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Author:Skywriter
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327冊目 一度なら許してしまう女一度でも許せない男
一度なら許してしまう女一度でも許せない男

デヴィッド・M.バス著 / 三浦 彊子訳

PHP研究所 (2001.5)

\1,680

評価:☆☆☆


 好い加減、この手のだっさいタイトル辞めてほしいなぁ。『話を聞かない男、地図が読めない女』が売れたから柳の下の何匹目か数え切れないドジョウを狙ってるんだろうけど。サブタイトルの嫉妬と性行動の進化論でいいじゃないか。と、まずは出版社に苦情。いや、『話を聞かない男、地図が読めない女』は確かに面白かったけどさ。

 本書は進化心理学上、嫉妬がなぜ誕生し、ここまで普遍的な感情となったのかを解き明かしている。嫉妬はどの民族でも見られ、特に自分の妻が他の男と同衾しているところを見た夫による妻殺しは極めて広範な社会において許容されてきた歴史を見れば、嫉妬は人間に組み込まれた自然な感情であることを認めないわけにはいかない。

 また、同時に取り上げられているのが浮気である。世界中で、戸籍上の父親と血縁関係の無い親子が約10%ほどいるという。もちろんこれは養子だとか連れ子のことを言っているのではなく、不倫の結果の話。

 なぜ嫉妬や浮気がこれほどまでに広く見られるのだろうか。そこに道徳の乱れだとか家父長的な制度だとかといった一面的な見方を排し、嫉妬にも浮気にも進化の上で意味があったのではないか、という視点で人間の姿を見つめなおしている。

 自由恋愛市場において有利な立場の配偶者が浮気をしやすいし実際に浮気をする率が高いという紛れもない事実。この場合、男性だと権力や経済力、女性だと若さと美しさが自由恋愛市場での自分の立ち位置を決める。

 配偶者間において、女性の方が経済的に高いことは良い結婚生活を導かない。それはその男性が狭量なためではなく、人間に組み込まれた、生まれもっての性格とはなかなかに面白いでは無いか。

 嫉妬も負の感情でプラスになることは無いと思われてきたわけだが、実際には配偶者間の愛情を引き止める上で役に立つ側面もあると言う。もちろん、嫉妬が発露した場合の最悪の結果は、嫉妬に狂った相手によって殺害されてしまうことにある。しばしば別れ話のもつれから(そのほとんどの場合で男性が女性を)殺害してしまうことがある。そんな感情でも使い方によっては愛を深める役に立つ。意外である。

 男と女で性戦略が違う以上、相互の間の競争は排除できないわけで、それでも独占的排他権(自分以外とはセックスするな、ということ)を得たい、そんな都合が発達させたのが嫉妬なのかもしれないと思わせてくれる。身近な感情が、思わぬところで進化の洗礼を受けて人類に組み込まれたものであると教えてくれるのは貴重。ただ、冗長に過ぎるのが欠点か。このあたり、多くの日本人好みにさらりと流してくれた方が良かったかもしれない。
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医学・脳・精神・心理 | 2007/05/31(木) 23:07 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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326冊目 ウイルス・ハンター
ウイルス・ハンター

エド・レジス著 / 渡辺 政隆訳

早川書房 (1997.8)

\1,995

評価:☆☆☆☆☆


 既に知られている多くの病気に加え、未知の疾病まで、あらゆる危険度のあらゆる病原体の正体を暴き、感染爆発を防ぐ使命を帯びているのが、アメリカのCDC(疾病予防管理センター)である。

 ここにはかつて人類が単離に成功したあらゆる病原体が集まっている。自然界では絶滅した天然痘、黄熱、インフルエンザウイルス、HIV、コレラ菌やペスト菌は勿論のこと、かのエボラウイルスなどもここで研究が行われてきた。

 本書は、このCDCの成立から現在までの活動の歴史を縦軸に、1995年にザイール(現コンゴ民主共和国)で発生したエボラの感染爆発の発生から鎮静までを横軸に採ることで、CDCの全体像を描き出そうとする傑作である。

 エボラ、マールブルグ、ラッサ熱。これらの病気は大変に高い致死率を持つ他にも、ウイルスの形状が非常に良く似ているという特長がある。紐状に見えることからフィロウイルス類と呼ばれるこれらの病は突然熱帯から現われては消えていった。

 マールブルグは1967年にドイツで発生、およそ4人に1人が死んだ。エボラは1976年以降散発的に発生しているのだが、この年にザイールで発生した感染爆発では感染者318人のうち280人が死亡。88%というとてつもない致死率でその名を知らしめることになった。

 このとき単離されたエボラのザイール株(エボラ・ザイール)についての話題はリチャード・プレストンが『ホット・ゾーン 上巻』でセンセーショナルに取り上げた他、ロビン・クックの傑作医療サスペンス『アウトブレイク』にも話題になった(ダスティン・ホフマン主演のあの映画ではありません。あれもエボラから着想を得たといいますが)。

 エボラが未知なうえ、極めて高い致死率を誇ったことから明日にも恐怖の殺人ウイルスが世界を襲う、そんな錯覚に陥りそうな報道が繰り広げられるようになった。『ホット・ゾーン』もその一助だったのは間違いない。

 しかし、それから何年も経ったが未だに恐怖の伝染病が人類を滅ぼそうとしているような兆候は無い。むしろ、感染症による死は世界の多くの地域で減少している。確かに感染症は今も人を死に追いやっているわけだが、その内訳を見てみると、マラリヤとインフルエンザが両巨頭で、新興ウイルスはほんの誤差の範囲である。

 冷静な視点に立ち、邪悪なフィロウイルス類が、感染した個人にとっては大きな脅威になったとしても社会全体としてみたら恐れるべきものではないことを教えてくれる。特に、先進国の管理された環境ではこれらの病気であっても感染の連鎖は防がれている。衛生や先進的な治療法の力は実に大きいのだ。

 危険は正しく知ることで押さえ込むことができる。それが90%近い致死率を持つ、正体の良く分からない疾病であったとしても。ひるむことなく疾病と戦う科学者・医者たちの偉大な戦いの記録がここにある。

 衛生、治療。健康を保つために必要なこれらの技術を持つCDCの姿に頼もしさを感じると共に、危険な病原体を扱う設備を持たない日本をちょっと残念だと思われてならなかった。危険について正しく知るためには研究がされなければならない。危険を扱えないなら、日本にも危険な病気が上陸した時に、対応は後手に回る。せめてCDCと密な連携を取っていることを切に願う。


 なお、同じ著者の『悪魔の生物学』は、病原体を危険な兵器と化させる、まさに悪魔の所業を多くの国々が実際に行っていることを明らかにしている。北の某国とか。いつの世も、真に恐ろしいのは悪魔や病気なんかじゃなくて人間なのだ。
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生物・遺伝・病原体 | 2007/05/29(火) 23:29 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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番外 日経サイエンス 7月号
日経サイエンス 7月号


 たまには番外編で。

 今月号で面白かったのは、なんといっても狂犬病からの生還。狂犬病は知っての通り発症したらほぼ助からない。なにせ、発症後に生還したのはたったの6例しかないという。

 日本国内ではもう何年も狂犬病の発症事例がないのだが、国外に出ると当然備えなければいけないリスクになる。発症前ならワクチンが有効なので、犬やコウモリに噛まれた人は早めの受診を。

 で、その狂犬病に対して有効かもしれない治療法があるかもしれないというのが面白い。狂犬病が人を死に追いやるメカニズムが分かっていなくても、状況証拠から治療法を探り、少女を生還させたのは素晴らしいことで、今後の研究が待たれる。

 次に面白かったのはスターストリーム 天の川がのみ込んだ小銀河の痕跡。我々の属する天の川銀河が近傍にある大小のマゼラン星雲を引き寄せ、いつか合体するとされていることは知っていたが、実際に過去数多の銀河を飲み込んできたことは知らなかった。また、その痕跡を今でも辿ることができるなんて想像すらしなかったこと。銀河の成長という、縁遠い世界を身近に感じてしまった。といっても、数十億年規模の話なので縁遠いのは間違いないんだけど。

 そしてカラスはなぜ賢いのか。カラスの賢さは多くの人が知っていると思うが、彼らが論理や一般化を使いこなしているというのは驚き。道具も論理も自由自在じゃあ、そりゃあゴミは散らかされるってもの。知能を発達させた方が生存に有利なら、生物は賢くなる。当然だけどついそこまで賢いのは人間だけだと思ってしまうのは驕りなのかも。

 その他の記事もなかなか面白かったのだが、薔薇既知外の人には青い薔薇などを作り出してきた“ありえた生物”から生命を探る合成生物学が面白いかも。でも、私にとってはウツボカズラやハエトリソウなどの食虫植物の方が面白かった。見た目も特徴的で魅力的なのが面白い。虫もその魅力が分かるのかな?

 もちろん科学誌だからそれなりに細かいことも書いてあるけど、通り一遍の現象を見るだけでも楽しめるのが科学雑誌の素敵なところ。来月も期待しよう。
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雑誌 | 2007/05/26(土) 00:33 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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325冊目 マヤ文明新たなる真実
マヤ文明新たなる真実

実松 克義著

講談社 (2003.1)

\1,890

評価:☆☆


 マヤ文明は紀元前2000年から紀元900年頃にかけて中米に開花した。マヤ文字、天文への傾倒、不思議な暦などが知られている。

 もっとも、900年頃に滅亡したのは古典期文明の中心地だけであり、以後も周辺では後期文明が栄えた。最終的な滅亡はスペイン人たちによる大虐殺と大破壊による。

 知られているとおり、その後中南米は急速にキリスト教化が進んでしまった。おまけにマヤ文明において読み書きできたのは一部の特権階級に留まったことから、マヤ文明には多くの謎が残されている。本書はシャーマン哲学者が神話からマヤ文明の歴史を読み解こうとする試みである。

 歴史がしばしば抽象化され、あるいは神話化されているのは方々で見られる。文字を持たなかった時代に、それは普遍的に行われてきたことと言ってもよい。なので、マヤ文明についてもそのような試みが行われていることは評価したい。

 ただ、マヤ文明でそれをやるのはかなりの困難を伴う。というのは、前述の通り中米は貪欲なスペイン人たちによって大規模に破壊された上、キリスト教によって精神的な面でも忘却と混乱を生じることになった。本書が取り上げる『ポップ・ヴフ』にもキリスト教的一元論の影響が色濃いという。キリスト教の内部でも混乱をもたらしているこのような概念が無理やり押し込まれてしまっていることで神話から歴史を読み取ることは非常に困難になっている。

 それでも果敢に謎の解読に挑んでいるようだが、素人目にはたいそう胡散臭く見えてしまうのが現実である。たとえばペロータという球技に使う道具が天井から吊り下げられているという、それだけの記述からこう読み解く。

 天井から吊り下げられたペロータは地球が球体であり、ほかの天体と同様に天界を周回しているという理解、つまり地動説の象徴である。それをネズミ(ネズミ座=小熊座)が落としたということは、古代マヤ・トルテカ人がこの天文学的事実を完全に把握したことを暗示している。


 そうだろうか。それは後知恵にすぎないのではないか。こんな恣意的な解釈であれば、どんな世界のどんな神話からでもあらゆる現代科学の世界観を導くことができるのではなかろうか。

 歴史を導くというのであれば、それなりの証拠が必要だろう。地動説を知っていたというのであれば、そのような証拠が幾つも存在していなければならない。状況証拠が多々ある中であれば、このような解釈も許されるかもしれないが、この一点の解釈で地動説がどうこう言っても牽強付会に過ぎると思われるのだ。

 冒険はしばしばいきすぎるものだし、知的な冒険もその類に漏れない。『ポップ・ヴフ』をはじめマヤ文明に興味は沸いたが、個人的にもっと冷静な研究の方に関心がある。
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その他歴史 | 2007/05/23(水) 23:27 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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324冊目 老化はなぜ起こるか
老化はなぜ起こるか

スティーヴン・N・オースタッド著 / 吉田 利子訳

草思社 (1999.11)

\1,995

評価:☆☆☆☆


 生きていれば避けられないのが老化。しかし、老化については驚くほど科学で取り上げられてはこなかった。恐らく、誕生には不思議と目立った大きな変化があるのに対して老化はゆっくり進行するプロセスで、おまけに余りにも自然ななりゆきのため研究対象になりにくかったのが原因だろう。

 なので、老化が話題になるときにはXXを呑めば(あるいは塗れば)老化を防げるだとか○○をやれば老化スピードを抑えられるだとかという類の民間伝承に過ぎなかった。

 意地の悪い見方をすれば、雑誌に掲載されている、なんとかを買ってから彼女ができた、背が伸びた、宝くじに当たったなどと詐欺同然の誘い文句が書いてありそうな怪しげなるアイテムに通じるところがある。

 老化の研究が大々的に行われるようになってきたのは生活が安定し、人がなかなか死ななくなったためだろう。不死ではあっても不老ではない人生を送りたい人間がいるわけがなく、寿命が延びたら老化防止に興味が沸くというものだ。

 本書はそんな老化防止についての知見を冷静に見つめなおすものである。

 食品や活性酸素の影響、細胞分裂の回数を規定するテロメア、遺伝的な影響、と話題は多岐に渡るのだが、結論から言えば老化のメカニズムも老化を防ぐ方法もまだ有力な説が無いということになる。この分野に、どれほど俗説が蔓延しているかを知れば、数多の情報を懐疑的に検討し、真摯に真実を追究しようとする姿勢には頭が下がる。

 たとえば、代謝率が寿命と関係あるのではないかとする説がある。哺乳類では、せいぜい2,3年しか生きないマウス、15年ほど生きる犬、50年以上生きる象と種によって寿命が大きく異なる。しかし、これらの動物を代謝率という一つの尺度で見るとかなり近い数値に並ぶ。これを一般に受け入れられる形に直すと、マウスも象も一生で脈打つ心臓の鼓動は同じくらいの回数だ、ということになる。小さなマウスなどは早死にし、大きなキリンや象は長生きすることの理由が説明できるような気になる。

 ところがこの話にはとんでもない例外がある。それはコウモリである。なにせ、同じくらいのサイズのマウスがせいぜい2,3年しか生きないのに、コウモリは野生状態でも30年以上生きることが知られているのだ。しかも、コウモリは飛翔するためにマウスよりも多くのエネルギーを消費する。代謝率では説明できない。

 たまに耳にするような寿命を延ばす方法には、一般化できるものはあまり無い。それでも例外と思われそうなものが二つある。

 一つはカロリー摂取量を抑えようということ。もう一つは去勢すること。どちらもたいそう人気が無いだろうから広く行われるようになるとは思えない。楽して美味しい思いは沢山して、それでも希望通り痩せたいなんてことを満たす方法が無いのと同じように、何の苦労もなく老いを遅らせることは難しいだろう。

 残念なことに、当面の間は劇的に寿命を延ばす奇蹟の手段は誕生しそうに無い。それでも、老化はなかなかに面白いプロセスでもある。自分や親しい人に起こらなければ、という話ではあるけれども。老化がなぜ起こるのか。進化の過程でなぜ老化が除かれなかったのか。せめて遅らせるにはどうすれば良いのか。まだまだ研究は途に付いたばかりなので今後も面白そうな話題が沢山出てきそうである。
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生物・遺伝・病原体 | 2007/05/22(火) 23:24 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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323冊目 恐竜VSほ乳類
恐竜VSほ乳類

NHK「恐竜」プロジェクト編 / 小林 快次監修

ダイヤモンド社 (2006.7)

\2,520

評価:☆☆☆☆☆


 6500万年より更に昔の時代、恐竜と哺乳類は共に生きていた。といっても、多くの人がイメージするとおり、恐竜は絶滅するまで地上の支配者であり続けた。大まかには、当時の哺乳類は恐竜の魔の手を逃れて細々と生活してきたと言っていいだろう。

 実際、哺乳類は恐竜の活動しない夜に生活の場を移したと推測されている。その結果、哺乳類は色を判定する能力を失った。鳥類は4原色を持つ対し、哺乳類のほとんどは2原色。闘牛の牛は赤い布の色に反応しているわけではなく、ひらひらした動きに反応していると言われるのは、牛も恐竜時代の影響を引きずって色を見分けることができないことによる。再び3原色を取り戻し、色の世界に生きるようになったのは一部のサル類しかいない。(このあたりの話は111冊目で紹介した『眼の誕生』に詳しい。)

 色の話もそうなのだが、意外なことに哺乳類の進化に恐竜は大きな影響を与えてきたことが分かってきた。恐竜と哺乳類が共に生きた時代に、それぞれがどのような進化を辿ったか、互いの進化にどのような影響を与えたかを俯瞰する。

 最新の恐竜学の知見が豊富に盛り込まれていて、有名どころの恐竜たちがどのような進化戦略を持っていたのかが第一の魅力。第二は我々の先祖である、哺乳類がこの期間に手に入れた多くの戦略を恐竜のそれと比べながら見ることができること。NHKスペシャルのめの取材から生まれた本なので図版が多いのも魅力である。

 30m以上にもなる恐竜がなぜ誕生したのかを環境面から探り、恐竜を食べる哺乳類がいたことに驚き、ティラノサウルスの狩りの実際に迫る。画像を多用しており、情報が詰め込まれているわけでもないのでさっと読めるのだけれども、知識は豊富なので読後の満足感は十分。

 個人的に印象的だったのはこの言葉。

 「ほ乳類が獲得した鋭敏な耳、大きな脳、胎盤という繁殖戦略は、恐竜の支配がなければ、けっして実現しなかったでしょう。その意味で私たちは、それらの進化を強いた恐竜に感謝すべきなのです」
(P.268)


 恐竜が絶滅したから哺乳類の天下になって我々が生まれた。そんな単純なシナリオではなく、もっと複雑で魅力的な歴史が展開されていたことを教えてくれた大変面白い一冊。
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地球史・古生物・恐竜 | 2007/05/21(月) 23:11 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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322冊目 日本はどう報じられているか
日本はどう報じられているか

石沢 靖治編

新潮社 (2004.1)

\714

評価:☆☆☆


 タイトルどおり、諸外国が日本をどのように扱っているのか、それぞれの国の記事から検証することで自国を客観視しようと言う試み。このよな実験には限界はあっても世界を認識する力にはなると思う。検証されているのはイギリス、フランス、ドイツ、中東、中国、韓国の7地域。

 戦後一貫して他国に攻め込むような軍事力を持たなかった日本のことなので、他国から言及されるのは経済分野であることが多い。”失われた10年”の前の、日本礼賛・日本脅威論からバブル崩壊後の日本お荷物論を経て、再び国際的に無視されるようになっているというのがひしひしと伝わってくる。

 たとえばイギリスでは日英同盟を知っている人は少数派という。日英同盟の更新をしなかったときには多くのイギリス人が残念がったと言うのに。ドイツでは高い失業率などが世界経済の足を引っ張るのではないかとの懸念に対し、日本の二の舞にはならないと声高に主張するなど、日本への親近感はない。

 同盟国アメリカは知っての通り便利な財布くらいにしか思っていないので言いたい放題なのは予想通りで、中東にいたっては日本への理解などは夢想すらおこがましいという感じだ。中国と韓国も、実態は同じようなもの。

 それにしても中韓の日本に関する報道には呆れる。こんな記事があったという。

 「不完全な統計ながら日本侵略軍の虐殺の刃による中国の死傷者数は3500万人。日本の侵略者が中国に与えた直接の経済損失は1000億米ドル、間接損失は5000億ドルにのぼる。日本侵略者の中国人民に犯した罪業は歴史上最も野蛮で最も残酷な一ページである」
(P.163)


 なんて記事が載るようだが、僭越ながら教えて差し上げると、大躍進という人為的なミスによる餓死者が4000万人、文化大革命(文革)による虐殺被害者が2000万人と言われているのですよ。併せると、死者だけで恐らくはかなり水増しされている日本軍による死傷者を圧倒している。日本軍による死傷者3500万を非難するなら、そろそろ死者だけでも6000万人にも及ぶ犠牲者に思いを寄せて共産主義政権を批判しても良いのではないか。死者数だけで言えば日本軍の犠牲者の倍を優に超していると思うよ。

 ちなみに、大紀元時報によると「中共政権への無償の資金援助はすでに10億ドルに上り、円借款総額も300億ドルを超えた」という。かつての列強で、支配を行った地に対してこれほどの援助をしている国があるかどうか、中国の記者に検証してもらいたいものだ。

 オランダはインドネシアから収奪できる限り収奪し、もちろん今は謝罪などせずに互いの関係は相補的だったなどと言っている。日本軍がオランダを占領した時に、捕虜となったオランダ人をオランダ人が建設した収容施設に入れたところ、屈辱と貧弱な施設から虐待だとの声が上がった。自分たちは平然とインドネシア人をそこに幽閉していたというのに。そのオランダは、日本は反省していないと言うのには熱心のようで、それが国際社会というものなのだ。

 ベトナム戦争で一般人を虐殺しまくり、今でもベトナム人から嫌われている残虐なる韓国人は自分たちは歴史上一度も侵略する側になった事が無いなどと自称する。では元寇ってなんだったのかね。フビライの親族として、モンゴル帝国の構成員として、一緒になって日本に攻め寄せたのは忘れたのかね。

 中国に関しては、強力に情報統制されている現状が変わらないとなかなかに変化は難しいように思う。本書ではノムヒョン大統領が来日時に二次大戦に触れなかったことを評価し、今後の日韓関係の高揚に結び付けようとしているが、先日など日韓合併時に日本との統一を推進した韓国側高官の子孫から財産を没収する法律が成立するなど実態は大いに異なっていると判断せざるを得ない。

 そもそも、当時の国際状況にあって韓国が独立を保つだけの力を持っていなかったのは自明の理で、保護国を任じていた清も現実的な日露の力の前に韓国を斬り捨てざるを得なかった。あとは日本に付くか、ロシアに付くかしかなかったのが残念ながら事実だった。

 もちろんのこと、紆余曲折はあっても結局は列強の尻馬に乗って中韓の切り取りに邁進した日本が責められるのは仕方が無いとしても、当時の厄介な世界情勢の中でどう国の舵取りをするのが最適か悩んだ人物の子孫から財産を没収してどうするというのか。当時の為政者を批判するのは自由だが、子孫から財産を没収するとなるとまともな民主国家のやることではない。これぞファッショであろう。

 日本への悪意については、誤解や一方的な押し付けについてはこれを正すべく努力しなければいけないし、そのためには他国がどう日本を受け取っているのかを知っている必要があるのは間違いだろう。読んで楽しいわけではないにしても、このような知識を得ておくことは決して損にはならない。そういう視点に立てば、本書では取り上げる話題の的が絞られていて話がずれないので楽に読めるのではなかろうか。
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ノンフィクション | 2007/05/19(土) 23:58 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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321冊目 電波男
電波男

本田 透著

三才ブックス (2005.3)

\1,500

評価:☆☆☆☆


 自由恋愛は人を幸福にしたのか。

 もちろん、応という人はいるだろう。私も長年非モテをやってきて、今も根本的には非モテのままだけれども、どういうわけか配偶者を得て、いまや親莫迦街道まっしぐらであるわけだけれども、それまでの長い間非モテである自分を呪った。

 というと嘘になる。自分は呪わなかった。むしろ、自分よりも圧倒的に莫迦そうな男が好かれているのを見ると頭にきた。

 実のところ、自由恋愛社会の到来は多くの人を幸福にはしていないのではなかろうか。『負け犬の遠吠え』なんて本がでたけれど、結構なカネを稼ぎ、男ともそこそこ遊び、知性や教養で誇る点がある女性が30代だというだけで負け犬を自称して居るのを見て30代の女性を理解した気になってはいけない。30代独身女性のほとんどは年収300万円以下で1/4は処女であるという統計もある。自分を“負け犬”などと嘯(うそぶ)くのとは大きな違いだ。

 さて、ではなぜ女性が結婚しなくなったのか。“負け犬”と嘯く女性達によれば、男が情けなくなったから女が余るのだという。要するに、女と付き合う度量のない情けない男がオタク趣味に走って恋愛市場から零れ落ちるからだということになる。

 しかし、そうだろうか。私が思うに、結婚したくてもできないという女性が増えたのは、むしろ女性に経済力が付き日常で多くの男性と接する機会が増えたことにあると思う。

 経済的な側面から言うと、私も女性の多くが決して高くない給与を強いられている現実を知っている。しかし、実家暮らしを選択可能であればその少ない給与の多くを趣味に使うことができるわけで、事実の問題として海外旅行に出かける比率は女性の方が圧倒的に多い。

 そうしてみると、今の絶対的な収入は少なくとも、そこそこ自由に遊ぶだけの金銭的、時間的な余裕がある人が、未経験で金銭的にも時間的にも余裕がなくなる結婚・育児に踏み切るかというと、余程の強い誘引がなければそうはならないだろう。畢竟、女性はより高収入の男に群がることになる。

 次いで容姿。これはもう論じるまでもないことで、ハンサムはモテる。ああ、ハンサムが憎い。しかし、女性は顔じゃない、性格だと主張する。現実にモテるのがハンサムなのに、なぜ女性は主観的に性格で区別しているというのかというと、男性のあなたがゲジゲジやアフリカツノガエルやアスワンツェツェバエやコモドドラゴンやクトゥグアを恋愛対象としないのと同じように、ハンサムではなくカネもない男は判定にかけられる前に失格になってしまって視界にすら入れてもらえなくなるのだ。

 しかし、考えても見て欲しい。ほとんどの人間は美男美女なのか。ほとんどの人間が大金持ちなのだろうか。否。断固として、否。反対にほとんどの人間は美形でもなければカネもないのである。

 小谷野敦が『帰ってきたもてない男』で指摘したとおり、恋愛なんて美男美女という特権階級がやるものなのだ。それなのに自由恋愛こそすばらしいということになると、あぶれる男女が溢れかえるのは理の当然である。

 前置きが随分と長くなってしまったが、そんな世の中に対してオタクにはオタクの言い様はある。そんな、オタクの、オタクによる、オタクのための二次元宣言こそ本書である。

 『帰ってきたもてない男』と大分話題が重なるが、同書で展開されていた自由恋愛社会は人を幸福としたかという命題をより噛み砕き、より具体的に述べているのが魅力だろうか。

 正直、かなりのゲテモノだろうと手に取ったのだが、論旨は明快だし取り上げる例はなかなか面白いしで、予想外に楽しむことができた。全てのアナログがデジタルに置き換わってきた以上、アナログ女(三次元)からデジタル女(二次元)へ男の趣味が変わるのは必定だなどという意見はまあ流すのが良いのだろうけれども、無視し得ない指摘が数多くあるように思う。

 まあ、二次元は男から見た理想の女を取り上げているわけで、二次元にはまるのは分からないでもないが。自由恋愛社会の到来は、どうしてもカネと優れた外見を持つ一部の者が独占してしまうし、そうなれば他の衆生も同じ道を歩むのは当然。結局、自由恋愛社会は帰結として愛ではなくカネ(か見た目)を前提として成り立つ打算の産物に堕したというのは一理ある。

 とはいっても、その前の社会がすばらしかったとはとても思えないが。

 思うに、この分野においては、ほとんどの人が満足する社会モデルなんて存在しないのではなかろうか。一部の昆虫のようにオスが極端に少なく、オスのほとんどがハーレムを持てるような社会では別かもしれないけど。

 この場合に恐ろしいのは、みんながハーレムを築いているのに自分だけ一人きりということではないか、と思う人も居るだろうが、大丈夫。安心して欲しい。そういう種では、漏れなくオスは交尾に奮闘してあっというまに死んでしまうから。

 実際の社会で理想とする生活をできないなら、理想を少なくとも脳内で築くことはできるわけで、生活のためにしなければいけないことが減れば減るほど理想を妄想する時間は長くなる。その結果、妄想を中心に生きていくことも容易になる。そして、そういう生き方は別に不幸ではない。

 例えの話だが、自分は夫婦円満だと思っていても、相手は退職金が出たら離婚しようと思っているかもしれない。そうであっても本人は離婚を切り出されて右往左往するまでは幸福な生活を送っていくだろう。これだって妄想に生きているのと、実は変わりがない。だとしたら、別に二次元という仮想の世界に幸せを見出すのも問題視すべきではなかろう。

 どうやら二次元趣味はいくところまで行ってしまうと三次元には興味がなくなるらしく(あるいは単に面倒くさくなるらしく)、「三次元なんかに興味あるか、ばーか」宣言なんてものもある。私は賛同しませんが。

 オタク=気持ち悪いとか、オタク=犯罪予備軍とのイメージを持たせようとする一部勢力への批判など、自分がオタ趣味を持たなくても読んでおいて損はないと思う。かなり面白かったのだが、書くべき内容に対して文章が長すぎるのが欠点。って、お前が言うな、と言われたら返す言葉がありません。

 なお、(間違う人はいないとは思いますが)これは非モテオタクが美女と付き合うことになったというフォークロア、電車男とは違うので間違いなきよう。
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未分類 | 2007/05/18(金) 23:38 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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320冊目 紫禁城の栄光
紫禁城の栄光

岡田 英弘〔著〕 / 神田 信夫〔著〕 / 松村 潤〔著〕

講談社 (2006.10)

\1,155

評価:☆☆☆☆


 随分前に『紫禁城史話』をレビューしたのだが、こちらの本で明と清の時代に興味をそそられていた。その後、「幻想工房」雑記帳のオジオンさんに本書を紹介いただいたのをきっかけに手に取ることになった。

 単刀直入に感想を述べてしまえば、面白いけど複雑すぎる、ということになろうか。

 以前『紫禁城史話』のレビューで触れたとおり、北京が首都となったのは明の永楽帝の時代からである。明が滅び、清が成立してからも紫禁城は皇帝の居城であり続けたわけだが、その間の紫禁城でのドラマを『紫禁城史話』が扱っていたとすると、本書は明、清の興亡全体に光を当てているということになろう。扱い方は大分異なっているので、いずれかを読んでいても他方を読む妨げにはならないだろう。

 さて、本書は明、清について多面的に取り上げていることが特長である。特に、清の時代に至って初めて現在における中国の版図が完成したことと、それに付随して多くの民族を内包する国家となっていったことから近代中国を理解する上で大変に重要な指摘が行われていると思う。

 中国史を追いかけていると、多くの異民族が中国の地を支配したがやがて漢化していき、漢文化が残ったような印象を受けてしまう。そしてまた、支配王朝が変わっても中国を支配していたという事実は変わらないように思ってしまう。

 しかし、それは間違いである。特に元の時代からその傾向が強い。元はフビライによって建国されたわけだが、元にとってフビライは唯一の皇帝であってもフビライにとって元の皇帝であることは数多ある役職の中の一つに過ぎなかった。彼の本拠はあくまで北方のオルドスにあり、彼の広大な版図における中国地方での職位が元皇帝だったに過ぎない。

 元が疲弊し、その元に取って代わった明は、しかしモンゴル帝国の版図を継承はできなかった。北方には相変わらず強大な遊牧国家が存在し続けた。

 明が遊牧国家に対して優勢だったのは永楽帝による遠征までで、正統帝が親征して壊滅的な打撃を蒙った土木の変以後は、見る影も無いほど北方からの圧力には弱かった。北京郊外にあり観光名所として知られる万里の長城はこの明の時代のもので、残念なことに長城はそれほど大きな役割を果たせなかったようだ。明の国家的な広がりは漢の時代を想定すれば良いのではなかろうか。

 そして北方からの脅威はまたも中国を席巻する。内乱で滅んだ明に変わり、清が中国の主権者となるのだ。こちらの清はモンゴル帝国と同じく、北方の遊牧国家から為っているので、北方での統治法が中国に持ち込まれることになったし、遊牧国家同士の興亡にも積極的に関与していくことになる。明と清では随分と雰囲気が違うのだ。

 王朝ごとに論じるとつい見落としがちな国家ごとの性格の違いが、紫禁城という視点でみることにしっかり見えてくるのが面白い。明がどれほど北の侵入を防ぐことに腐心したか、清はどのように中国を統治したか、その違いを一望できるのが嬉しい。

 とはいえ、特に清の時代には版図が広がりすぎたために多くの事件や事実を扱わなければならず、一度読んだだけではとても頭に入らないほどの複雑さをもつことになる。それはモンゴル帝国についても同じなのだけれども。

 版図が広がったことと一体のことかもしれないが、日本との関与も深まってくる。秀吉の朝鮮出兵、日本・韓国・中国の海上勢力が一体となった倭寇、国姓爺合戦で知られる鄭成功の物語などが明・清の歴史とどう影響しあったのかも興味深い。

 地理的な広さ、扱う時間の長さに関わらず、よく一冊に纏め上げたと感心させられる。近代中国の前夜までの雰囲気を良く知ることができる大変な力作であると思う。
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中国史 | 2007/05/16(水) 22:49 | Trackback:(0) | Comments:(3)

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319冊目 最後の国産旅客機YS-11の悲劇
最後の国産旅客機YS-11の悲劇

前間 孝則〔著〕

講談社 (2000.5)

\924

評価:☆☆☆


 現在のところ、国産の最後の旅客機はYS-11である。戦闘機については零式艦上戦闘機や紫電改などの様々な名機を生み出してきたことを考えると残念だ。

 戦前・戦中には軍用に作られた航空機は世界でも高い評価を受けていたが、それゆえに敗戦後、占領軍は日本に航空分野の技術開発を行うことを許さなかった。そのため、航空史には無視し得ない空白の期間が存在することになってしまった。状況が一転したのは北がスターリンの承認を得て南へ侵略した朝鮮戦争の勃発から。

 通産省の一課長がぶちあげた国産旅客機製造の目標を達成するため、戦前・戦中と名機を設計してきた人々が集められ、一大プロジェクトが結成された。その成果が、このYS-11に結びついたわけだが、その道のりは平坦には程遠かった。

 そもそも戦闘機と旅客機は全然違う設計を行うべきなのに、旅客機についての技術が無かったことによる右往左往に始まり、ようやく完成した機体は操作性が悪く、トラブルを続発させる。官主導の産業に付き物の金銭的な見積もりの甘さ、サービス体制の欠如など、経営的には失敗と片付けられてしまう萌芽が、プロジェクト設立当初からあった。

 本書は最後の国産旅客機が、開発から初飛行を経て、やがて世界中の空を飛び、高い評価を下されるようになるまでの歴史を簡潔にまとめている。生みの苦しみ、官主導による問題点などをきちんとまとめながら、トラブル続きの問題児と思われたYS-11がやがて高い評価を下されるようになるまでを通して読むと感慨もひとしおである。

 旅客機を自前で作れる国などはほとんど存在しない。今も限られた国が作っている飛行機が全世界に広まっているのが現状。そんな中で、経験の無い人々を集めて資金繰りに苦しみながら良くぞ名機を生み出した、というのが私の感想である。

 ところが、YS-11は開発や販路を開拓する中で多くの赤字を出していった。それが経営的に失敗とされる所以だが、それでも技術を蓄積するための費用としてみれば安くは無かったにしても失敗と断ずるほどのものではなかったとの思いを強くした。

 重要なのは、戦略的な目標を立てて、その目標に対してどのような成果だったから成功だった(あるいは失敗だった)と判断することで、赤字が出た=失敗と短絡的に考えるべきではない。結果論として、YS-11は癖が強くともつい最近まで活躍し、コストパフォーマンスに優れた機体だったのだから、後継が無いのは悔やまれることである。今後の航空戦略を考える上でも、YS-11の辿った道を知ることに価値があるのではなかろうか。
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技術 | 2007/05/14(月) 23:59 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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318冊目 遺品整理屋は見た!
遺品整理屋は見た!

吉田 太一著

扶桑社 (2006.9)

\1,260

評価:☆☆☆☆


 敬愛するVIVAさんのブログで紹介されていたのに興味を引かれて手に取った。(VIVAさんの紹介文はこちら

 死が普通の生活から切り離され、病院などの一種違う世界に隔離されてからなのか、普通の生活の中での死が想定されなくなっている。だから、マンションで死んだ人をエレベーターで下ろそうとしても入りきらないなどというようなことが起こる。

 ところが、人は死ぬ。どこででも死ぬし、しかもその死はいつ起こるか分からない。著者らが携わってきたのは、そうやって不慮の死を遂げた人々の遺品を整理する、そんな仕事である。なお、著者は遺品整理を行うキーパーズの社長とのこと。どんな仕事をしているかはこのサイトを参考にするのが良いだろう。



 ことの性質上、どうしてもきれいごとだけでは済まされない世界である。なので、気になる方だけ続きを読むを選択してください。
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ノンフィクション | 2007/05/11(金) 23:08 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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317冊目 やがて消えゆく我が身なら
やがて消えゆく我が身なら

池田 清彦著

角川書店 (2005.2)

\1,365

評価:☆☆☆☆☆


 構造主義生物学者で早稲田大学教養部教授である池田清彦さんのエッセイは(語彙の無さを顕わにするようで恥ずかしいが)凄いの一言に尽きる。何が凄いかというと、無駄に飾ることなく、身も蓋も無いことを言っていることである。自分が正しいことを主張していると信じる人間にありがちな高い視点から説得してくることもなく、ただ自分の意見を指摘しているのはなかなかできるものではない。私のように辺境の地のブログでダメな書評を書いていても自分を飾ろうとしてしまうのに。

 衒学的なてらいはない。どの文章も、中学生以上だったら分かる程度のものだし、複雑怪奇な論理構造も持っていない。いや、だからこそ分かりやすいのか。そのあまりの直接的表現に、時には反発を覚えることもあるが、その視点の確かさと説得力に目を見張ることにことになる。

(略)教育現場は今、明るく滅びつつある。全校生徒が明るくあいさつをして、塵ひとつ落ちていない校舎で、卒業式には全員直立不動で「君が代」を歌っている、なんてのは、どう考えても北朝鮮ではないか。完全にオワッテイル図である。
(P.229)


 というような一言に、私ははっとさせられる。全体主義が蔓延した社会からは確かにこの通りの映像が届けられる。しかし、その映像を美しいと思う人はいない。美徳であってもその美徳を全員が共有することを強制されたとき、そこには民主主義の姿はなくなっている。あるのは全体主義だけ。また、こう言って諭す。

 もう少し体の調子が良くなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら。多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。しかし、もしかしたら、体の調子はこれ以上良くならず、お金は決して増えず、暇にもならず、気づいた時には不治の病を宣告されているかもしれないではないか。
(P.85-86)


 重要な指摘である。今の奴隷労働からは逃げたい気持ちが募る。そもそも真面目に働くのは未来を担保に今を犠牲にしているわけで、会社においてさしたる未来を夢見ているわけではない私が、自分のやりたことに費やせる時間のほとんど全てを犠牲にしてもしかたがない。中には仕事が趣味だと言う無趣味でかわいそうな人奇特な人もいるだろうけど、そういう人こそ上の指摘を考えてみて欲しい。

 こんな調子で、自然保護は金持ちの道楽だと断じ、趣味の昆虫採集を語り、労働や犯罪について意見を述べる。よくぞ言ってくれたと思うものもあれば、著者は何を言っているのだと思うものもある。しかし、どれも考えさせられるのは事実なのだ。そして、文章を与えるだけではなくて、読者に考えさせるというのは実は大変なことなのだ。それは、主題がきちんとしていないといけないし、自分の主張が無ければいけないし、そして他人の心に賛同にせよ反発にせよ、なんらかの波風をたてなければならないのだ。笑って楽しいというのではなく、刺激される楽しみがあるという点で、とても面白いエッセイである。
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エッセイ | 2007/05/10(木) 23:14 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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316冊目 騙されやすい日本人
騙されやすい日本人

宮脇 磊介著

新潮社 (2003.3)

\540

評価:☆☆☆☆☆


 まず、本書の後書きからどのような意図で本書が編まれたかを紹介する。

 本書は、当面する諸問題を捉えながらも、その背景をなす政治、経済、社会の構造への分析的アプローチにより、気付かれずに覆い隠されている日本の危機の構造を解明することに主眼をおいて書かれた。


 そう述べる著者は東大法学部卒業後、警視庁警備部警備第一課長、警察庁刑事局捜査第二課長、皇宮警察本部長を経て、中曽根内閣で内閣広報官に就任と危機管理に関わる部署の責任ある地位を歴任してきた。

 経歴を見ると非の打ち所の無いエリートで、公務員として高位に上ったとなると、どうにも大上段に構えて地に足の着いていない、観念的なことばかり書いている予感がしたのだが、これが大外れ。

 まず、著者が自分の経験や自信で調査して身につけた、地に足の着いた広範な知識を背景に持つこと。次いで、観念論や精神論ではなく、具体的な対策を提言していること。この二つの点が相俟って、知識として役立つのではなく実践上で重要なことを教えてくれる。しかも、小難しい表現で読者を煙に巻くことも無い。これほど理解に容易でありながら日本社会のもつ問題を鋭く突いている本は珍しいのではなかろうか。

 タイトルであるが、これは少なからぬ外国人が日本人を指すイメージに由来しているとのことである。与えられた情報を鵜呑みにし、相手の意図を推し量らない。そのようなあり方に対して外国人たちが「はっきりと蔑み、嘲っている」というのだから穏やかではない。

 しかし、本書を読み進めれば、確かにそう言われてもおかしくないいくつもの構造的な問題があることを納得させられる。日本の政治がなぜ不透明で、幼稚なのか。ジャーナリズムの横一線報道に見られる問題や、ジャーナリストの育て方、質の差などは非常に興味深い。

 今でも少年犯罪が起こると凶悪化しているだの増加しているだの悪辣な出鱈目に過ぎないようなことを嬉々として述べ、およそ脳のことなど知らない素人が主観に基づいて若者を非難するゲーム脳理論などがマスコミから重宝されていることからも分かろう。放送局は自分の取り分が少なくなることを恐れて他の放送局の参入を阻害してきたし、これまた横並びでどこを見ても同じような番組ばかりやっている(と言ってもここ数年スポーツを除いてほとんど完全にテレビを見ていないので詳細は不明だが)。

 最も低レベルな質に合わせて番組を作ればどの番組も下らなくなるのは当然のことだが視聴率主義に縛られたマスコミはこの泥沼から抜け出せない。学校教育と同じで、レベル別にそれに相応しいものを与えなければ仕方が無いだろうに。

 このような情け無い状況が続いた結果として、本書が指摘しているものの一つに阪神大震災がある。常識では、神戸は歴史的に地震が少なく、備えが足りなかったことになっている。しかし、実際はそうではなかった。著者が83~85年に静岡県警本部長として東海大地震への備えを行っていた際に、神戸が危険地帯であることを知っていたと言う。74年には神戸新聞の夕刊に神戸の市街地に活断層が走っていることの指摘が行われていた。では、なぜこの危険な情報が世間に広まらなかったのか。それは本書に当たって欲しいが、意外な背景と危機への対応不足が悲劇を生むありさまが痛いほど伝わってくる。

 もう一つ面白いのは、この国に巣食う暴力団の影響の大きさである。ヤクザ組織の規模の大きさと、政治・経済への食い込みについてはマスコミがほとんど報じないことから過小評価しがちだが、無視してはならない程であるという。ヤクザがいなければ、新幹線は半分の、関西新航空は1/3の予算でできていたとなると慄然とせざるを得ない。地方と結びついたヤクザに、我々の税金がむしりとられているとなると尋常では無いだろう。

 このような問題点はマスコミからは得られない。ヤクザ問題は日本よりも海外の方が詳しく報じているという逆転現象も多くの人は知らない。知らされない。海外の方がヤクザを知っているということと、政治経済へのヤクザの浸透を知って初めて長崎市長殺害事件の本質と、なぜこの事件が海外で広く報じられたかを知ることができる。新聞はというと、「暴力で言論を封じるのは民主主義の根幹を揺るがす」といった類の実質上なんの役にも立たない、提言と言うよりも勇ましい独り言に過ぎないようなことばかり書いていた。

 本当の危機に目を向けなければ、未来は明るくならない。そのための提言に溢れているし、闇雲に何かを恐れるという非健全的な恐怖感ではなく、恐れるべきものに対して恐れることができなくなるのではないか。恐れるべきものを理解しておけば被害を少なくすることは可能であろう。そのために必要な危機をどう管理するかについて、貴重な提言をしている好著である。
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ノンフィクション | 2007/05/09(水) 23:34 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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315冊目 エヴェレストより高い山
エヴェレストより高い山

ジョン・クラカワー著 / 森 雄二訳

朝日新聞社 (2000.5)

\693

評価:☆☆☆


 なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ。

 そんな言葉を聞いたことがある人は多いだろう。あと、娘さん、よく聞けよ、山男には惚れるなよ、であるが、世の娘さん、安心して欲しい。私は山男じゃないので惚れてくれ問題なしである。

 そんな非山男たる私にとって、最も縁が遠いこの世界を覗きこませてくれたのが本書。著者自身もクライマーで、名だたる名峰を制覇してきたわけではないにしても登山の魅力を感じている人物である。と同時に、237冊目で紹介した『信仰が人を殺すとき』の著者でもある。この本に出会わなかったら登山の本など手に取ることは無かっただろう。

 12編のエッセイで構成されている本書は、正面からなぜ人が登山に魅せられるのかを取り上げているわけではない。それでも山を制覇したときの喜びの大きさが、栄誉が、人々をより高い山へ、同じ山ならより難しい登攀ルートへ、そしてより難しい手段へと向かわせる魔力の一端を垣間見ることはできる。理解はできなくても、知ることができるのは大きいのではないか。

 エベレストをはじめとする8000メートル級の山々に挑むことがどのような意味を持つのか。悲劇と栄光の物語と、それに絡む個性的な人々のおかげで楽しみながら読むことができた。そして、山男には惚れるべきではない理由も分かったような気がする。断崖絶壁にロープ一本でぶら下がり、氷河を超え、命懸けで行うのが、頂上へたどり着くことなのだから。でも、そこにも魅力があることを感じさせる、そんな本であった。
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ノンフィクション | 2007/05/07(月) 23:53 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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314冊目 トンデモ本の世界T
トンデモ本の世界T

と学会著

太田出版 (2004.6)

\1,554

評価:☆☆☆☆


 おバカで笑えるトンデモ本満載!という帯に購買心を惹起されたわけではなくて、この手のトンデモを外から眺めるのが好きなのでこのシリーズが好きだったりする。多分、知り合いのほとんどにはバレてるだろうが。

 本書の感想だが、やはりパワーダウンは否めない、というところだろうか。いや、面白いのですよ。面白いのだけど、『トンデモ本の世界』では満を持しての登場だったのが作を進めるに従ってマンネリ化してきていると思ってしまうわけです。

 ネタ切れを一番感じさせるのが、5章のトンデモ世界研究本のコーナー。ここは従来のトンデモ本ではなくて、それこそトンデモを研究しているまともな本まで含まれている。面白い本であってトンデモではないなら取り上げる価値は少ないと思うのだ。それは読者の期待に沿うものではない。(ちなみに、私が読んだ事があるのは『抑圧された記憶の神話』(大変に知的好奇心を刺激されるのでオススメです!)と『ダーウィン賞!』の2冊。なお、『ダーウィン賞』の書評はこちらに載せております)

 もっとも、一冊目は”それまでに溜め込んだトンデモ本”を取り上げていたため、比較的古い本を扱っていたのに対してこちらは新たなるトンデモが中心なので、異なる楽しみ方で読む事ができるのは魅力かもしれない。

 本書で取り上げられているのは、水が美醜を判断できるとする『水からの伝言』だとか、方々でトンデモだと指摘されている『ゲーム脳の恐怖』のような本。これらが批判する価値すらないアレな本ならせめて笑うしかないと言うのは理解できるなぁ。問題なのはこんな程度の本を有難く拝み、ご本尊の如くに押し頂いてトンデモを実践している人々なのだが。

 なんにしろ、世に送り出されてしまったちょっとアレな本の数々を、外側から眺めてほくそ笑むことができるのは利点ではある。個人的ヒットは『すべての不運は名前厄が原因だった!!』で、外国人の場合はカタカナで書いてその画数を調べれば判定可能なんてことを主張する本。なんと、これは本人でダメなら親しい人で調べれば当たるなどというところまで暴走していて、それだったら的中しないわけが無い(当たるところまで”親しい人”を拡大すれば良い)なんて言っちゃっているところ。ダメすぎ。こういうノリが好きだったりするのだけれども。

 本にはいろいろな楽しみ方があるのだと改めて実感させてくれるこのシリーズ、どこまで続くのかは分からないけど、続けて読むと多分飽きてくるので、次を読むにしても時間を空けることにしよう。
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反疑似科学・反オカルト | 2007/05/04(金) 23:43 | Trackback:(1) | Comments:(2)

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313冊目 墜落
墜落

加藤 寛一郎〔著〕

講談社 (1994.8)

\1,050

評価:☆☆☆☆


 本書のサブタイトルは、“ハイテク旅客機がなぜ墜ちるのか”で、これが本書の内容を実に良く表している。

 昨今の飛行機は自動化された機能が非常に多い。それは、人間はミスを犯すものだとの人間工学の立場に立った設計思想を活かしているからだ。ところが、機械に頼ることができるのは、所詮は限られたシーンに過ぎない。安定した状況では設定した航路を辿り、着陸も行うことができるものの、予期せぬ事態が発生したときには人間の方が頼りになるものなのだ。

 ところが、人間工学の立場から機械化を進めた結果として新たなパターンの事故が起こっている。機械は便利な道具ではあるが、それに頼りすぎたら手痛いしっぺ返しを食らうことになるのだ。

 本書では、機械に頼りすぎた結果として起こった事故を多く取り上げている。壊れた計器の数値を疑うことなく機械に頼りすぎてしまったり、機械の設定と矛盾する操作をやってしまったり。ハイテク化した故に起こる事故もあるのだ。

 専門家としての知見を活かして、多くの事故について、原因から事故当時の状況、経過、そして結末までを紹介している。我々素人にはなじみの無いコックピットの中や付帯設備についても懇切丁寧に解説されているので、どの事故では何が原因だったのか、ということが実に良く分かる。

 航空力学についてもざっと触れられているので、どのような設計が行われているのか、どのような原理で飛行機が飛んでいるのかも雰囲気を感じられるので航空ファンにはたまらないのではなかろうか。

 事故の中には奇跡的に全員生還したものもあれば、残念なことに多くの死者を出してしまったものもある。だが、著者らの取り組みが、次の事故を防ぎ、飛行機はより安全になっているのは事実だ。今や、飛行機事故はほとんど起こっていない。事故の記録は、人類が事故から何を学び、どう対応してきたかの歴史でもあるのだ。

 だから、事故と言う嘆かわしいことにだけ目を向けるのではなく、どれほど飛行機が安全になっているのかを知るために読むのに丁度良いと思う。同時に、失敗学という立場からも興味深い点が多々ある。機械化は何も飛行機だけに限った話ではなく、家電に至るまで世の趨勢がそうなっているのだから。機械のない昔を懐かしむのは意味が無い。機械を制御し、使いこなすためにもこのような本からは学ぶところが多いように思う。

 とか言いながら、私自身としては面白いから読んでいるだけなのだけど。
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技術 | 2007/05/01(火) 23:45 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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