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263冊目 必笑小咄のテクニック
必笑小咄のテクニック

米原 万里著

集英社 (2005.12)

\714

評価:☆☆☆


 ジョークを紹介するのは面白くなっても、解説するのはなかなか難しい。その暴挙に敬愛する米原万里さんが挑んだが、やはり壁は高かった。

 笑いは実に複雑で、解剖しようとする試みは失敗に終わることが多い。そもそも、人はなぜ笑うのか、ということが分かっていない。世界中の人が笑っていながら未だに笑いについての原理はほとんど分かっていないということに驚かれるかもしれない。

 取り上げている小咄そのものは面白くて笑えるものが多いのだけれども、本全体としてみたら評価は厳しくならざるを得ない。どうしてもエッセイと比べてしまい、残念に思われてならなかった。

 正しい読み方は、解説文を読み飛ばして小咄だけ追うことかもしれない。そうすれば楽しかった、というだけで済むことだろう。
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未分類 | 2007/01/29(月) 22:27 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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262冊目 隣に棲む連続殺人犯
隣に棲む連続殺人犯

ヘレン・モリソン共著 / ハロルド・ゴールドバーグ共著 / 大野 晶子訳

ソニー・マガジンズ (2005.10)

\2,520

評価:☆☆


 企画は面白かったのだが、内容から科学的あるいは医学的な見地からすると誤りが多すぎるのが残念な本。たとえば、著者はこのように書く。

精神病質者の場合、罪悪感や良心が属する超自我の部分に問題を抱えている。精神病質者には良心がなく、連続殺人犯のように気分屋でもない。精神分析医がなんらかの手を打てば、精神病質者の性格を変化、発展させることは可能だ。ところが連続殺人犯の場合、性格がまとまっていない。
本書P.112より引用


 この文章の中には明らかな過ちが含まれている。“精神分析医がなんらかの手を打てば、精神病質者の性格を変化、発展させることは可能”ということだ。

 大変残念なことに精神分析を行う人々が信じているであろうことは大嘘であることが判明している。精神分析を受けた人の治癒率は、自然治癒率よりも低くなるという確たる証拠がある。『精神分析に別れを告げよう』には精神分析の驚くほどどうしようもない姿が克明に描かれている。

 また、71冊目に紹介した『フロイト先生のウソ』もフロイト理論なるもののインチキを知る際には勉強になる。

 この事例に限らず、フロイト派にしか通用しない言葉で権威付けする傾向が見られ、口辱期やら投影やら分裂やらがどうとか解説しているのだが、上記のとおり全く意味がない。さらにロールシャッハテストも取り上げた挙句に催眠術で過去を再現させようとする。当然のごとく、多重人格(多数の女性を強姦し、金品を強奪していたビリー・ミリガンが発症しているとして有名になったものの、多重人格の存在そのものに大いなる疑問が投げかけられている)が顔を出し、夢判断まで取り上げられる。ここまでくると精神分野におけるオカルト大集合といった趣がある。

 なお、ロールシャッハテストに関しては同じく73冊目に紹介した『「心理テスト」はウソでした。』が参考になると思う。

 催眠術下の記憶回復についても疑問がある。『悪魔を思い出す娘たち』には催眠術によって”回復”した奇妙な記憶についての恐ろしさが良く現れている。なにせ、ありえなかったことでも人は簡単に記憶を取り出してしまうのだから。記憶の好い加減さについては『抑圧された記憶の神話』に詳しい。

 さらに残念なことに、“精神分析医がなんらかの手を打てば、精神病質者の性格を変化、発展させることは可能”との言明はもう一つの誤りをも含んでいる。それは、性格は遺伝性があり、年齢を経るに従って遺伝の影響が大きくなるという事実を無視することから導き出される。はっきり言って、精神分析は害になることはあっても役に立つことはないタバコみたいなものだ。タバコと違って直接の死者をださないところがマシな点かもしれないが。

 従って、本書を読んで記憶に残すべきは事実の部分だけだ。著者の判断や理論は全く当てにしてはいけない。そういう読み方に自信がない方はそもそも本書を手に取るべきではないだろう。ただし、連続殺人犯は生まれながらにして連続殺人犯であって矯正不可能であるとの考えには全面的に同意する。

 それでも本書には魅力がある。なにせ、エド・ゲインやジョン・ゲイシーと言った海外にまで名前の知れ渡った“超大物”とのインタビューが多数載っているのだから。なぜ彼らが犯罪を犯すのか。その答えはもちろん精神分析からは出てこないが、それでも次なる被害者を出さないために研究することは必要だ。

 犯罪者たちがなぜ犯罪に走ったのか。その闇に興味がある方は注意しながら読んでみても良いかも知れない。ただし、残虐な描写が多数出てきて、しかもそれが誰かの身に起きた現実だという圧倒的な事実には胸がつかえる。それが苦手な方は決して読んではいけません。その反面、事件の事例集が好きな方は楽しめるかも。
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ノンフィクション | 2007/01/28(日) 20:00 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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261冊目 中傷と陰謀アメリカ大統領選狂騒史
中傷と陰謀アメリカ大統領選狂騒史

有馬 哲夫著

新潮社 (2004.10)

\756

評価:☆☆☆☆


 選挙とメディア、といえば思い浮かぶのはケネディとニクソンが争った1960年の大統領選だろう。

 ケネディはテレビ討論会において若くてハンサム、自信に溢れたイメージを強調、遊説でくたびれきったニクソンに対峙した。アイゼンハワー政権で副大統領職にあったニクソンに、政治に対する熱っぽい姿勢のないケネディが論理で挑んでも勝てるはずは無かった。

 事実、ラジオを聴いていたものはニクソンが勝ったと思いこんだ。しかし、テレビを見ていたものは違った。彼らは、ケネディこそが勝者であるとみなしたのだ。

 テレビという、当時は新しかったメディアを有効に使いこなしたことでケネディは大統領の座を射止めた。その彼の頭は1964年の大統領選挙の遊説中に射抜かれたのは皮肉というべきか。

 ブッシュ父は民主党のマイケル・デュカキスを一発のネガティブ・コマーシャルによって沈めた。

 デュカキスが知事を務めていたマサチューセッツ州は囚人に一時帰休を認めていた。一時帰休という制度そのものはマサチューセッツ州以外の州でもあったのだが、ここではなんと終身刑の囚人にまで一時帰休が認められていた。そんなマサチューセッツで、一時帰休中のホートンという犯罪者が更なる犯罪を重ねた。若いカップルをさらい、男を刺殺して女を繰り返し強姦したのだ。

 犯罪者は更生し得ないことを如実に示す結果だと思うが、とにかくこの事実を取り上げたCMはブッシュの勝利につながったとされている。複雑なのは、この一時帰休を決めたのは、実は前職の知事で共和党出身のフランク・サージェントだったことだろう。共和党の犯した失敗が、民主党の候補者を攻撃する材料となったのだ。

 ケネディは若く希望に溢れた自身の姿をアメリカと重ね合わせ、ブッシュは人々の持つ犯罪への怯えを、それぞれイメージ化させた戦略により大統領となった。そのどちらも、彼らが大統領になってなにをやろうとしているのかには結びついていない。

 本書はブッシュ対ケリーという見物人にとっても面白くない選挙戦に見られた様々な戦術から筆を起こし、アイゼンハワーからブッシュJrに至るまでの大統領選におけるメディア戦略を概括している。

 大衆の知力を信じず、論理や目的よりもイメージを優先させる人々の狙いは、残念ながら当たっていると言わざるを得ない。それでもテレビの持つ圧倒的なイメージは誰も無視できず、今でもなお外見優先の戦略は続いているのである。

 他国のことを笑ってばかりは居られない。肝心なことは何も言わず、自分の言葉で政策を説明して国民に納得を得られるような努力を全くしなかった小泉前首相があれほど高い人気を維持したことは記憶に新しいだろう。

 こんな状況を、著者は語る。

 確かに、私たちは誰も政治的現実を直視したいとは思わない。どんな人間にとってもそれは堪えられないものだからだ。だから、そうせずにすむよう誰かが幻想を与えてくれるのならば、それを進んで受け入れる。そのほうが心地いいからだ。ある意味で、政治とは有権者にこの心地よさを与え続けることが役割なのだろう。


 著者の見解は、きっと正しいのだろう。大衆は愚かで、複雑なことは理解できないとするロッサー・リーヴス(アイゼンハワーの選挙参謀)も、きっと正しい。私には、こんな状況を嘆くことしかできないのだろう。他人を啓蒙するなんてことをできる能力は私には無いし、そもそもやる気のない人々を良くすることは不可能だから。
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ノンフィクション | 2007/01/27(土) 13:57 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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仕事しかしてない
 毎日忙しい。これがデートとか飲み会とかだったら良いのだけど、残念なことに仕事ばっかり。

 仕事が趣味、という人も世の中にはいるのでそういう人には良いかも知れない。でも、私みたいに嫌いなものの筆頭に仕事がくるようなダメ人間には向いていないのは確実。

 労働基準法無視がまかり通り、7:30~23:00くらいまで働いていると、家に帰ってお茶を一杯飲む時間すらない。おまけに単身赴任先に残る土日の片方は出勤。俺の人生は仕事のためにあるわけじゃない。仕事は生きるための手段なんだ。家族と離れて、遠い地でただひたすら仕事をするのは私にとってあまりに向いていないと思われて仕方がない。

 仕事の内容そのものに大きな不満があるわけではないけれど、24時間フル操業でそこそこトラブルも起こるのでいつ呼び出されてもおかしくない。入社するときには月の残業は40時間くらいと聞いていたのだけど。

 周りもみんな不平が多く、今日も車に目張りして中で練炭焚いて焼肉やって酔っ払ったらそのまま寝ましょう、と誘いを受けるくらい。その状況で死ぬのはきっと心地よくて、今よりずっと楽なんだろうな、とうっすら思う。病んでる。

 若者が搾取されている、というのはまごうこと無き事実なんだろう。客観情勢のおかげで楽ができた団塊世代の老後の生活まで面倒を見るために私の世代が苦労しなければいけない理由が分からない。特に、国を背負ってたつべき理系の人々が斯くも(賃金面ではなく)厳しい生活を強いられているのはいくら強調してもしたりないだろう。

 カネのことばかり考える人生に価値はない。それは投資でも仕事でも同じこと。得たカネで、何をするかを考える。何が自分にとって幸せなのかを考える。それこそが自分の人生を生きる道だと思う。考えなければ。考え始めると眠れなくなるのだけれども。



追記
 残業代の割増率を上げる(時間に応じて3段階のアップ)という記事を見かけたが、こんなのは現場を知らない作文に過ぎない。

 なにせ、勤怠上は私は毎日8:00~18:00までしか働いていないことになっているからだ。実際はもっと前から働き始めてずっと後まで残業しているのに。

 取り組むべきはこのような残業代不払いや長時間残業を強く規制することだと思う。
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雑記 | 2007/01/26(金) 23:20 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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260冊目 中国共産党に消された人々
中国共産党に消された人々

相馬 勝著

小学館 (2002.4)

\1,470

評価:☆☆☆


 人権を抑圧する圧制国家は沢山あるが、とりわけ抑圧の激しい国の一つが共産中国であることは間違いなかろう。共産党を標榜する国家に共通することではあるにしても、ソ連があえなく消滅した今、共産党特有の圧制と弾圧は中国と北朝鮮が一手に握っていると言って良い。

 未だかつて評価すべき共産国家が存在しなかった以上、今後も共産主義勢力が権力を握ればスターリンのソ連や毛沢東の中国といった自国民を大量虐殺する圧制国家が生まれるのは“唯物論的に”間違いがないだろう。

 そんな圧制国家・中国によって政治的に抹殺された人々を紹介しているのが本書。天安門事件で民主化運動を担った王丹、方励之、魏京生といった人々、強引な中国化を進める当局に反発するチベットのダライ・ラマや新疆ウイグル自治区の人々の受ける過酷な日々には寒気がする。

 彼らのうち、あるものは罪をでっち上げられて政治犯として数十年も囚われの身となり、拷問を受けている。怪我や病気をしても治療も許されない。

 だが、それでも彼らはまだ良い。なぜなら、彼らの名前は国際的に知れ渡っているので中国政府としてもやりすぎることはできないからだ。彼らが刑務所で拷問の末に殺害されるリスクは少ない。

 しかし、無数の一般人はそうではない。公式的には存在しないことになっている政治犯用の収容所で思想改造という名の拷問を受け、連日何体もの遺体が始末されているという。異民族であるチベット族やウイグル族ともなると扱いはさらに酷くなるというのだから目も当てられない。

 経済的には繁栄の渦中にあっても政治的には過酷な中国にあって、我々が共感できるのは思想の自由を全く認めず、民主化を求める人々を弾圧する政府だろうか。はたまた、ただ自由を求めて闘う人々だろうか。

 後者だ、という方には、是非この事実を知ってもらいたいと思う。中国史が好きで多くの歴史上の人物に魅力を感じてきた私には、今の中国が残念でならない。
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ノンフィクション | 2007/01/23(火) 22:49 | Trackback:(2) | Comments:(0)

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259冊目 放射線利用の基礎知識
放射線利用の基礎知識

東嶋 和子著

講談社 (2006.12)

\987

評価:☆☆☆☆


 放射線利用には大きな課題がある。それは人々が抱く負のイメージ。平和利用においてもチェルノブイリやスリーマイル島、そして東海村の事故があり、軍事利用では数十万の被害者を出した原爆の使用と相互確証破壊(MAD)という略称に相応しい狂った理論が大手を振ってまかり通っていた。

 しかし、だから放射線は危険だから使用するべきではない、というのは合理的な立場とは言えないだろう。

 本書は寺田寅彦の名言「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい」を引き、正当に怖がるための知識を深めようと呼びかける。孫子曰く、彼を知り己を知れば百戦して危うからず、というやつだろうか。

 読者の多くは、放射線が実に多様で生活に密着した使われ方をしている事実に驚かされるのではないか。

 たとえば夏に欠かせない野菜、ゴーヤを食べることができるのは放射線を利用して害虫の根絶に成功したから(この話に興味がある方には『害虫殲滅工場』をお勧めしたい。文章は退屈だけど^^;)。

 病院にいけば診断にMRIやレントゲンを使うし、旅行先ではラドン温泉で体の芯から温まり、ゴミ焼却炉ではダイオキシン除去に一役買い、歴史学では年代測定の強い味方となる。そのほかにもタイヤや半導体の製造には欠かせない技術として確立され、食品に照射することでO-157などの有害細菌を殺菌しジャガイモの発芽を抑えることにも使われる。

 多くの例を取り上げることで放射線を無意味に恐れる必要はないのだと納得させてくれる。利用方法が正しければ我々の生活を豊かにしてくれるすばらしい技術になりうる、ということだ。

 利点もあれば欠点もある。チェルノブイリでも東海村でも残念なことに死者が出てしまった。その危険性については正しく認識する必要がある。そして危険性についてもきちんと評価をしているのが心強い。利点を認識しつつ、どのように安全を確保するかを考えるのが重要だろう。

 もう一つ。それでも放射線とかなんとかというのは難しそうだと思う方もいるかもしれない。しかし、本書は実に平易に書かれている上、キュリー夫人などによる発見の歴史をかいつまんで解説しながら放射線の性質や原理を丁寧に教えてくれている。中学生でも十分に理解できるほどのレベルではなかろうか。ちょっとでも興味を感じたら、タイトルだけで敬遠せず、どんな使われ方をしているのかを覗いてみるつもりで手にとって見てることをお勧めしたい。
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その他科学 | 2007/01/22(月) 22:49 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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258冊目 数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活
数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活

ゲルト・ギーゲレンツァー著 / 吉田 利子訳

早川書房 (2003.9)

\1,995

評価:☆☆☆☆☆


 数学とか確率なんて言葉を聞いただけで敬遠したくなる方もいるだろう。しかし、実は確率の話は面白い。そう思っていたのだが、どうやら面白いだけでは済まないようだ。というのは、数字に弱いということは思わぬリスクを抱え込むことになるかも知れないとの説得力ある指摘を本書から受けたからである。

 たとえば、こんな話について考えてみて欲しい。あなたの住む町では、0.01%の人がHIVに感染している。検査方法に次の二つの条件が付きまとっているとする。
1.この検査はHIVに感染している人を99.99%の可能性で陽性を示す
2.同時に、HIVに感染していない人を99.99%の可能性で不感染を示す

 さて、あなたがHIVの検査で陽性と判定されたとしよう。あなたが実際にHIVに感染している可能性はどれくらいか。

 答えは50%となる。(反転させたら答えが見えます)

 この結果には誰もが驚くのではなかろうか。どうも常識から外れているような気がする。その不思議を確かめるには本書をあたって欲しいと思う。

 この一事をもってみても、数字から受ける直感的なイメージというものがどれほど事実から離れているかを知ることができるだろう。勿論のこと、話はHIVだけに留まらない。死すべき運命にある人間の一員である以上、HIVに限らず様々な病気に罹患する恐れが付きまとうため、ありとあらゆるリスクについて同様の話が成り立つのだから。

 大腸癌や胃癌や肺癌、心臓病に事故災害と恐れるべきものは沢山ある。でも、それらに対して正当な恐れを持つのは困難極めるのだ。あなたが女性なら乳癌も考慮すべきリスクに入るかもしれない。しかし、実際のところは50歳未満の女性に取っては乳癌の検診を受けるメリットは全く存在しない。あなたが50歳未満の女性で病院経営者であれば他人が検診を受けてくれるメリットはあるだろうが。

 数字を言われるとつい鵜呑みにしてしまうのは多くの人が一緒だろう。そんなことを言う私もその一員である。しかし、それがどれほど危険な態度なのかは知っておくべきだろう。

 本書を読むことで、医者から言われる数字のその計算方法について当否が判断できるようになればあなたは自分と家族の健康についてより確かな自信を持てるようになるはずだ。なにせ、本書にも多くの例がある通り、医者も確率的な考えが苦手なのだから。

 医者が数字に弱い結果として、不利益を蒙るのは患者だけである。死の恐怖に苛まれ、苦しい検査を我慢し、おまけに多額の出費まで強いられる。ところが、実はあなたは病気ではなかったのかも知れないのだ。

 そんなことは滅多に無いだろうし、それが自分の身に降りかかる可能性は更に低いというのは一つの意見かもしれない。しかし、そのリスクはあなたが思うより高い。先に挙げたHIV陽性と判定された場合の実際の感染率があなたの予想より遥かに低かったように。

 確率を知ることで見えてくる意外な話を上手くまとめていると思うし、話題も我々の人生に身近なものが多いので楽しく読むことができる。そして、自分自身についての判断を他人に委ねることがどれほど危険なことなのかも知ることができる。楽しくてためになる、素晴らしい本である。患者は勿論のこと、医者を初めとする医療従事者にも是非読んでもらいたいと思う。
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数学 | 2007/01/21(日) 23:15 | Trackback:(2) | Comments:(0)

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257冊目 ハプスブルク家

評価:☆☆☆☆


 ヨーロッパの歴史を通して理解するのは至難の技で、だからこそ日本の教科書では中国史のような教え方をしている。ローマ帝国やフランク王国、神聖ローマ帝国などの国々があたかも天命を受けてヨーロッパ全体を支配したようなイメージになりがちだ。

 しかしながら、あの広大なヨーロッパが一つの政治的・文化的な集合体であったことは無かった。キリスト教というバックボーンはあるにしても西と東では随分と雰囲気が異なるし、まして北方などはキリスト教化が遅れたために十字軍まで送られた始末である。東西で背景の異なる国同士が覇を競い続けた歴史を一つの観点から説明しようとするのがどれほど困難なことか。

 しかし、それでも今のヨーロッパ統一への流れを見ると、弱いつながりがあるのも事実。

 そんな現在を理解するのに、ハプスブルクという一族を見るのは、かなり有効なのではないか。そう思わせるものが本書にあった。

 ハプスブルク家がなぜ重要なのか。それは13世紀のルードルフ一世にはじまり約七百年もの命脈を保った王家であること、神聖ローマ帝国、後にはオーストリア=ハンガリー帝国としてトルコと接する地にあったことも重要だが、婚姻政策によってスペインまでをも彼らの版図としたことが大きい。

 スペイン王家にもハプスブルクの人物が入り込むことによって、東欧だとか西欧といった地域分けではすまない世界帝国への道が開けたことになる。スペインからハプスブルクの血統が絶えた際にはスペイン継承戦争が起こり西欧社会に大きな混乱をもたらしたこも記憶にとどめておいていいだろう。

 そんな世界帝国を統べる一族が、ドイツの地方から身を興し、神聖ローマ帝国の皇帝となってやがては第一次世界大戦に伴って民主化するまでの約七百年の歴史を大雑把に追いかけている。本書を読むことでヨーロッパ史について概観できるというのは嬉しい。

 カルロス一世や女帝マリア・テレジアといった魅力的な人物の活躍に加えて、プロイセンのフリードリッヒ大王や太陽王ルイ十四世など誰もが知る人物が脇役として顔を出す豪華さ。個人的な魅力だけに留まらない、一族の魅力を感じさせてくれ、ヨーロッパ史への興味を更に高めてくれた良書。
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その他歴史 | 2007/01/20(土) 23:54 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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256冊目 ダーウィン賞!
ダーウィン賞!

ウェンディー・ノースカット著 / 橋本 恵訳

講談社 (2001.5)

\1,470

評価:☆☆☆


 知ってのとおり、世の中には莫迦が溢れている。あなたにも心当たりがあるだろう。莫迦はその奇矯な行動と常識はずれの言動ですぶばれる。たとえば子供の名前を大天使(ガブリエル)などと名づけている既知外もその一例で、その程度の莫迦は(嘆かわしいことに)身辺に溢れかえっているのだけれども、もっと凄い莫迦もいる。

 人類はこれほどの文明をを築き上げるところまで進化してきたというのに、なぜこんな人々がいるのだろうか。ひょっとして、進化が足りないのじゃないか。

 ではどうすれば人類はさらに進化できるだろうか。それは、莫迦が勝手に死んでくれることだ。いや、死ななくても良い、生殖能力を喪ってさえくれれば……

 そんなブラックな立場からシニカルに人の死まで笑い飛ばしてしまおうというのが本書。ダーウィン賞は、もちろんかのチャールズ・ダーウィンにちなんでいるのだが、その精神はダーウィンとかけ離れていて、莫迦な死に方をした人に贈られる賞である。莫迦は嫌いだと公言する私でさえ死人を笑うのにはタブーに近い感覚を覚える。しかし、それでもあまりといえばあまりの死に方を見てしまうと、笑いがこみ上げてきてしまうのも事実である、ということを知った。

 たとえば。車の中で恋人と喧嘩になった人物が時速100km以上で走る車から飛び降りてしまったケース。長いゴムを使用したバンジージャンプで地面に激突した若者。地上で最も暑いデスバレーで32kmの道のりをわずか3リットル足らずの水だけを持って踏破しようとした無謀な冒険家。果ては恋人にいいところを見せようとロシアンルーレットを敢行し、見事に当たり(この場合は外れか?)を引き当てて死亡した莫迦。常識を外れた死を遂げた人がこれほどにも多いというのはある意味で驚きである。

 取り上げられている話の中にはそれを笑うのは酷ではないかと思われるものもあるが、死人が出たというのを忘れてしまうほど莫迦莫迦しい話もある。莫迦は計り知れないのかも知れない。

 読むに耐えない話もある。具体的に言うと、やはり性器を喪うに至ったもの。同じ男性として読んでいるだけでどうにもこうにもむずむずしてしまう。なので、ここだけ流し読み。分かりますよね、この気持ち。

 賢明なる読者はもう察しがついたと思うが、本書に登場する圧倒的多数は男である。フェミニストなら激怒すべきことだろう。女も莫迦な死に方をする、と。莫迦のジャンルの一つに過ぎないフェミニストは無視すると、やはり男性ホルモンの力は恐るべきものだ、ということになる。サルも生まれたときにはオスメスほぼ同数なのが、オスがしばしば無謀な行動によって死ぬため大人になるとその比率が大きく偏るという事実からも遺伝子のレベルから、男は莫迦なのだ。哀しい男たちと少数の女性たちの悲しい最後を見て、ブラックな笑いを楽しむのも、たまにはいいかもしれない。ただし、一気に読むのはお勧めしない。理由はお分かりいただけると思う。
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未分類 | 2007/01/18(木) 23:57 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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255冊目 李歐
李欧

高村 薫〔著〕

講談社 (1999.2)

\750

評価:☆☆☆☆☆


 さすが高村薫。冒頭の、“毎朝、あるのは重力だけだ”という書き出しでもうやられてしまう。

 自然科学に興味を寄せ、大陸の人々と機械工とが大活躍する彼女の作品らしく、今回もその類の人々が縦横に活躍する。

 主人公の吉田一彰は毎朝重力を感じるだけで何かを成し遂げる覇気はない。女性との逢瀬を重ねながら怠惰な日々を送っていた。その彼の生活が一変したのは、バイト先で否応無く殺人事件に巻き込まれてからのことだった。犯人は李歐。若く、美しい男だった。

 李歐に魅せられる吉田となぜか吉田を気に入る李歐。李歐の依頼人や対立する犯罪組織、そして大陸の政治事情と複雑怪奇な情勢に置かれても、相変わらず吉田は自ら何かを選び出す生き方はしない。ただ、機械をいじるのが楽しいだけだった。

 やがて李歐は大陸へ去る。再会を約して。

 壮大なストーリーとカネや力が複雑に絡み合い、おまけに共産中国などの政治情勢が見え隠れする。そんな客観情勢と、どこで知ったのか不思議に思うほど書き込まれる機械加工の話がどうにもアンバランスに見えながら独特の世界を形作っているのを実感する。

 構想力や人物の書き込みは本当に見事なもので、物語に引き込まれる楽しさを味わうことができた。あの人が死ぬのは見え見えだったけど。手軽に読める本ではないけれども、面白いので小説好きにはお勧めしたい。
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その他小説 | 2007/01/17(水) 23:55 | Trackback:(1) | Comments:(2)

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一言
 毎日新聞でこんな記事があった。ネット君臨:第1部・失われていくもの/8 検索--コピー--ペースト

 今回批判されているのはコピペ。これをやると字がかけなくなると批判したいらしい。

 でも、新聞記事が堂々と”危ぐ”なんて書いているのも立派に他人を馬鹿にしている(ダブルミーニングです)と思う。こんな馬鹿馬鹿しい言葉の使い方をしていながら他人に文句を付けられるのか。せめて自分たちが美しい言葉遣いをしてから文句を言って欲しい。読者は馬鹿に決まってるから危惧なんて書いたら読めないに違いない、頭の良い俺様が譲歩してやろうという雰囲気を感じざるを得ない。

 弓山さんが学生の国語力低下を感じたのは90年代後半になってからだ。ゆとり教育と並行してネットが普及した時期と重なる。


 としているが、これは同時に子供の数が減って馬鹿でも名前さえ書ければ大学に入れるようになった時期にも重なる。裾野が広くなればレベルが下がるのは当然のことで、嘆くのは早計だ。むしろ、その背景にある単純な理由が真相だとしたら嘆くほうが馬鹿馬鹿しいことになる。PCの氾濫や携帯メールの隆盛は関係ないのかもしれない。もちろん、関係あるかもしれない。でも、どちらを言うにしても証拠は少なすぎる。むやみに結論に飛びつくべきじゃない。

 いつの世も馬鹿なガキはいたし、馬鹿な中年もいた。もちろん、馬鹿な老人もいた。今の馬鹿なガキだけをとっ捕まえて子供全体の学力低下を叫ぶのは、馬鹿な大人がやることじゃないのか。こんな馬鹿な本がもてはやされる世の中だから、我々は嘆くべきかもしれない。ああ、最近の中年以上はろくなものではない、と。

 とか言いつつ、もうちょっとで中年の仲間入りなんだよなぁ。。。
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雑記 | 2007/01/15(月) 23:23 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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254冊目 サブリエル
サブリエル 上

ガース・ニクス著 / 原田 勝訳

主婦の友社 (2006.8)

\780

評価:☆☆

サブリエル 下

ガース・ニクス著 / 原田 勝訳

主婦の友社 (2006.8)

\780

評価:☆☆☆


 ネクロマンサーの娘で、自らもその術を操るサブリエルの冒険譚。物語はサブリエルが生まれるところから始まる。難産の末に母は死に、産婆はサブリエルも助からないものと確信した。そこに現れたのが父アブホーセン。彼は冥界の門をくぐり、娘の魂を生の世界に引き戻した。

 それから18年。サブリエルは魔術が栄え冥界につながる扉から死霊が現れる古王国に隣するワイヴァリー学園で学んでいた。新月の夜に現れる父との再会を楽しみに。

 平和な日々は父の変わりに異形な者がアブホーセンの道具を持ってサブリエルを訪れたことで終わりを告げる。父アブホーセンが古王国で行方不明になったことを知ったサブリエルは未熟な腕も省みず、古王国へ旅立つことにしたのだ。

 死者の霊を現世に呼び戻すのではなく、死霊を死の世界に送り返す役割のネクロマンサーという設定は面白い。ただ、冥界についての設定などがほとんど説明されないのでおいてきぼりにされた気分を味わうのも事実。このあたりの不親切さを乗り越えてくれればもっと面白くなったのだが。

 このサブリエルの上下巻自体が物語全体の導入部に当たるので、一気に盛り上がるというわけには行かない。なのでどうしても評価は低めになってしまう。長く続く物語の導入部では避けられないことだろう(そういう点では、ハリポタは1年で話の区切りがつくという上手い構成をとっていると思う)。

 お約束も沢山ある。ある意味で安心して読めるのだけど、逆に言えば展開が読めてしまうことにもつながる。予定調和の世界を楽しむか、先が読めることを残念がるかは読者のスタンスによるのだろうけど、個人的にはちょっとやりすぎのような気がする。

 もう一つ評価を下げているのは不親切さ。世界観を明かさないので、読者はなかなか世界に入り込めない。また、唐突に設定が出てきているような印象を受けてしまうのも残念。このあたりが改善されたらもっと面白くなるだろうに。

 ファンタジーブームによってそんなに質の高くないものまで出版されているようで、本書もその部類かもしれない(たとえばダレン・シャンは露骨につまらない)。が、導入部ということで目をつぶろう。

 下巻の最後はボスクラスとの対決があり、別れがあり、とやはり面白くなってくる。この次以降にどうやってつなげられるかで作品全体の価値が決まるだろう。
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SF・ファンタジー | 2007/01/15(月) 22:44 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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253冊目 アポロとソユーズ
アポロとソユーズ

デイヴィッド・スコット著 / アレクセイ・レオーノフ著 / 奥沢 駿訳 / 鈴木 律子訳

ソニー・マガジンズ (2005.5)

\2,100

評価:☆☆☆☆☆


 著者のデイヴィッド・スコットとアレクセイ・レオーノフの名前を聞いてもぴんとこない人が圧倒的多数だろう。そんなことを言う私自身もその一人だった。簡単に済ませてしまうと、アレクセイ・レオーノフはボスホート2号に乗り込んで人類初の宇宙遊泳を成し遂げ、デイヴィッド・スコットはアポロ15号の船長として月面を歩いた7人目のとなった人物である。

 知ってのとおり、宇宙開発にはアメリカとソ連という当時の二大大国の威信を賭けた壮絶な争いがあった。国も違えば政治的な情勢によっては戦場で相まみえたかもしれな2人が活躍した舞台はこそがその宇宙開発だった。彼らに共通していたのは幼少の頃からパイロットに憧れていたことと自分の道は自分で切り開こうとする独立心、そして夢を適えるためには自分に打ち克てる強い意志だった。

 本書はスコットとレオーノフという、冷戦の最中に宇宙開発で凌ぎを削った2人がそれぞれの生い立ちから自分たちが遭遇することになった宇宙開発の歴史を語っている。

 前半で面白いのは圧倒的にレオーノフ。なにしろ、彼は当初から宇宙飛行士を志し、かのガガーリンの親友で、仮にソ連がアメリカに先んじて月面到着を果たしていたら人類最初の月面歩行者になっていたであろう人物である。スプートニクに代表されるように、宇宙開発の前半においてソ連が大きくリードしていたことを考えるとソ連の活動の面白さは言葉では言い尽くせない。もっとも、今の私は面白いといえるが、当時はその面白さを100倍にした以上のショックをアメリカは受けていたことだろう。

 アメリカが逆転する機会は容易には訪れない。アメリカ側は知らなかったことだが、ソ連の開発をリードしたコロリョフが死去するまでアメリカはソ連の後塵を拝することになる。コロリョフと並び称されるフォン・ノイマンが健在であった頃から。初の衛星も、初の有人宇宙飛行も、初の宇宙遊泳もソ連が先んじていたのだ。

 アメリカがリードするのはようやく月に人類を送り込むというケネディの宣言からである。

 事故も付き物だった。たとえばジェミニ8号の事故は宇宙開発史に残るものだった。月面到着に向けた事前のドッキング試験において、宇宙船は突如として回転運動を始めてしまい、予定をキャンセルして地上への帰還を余儀なくされる。そのときの船長はニール・アームストロング。後に月面を歩いた最初の人物となった彼である。その副官として同乗していたのが著者の一人であるスコット。絶体絶命の危機を2人の冷静沈着な判断は耐え抜いた。

 月面を目指した苦労の結晶は月面に人類を送り込んだという大きな成果となって実る。この際、どちらが先かというのはつまらない話であろう。

 苦労の果てに大きな成果を手にすることができた当事者の経験が面白くないわけがない。本書を読むことで読者は自室にいながらにして宇宙開発の苦労と大変な経験と、そしてその成果とを知ることができる。

 確かに多くの死者が出た。アポロ1号はグリソム船長、ホワイト、チャフィーの3人の宇宙飛行士と共に焼けて無くなり、ソユーズ1号に乗り込んだコマロフは宇宙まではたどり着いたものの遂に生きて地上に降り立つことは無かった。レオーノフの親友だったユーリ・ガガーリンは飛行機事故で世を去った。惜しくも志半ばに舞台から去らざるを得なかった彼らの姿を含め、高い目標を掲げた冒険者たちの物語は読むものの心を打ってやまない。

 彼らは偉大な冒険を成し遂げた。その軌跡を追いかけるのはとても楽しい。スコットが月面に降り立った際の「人類は冒険しなければならない。そして、これはもっとも偉大な冒険なのだ」という言葉や2人が宇宙から地球を眺めとても言い尽くせないほどの美しさに打たれた話など、当事者でしか味わえないだろう興奮と感動が伝わってきて胸を打たれる。

 苦しい訓練、宇宙航空力学のような学問も修め、スコットに至っては月の成立を探るためのミッションをこなすために地質学のフィールドワークまでこなす多芸多才さ。特筆すべき能力と強い意志がなければ挫折は間違いなかっただろう。宇宙飛行士への敬意を以前よりも強く感じるようになった。私ならとても耐えられない。たとえ月に行けるという魅力が伴ったとしても駄目だっただろう。

 結びはアポロとソユーズによるドッキング計画である。この計画の立案と実行により、本書のイメージは大きく変わる。競争から、共通の目標に向けての共闘へと。本書のタイトルは対立も共闘もイメージさせるすばらしいものだ。本書は月面到着レースと協力体制という二つの局面を鮮やかに描き出した名著である。

 なお、本書に興味を持った方にはコロリョフとノイマンに光を当てた『月をめざした二人の科学者』もお勧めしたい。


2007.1.14追記
 ロシア宇宙開発史がタイトルどおりにソ連からロシアに続く宇宙開発の詳しい歴史を取り上げています。レオーノフの船外活動については同サイト内のどこまでも運のいい男が本書よりも詳しく触れられています。
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ノンフィクション | 2007/01/14(日) 11:55 | Trackback:(2) | Comments:(0)

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楽しみに来てくださっている方、ごめんなさい
 つい先ほど書き上げたのを、更新直前に失ってしまったわけで。ブログに慣れたのは良いのだけど、あまりにもったいない。呆然とした時間をしばしすごし、不貞寝することにします。

 やはりこれは今週飲みすぎたのが原因だろう。新年会に歓送迎会。いやー、忙しかった。主に飲むのに。というわけで、アルコールの成せる技だと自分に言い聞かせておく。

 長文が消えてしまうのはショック。まして、マイク■ソフトのせいにできないときは余計に。

 明日更新します。。。
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雑記 | 2007/01/13(土) 23:59 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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252冊目 王莽
王莽

塚本 青史〔著〕

講談社 (2003.8)

\790

評価:☆☆


 これは凄いことである。何がって、王莽のような無名な上に知られている人には評判が悪い人物を取り上げた歴史小説が書かれたということ。

 王莽がなぜ悪評を立てられているかというと、劉邦の建てた漢を、外戚という立場を利用した禅譲革命によって滅ぼしながらも失政続きでわずか15年しか命脈を保てなかったことによるだろう。おまけにその次はまた漢王朝に復するわけで、王莽が高く評価される余地はない。

 そのような政治的な背景もあるが、現実的にも彼が暗君だったことは間違いない。政治スタイルは復古主義で、いかに現実を良くするかではなくいかに古来のスタイルに合致させることができるかということだけに汲々とする。貨幣改革を何度も行い、その度に経済が破綻して農民は貧民へ転落する。苦しむ人民の存在に正面から取り組まず、古典を読み漁って礼にそむかないようにする人々が人臣を極めて膨大な富を独占する。そんな社会に住みたいとは思えない。前漢王朝末期は要するに政権内の権力闘争の帰結で王朝が変わったのに対して新が人民から見捨てられ反乱の中で瓦解していったのは故なきことではないだろう。

 そんな王莽が主人公というので張り切って読んでみたのだけれども、これが残念なことに面白くない。

 仮にも皇帝に登り詰めた人物である。野望や理想があったはずだ。しかし、これが全然書かれていない。王莽を見込んで先行投資する商人や武人、私欲に溺れる皇帝と、面白くなる舞台をそろえておきながら、王莽自身の書き込みが弱いので(ただでさえ魅力を感じられない人物が)全く魅力的ではない。

 個々のシーンとプロットはあっても生きた人間としての王莽が見えてこなかったのが残念である。
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その他小説 | 2007/01/10(水) 23:57 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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251冊目 世界の日本人ジョーク集

評価:☆☆☆☆


 ステレオタイプな決め付けをされるのは決して気分の良いことではないかもしれないけど、それでもついやってしまうのが人情。アメリカ人は独善的で傲慢ですぐ銃を抜き裁判を起こすイメージだし、ドイツ人は規則に忠実でイタリア人は女好き、韓国人は反日で日本人は過労死する。

 そのようなステレオタイプが当てはまる人もいれば当てはまらない人もいるのは当然だ。だけど、他国の人はそのステレオタイプで我々を見ているのだということは忘れてはならない。

 そんな他国からの視点を見るには日本人に関するジョークを調べれば良い。それを実行しているのが本書。

 エスニックジョークというのはどうしても差別的な側面をも併せ持つものだし、ジョークには下ネタが多く含まれることを諒解していれば本書を十分に楽しめるのではなかろうか。

 そこから見えてくるのは、我々は勤勉でジョークを解さず過労死するまで働き高品質で高性能な機器を作り上げ集団行動ばかりで個性が無いながらも忍者で侍でハラキリでゲイシャガールである、というイメージ。合っているという点もあるし間違っているとしか思えない点もある。しかし、これが世界で思われている現実。

 ひとつだけ例を。

 日本人とロシア人の技術者が車の機密性について話しをしていた。
 日本人「車に猫を閉じ込めて、翌日猫が死んでいたら機密性は完全だ」
 ロシア人「我々も猫を使う。車に猫を閉じ込めて、翌日も猫がまだ車の中にいたら機密性は完全だ」

 こんな類の話が沢山載っているので、ジョークを好きな方は読んでみてはいかがだろうか。ジョークは嗜みだから解さないと莫迦にされるし。なお、この手の話が好きな方はジョークアヴェニュー アメリカンジョークが楽しめると思いますのでどうぞ。
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未分類 | 2007/01/08(月) 23:47 | Trackback:(1) | Comments:(2)

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250冊目 阿片王

評価:☆☆☆☆☆


 本書のサブタイトルは「満州の夜と霧」。『夜と霧』といえば、V・E・フランクルの名著で一昔前の教養人なら当然読んでいた類の本である。読んでいないが。ナチスによる迫害により死と直面した人間にしか描けない作品として不朽の名声を勝ち得ている。読んでいないが。これを翻訳したことでみすず書房の評価までをも高らしめたとも言う。読んで(以下略)

 従って、”夜と霧”を冠している時点で必然的に二次大戦の暗い側面を感じさせずにはいられない。加えて阿片王という主題。こちらはイギリスの恥、阿片戦争を想起させる。阿片と満州。その結びつきを、本書を読むまで不覚にも全く知らなかった。

 満州事変からして既に阿片マネーが深く絡んでいたこと、熱河作戦などの日本が果てしない消耗戦争にのめりこんでいく背景に阿片の利益が隠れていたこと。そんな暗い闇に覆われた歴史を、裏社会特有の怪しく分析困難な情報から明らかにしようとするのはある意味で暴挙とも言える。それなのに、著者は複雑怪奇な人脈を辿り、魑魅魍魎が跋扈していた闇の世界に一条の光を当てることに成功していると思う。満州経営が、戦後日本の復興のモデルになったという著者の指摘まで飲み込むかどうかは別に、この点だけでも本書はとても面白く高い価値があると思う。

 詳細は本書に譲るが、日本がどれほど阿片を活用していたのかを知れば知るほど、阿片戦争を他国のこととして責めることが難しくなるのを感じざるを得なかった。性的快楽を高めるという阿片の特長は多くの廃人を生み出し、それが中国全体を病ませた。きっかけは確かにイギリスだろう。しかし、だからといってその基盤に乗って更なる破壊をもたらした影響は少ないものではなかったのも間違いないのではなかろうか。軍閥と日本軍の責任は極めて大きいと思う。

 満州のその影を追うために著者が狙いを定めたのは里見甫。新聞記者として戦乱の中国に降り立った男がいかにして阿片流通に深く関わったのかを、ともすれば闇の世界に姿を溶け込ませようとする人々から探り出す。そこから見えてきたのは阿片の流通を一手に握ることで巨額のカネが流れる最中にいながら私服を肥やすことなく、信義を重んじ中国を愛したスケールの大きい男の姿だった。

 確かに、里見のしたことは決して褒められることではない。満鉄にて甘粕(関東大震災時に大杉栄を殺害した元憲兵)らと共に謀略に携わり、阿片を流通させることで多くの人々を阿片中毒の闇に落とした。ただ、阿片に関わりながらも恬淡として懐の深い様は、同様に闇の世界に関わった児玉誉士夫や笹川良一とは明らかに一線を画している。

 本書の魅力を高めているのは、里見が満州成立の謀略にも関わったことからくる登場人物の多彩さにもあるだろう。満州の皇帝となった溥儀や東條、”満州の夜の帝王”甘粕、前述の児玉や笹川、岸信介に国民党を率いた蒋介石といった大物たちが阿片とカネの周辺に姿を見せる。そのカネのほとんどは軍に行ったようで、見境の無い北方での戦線拡大の裏には阿片の存在が大きかったことが示される。そしてその一部は南京攻略後に日本が建てた傀儡国家である汪兆銘政権の維持にも回っていたというのだから驚きだろう。

 歴史の闇に埋もれて当然の、このような人物にここまで肉薄できたのは見事の一言。満州という人造国家を、里見という一人の人物を通して眺めることでその成り立ちや性格が覗くという面白さもあり、里見の謎めいていて不思議な魅力に溢れた人物に引かれてぐいぐいと引き込まれた。満州の実像を、間接的な手法で眺めることができる良書だと思う。


 なお、個人的な話になるが、私は満州が存在しなければ決して存在することのなかった身なので、そういった点からも興味を持って読むことができた。もちろん、こんな大物たちの関与があったわけではないと思うが、それでも歴史と自分が確かにつながっていることを実感する瞬間でもある。
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太平洋戦争・二次大戦・現代史 | 2007/01/07(日) 23:26 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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249冊目 舞い上がったサル
舞い上がったサル
デズモンド・モリス著 / 中村 保男訳

飛鳥新社 (1996.4)


評価:☆☆☆☆


 人間は地上に堕ちた天使ではなく、サル類と共通の祖先から進化してきたということをほとんどの人は認めているだろう。知識としては。しかし、今の我々の生活にも類人猿だった頃の影響が色濃く見られると言われたらどうだろう?

 著者は『裸のサル』でまさにそのような主張をし、宗教関係者からは勿論のこと、人類学者までから猛烈な攻撃を受けた。ところがその後の目覚しく発達した遺伝学の成果から、人間とチンパンジーはわずか遺伝子の1.4%しか違わないことが判明したことに表されるように、思ったよりも人間はサル類と近い関係にあるのだ。

 本書で取り組んでいるのは、その『裸のサル』をさらに掘り下げようとする試みである。

 まず取り上げられているのは非言語的コミュニケーションである、ジェスチャーの研究。といっても、(手話を教え込まれたチンパンジーが行うのを除けば)サルのジェスチャーは知られていないので、対象となるのは普遍的な身振りになる。驚くべきことに、これほど多様な文明であっても変わらないメッセージが実に沢山見られるという。意識してとる行動だけではなく、無意識の行動が本能に根ざしているというのは面白い。

 嘘発見器などは嘘をつく際には意識せずとも体が緊張する現象を利用しているので、それに近いのかもしれない。

 狩りについての章では話題が狩りだけに留まらず、人類進化の舞台はサバンナだけではなく水中生活があったのではないかという主張の当否を論じ、終章ではそれこそ人間独自の行動であるように思われる美術まで類人猿に起源がある可能性が示唆される。話題の広さと意外さが新鮮な驚きをもたらす。

 タイトルどおり、人間は他の生物と切り離された天使が姿を変えたものではなくて紛れも無くサルの一員なのだということがよく分かる。進化の不思議とサルの面白さと、そして共通点があるからこそ際立つ人間の独特さに思いを馳せるのに丁度良い本ではなかろうか。
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その他科学 | 2007/01/05(金) 23:47 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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248冊目 外科の夜明け
外科の夜明け
J・トールワルド著 / 大野 和基訳

小学館 (1995.1)


評価:☆☆☆☆


 病院を嫌いな人は多いだろう。尋常ならざる待合室での待機時間は措くとしても、体にメスが入れられるとなれば多少の恐怖は感じるものだ。メスなど用いない歯医者にだって行くにはなけなしの勇気を振り絞らなければならないのだから。そんな恐怖の対象となる外科手術は、現在では恐れるようなものではない。百数十年前と比べたら。

 昔の手術室には苦痛と死が付き物だった。効くかどうかも定かではない治療に死ぬほどの苦痛(比喩ではなく、多くの患者が実際に命を失った)、不衛生な環境がための圧倒的な死者。それが現実だった。危険は手術だけにあったわけではない。産褥熱で死ぬ女性は数知れず。原因は不明で帝王切開は子供には生きる手段であっても母たる女性には死ぬ手段だった。

 現在の外科手術のほとんど全てから、苦痛と死が取り除かれるには多くの人々の関与が必要だった。勿論、全ての人間が善意と誠意から関わってきたわけではない。ある者は自己の利益のみを追い求め、ある者は自分の見つけた発見にのみ固執した。だが、医療は一歩一歩、確かに進化してきた。その成果が今にある。

 本書でまず語られるのは麻酔法の発見である。このあたりの流れに関しては過去に紹介した77冊目 エーテル・デイ に詳しい。麻酔法が無ければ手術から苦痛は取り除けない。初期の手術の情景には恐ろしさを感じずにはいられないほどである。(ただ、『エーテル・デイ』を読んだ方には本書の麻酔を扱う章は簡潔すぎて不満を抱くことであろう)

 著者は、最初の麻酔法の実験が無残な失敗に終わるのを目撃していた。苦痛が当然の時代の常識から抜けきれていなかったにも関わらず、やがて実験が成功したときの、厳格な教授の目に涙が浮かんだことを見逃さないだけの観察力を持ち合わせていた。

 やがて著者は医者となり、外科の手段がすさまじい勢いで進化する様を目の当たりにすることになる。麻酔すらできなかった頃の、苦痛に満ちた手術室が、無菌状態で心臓手術まで行えるようになるまでの進化の歴史を当事者として見事に描き出している。なかでもパスツールによる腐敗が細菌に引き起こされるという実験結果が臨床的に役立つまでの流れや、研究に没頭して家族を省みなかったコッホの研究など、化学の教科書で出てくるような話題が医学とも深く結びついているところが面白い。というよりも、別の分野の発見を、実に上手く臨床的に応用して言ったというべきか。

 とはいっても、全ての発見が無抵抗に受け入れられた訳ではない。ゼンメルワイスは消毒が産褥熱に有効であることを見出して産褥熱による死を防ぐために手洗いを強制したが猛烈な反対に遭い、最後は憤死に近い悲劇的な最後を迎えざるを得なかった。医学の権威は、常識は、彼を認めはしなかったのだ。また、壊死を防ぐ方法も当時は強烈な反対に遭わざるを得なかった。権威に挑戦するにはある程度の抵抗は仕方が無いかもしれないが、それでも異常なほどに抵抗が激しかったのは事実である。森鴎外がパンよりも白米を食わせろと主張して脚気の根絶を妨げ日本軍に多くの死者を出したのを見るまでも無く、権威にはそのような硬直さが付きまとうのかもしれない。

 だが、抵抗にめげずに医療は進歩してきた。その結果が今にある。多くの医学者たちの戦いと勝利が、安全な医療の提供に固く結びついている。医療を受ける側も、従事する側も、患者を助けるということがどのようなことか学ぶのに本書は実に参考になるのではないだろうか。

 なお、本書は原著が古いこともあり、扱っている内容が心臓手術までで生体/(脳死を含む)死後移植までは扱っていない。本書以後、更に医学が進歩したものと思うと感慨深くなる。今後も医療は発達していくだろう。必ずしも善意に基づくわけではない人々や、自分の権威に固執して新しい療法を認めない人々もその流れに巻き込みながら。

 安全な医療を受けられる幸せをつくづく感じられ、疎遠に思いがちな科学がいかに幸福に寄与しているかを実感させてくれる名著であると思う。
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医学・脳・精神・心理 | 2007/01/03(水) 23:49 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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あけましておめでとうございます
 去年の駄本は忘れよう!良書に巡り会えた時の喜びを楽しみに沢山本を読もう!

 今年の目標はちょっと奮発して年間180冊。昨年後半のペースならいけそうな気がする。そのペースで読んだとしても半年分くらい積読があるうえ、オンライン書店の買い物籠にも大量の本が待っている。読んでも読んでもまだ楽しみがあるのだから頑張らなければ。

 皆さんにも良い本が待っておりますように。本以外の世界でも良い事が待っておりますように。

 そんなわけで、拙ブログを本年もよろしくお願いいたします。
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未分類 | 2007/01/01(月) 01:41 | Trackback:(0) | Comments:(6)

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