布目 潮渢著
清水書院 (1984.10)
\651
評価:☆☆☆☆
中国で暗君といえば真っ先に思い浮かぶのが夏の傑王、殷の紂王だろう。そして彼らのすぐ次に出る名前こそ、隋の煬帝である。
三国時代をようやく統一した晋があっけなく崩壊し、そこからいつ果てるとも無く続いた戦乱の世をようやく統一したのが楊堅、すなわち隋の文帝。ところがその子である楊広の代に失政もあって反乱が頻発、楊広は首を絞められて殺され、全土は麻のように乱れる。混乱の中で頭目を表したのが李淵だった。
といっても、李淵は優柔不断の女好き、煬帝に命じられた反乱討伐に失敗して懲罰が待ち受けていたかもしれない状況だった。この親父を担ぎ上げ、遂に唐を建国したのは李淵の次男李世民であったといっても過言はない。この李世民、建国時には方々で戦果を上げて領土を広げ、また四方からの攻撃をよく防いだ。高祖李淵の後を継ぎ、二代目の皇帝となってからは部下の諫言をよく聞き、安定した社会を作り上げた。元号を取って貞観の治、という。
おおむねこのような評価が両者に与えられている。屈指の暗君と稀有な名君。この落差は余りに巨大である。
しかし、実際はどうだったのか。実は太宗李世民は決して褒められるだけの人物ではない。(正当防衛気味のところはあるにしても)兄弟を玄武門の変で暗殺、父である皇帝を監禁して実権を握り、晩年には隋が行って失敗し、反乱を招く原因ともなった高句麗への出兵を強行。しかし得るものが無く、国内を疲弊させる。しかも玄武門の変で殺害した自らの弟、李元吉の妃を皇后にしようとして部下に反対される始末。
一方の隋の煬帝はどうか。彼の悪事といえば、運河網の整備に民を使役して国力を疲弊させ、三度に渡る高句麗出兵に敗北、一方で自身は酒色に溺れたという。
運河網の整備は、確かに動員された人々にとっては迷惑な話だったかもしれない。しかし一度これが整備されれば受ける利益は極めて大きく、役にも立たない壮麗で華美なモニュメントを作り上げたのとは随分と事情が異なるだろう。著者は為政者としての覇気があれば多かれ少なかれこのような事業は行うもので、暗君としてことさらに取り上げるようなことではないと指摘する。
実像を眺めてみれば実は煬帝は言われるほどの暗君ではなく、太宗は言われるほどの名君ではない。過去の評価を離れて冷静に二人を評価しよう、というのが本書の目的で、多くの共通点を挙げることでその目標は達成できているように思う。煬帝の詩才が非常に優れていたことなど、面白い話題が多かった。
どうも唐の太宗はプロパガンダに巧みであったらしく、当初から自分の政治を良く評価されようと様々な手を打っていたらしい。その結果、太宗の実像に迫れなくなっているというのはなんとも残念なことでこのような冷静な本は高い価値を持つだろう。
ただ、やはり読んでいると煬帝は暗君であると思うし、太宗の才能は極めて巨大で言われるほどではないとしても名君であったことは間違いないと思う。
むしろ太宗の最大の失敗は跡継ぎ問題とそれに関して李勣の扱いを誤ったことだろう。それが故、太宗の後宮にいた一人の女性により、唐は一時の中断を余儀なくされることになる。すなわち、則天武后である(則天武后本人の治世を評価しないわけではないが、多くの反乱を誘発するなど社会の動乱を招いたことは非難されて良いと思う)。が、そこまでは本書の扱う領域ではないのでこのあたりで筆をおくことにしよう。
2006.12.1追記
この本の存在自体はかなり以前に知ってはいたのだが、もうとっくに絶版になっているかと思っていた。入手可能であることを知ったのはコメントを頂戴したオジオンさんのブログ、「幻想工房」雑記長の中で本書を紹介されている『つくられた暴君と明君 隋の煬帝と唐の太宗』 読了という記事だった。
それをすっかり失念してしまっていたのだが、コメントを読んで思い出した次第。オジオンさんには面白い本を紹介してくださったことの感謝と教えていただきながら忘れてしまったお詫びを込めて、特に注記しておく。
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