ウィリアム・H・スタイビングJr.著 / 皆神 竜太郎監修 / 福岡 洋一訳
太田出版 (1999.10)
\2,100
評価:☆☆☆☆☆
歴史にもいろいろ不思議な話がある。かの有名な世界7不思議はまさにそれだ。だけど、そういった“正統的な”不思議とは違ったところに不思議を見出してしまう人々がいる。オカルティストだ。中には真面目に信じている人々もいるが、真面目だと余計にタチの悪い話となってしまうのが悲劇というか喜劇というか、そんな話になっている。
たとえば。遺跡や遺物の中には、当時の文明のレベルでは説明できないような高度な技術が使われたものがある。その説明としては従来の歴史に基づいた解釈ではなく、別の説明、たとえば遥かに高度な文明を持つ宇宙人の関与があったのではないか、という仮説。伝説に過ぎないものを実際にあったと信じ込むのもここに入れても良いかもしれない。
自分が信じたい物語に合わせて歴史的事実を説明したいという人もいる。聖書に書かれていることは正しい。そこまでは信仰の世界なので認めるしかないかもしれない。信じる人々にとっては聖書は正しい、と、そこまでは譲歩する気持ちがある。しかし、彼らは自分の信仰にのみとらわれることはなく、自分の信仰を客観的な真実としたがる。その結果、聖書にかかれたことは事実である。よって何らかの裏づけがあるはずだ。その証拠を出してやろう。という不毛な3段論法になってしまうわけだ。こちらの方がタチが悪いかもしれない。なにせ、信仰を共有する人々が次々に飛びついてしまうことがあるためである。
本書は、こんな奇妙な主張を俎上に上げ、丁寧に反証を挙げることで異説にどれほどの説得力があるのかを明らかにしている。
前者の例として取り上げられているのは、ピラミッド製造の謎およびピラミッドに不思議な力や予言はあるのか、アトランティス大陸はあったのか(ついでにムー大陸も)、過去の文明に異星人の関与はあったのか(マヤの遺跡のレリーフに書かれているのは宇宙飛行士なのか、ナスカの地上絵は宇宙人の滑走路なのか、など)、といった類のもの。
後者の例としては、ヴェリコフスキーの主張する宇宙的規模のニアミスが聖書に書かれる天変地異の物理的背景だったのか、洪水伝説は実話に基づくのか、アララテで見られたという箱舟は例のものなのか、など。
笑って否定するのは簡単だ。だけど、こんなトンデモない主張でも真面目に批判しようとしたら大変な努力が必要なのだ。だから普通は誰もやりたがらない。開き直ってそのトンデモっぷりを笑うならまだしも。だからこそ本書のように懇切丁寧に批判する本は貴重である。たとえばピラミッドの話では、ピラミッドの石が切り出された遺跡の話から建設中の設計変更まで様々な話題を扱っていて面白い。個人的にはピラミッドを作るための人々が暮らした施設から妊婦のミイラが見つかったことなど、奴隷による強制労働を否定する材料が書かれていなかったのがちょっと残念だったが、本筋から外れる話なので仕方ないだろう。
異星人が古代文明に影響を与えた、という話はやっぱりデニケンが出てくる。もうこの名前だけでオカルトマニアにはたまらない。彼がどれほど証拠をいい加減に扱っているか、決定的な反証に対してどれほど不誠実か、自分の見聞と異なることでも平然と主張するか、を見ると、彼はビジネスとしてオカルトを扱っているだけにしか思えない。いつの時代もそんな人々はいるし、騙される人もいる。騙されるのも自由かもしれない。だけど、騙された最後に行き着くところはどこだろう。もしかしたらそこはキリスト教原理主義(ファンダメンタリスト)のように、誤ったことを信じていても人命に関わるほどの害を社会に与えない存在かもしれない。しかし、彗星の接近と同時に集団自殺したセブンスデイ・パブディスタント、農場で集団自殺を遂げた人民寺院、そして教祖の暴走からサリンをまき多数の人々を殺傷したオウム真理教。
学研のオカルト雑誌、ムーがオウムをかなり好意的に紹介していたことは記憶に新しい。オカルトに飛びつく人は、狂信的な宗教にも飛びつく。水の上を歩いただとか、食べきれないほどのパンを出した、というような神秘体験は宗教に付き物で、それらはオカルトと驚くほど似通っている。そんな自称神の声を聞いた人、自称奇跡を起こせる人、自称超能力者、自称最終解脱者たちに心を奪われる人々を出さないためにも、こんな本が必要だと思う。
問題なのは、信じたい人はこんな本を読まない、ってことだろうか。信じる心は強いので、証拠や論理は太刀打ちできないのだ。だけど、そんな異説に対して免疫を持ちたい方にはぜひ本書を読んでもらいたい、と思う。
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