ジョージー・ヴォーゲル著 / 木村 博江訳
草思社 (2003.5)
\1,470
評価:☆☆☆
異性と接しているとなぜ彼ら(彼女ら)は同性とかくも異なるのかと思うことがある、という人は多いのではなかろうか。私も男性として、女性の振る舞いには自分の理解を超えたところがあるのを認めざるを得ない。
たとえば女性同士の話を聞いていると、話す人が変わるたびに話の内容も変わって、それでいて話をするという行為自体はずっと続いていく。これは私から見たらとても気持ち悪い。もちろん、男同士で話をしていてもどんどん脱線していって、ふと気がつくと当初の話とは全く方向の違うことで熱弁を振るっているなんてことはありがちなことである。しかしながら、男同士の場合には当初の話からの脱線は誰もが認識している点が女性の場合と異なるように思う。
こうしたことについては様々な本が出ていて、既にこのサイトでもいくつか紹介したこともある。本書もそんな一冊なのかと思いきや、実のところ、これは女性である著者の体験を中心とした話で、包括的な話を期待していたら肩透かしを食らう。
もっとも、事実に近づくには理論や分析結果から辿る方法と、要素を構成する個々の事例を取り上げる方法があり、どちらがより優れているかは問うのが間違いである。場合によって適した方法をとれば良い。
私にとってはもっと包括的に理論立ててストーリーを組み立ててくれた方が好みに合う。個人的な好みで申し訳ないが、『男の子の脳、女の子の脳』のような本の方が面白いと思う。
そうは言っても、(きっとフェミの強いアメリカでは許されない言い方だろうけど)女性ならではの観点から、女性同士の付き合いの深さと広さが書かれているので発見は多かった。女性なら共感して頷き、男ならそう言われればそうだよなと納得させられるのではなかろうか。
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