有馬 哲夫著
新潮社 (2004.10)
\756
評価:☆☆☆☆
選挙とメディア、といえば思い浮かぶのはケネディとニクソンが争った1960年の大統領選だろう。
ケネディはテレビ討論会において若くてハンサム、自信に溢れたイメージを強調、遊説でくたびれきったニクソンに対峙した。アイゼンハワー政権で副大統領職にあったニクソンに、政治に対する熱っぽい姿勢のないケネディが論理で挑んでも勝てるはずは無かった。
事実、ラジオを聴いていたものはニクソンが勝ったと思いこんだ。しかし、テレビを見ていたものは違った。彼らは、ケネディこそが勝者であるとみなしたのだ。
テレビという、当時は新しかったメディアを有効に使いこなしたことでケネディは大統領の座を射止めた。その彼の頭は1964年の大統領選挙の遊説中に射抜かれたのは皮肉というべきか。
ブッシュ父は民主党のマイケル・デュカキスを一発のネガティブ・コマーシャルによって沈めた。
デュカキスが知事を務めていたマサチューセッツ州は囚人に一時帰休を認めていた。一時帰休という制度そのものはマサチューセッツ州以外の州でもあったのだが、ここではなんと終身刑の囚人にまで一時帰休が認められていた。そんなマサチューセッツで、一時帰休中のホートンという犯罪者が更なる犯罪を重ねた。若いカップルをさらい、男を刺殺して女を繰り返し強姦したのだ。
犯罪者は更生し得ないことを如実に示す結果だと思うが、とにかくこの事実を取り上げたCMはブッシュの勝利につながったとされている。複雑なのは、この一時帰休を決めたのは、実は前職の知事で共和党出身のフランク・サージェントだったことだろう。共和党の犯した失敗が、民主党の候補者を攻撃する材料となったのだ。
ケネディは若く希望に溢れた自身の姿をアメリカと重ね合わせ、ブッシュは人々の持つ犯罪への怯えを、それぞれイメージ化させた戦略により大統領となった。そのどちらも、彼らが大統領になってなにをやろうとしているのかには結びついていない。
本書はブッシュ対ケリーという見物人にとっても面白くない選挙戦に見られた様々な戦術から筆を起こし、アイゼンハワーからブッシュJrに至るまでの大統領選におけるメディア戦略を概括している。
大衆の知力を信じず、論理や目的よりもイメージを優先させる人々の狙いは、残念ながら当たっていると言わざるを得ない。それでもテレビの持つ圧倒的なイメージは誰も無視できず、今でもなお外見優先の戦略は続いているのである。
他国のことを笑ってばかりは居られない。肝心なことは何も言わず、自分の言葉で政策を説明して国民に納得を得られるような努力を全くしなかった小泉前首相があれほど高い人気を維持したことは記憶に新しいだろう。
こんな状況を、著者は語る。
確かに、私たちは誰も政治的現実を直視したいとは思わない。どんな人間にとってもそれは堪えられないものだからだ。だから、そうせずにすむよう誰かが幻想を与えてくれるのならば、それを進んで受け入れる。そのほうが心地いいからだ。ある意味で、政治とは有権者にこの心地よさを与え続けることが役割なのだろう。
著者の見解は、きっと正しいのだろう。大衆は愚かで、複雑なことは理解できないとするロッサー・リーヴス(アイゼンハワーの選挙参謀)も、きっと正しい。私には、こんな状況を嘆くことしかできないのだろう。他人を啓蒙するなんてことをできる能力は私には無いし、そもそもやる気のない人々を良くすることは不可能だから。
ランキングに参加しています。面白いと思ったら押してくださいませ。
(ランキングサイトが立ち上がります。不快でしたら無視して下さい)




