評価:☆☆☆☆
病院を嫌いな人は多いだろう。尋常ならざる待合室での待機時間は措くとしても、体にメスが入れられるとなれば多少の恐怖は感じるものだ。メスなど用いない歯医者にだって行くにはなけなしの勇気を振り絞らなければならないのだから。そんな恐怖の対象となる外科手術は、現在では恐れるようなものではない。百数十年前と比べたら。
昔の手術室には苦痛と死が付き物だった。効くかどうかも定かではない治療に死ぬほどの苦痛(比喩ではなく、多くの患者が実際に命を失った)、不衛生な環境がための圧倒的な死者。それが現実だった。危険は手術だけにあったわけではない。産褥熱で死ぬ女性は数知れず。原因は不明で帝王切開は子供には生きる手段であっても母たる女性には死ぬ手段だった。
現在の外科手術のほとんど全てから、苦痛と死が取り除かれるには多くの人々の関与が必要だった。勿論、全ての人間が善意と誠意から関わってきたわけではない。ある者は自己の利益のみを追い求め、ある者は自分の見つけた発見にのみ固執した。だが、医療は一歩一歩、確かに進化してきた。その成果が今にある。
本書でまず語られるのは麻酔法の発見である。このあたりの流れに関しては過去に紹介した77冊目 エーテル・デイ に詳しい。麻酔法が無ければ手術から苦痛は取り除けない。初期の手術の情景には恐ろしさを感じずにはいられないほどである。(ただ、『エーテル・デイ』を読んだ方には本書の麻酔を扱う章は簡潔すぎて不満を抱くことであろう)
著者は、最初の麻酔法の実験が無残な失敗に終わるのを目撃していた。苦痛が当然の時代の常識から抜けきれていなかったにも関わらず、やがて実験が成功したときの、厳格な教授の目に涙が浮かんだことを見逃さないだけの観察力を持ち合わせていた。
やがて著者は医者となり、外科の手段がすさまじい勢いで進化する様を目の当たりにすることになる。麻酔すらできなかった頃の、苦痛に満ちた手術室が、無菌状態で心臓手術まで行えるようになるまでの進化の歴史を当事者として見事に描き出している。なかでもパスツールによる腐敗が細菌に引き起こされるという実験結果が臨床的に役立つまでの流れや、研究に没頭して家族を省みなかったコッホの研究など、化学の教科書で出てくるような話題が医学とも深く結びついているところが面白い。というよりも、別の分野の発見を、実に上手く臨床的に応用して言ったというべきか。
とはいっても、全ての発見が無抵抗に受け入れられた訳ではない。ゼンメルワイスは消毒が産褥熱に有効であることを見出して産褥熱による死を防ぐために手洗いを強制したが猛烈な反対に遭い、最後は憤死に近い悲劇的な最後を迎えざるを得なかった。医学の権威は、常識は、彼を認めはしなかったのだ。また、壊死を防ぐ方法も当時は強烈な反対に遭わざるを得なかった。権威に挑戦するにはある程度の抵抗は仕方が無いかもしれないが、それでも異常なほどに抵抗が激しかったのは事実である。森鴎外がパンよりも白米を食わせろと主張して脚気の根絶を妨げ日本軍に多くの死者を出したのを見るまでも無く、権威にはそのような硬直さが付きまとうのかもしれない。
だが、抵抗にめげずに医療は進歩してきた。その結果が今にある。多くの医学者たちの戦いと勝利が、安全な医療の提供に固く結びついている。医療を受ける側も、従事する側も、患者を助けるということがどのようなことか学ぶのに本書は実に参考になるのではないだろうか。
なお、本書は原著が古いこともあり、扱っている内容が心臓手術までで生体/(脳死を含む)死後移植までは扱っていない。本書以後、更に医学が進歩したものと思うと感慨深くなる。今後も医療は発達していくだろう。必ずしも善意に基づくわけではない人々や、自分の権威に固執して新しい療法を認めない人々もその流れに巻き込みながら。
安全な医療を受けられる幸せをつくづく感じられ、疎遠に思いがちな科学がいかに幸福に寄与しているかを実感させてくれる名著であると思う。
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