちろん、トルコやイタリア、イスラエルにベトナム、インド、朝鮮、アフリカ、南アメリカと1900年代に起こった世界中の戦争を広く浅く論じている。
こうして改めて見ると、月並みだがやはり20世紀は戦争の世紀であったことは間違いない。しかも、それ以前の戦争と異なり、総力戦として前線と銃後があいまいになっていった。二次大戦後には冷戦と、先進国でだぶついた膨大な量の火器が後進国に流れ込み、数多の失敗国家を生むことになった。
日本を含め、世界中を好き勝手に線引きし、覇権を競い合った列強こそが20世紀を戦争の世紀にしたのは間違いないだろう。
戦いがあれば勝者と敗者が出ることになる。それぞれの国の国民がどのように戦い、その結果どのような結果をもたらしたのか。それらの事実から見られる戦争の強さとはどのようなものか。
印象的なのは、ソ連がフィンランドに難癖をつけて戦争をふっかけた冬戦争である。ポーランド分割によって開始された戦争によって英仏が翻弄されている隙をつき、ソ連は戦力に劣るフィンランドを攻撃。英仏は自分たちのことで手一杯で、フィンランドは孤立無援のままソ連と対峙することを余儀なくされる。
ポーランドに攻め込んだナチは悪し様に言われるし、ユダヤ人に対する振る舞いを見てもその非難に反対をできようはずがないのだが、ナチより遥かに多くの人々を虐殺した挙句に、一緒になってポーランドに攻め込んだソ連はナチほど悪く言われないのは不思議だ。ナチを礼賛したら非難されるのであれば、共産主義を褒めれば更に悪し様に非難されるのが当然なのだが。
共産主義者はワイツゼッカーの名言である「過去に目を閉ざすものは,結局のところ現在にも盲目になる」をしばしば引用して右派を批判するが、自分達の過去には目を閉ざすのかと嫌味の一つも言いたくなるものだ。
話がそれたが、絶体絶命の危機にあってもフィンランド人は一歩も引かなかった。徹底的にソ連と戦い、最終的に敗れはしたものの侵略からは国を守りきった。
家族や生活という具体的なものを守るとなると、人は強大な力を発揮するようになることが分かる。それは本書で指摘されている多くの事例から明らかだと思う。中東戦争を戦い抜いたイスラエルにしても、確かに列強の脅威があった時代の日本にしても。
ともあれ、多くの戦争の流れを簡潔にまとめているので、それだけでも読んでいて興味深い。有名なものもあれば無名のものもあるが、これらの近現代の戦いを知ることで現在の世界を理解する助けになると思う。そしてまた、戦争に巻き込まれないためにもこのような知識が広く持たれても良いように思う。
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ハーブ・カチンス著 / スチュワート・A.カーク著 / 高木 俊介監訳 / 塚本 千秋監訳
日本評論社 (2002.10)
\2,940
評価:☆☆☆
精神病の診断における権威あるマニュアルとして、DSMが広く知られている。改定を重ね、最新のものは第四版用修正版(DSM-IV-TR)。科学的で信頼の置ける診断基準として知られている。
ところが実際にはこんな診断がまかり通りかねないという。
・よく眠れない―――大うつ病性障害
・喫煙―――ニコチン依存
・憎んでいる―――妄想性パーソナリティ障害
・一人を好む―――スキゾイド・パーソナリティ障害
・性的興味の欠如―――性欲欲求低下障害
・学校でのトラブル―――反挑戦性障害
・万引き―――行為障害
・飲み過ぎ―――アルコール乱用
・元気がない―――気分変調性障害
・心配―――全般性不安障害
(P.31より)
知らなかった。私はどうやら、少なくとも大うつ病性障害でスキゾイド・パーソナリティ障害でアルコール乱用で気分変調性障害で全般性不安障害を患っているらしい。これは大変だ。
どうもおかしい。この基準に従えば、普通の生活を送る人々の圧倒的多数は精神疾患有りということになってしまう。精神疾患に罹った人を見分ける基準ではなく、健常者を精神疾患と判断するための基準に成り下がっているのではないか。それが著者らの危惧である。
その当たり前の疑問からDSMの歴史を見てみると、DSMには実に多くのご都合主義と政治的妥協の産物が入り込み、時には科学的な立場が全く省みられていないという恐ろしい事態に気づかされる。
本書が扱っている話題は以下の通り。
第1章 精神医学診断とセクシャル・ハラスメント論争
第2章 これも病気?あれも病気?――日常の病気化
第3章 「同性愛という診断名」の浮沈
第4章 DSMに持ち込まれた戦争
第5章 マゾヒスティック・パーソナリティ障害、屈辱を喫す
第6章 境界紛争――あるいは、いかにして彼女は主治医を誘惑したか
第7章 精神科診断の中に生きつづけるレイシズム
第8章 精神医学のバイブルを診断する
1,5,6は性差の問題を扱っている。いずれも女性に不利な状況で、社会的に男性には許されることは病気ではないが、女性には許されることが病気とされてしまうことの不平等を指摘している。
患者と精神科医が性行為に及べば、普通は医者が有利な立場を利用して患者を食い物にしていると思うところだが、DSMでは悪いのは患者で医者は被害者だとされても不思議は無いというのだ。どこかおかしい。こんな診断を紛れ込ませた専門家より、市井の良識家の方が遥かに事実を正しく捉えられるようだ。
2,4章ではDSMがいかに普通の人を精神病者に仕立て上げるように変化してきたかを取り上げている。戦争という過酷なシーンを、加害者として体験した苦しみがPTSDの原義だったのが、虐待などの被害者の苦しみまで概念が広がっている。
勿論のこと、どちらにも苦しみがあるだろう。しかし、だからと言って同一の障害として取り上げるべきなのか。また、現状ほどの範囲の拡大は正しいのか。なんと言うことは無い、これは冷静かつ客観的な判断の帰結ではなく、政治的圧力や、多数決の結果に過ぎないのだ。
これらの診断書が内包する問題は余りに広く、そして深いことに気づかされる。このような診断がまかり通ることには疑問を感じざるを得ない。
このあたりまでは日本の読者としても興味のあるところである。しかし著者らはアメリカの保険機構のあり方までをも含めて批判しているため、私には面白くない記述が少なくなかったのが残念である。
訳者もそのあたりは割愛するなり別の章立てにするなど工夫してくれても良かったように思う。読み物として面白く訳されているわけではないのも事実。それでも、精神科の診断には疑問の余地がかなりあることを教えてくれたことは大きい。その点は評価したい。
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保阪 正康〔著〕
講談社 (2003.1)
\600
評価:☆☆☆☆
昭和の前半は戦争の連続だった。その最終幕は、終わらせ方を全く考えない暴走によって敗北への道をひた走ることになった。その最後の敗北の際に多くの文書を焼却してしまったことや、戦後のどさくさに紛れた不正行為が、この時代に多くの謎を残す原因となっている。
本書が取り上げているのは、そんな昭和前半における7つの謎。それぞれの謎は以下のとおり。
1.日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?
2.真珠湾奇襲攻撃で、なぜ上陸作戦を行わなかったか?
3.戦前・戦時下の日本のスパイ合戦は、どのような内容だったか?
4.<東日本社会主義人民共和国>は、誕生しえたか?
5.なぜ陸軍の軍人だけが東京裁判で絞首刑になったか?
6.占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったか?
7.M資金とは何をさし、それはどのような戦後の闇を継いでいるか?
一つ目の「日本の<文化大革命>」とはまた変な響きがあるが、しかし正義や真実が一つしかないと確信して多様なありかたを排除したのは戦前の翼賛政治も文革も大きく違わない。もちろん、国内で発生した死者は段違いだが。
冷静に議論を重ね、それぞれの正義を主張しあう。そんな、民主主義に必須の技能は、実は今も欠けている人が多いのではないか。議論はしばしば噛み合わず、人格攻撃に陥っていがみ合いへと堕す。今も、”日本の文革”への道は決して遠くないのかもしれない。
真珠湾の奇襲攻撃での上陸作戦は、可能性を探る中で海軍の内部に深刻な意思の不統一があったことが示される。スパイ合戦としてかのゾルゲ事件を取り上げているが、情報戦に関しては当時より更に悲惨な状況なのを考えると複雑な思いに駆られる。情報の収集・分析は、平和な生活を送る上でも必須だと思うのだが。特に分析に当たる人々がどれほど居るのか、疑問に感じざるを得ない。
<東日本社会主義人民共和国>は、スターリンが北方4島のみならず北海道までをも占領したいと望んだ事実に鑑みると無意味な過程ではない。しかし、トルーマンがそれを認めなかったために北海道は日本に残り、ドイツや朝鮮のような分断国家にはならなかった。その僥倖に感謝したい。なにせ、分断されていたなら私の両親は東側できっと粛清されていただろうから。
そしてこの章に無視し得ない記述がある。それは、敗戦直後に日本政府が朝鮮・中国に居た多くの日本人を棄てようとした確かな証拠である。狙いとしてはソ連の指揮下に入ってアメリカと戦い続けようとする無謀なものの可能性が示唆されているが、これがシベリア抑留への布石となったとなると穏やかではない。
レーニンが作り出した、無償の労働力なくしてまともな国家運営すらできない悲惨な国家はスターリンによって完成されたというべきか。そこに日本人が組み込まれる背景を、日本政府が作っていたとしたら悲惨の一言で到底片付けられない問題だ。
それに続く5つ目の謎。東京裁判で死刑になった人々がどのように選ばれたかの論考が最も興味深かった。筋道だった論によって、恣意的な東京裁判の裏に、更なる政治的思惑があったことに気づかせてくれた。法律論だけの立場から東京裁判を非難しようという立場を超えることで、ある意味当然の復習劇として東京裁判が行われたことと、天皇訴追を見送ったからにはあのような結果になるのは当然と言うことがよく分かった。
その他、反GHQの地下組織がなかったことの理由やM資金について、これまた冷静な論を進めている。多くの証拠を元に、冷静で客観的な記述に終始しているところが好ましい。いずれか一つの話題にでも興味を感じられたなら、手にとって損をすることはないと思う。
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吉田 よし子著
平凡社 (2000.4)
\798
評価:☆☆☆
豆は世界中で食べられてきた。多くの豆は自衛手段として様々な毒素を持ち、味を悪くするために強いアクを持つ。それなのに、人類は食べにくい豆をあらゆる手段を用いて美味しく食べられるように工夫してきた。
そうまでして豆を食べた理由は何か。栄養学的に言えば、穀物と豆類を一緒に摂れば、それだけで必須アミノ酸を全てまかなうことが可能、というのが答えとなるだろう。やはり欠けている栄養素を補うものは美味しいのだ。
更に、豆は地を肥やす働きがあること。多くの植物が生長の過程で窒素化合物を必要とする結果、土地から窒素は奪われる一方だが、マメ科の植物は窒素を固定する。なので、穀物の収穫を終えた後にマメ科の植物を植えると、次に植えた穀物の収穫がアップする。マメ科の植物を上手く利用することで収穫効率を上げることができるのだ。
これだけのメリットがあれば、食べない手はない。だからこそ、人類はあるときは未熟なまま野菜として、またあるときは熟したものを醗酵させ、揚げ、焼きとあらゆる方法で食べてきた。
しかもマメ科の植物は大変多くの種を抱えている。おかげでアフリカ、アジア、南北アメリカ、オーストラリアと世界中に豆があり、それぞれの地で文化に合った食べ方をされてきた。
人類と豆との付き合いを、自分の体験に即して紹介しているのが本書。東アジアに広がるダイズ文化に目を見開かせられ、美味しそうな豆料理に唾が溢れる。こんなにも豆が食べられているという事実だけでも興味深い。外国に赴任する前には、どんな豆があるか調べておいたほうが良いと思わされた。
とかなんとかいっても、やはりグリーンピースもソラマメも好きにはなれないのだが。
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内山 俊彦〔著〕
講談社 (1999.9)
\1,155
評価:☆
哲学だとか思想だとかの畑出身者ってなんでこんなにどうしようもないんだろう。
無意味に難解で、箔付けとしか思えないような引用を多用。それが論旨を分かりにくくしていて、おかげで莫迦には理解できないんだという雰囲気をかもし出している。なんてことはない、簡単に説明できないなら書くな、という常識を身につけてないことの証左としか思えないのだけど。
さて、本書は諸子百家の中でもかなり特異な位置を占める荀子の思想をまとめている。荀子がどう特異かというと、人為と自然現象を分けたところにある。
中国では、君主の行いを天が判断し、その結果として様々な天変地異が起こるものとされていた。善政を敷けば麒麟や鳳凰といった瑞祥が現れ、悪政を敷けば地震や天候不良などの災厄に見舞われる、とする。だから天候不良は悪政の証となり、権臣の失脚や易姓革命を招くことになった。
現代的な感覚からは信じられない話だろうが、これは常識であり、儒者をはじめ多くの人々が自然現象から天意を推測しようとしてきたのだ。ところが、荀子はそのような迷信をはっきりと排除する。雨乞いをしたから雨が降るわけではない。迷信が常識として存在する中で、これほど冷静な立場を築くのは難しいだろう。
さらに彼の名を高めているのは性悪説である。人の生まれもっての性質は悪であり、野放図にしてしまえば決して善にはたどり着けない。悪に傾きがちな人々を善の道に導くのは、人為的な努力や教育(偽)である、とする。人の性は悪だからどうしようもないという諦めの境地ではなく、人々を良く導くために君主たるもの何をすべきか、という積極的な主張を展開しているのはかなり独特ではなかろうか。
荀子について特筆すべき最後の点は、その弟子から法家を完成させた韓非子、始皇帝に仕え、秦以後の中国の姿に大きな影響を与えた李斯の二人を出したことだろう。荀子という、儒家の思想を発展させた人物から法家的な思想を持つ人物を輩出したというのはなかなかに面白い。法家の思想の萌芽を併せ持つ、荀子という人物への興味は尽きないのだ。
そう思って手に取ったのだけれども、読みづらいの何の。私は多くの人に負けない程度には本を読んできたし、一般には難解と思われるような類の本も沢山手に取ってきた。だから私に理解できない本はよほど書き方が悪いと判断することにしている。で、本書はそれに該当するのだ。
しかも、マルクスやエンゲルスにレーニンといった人民虐殺者の言を引用するあたりで更に点数が下がる。いまさらマルクスかよ。マルクスがどう言おうと、レーニンがどれだけ富農を虐殺し収容所群島の基礎を築こうと、エンゲルスが何を言おうと、それより2000年ほど前に生きた思想家について上手く説明できるのかな?権威(彼らを権威と思うセンスはあまりに時代遅れすぎだが)の力を借りて自説をもっともらしく見せかけようとするだけでしょう。
以前ファインマンが書いていたのだが、哲学者だかが書いた、数行に及ぶ難解な文章を頭を掻き毟りながらようやくに理解したところ、「人は本を読む」ということだったという。哲学者にできることは、せいぜい簡単なことをこねくりまわした難解な言い方で自分すら理解できない文章に変えてしまうことくらいなものなのだろう。荀子に興味があるのなら、思想論ではなくて翻訳に当たるべきであった。
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谷口 克著
ウェッジ (2000.6)
\1,260
評価:☆☆☆☆
麻疹(はしか)や風疹、水疱瘡におたふく風邪といえば一度罹れば二度と罹らない伝染病として知られている。なぜ同じ病気に二度罹らないのか。それは免疫の働きによる。
免疫という言葉は、免疫が付いたとか免疫がない、などといった言葉が本義を超えたところでも使われている。だが、一度罹った病気に二度と罹らないのが免疫の全てではない。免疫とは体内に入り込む異物を除去し、無害化するシステム全体のことである。免疫システムの中で、一度感染した病原体を記憶し、再び同じ病気に罹患しないようにするのは一部に過ぎない。
本書では免疫システム全体を俯瞰し、免疫システムが異物からどうやって自己を守っているかを解いている。なにぶん複雑な現象を扱っているので平易にというわけにはいかないものの、自分なりの解釈を交え、多くの人が興味を持ちそうな話題を多数取り上げていることで読みやすくまとめられている。
冗長性を持つことで1兆種類にも及ぶ異物に対応できるシステム。その守備範囲の広さだけで驚異というに値するが、驚異の対象はそれだけに留まらない。読み進めるうちにガンの治療法やアレルギーなど多くの話題に興味を引かれることだろう。
免疫システムの解説が一部なら、二部はこのシステムを他に活用できないかを探る対談となっている。が、私はこの手の活用編はどうしても牽強付会に思えてしまい、好きではない。おまけに対談というのは突込みが浅くなり、話題が拡散しがちでまとまった情報を得たいなら適した形式ではないように思う。なので、その分評価を差し引いておく。
なお、免疫のこれほど多彩な異物に対応し得るシステムを解明したのは利根川進で、この功績により1987年のノーベル賞を受賞している。詳細は立花隆との対談『精神と物質』に詳しいので興味がある方はこちらもお勧めしたい。
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D.リー・ジェイコブズ著 / 仙名 紀訳
バジリコ (2004.9)
\2,100
評価:☆☆☆
仕事はどれも辛いだろうけど、これほどのものはなかなかあるまい。マフィアたちの中に分け入り、仲間として侮られないように接しながら、得た情報を逐一FBIに報告する。潜入捜査官であることがバレたら、確実に命はない。
本書は、神経をすり減らすに違いない任務を見事達成し、多くのマフィアや麻薬の密売人らを逮捕に追いやったエド・ロップの活躍を描いたノンフィクション。マフィア達の行動と潜入捜査官らの腹の探りあいに、警察など他の法務執行官らが入り乱れて複雑な争いが繰り広げられる。
捜査の合間にはエドが本物のマフィアの一員と間違われて警察から逮捕される一幕も。警察から睨まれるくらいでないとマフィアの中に入り込めないのは当然だが、法執行官同士が対立しあう様は傍目で見る分にはなかなか滑稽である。身分を明かせないまま逮捕に甘んじなければならないエドにはまた別の意見があるだろうが。
命懸けで平和を求める彼らの活躍があるから、犯罪は多少でも防がれるのだろう。
それにしても驚きかつ笑ってしまうのは、官僚組織の硬直性や冗長性がアメリカと日本で似通っていることか。潜入作戦に必要なことであっても机上で空論を弄ぶ官僚たちは認めず、しばしば計画を頓挫させかける。現場を知らない人々の振る舞いに、つい自分の経験を重ね合わせてしまうのだ。
マフィアの害を食い止めるため、どのような捜査が行われているかに興味がある方は読んでみても良いかも知れない。
ただ、マフィアの生態というのであれば、元マフィアの一員が記した自伝的ノンフィクション『名誉を汚した男たち』の方が詳しいし読んでいて面白い。加えて、こなれていない訳文から、翻訳文であるということが悪い意味で伝わってきてしまう。かなりのボリュームなのでその辺りの配慮も欲しかった。読みやすければもっと面白かっただろうにと思うとちょっと残念。
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山本 明利編著 / 左巻 健男編著
講談社 (2006.2)
\1,208
評価:☆☆☆☆
本書は、高校の実際に授業で使える物理教科書である。採用されている教科書との唯一の違いは、検定を受けているかいないかだけ。
たったそれだけの違いなら無視して良いのではないかと思われるかもしれない。だけど、そうではない。この本は、ある意味で、容赦がないのである。容赦がないから検定外なのだ。
というのは、検定に合格するためには実に多くの制限を我慢しなければならない。それではその教科が持つ全体的な意味合いを俯瞰することはできず、近視眼的に受験テクニックを身に着けるための手段としての教科書にしかならない。
通常、教科書は読み物にならない。子供達が触れ合うべき教材が、読み物として魅力がない。楽しんで学ぶためのものではなく、受験のテクニックが書かれているだけだとしたら。そんな教科書によって挫折させられる人が多いのではないか。
本書は違う。高校で習う初歩的な数学テクニックだけを使って、最新の物理学までを可能な限り導こう、というのだ。詳細な説明はできていなくても、相対性理論や量子力学の初歩的な点が理解しやすいように書かれている。といっても、きちんと数式の変形していく過程を理解するためにはそれまでに出てきた数式を飲み込んでいないといけないのではあるけれども。
検定による制限を越えて、物理学の扱う全体像を垣間見せるのに加え、それぞれの章ごとに、一見簡単に答えられそうな質問が用意されていて考えさせられるのも面白い。たとえば、子供が母親が持つ買い物袋を手伝って一生懸命にしていても、母親の負担は全く減らないことがある。これはなぜか。これは力を合成してみれば一目瞭然となる。具体化することで理解の助けにする、という配慮が見られているのが嬉しい。
個人的にはこんな教科書で勉強したかったと思わせられた。章ごとに取り上げられている問題はどれもはっとするほど身近で当たり前なのに、いざ理屈で答えようとすると分からないようなものだったりする。だから先を読んで知ろうと思う気になる。生徒が学ぶ動機付けになると思う。
残念なのは、強い力、弱い力、電磁力、重力という宇宙に働く4つの力について紹介しているのだから、ビッグバンの直後にはこれらの力が全て同じように働いていたのではないかとする大統一理論など、未解決のトピックが無かったこと。まだまだ分かっていないことが沢山あるのだということを、高校生にもなれば知っていて損することはないだろう。
むしろ、自分こそこの問題を解いてみせる、と思うようになるかもしれない。アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理に挑もうと決意したような、そんなきっかけが生まれないとも限らない。科学は、まだ誰も知らないことを扱っているからこそ面白いのだということを、もっと伝えて欲しかった(ちょっとだけ触れてはいるが)。
読み物としてちょっと専門的過ぎるかもしれないが、一般教養として物理の世界を覗いてみようと思うのであれば最適かもしれない。
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