竹下 節子著
中央公論新社 (2006.5)
\1,995
評価:☆☆☆☆
美術にはさして興味の無い人でもダ・ヴィンチの名前は知っている。タイトルと一致する絵なんて全然無い、という人でも『モナリザ』だけは知っている。モナリザにはそれほど人を惹き付ける魅力があり、ダ・ヴィンチにはそれだけの力がある。
私事だが、新婚旅行でロンドンのナショナルギャラリーを訪れたとき、『岩窟の聖母』には心を打たれる何かが、確かにあった。褒め称えられ、名を語り継がれるものには心を動かす魅力があるものなのだ。
そんなダ・ヴィンチの名を近年高らしめているのは間違いなく『ダ・ヴィンチ・コード』であろう。ダ・ヴィンチが絵に秘密結社のメッセージなど様々な暗号を埋め込んだとし、謎を巡っての冒険はたちどころに世界を魅了した。そんな流行には、誰もが知る名前、そして誰もが知る絵が果たした役割は決して小さく無いだろう。
ところが、『ダ・ヴィンチ・コード』で指摘されているのは脈々と受け継がれてきた単なる陰謀史観、ダ・ヴィンチの実像からは大きく乖離した伝説ばかりだという。ダ・ヴィンチの生涯と絡められる秘密結社(フリーメイソンや薔薇十字団など)の実情を追い、歴史的な背景に踏み込み、当時の流行を再現し、果ては宗教的な立場から絵と生涯を見直すことで彼の伝説が根拠の不確かな伝説に過ぎないことを指摘する。
ダ・ヴィンチ・コードには種本があり、その種本にも先行する膨大な量のダ・ヴィンチ論が存在することは、余り知られていることでは無いだろう。その膨大なダ・ヴィンチ論のおかげで、現在の伝説は歴史的な矛盾などの排除された、納得のいきやすいものであることが丁寧に説明される。そんな知識も無く、突然「これがダ・ヴィンチの真実だ!」とばかりに陰謀説を出されてしまうと、我々は納得してしまうことだろう。それこそがダ・ヴィンチ・コードの効果だった。
本書の結論をここで語ってしまうと、ダ・ヴィンチの絵に暗号が隠されているということはなく、単に宗教的背景によってそのように見えてしまうだけのようだ。キリスト教がヨーロッパで広がる中で、元来存在した先行的な宗教を取り入れ、聖母信仰などの異端的概念を吸収、変貌する流れがカトリックにはあった。やがてカトリックは教会を敬虔な信仰の拠点としてだけではなく、信仰を高める装置作りに力を注ぐようになる。それこそが教会音楽であり、各種の絵画であった。ダ・ヴィンチもこの流れの中にあった。
ところがプロテスタントは謹厳なヘレニズム文化の伝統を受け継ぎ、そんな舞台装置を取り外してしまう。結果として、プロテスタントの国の人々がダ・ヴィンチの絵を見ると、そこに異教的な雰囲気を感じるようになってしまう。宗派の違いが宗教の違いに感じられてしまう、という皮肉。
さらに追い討ちをかけるのはダ・ヴィンチが寡作で非政治的で生涯独身であったことだという。政治的な動きが無かったということは、後から”実はこんな活動をしていた”という想像をもぐりこませることが容易になる。見方によっていくらでも謎を押し付けることができる人物なのだ。
詳細な説明は興味深いエピソードと共に本書で語られているので是非目を通して欲しい。伝説部分が鮮やかに切り取られ、その実情――自由な雰囲気を愛し、自然の謎を解き明かそうとした科学者の元祖のような性格の、寡作だった天才画家――が浮かんでくるだろう。そんなダ・ヴィンチの実像を知ることは、きっとダ・ヴィンチの絵をより楽しむ助けになることだろう。
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