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Skywriter

Author:Skywriter
あまり一般受けしない本ばかりが好きと言う難儀な管理人です。
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BK1書評の鉄人31号。
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181冊目 中国歴史人物選 第4巻 則天武后

評価:☆☆☆☆


 秦の始皇帝から清のラストエンペラー溥儀までの2200年余りの歴史上、女性が権勢を振るった時代は何度かあった。だが、遂に皇帝の位にまで上り詰めたのは則天武后ただ一人である。

 男中心の社会で権力を握り、恐怖によって世を統べた鮮烈なる軌跡は、確かに見るものを畏怖させるが、同時に強い興味を抱かせる。権力掌握を目指してあらゆる手段を講じ、庶民の身から一転至高の座に就く成功物語。

 彼女の影の部分として、自分の息子たち、姉、姪といった親族を、唐建国の功臣たちを、政治の中心にあった貴族たちを、ライバルとなりうる女性たちを次々と殺害する冷酷な姿がまず語られる。そして、密告を奨励し、拷問による自白で多くの者を死に至らしめた酷薄さは特筆に価する。

 その一方、性欲に素直で、歳を重ねても息子、あるいは孫ほどの歳の男と逢瀬を重ねる姿も持ち合わせている。

 そんな彼女の一生を追うのに、やはり唐建国から語られなければならない。そして、唐初の繁栄を築いた太宗のことも。

 太宗は玄武門の変によって皇太子である兄、兄と結んで自分を排除しようとする弟の機先を制し、二人を殺害、父皇帝の行動を制限することで権力を掌握する。その太宗の側室に納まったのが則天武后なのだから、太宗のことは語らないわけには行かない。

 建国の元勲たちとの確執、太宗の子、高宗との結びつきから権力掌握。冷静で冷酷でありながら情熱的でもある彼女の峻烈な生き様は、単純に善悪で割り切れない複雑な姿を見せる。そしてそれゆえに則天武后は興味の目をひきつけるのかもしれない。

 強大な女性の一生を、うまく描き出していると思う。
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中国史 | 2006/08/29(火) 22:48 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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180冊目 人体 失敗の進化史
人体失敗の進化史

遠藤 秀紀著

光文社 (2006.6)

\777

評価:☆☆☆☆


 人間がどうしてこのような形をしているのか。また、それによってどんな利点と欠点が生じているのか。

 その謎を明らかにするには二つのアプローチがあろう。一つは分子生物学。こちらの方がより思い浮かべた方が多いのではないだろうか。もう一方は、人間と人間以外の生物の行動及び解剖学的な所見を比較することである。本書で行っているのは後者の方法。

 人間に限らず、現生生物は進化の過程でそれぞれのが直面した環境に合わせて体を変化させてきた。その結果、ある者は発達した脚と武器となる牙や爪を、ある者は捕食者から身を護る鎧や警戒装置としての目、逃走するための脚を身に付けてきた。

 しかし、進化は決して遥か彼方の理想の姿を追い求めてきたわけではない。行き当たりばったりで、使えるものなら何でも使う、というのが基本姿勢であった。

 そんな事実を、多くの証拠から説明している。たとえば、空を飛ぶための手段として、翼竜、鳥、コウモリと異なる生物が進化を遂げてきたが、その進化戦略はそれぞれ全く異なる。その解剖学的な違いは知的好奇心を大いに刺激する。

 著者が、そして我々が最終的な目的として興味を持つ人体もその場しのぎの進化の寄せ集めである。四足の動物がただ立ち上がっただけではなく、多くの設計変更があった。その証拠を、専門用語をほとんど用いずに平易な言葉で説明してくれているところが親切で、面白さを増しているポイントだろう。

 解剖から得られる所見によって、海で発生した太古の生物がいかにして人間まで至ったのか、進化のプロセスの好い加減さと面白さを実に上手く表現しているように思う。我々の体に、数億年に渡る生物の進化の軌跡があるというのはそれだけで興奮するし、その秘密を覗き見ることができるということは大変な知的好奇心を刺激すると思う。生物の体にはまだまだ沢山の不思議が隠されていることを実感させてくれる一冊。
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生物・遺伝・病原体 | 2006/08/28(月) 00:36 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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179冊目 一杯の紅茶の世界史
一杯の紅茶の世界史

磯淵 猛著

文芸春秋 (2005.8)

\714

評価:☆☆☆☆


 きしさんのゆっくりと世界が沈む水辺でにて紹介されていたこの記事を読んで面白そうだから購入した本。紅茶好きの私にとってはタイトルだけで興味が沸くのを抑えられなかった。

 本書は紅茶が緑茶から誕生した経緯から、イギリスの貴族に好まれるようになり、やがて大量生産の時代を迎えて多くの庶民の嗜好品となり現在に至るまでの歴史をまとめている。

 紅茶と世界史のつながりで言えば、アメリカの独立戦争の契機となったのはボストン茶会事件や、中国との輸出入バランスを適正にするために仕組んだアヘン戦争が有名で、それはもちろん知っていたのだけど、イギリスが植民地でどのように紅茶栽培を行ってきたのかについては全然知らなかった。紅茶を巡って世界は様々な動きをとってきたのだ。嗜好品の少なからずがそうであるように。

 そういった、紅茶そのものの歴史、そして紅茶に振り回された人間の歴史そのものも面白いのだが、本書を更に面白くしているのは、著者の紅茶への愛着だろう。

 なにせ、様々なところに取材に赴き、その地で飲まれている紅茶を味わって、その感想まで述べているのだから、紅茶を好む人間には羨ましい話が沢山ある。そしてまた、紅茶が様々な風土を持つ地域で、その地域に見合った飲まれ方をしているのを見ると嗜好品の需要の違いが見えて面白い。酒が食べ物とともに進化したのと同じように、紅茶もまた地域の気候や食生活と密接なつながりを持っていたのだ。

 そして最後は紅茶の科学的に正しい入れ方についてである。紅茶好きのイギリス人による、イギリス人らしいユーモアの混じった話である。ミルクティーを作るときには、先にミルク→紅茶の順で注ぐのか、あるいは逆なのかを科学的に判定したイギリス王立化学会が発表した「完ぺきな紅茶の入れ方 」についてはご存知の方も多いだろう。好まれているからこそこんなユーモアまで生み出す紅茶の世界を覗くことができる一冊。紅茶好きは必見だろう。
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その他歴史 | 2006/08/22(火) 23:28 | Trackback:(0) | Comments:(4)

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178冊目 裁判長!ここは懲役4年でどうすか
裁判長!ここは懲役4年でどうすか

北尾 トロ著

文芸春秋 (2006.7)

\660

評価:☆☆☆☆☆


 人生の縮図が現われるシーンというのはそうそうあるものではない。我々自身の生活もそうだと思うのだが、傍から見て眺めていられるのは日々のルーチンワークではなく、恋愛模様であったり、プロポーズだったり、果ては修羅場だったりする。だから非日常を描く映画やドラマでは、日常でもありうる生活のうち見て飽きないシーンだけを集めているのだ。
 
 しかし、そんな人間模様が顕わになるところがある。それが、裁判所である。言われてみるとその通りで、判決とはそれによって被告の人生に多大な影響を与えうるものなのだ。極端な場合には、判決が下されるまでの攻防によって生死が分かれる、なんてことすらあるのだから、当然皆必死になる。
 
 検察は己の正義を貫こうとし、被告は自分の権利を最大限に護ろうとする。民事裁判では双方が自分の利益を相手の利益より如何に大きくするのか凌ぎを削る。
 
 そんな法廷を、いっそのこと見ものにしてしまおうというのが本書である。なにせ、著者自身が裁判を傍聴する理由について「誤解を招かれそうなので書いておくと、執念深く大事件を追いかけていたとか、知り合いの裁判を見守っていたわけではない。ただただ、自分とは縁もゆかりも無い事件を、興味本位に見続けていたのだ」と言い切ってしまうくらい。
 
 赤の他人の有名でもない事件の裁判を覗きに行って楽しいの?
 
 そんな疑問が沸くのは当然のことだろう。答えは決まっている。面白いのだ。なにせ、裁判傍聴を楽しむ霞ヶ関倶楽部なんてものまであるくらいなのだから。
 
 部外者として見て楽しむというには不謹慎すぎる裁判も確かにある。面白い裁判もあれば退屈極まりない裁判もある。その中から印象に残った裁判だけを取り上げているのだから、本書が面白くならないわけがない。麻薬、DV、詐欺、殺人、強姦、買春、痴漢、離婚と様々な裁判があり、事件ごとに人間ドラマがある。中にはつい笑ってしまうエピソードもあれば、憤りを感じることもある。人間ドラマである以上、当たり前かもしれないが、本書を読むまではそんなことまで想像できなかった。
 
 右も左も分からないところから傍聴をスタートさせた著者が、やがて判決をほとんど予想できるまで成長する様もまた面白い。
 
 そして忘れては行けないのは、事件に深入りしない部外者だから出来る、冷静な観察である。勿論、卑劣な事件では加害者側に同情できないような書き方になるが、それ以外は傍聴人として距離のある観察をしている。裁判の過程は当然のこととして、事件そのものすら記事にならないような犯罪。当事者にとっては深刻であっても、社会的関心は引かないような些細な事件。そんな事件を中心に裁判の模様を垣間見せてくれる本書は、裁判員制度開始を前に読んでおいて損は無いと思う。
 
 なお、法曹関係を目指そうと思っている方には役に立たないであろうことは付言しておく。
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エッセイ | 2006/08/20(日) 23:42 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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177冊目 銀色のフィレンツェ
銀色のフィレンツェ

塩野 七生著

朝日新聞社 (1993.11)

\630

評価:☆☆☆


 まずは恥ずかしい告白を二つ。一つ目。この本、持っていることを失念して二冊買ってしまった。二つ目。三部作というので揃うのを待とうと思っていたのに、それを綺麗さっぱり忘れてしまっていきなり第二部である本書を読んでしまった。他の方が同じ失敗を繰り返さないよう、恥を忍んで報告する次第である。恥を包み羞を忍ぶはこれ男児(杜牧)、と言うではないか。

 そんなのお前だけだという突っ込みを回避するために、私の知っている人で大統領の陰謀を二冊持っている奴がいるということを明らかにしておこう。それも私です。しくしく。

 閑話休題。

 本書の舞台は華やかな都、フィレンツェ。サヴォナローラのもたらした宗教的熱狂は去り、再びメディチ家による統治が始まろうとしていた。

 ベネツィアの貴族マルコは(読んでないから推測だけど)前作で失脚し、休養のためフィレンツェを訪れる。その頃、フィレンツェでは支配者アレッサンドロ公爵の側近の死体が発見され、大騒ぎになっていた。

 (これまた推測だけど)前作でマルコを失脚させたローマの遊女オリンピア、メディチ家の面々、アレッサンドロ公爵、そして彼らを取り巻く人々の動きを鮮やかに描き出す。

 アレッサンドロと彼の従兄弟にあたりメディチ家の後継候補ロレンツィーノの確執を中心に話は進む。やがてそれは歴史的事実であるところの大事件に結びついていくのだが、それまでのマルコの関与など、設定が上手いと感じさせられる。前半はゆっくりとイタリアの情景を思い浮かべながら、後半は一転して大事件が起こるため急ピッチで読む、というように緩急を付けて読むと良いのではないだろうか。
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その他歴史 | 2006/08/17(木) 22:58 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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176冊目 アメリカの原理主義
アメリカの原理主義

河野 博子著

集英社 (2006.7)

\714

評価:☆☆☆☆


 原理主義、と聞くと多くの方が思い浮かべるのはイスラム教原理主義ではなかろうか。アメリカの同時多発テロ、アフガニスタンを支配していたタリバン、核開発を巡ってアメリカと対立を続けるイスラム国家イラン、そしてイスラエルと闘争を繰り広げるヒズボラ。イスラムの原理主義について話題は事欠かなかった。
 
 その一方で、アメリカの原理主義は語られてきただろうか。一部の関心がある方にしかアメリカにおける原理主義は問題視されず、極端な人々が唱える少数意見に過ぎないと思われてきたのではなかろうか。
 
 しかし、アメリカはピューリタンによって建国された国。キリスト教の原理主義とでも言うべき人々が多数いるのが実情である。著者は多くの取材を通して、この原理主義運動が今のアメリカの政治を動かしていることをあぶりだす。
 
 アンケートによると、アメリカ人のほとんど全てはマリアの処女懐胎を信じている。天使の実在も信じている。良くも悪くもキリスト教が社会の根底にあり、アメリカを特徴付けるものになっている。
 
 その結果、極端な話でハリー・ポッターが流行すれば、魔法などは悪魔が使うものだから魔法に対するわずかな好意的解釈は赦されないと反発する勢力がいる。
 
 思わず笑ってしまうかもしれないが、それがアメリカの現実である。処女懐胎は、”「若い女」マリア”と書いてあるのを翻訳する際に”「処女」マリア”と訳してしまったのが起源で初期のキリスト教徒の誰一人として処女懐胎など主張していなかったというのに、今では処女懐胎こそアメリカの常識なのである。
 
 アメリカの原理主義は少なからずキリスト教原理主義である。そのため、原理主義においては宗教的右派が中心的な役割を担い、ブッシュJr.政権はその尻馬に乗っている、という意見も聞こえてくる。2004年の大統領選挙では、ブッシュは確かに宗教的な価値観を訴えて戦った。その結果、都市部以外のほぼ全ての選挙区を押さえての勝利につながったのは事実である。
 
 しかし、著者はそんな見方には賛同しない。宗教的右派と政治的右派は接点も持ちながら別個の運動であることを丁寧に描き出す点は大変興味深い。
 
 また、妊娠中絶の是非を巡って争ったロウ対ウェルド事件で、原告の女性は中絶賛同派に利用されただけとの不満を抱き、後に中絶反対派に”転向”するなど、リベラル派が社会の支持を失っていった経緯を描き出しているところも面白い。
 
 保守派がなぜ力を持ち、リベラルが力を失ったのか。また、アメリカ政治の背後にある複雑な思想の絡みを原理主義という切り口で上手く纏め上げている名著であると思う。


 なお、本書はish☆走れ雑学女ブログ にあるこちらの記事を読んで購入しました。本も面白かったのですが、このブログの文章も大変に面白かったので、もし興味を持たれたら是非訪れてみてください。
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ノンフィクション | 2006/08/17(木) 21:03 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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積読増殖中
 9月には長期休暇がある予定である。なんてことはない、退職に伴う有給消化なんだけど。

 そうなったら足りなくなるのはやはり本でしょう。というわけでBK1をうろちょろと。困ったことに、欲しい本が沢山ありすぎて困る。

 その第一弾が早速今日届いてくれたおかげで積読がパワーアップ。といっても、せいぜい50冊程度だから可愛いものだと私は思っている。嫁のヒトにはまた別の意見があるかもしれないが。

 次の会社に通い始めた後も同じくらいのペースで本を読めることを祈る。
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雑記 | 2006/08/16(水) 22:33 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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戦犯について思うことを
 『貝になった男』を読んだので、そのついでに戦犯について思うことなど。

 まず、東京裁判を初めとする戦犯裁判は、勝者が一方的に敗者を裁いていて、証人や物証などは全て検察側に有利になっていること、検察と裁判官が同一勢力出身であること、法の大原則である不遡及の原則を破っていることから法学的に判断すれば間違いなく問題だらけである。

 そういった問題だらけの裁判で極刑を多発させたことは勝者による復讐であったと言ってもあながち間違っていないだろう。

 特に、「被告は文明である」などと高らかに謳い上げた舌の根も乾かぬうちにアジアの再植民地化に乗り出した行動など、裁いた側も全く人道的ではなかったことは指摘しておいて良い。中国などは二次大戦後、国共内戦を終えた後でさえ、日中の15年にわたる戦争より更に多くの死者を出した程で、その最高責任者たる毛沢東は全く責任を追及されていない。

 で、それを踏まえたうえで言ってしまえば、戦争に負けてしまえばそれくらいは覚悟しなければ行けないだろう、ということ。

 1930年代の日本は中国を局所的には圧倒できるだけの軍事能力を持っていた。その力によって、住む人の90%以上が漢民族であったにもかかわらず、満族の国を作ると強弁して満州国を作り上げた。謀略と暴力に拠って。そうして出来た満州国は独自の外交権すら持たない、完全な傀儡国家だった。どこに正義がある?

 南京が陥落すれば何とかなるだろうと甘い判断をしていた日本の思惑とは異なり、撤退を重ねる国民党政府は重慶に拠点を移す。その重慶に、日本は大量の爆弾を投下する。アジア初の大規模無差別爆撃だ。どこに正義が?

 政治の世界に絶対的な正義なんてものは存在しない。原爆も東京大空襲も正しくて、南京事件が不正義だったというわけじゃない。日本軍の捕虜虐待は絶対悪で、欧米豪軍が降伏してきた日本軍捕虜を殺害したのが絶対善じゃない。どちらもよくよく見たら似たようなことをやったけど、日本は負けた。だから裁かれたってこと。

 大体、仮に原爆投下後に日本がアメリカを降伏させていたらトルーマンはどうなったのかね?思考実験としては面白いのではないかな。(前提に無理があるのは仕方ないとして、挑戦してみて欲しい)

 ツケを払わざるを得ないのは常に負けた方。だから、文句なんか言いたかったら戦争なんかしなければ良かったわけだ。ハルノートを受諾して、三国同盟を脱退、満州以外の中国から撤兵する。欧州戦線に介入したかったアメリカとしては日本を暴発させるのに更なる無茶を言ってきたかもしれないけど。

 乾坤一擲、勝負に出て負けたのなら後はもう文句なんて言えない。それが戦争。

 そういうものだという達観を持っているのだけど、それでもどうしても東京裁判の結果に納得いかないのは東條英機である。彼こそは自軍に降伏を赦さない方針を徹底させたため、外国で100万単位の同胞を死に至らしめた責任がある。また、降伏を赦さない方針は、捕虜となった外国人兵士の虐待につながったわけで、間接的にBC級戦犯を生み出したといって過言はあるまい。おまけに、捕虜となった場合の心得を教えなかったために捕虜から情報がだだ漏れであった。その被害は計り知れない。様々な点で、日本人の手できちんと裁き、罪に応じた罰を与えていなければならなかった。それを外国人に任せてしまったことこそ、禍根であると思えてならない。
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雑記 | 2006/08/15(火) 23:45 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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175冊目 貝になった男
貝になった男

上坂 冬子著

文芸春秋 (1989.8)

\387

評価:☆☆☆


 BC級裁判にて1000名余の軍人・軍属が死刑に処されたことは広く知られている。そのうちの少なからずは文化の違いによる誤解や不当な訴えに起因していたのは間違いの無い事実である。

 新潟県直江津にあった捕虜収容所からは8名の刑死者がでている。1942年12月にたどり着いたオーストラリア兵捕虜300名の2割に当たる60名もがここで死んだのがその原因である。

 ノンフィクション作家の上坂冬子は収容所と裁判の実態を探るため、調査を始める。刑死者たちの遺族を訪ね歩くうち、彼女は懲役12年で自らは助かった収容所所長について興味を持つのだった。

 本書の前半は、刑死者たちの経歴や裁判、さらには執行の模様を記す。検察であるオーストラリア側と被告である日本側の言い分はことごとく食い違い、中には戦傷のため腕がろくに上がらない者が捕虜を殴ったとして訴えられているケースまであり、まっとうな裁判というよりも報復であることを強く印象付けられる。

 調査を進める中で、収容所所長が遺族たちの元を尋ねていたことが判明する。さぞ、訪れにくいことだっただろう。部下ばかり8名も死刑に処され、管理責任を追うべき自分は生きながらえているのだから。それでも、全員の遺族を尋ねたその生き様に興味を引かれた著者は所長の人となりを追いかけることになる。それが後半。

 戦後、時間が経ちすぎてしまったこともあって収容所で具体的に何が起こったのかは明らかにされない。たとえば、日本側は捕虜に与える食料を確保するのに尽力したといい、オーストラリア側はろくな食料を与えられなかったという。オーストラリア側は、日本人がすぐ殴るといえば、日本人は日本人同士でも殴り合ってたと反論する。後者に関しては反論になっていない気もするが、立場の違いが同じ行為にも違う印象を与えてしまう。そこに不幸があったと思う。

 疑問に思う点もある。

 2年にわたる直江津での生活で死んだのは捕虜の2割。過酷で食料はピンはねされ、非人間的な空間が現出されたシベリア抑留は1956年まで10年以上の長きにわたって続いたが、通説では65万人の捕虜に対して死者は6万~10万。9~15%程度で、直江津の20%よりも低いくらいである。

 本書を読むと、日本側の認識では捕虜虐待などなく、誤解や誇大な報告によって不当な裁判が行われたような印象を受けるが、シベリア抑留よりも致死率が高いのは背後に捕虜虐待があったと想定しなければ説明がつかない気がする。新潟の冬が厳しいとは言え、シベリアよりはマシだろうし。

 真相は全て藪の中。誰も到達することはできないのだろう。敗戦国になる、というのはそういうことも甘受しなければいけないものなのかもしれない。
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太平洋戦争・二次大戦・現代史 | 2006/08/15(火) 23:22 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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174冊目 ヤバい経済学
ヤバい経済学

スティーヴン・D.レヴィット〔著〕 / スティーヴン・J.ダブナー〔著〕 / 望月 衛訳

東洋経済新報社 (2006.5)

\1,890

評価:☆☆☆☆☆

 経済学、と聞くとなにを思い浮かべるだろうか。ケインズ?アダム・スミス?世界経済?それらについて語られていることを期待して本書を手に取ると失望するだろう。なにせ、そんな話題は欠片もでてこないのだから。

 その事実は章ごとのタイトルを見ても分かる。そして、下に記す各章のタイトルを見て面白そうと思った方は損は無いと思う。

第1章 学校の先生と相撲の力士、どこがおんなじ?
第2章 ク・クラックス・クランと不動産屋さん、どこがおんなじ?
第3章 ヤクの売人はどうしてママと住んでるの?
第4章 犯罪者はみんなどこへ消えた?
第5章 完璧な子育てとは?
第6章 完璧な子育て、その2――あるいは、ロシャンダは他の名前でもやっぱり甘い香り?

 こうやって見てみると、経済学というよりもむしろ社会学という印象を受けてしまう。しかし、社会学についての本ではない。なぜなら、著者の一人であるレヴィットの言を引用すると、「学会で『これはむしろ社会学だ』という意見が出るたび、社会学者の人たちが引きつった顔で首を横に振るのが見える」からだ。社会学には入れてもらえそうに無いとなると、本書が一貫して取り上げているインセンティブと行動を説明するには経済学しかなかろう。

 日本でこれに該当しそうなのはなんといっても『反社会学講座』および『反社会学の不埒な研究報告』だろう。どちらも多くのデータに当たることで常識を覆す意外な現実を教えてくれる。

 違いといえば、お国柄に基づく差だろう。だが、そんな違いは本書の面白さを損なわない。それどころか、内容に若干の違いこそあれ、日本でもオーバーラップするところが多々あることに気づくこともできる。

 たとえば5、6章で取り上げる子育てについての論考は日本でも役に立つと思う。
〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい』などといった本が話題になったが、それと同じようなことがアメリカでも評価されていたりする。

 詳細や結論は本書に譲る。面白そうと思った方はぜひ手にとっていただきたい。予想外で面白い話が沢山盛り込まれていて、驚きを伴いながら、楽しく読める本だと思う。
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ノンフィクション | 2006/08/14(月) 18:12 | Trackback:(7) | Comments:(7)

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制限による限界
 一応、このブログには本に関係ある話題しか載せないということにしている。なんてことは無い、自分で決めたルール。

 しかし、それをやると非常に偏りが出てしまうのも事実。

 たとえば、今回ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んでいたのだけど、このような大著を読むと時間がかかるため更新が覚束ないことになる。このようなサイトに来てくださる方には申し訳ないような気分にもなるのだけど、だからといって読んでも無い本の感想をUPするわけにもいかぬ。

 一方、持ち歩きし易いからという理由で文庫や新書が続くと、猛烈な勢いで更新が続くわけで、毎日のように記事をUPできるのは嬉しい。でも、こんな偏屈なサイトに来る方がそれを望むかどうか不明。難しいものである。

 なんにしても、今後も不定期で更新を続ける予定なので、毎日チェックというよりも暇な時に来てもらえれば嬉しく思います。

 なお、6/19の記事で”「すかいらいたあの癖にまだ読んでなかったの!?」という本”と書いたのは、『利己的な遺伝子』でした。

 妄言にお付き合いくださったぴろりさん、ありがとうございました。
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雑記 | 2006/08/14(月) 00:56 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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173冊目 利己的な遺伝子
利己的な遺伝子

リチャード・ドーキンス〔著〕 / 日高 敏隆〔ほか〕訳

紀伊国屋書店 (2006.5)

\2,940

評価:☆☆☆☆☆


 『利己的な遺伝子』がもたらした衝撃はとても一言では語りつくせないのではなかろうか。というのは、本書ほど徹底して生物の戦略が自分自身の遺伝子を広めようとすることに帰結するという視点に基づいた本がなかったことによる。

 そんなことは無い、と反論があるかもしれない。しかし、その反論は当たらない。たとえば、コンラート・ローレンツの古典的名著『攻撃』では一見すると生物の戦略が自分自身の遺伝子を広めようとすることを説明しているように見える。だが、ローレンツが想定しているのは、あくまで”種として最適な遺伝子を残す”ための行動である。

 などと言われると、その差が分かりにくくなってしまうかもしれない。簡単に言ってしまうと、ドーキンスの指摘する遺伝子の利己的な振る舞いとは、種全体のことなど全く考慮に入れず、それどころか、種全体がどうなろうとも構わずに自分自身の持つ遺伝子だけを後世に伝えるために冷徹なまでに合理的なあり方を言うのである。

 本書が出版当初から注目されたのは、そんな意外な視点を提供しているからだけではない。利己的な振る舞いの背後にある数理的な有利さを、数式を全く使わずに分かりやすく説明しているところにこそ、その真価があると思う。その価値は現在に至ってもいささかも損なわれていないだろう。

 もう一点、無視し得ないのは、数理的な説明と生物界で実際に見られる豊富な実例との絶妙なバランスである。

 数理的な説明では、なぜこの世が助け合いだけでは成り立っておらず、お人よし(常に恩恵を施す)と一定数のワガママ者(恩恵を受けても返さない)、そして常識人(こちらからは不義理をしないが、相手から恩恵を返されなければ報復する)が入り混じるのかを解き明かしている。単純な算術的前提とは思えないほど、現実を上手く説明しているのに驚かされる。

 豊富な実例では、たとえば生物の化学進化やチスイコウモリの助け合い、アリやハチのような社会的昆虫の生態、カッコウのような托卵する鳥類の生態など、読むだけでも面白い事実が目白押しに現れる。利己的な遺伝子云々を置いておくとしても読む価値がある。

 それまでの印象を根底から覆すような説を、専門知識を持たない者が読んでも面白く書けるというのは容易なことではない。本書は稀有な例といっても過言はあるまい。ちょっとでも興味を惹かれた方は、読んで絶対に損は無いと断言できる名著。
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生物・遺伝・病原体 | 2006/08/13(日) 23:18 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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172冊目 戦争の記憶
戦争の記憶

イアン・ブルマ著 / 石井 信平訳

TBSブリタニカ (1994.12)

\1,835

評価:☆☆☆☆


 本書を手に取ったのはほんの偶然だった。古本屋で見つけ、安くなっていたからというのが購入の最大の決め手。もう一つの理由は、書いたのが外国人だから。日本の扱いを見てみたかった。もしこのタイトルで日本人が書いていたのだとしたら絶対買わなかっただろう。

 そんなわけで読んでみたところ、予想に反して実に面白かった。著者はオランダ人。オランダは二次大戦でドイツに占領されている。地の利の関係でドイツ関係の資料ばかりが充実しているのかと思いきや、そんなことはない。日本語に精通しているのもあって、多くの日本の資料を渉猟し、関係者との面談を行っている。その調べられている量については驚きを禁じえない。その証言の多さ、資料の多さだけでも読む価値がある。

 著者がそうやって調べた結果、しばしば言われる、良くも悪しくも日本は特殊だという言説は誤っていること、ドイツと日本には差異もあったが共通点も多かったことを上手く描き出していると思う。

 二次大戦について、戦後の日本人とドイツ人がどのように対面しているのかについて、とても良くまとめられているので興味がある方にはぜひ勧めたいと思う。

 その一方で、やはり著者の偏った見方が伺える点がある。たとえば南京事件については十万単位の死者がいたと中共のプロパガンダを一方的に採用している。少なからぬ強姦や殺人をはじめとする不法な行為があった証拠はあるが、それが十万をもって数えるほどだったという証拠は無い。

 また、ドイツについてはナチスという一つの機関が戦争における全ての悪を押し付けられている現実を説明しない。今でもドイツでは、”ナチスがやった悪いこと”には反省の言葉がでるが、それと似たり寄ったりのことであっても”ドイツ国軍がやった悪いこと”を暴こうとしたら日本同様に猛烈な抵抗が起こるのである。悪を仮託できるナチスという存在が、日本にはなかった。その差は戦後に両国が対面した大きな違いなのだ。

 もう一点。日本では多くの人々が戦争中における占領地でのことは、戦争全般に付き物の悲劇であって国内で一つの民族を根絶やしにしようとしたナチスの犯罪とは異なるといっていることが批判されている。しかし、これは批判されるべきことではないだろう。私もその論は正しいと思う。だからといって日本が免責されてはならないと思うだけの話である。

 たとえば、この時期必ず取り上げられる話題は原爆や東京大空襲、そして特攻であって、重慶爆撃や日本による植民地の圧制では無い。被害者としての視線ばかりが強調され、加害者であった過去はなかなか取り上げられない。それはあまりに理不尽であると思う。東京大空襲を非難するなら、同じ強さで重慶爆撃を非難されなければならない。

 そのほか、強制連行された中国人労働者たちが拷問され、一部が殺害された花岡事件など、日本国内で起こった事件にも光を当てるなど精力的な取り組みは評価したい。また、日本人は自分たちが独特だと考えたがるが戦争犯罪の話になるとどこもやっていることと一般化するという皮肉は胸に刺さる。外からの視点だから指摘し得たことかもしれない。

 読んで考えさせられるという点でも貴重な書では無いかと思う。



2006.9.17追記
 著者は戦後日本の責任の取り方は不十分だと言っているようだけど、個人的にはオランダが植民地化したインドネシアはどうだったのかと問いたい。

 苦役を強い、何度も飢餓を招いておきながらその補償はやっていない。また、日本が敗北したあとは再びインドネシアを植民地化しようとし、戦争も行っている。その反省の弁も無い。他国のことは批判するのが簡単だけど、自国のことは難しい、というのであれば、こんなに偉そうなことを言ってほしくない、というのが正直なところだ。
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太平洋戦争・二次大戦・現代史 | 2006/08/06(日) 23:34 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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171冊目 戦争倫理学
戦争倫理学

加藤 尚武著

筑摩書房 (2003.1)

\735

評価:☆☆☆☆


 近年の出来事だけでも、アメリカによるアフガニスタン侵攻、イラク戦争やインドネシアからのアチェ独立紛争、イスラエルによるレバノン空爆といった軍事力同士の衝突など、戦争や地域紛争がひっきりなしに起こっている、北朝鮮と日米の軋轢やアメリカとイランを巡る緊張もいずれは軍事衝突に至る可能性もある。

 戦争や紛争が望ましい事態ではないことは明白だろう。しかし、それらは過去何度も繰り返されたし、今後も収束に向かっているとは言い難いのが現実である。

 それでも希望はある。今では、戦争には多くの制限がつくようになっている。たとえばハーグ条約などがそれで、”戦争には如何なる手段を用いても良い”といった考えは最早通用しない。勿論、そのような制限をもたらすはずの法であっても、必ずしも守られるわけではない。日本軍は重慶を爆撃し、南京で裁判無しに便衣兵と思われる人々を殺戮した。枢軸側、連合国側を問わず、捕虜の殺害は常態化し、ソ連軍とドイツ軍の間では特に過酷だったことが明らかになっている。アメリカは覇権を確立するためだけに平然と原爆を落とし、都市を二つ焼尽しつくした。中東戦争では、イスラエル軍はエジプト軍捕虜を砂漠で虐殺した。インドネシア国軍がアチェなどで繰り広げた冷酷な弾圧もある。

 しかし、そんな現実を踏まえたとしても、無差別で手段を選ばない戦争が徐々に非難の対象となっていることは、一筋の光明と言っても良いように思う。アメリカが散々理由を付けていたグアンタナモの捕囚が捕虜としての扱いを受けることになったのもその一環だろう。

 戦争についても倫理が問われる時代になったのだ。最早、戦争は互いの獣性を制限なく開放するものではない。平和までの道のりは遠いけれどもその進歩は無視されるべきでは無いだろう。

 本書には、上記のような点も含め、戦争と平和について考えるタネが沢山盛り込まれている。戦争についてのこれまでの言説を取り上げ、当否を論じる中で大事なのは、過去の論議を踏まえつつ自分自身で戦争や平和に対する意識や意見を醸成することではなかろうか。

 戦争について考えるのに、冷静な視点は欠かせないだろう。本書には教えられることが多かった。戦争に興味がある方はぜひ一読を。

 ついでに、一つの警句を頭に入れておいて欲しいと思う。それは、戦争を最も鼓舞するものは常に銃後にいる、ということ。銃後で過激なことを言うのは簡単だ。銃後だからこそできる、冷静な議論にこそ、踏み込まなければならないだろう。


 なお、敬愛するVIVAさんが同時期に書評をUPされていたのには驚いた。ユングなら何かオカルトチックな説明をしてくれたかもしれない(というか、ユングはあらゆる事象についてオカルト以外の説明は出来ないだろう)。ただの偶然なのだけど、こういう一致は親近感を抱かせるきっかけになるような気がする。
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未分類 | 2006/08/03(木) 20:24 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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170冊目 酷刑
酷刑

王 永寛著 / 尾鷲 卓彦訳

徳間書店 (2001.4)

\560

評価:☆


 夏だから怖い話を、というわけでも無いのだけど、なまじの怪談なんかよりも余程怖い話満載の一冊を。

 何が怖いって、全て事実であることだろう。人間が、他人に対してどれほど残酷になることが出来るのか、本書は雄弁に語っている。

 ナイフで肉を削り取る、腰から押し切りする、全身の皮をはぐ、弓で射る、鼻を斬る、焼く、煮る、蒸す、膝を砕く、刺青をする、鞭で打つ、杖で叩く。目を抉り、四肢を切断し、性器を破壊する。考えられるあらゆる拷問(と殺害方法)が克明に記されていて、読むだけで痛くなりそうである。

 忘れてはならないのは、こんなことが洋の東西を問わず、世界中で行われてきて、今も地域や集団によっては当然のように蛮行が続けられているということ。目を背けたくなるような行為であっても、それは決して特定の地域の異常な人々が行ったものではなく、世が世なら私やあなたも参加したかもしれない、ということではなかろうか。

 痛い話が平気なら、残虐行為の記録である本書を読んで楽しめるかもしれないが、私の趣味ではない。ただ、間違いなく中国史であると言えるだろう。

 なお、ひぐらしのく頃にで出てきたようなのが幾つも出てくるので、そういう点で知りたい方はどうぞ。

 ・・・・・・なにやら急にヲタっぽくなったのは気のせいだと思いたい。
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中国史 | 2006/08/01(火) 23:43 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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