佐藤 勝彦監修
PHP研究所 (2000.4)
\540
評価:☆☆☆☆
日常生活の延長として想像できる世界は、眼に見える範囲では実に正しい。たとえば、地球上でリンゴが地面に落ちるのと同じ原理で月は地球の周りを回っている。それどころか、銀河系は勿論のこと、他の銀河の動きですら重力の理論で説明できてしまう。この理論を利用して人類は月に到達し、火星や金星に探査機を送り込み、土星の衛星・タイタンにメタンの雨が降ることまで確認してしまった。
ところが、あたかも万能であるかのごとき重力理論はミクロの世界では破綻する。核の周りを運動する電子について、重力理論は説明できない。ミクロの世界を理解するには量子力学の登場を待たなければならないのだ。
ところが、この量子力学の世界を覗くと途端に頭がこんがらがる。日常で感じる常識が音を立てて崩れるような、そんな世界。それがミクロの世界では繰り広げられている。それどころか、量子力学は今の生活になくてはならないものともなっている。コンピューターに用いる半導体は量子力学に基づいて設計されている。もっと身近な現象としては、石油ヒーターの金属部分が赤い光を出すのも量子力学でなければ説明できない。
そんな日常生活になくてはならなくなった量子力学の世界を、数式を使わず、簡潔に説明してくれているのが本書。納得いかないことも含めて一通りのさわりを紹介してくれているのは見事と言って良いだろう。その上、アインシュタインやシュレーディンガー、ボーアにパウリにガモフにファインマンにディラク、湯川秀樹に朝永振一郎と20世紀を代表するような物理学者たちがどのように量子力学を発展させてきたか一通り説明されているのも嬉しい。
利用できる人は沢山いるが理解できる人は誰も居ないとも言われる量子力学の世界を覗いてみるのに格好の書と言って過言ではない。それほど上手くまとまっていると思う。
ただ、私としては自分自身が数式で理解できないのを歯がゆく思ってしまうのが難点なのだが、問題は私の頭にあるので実に困ったものである。
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白帝社 (1995.4)
\1,890
評価:☆☆☆
前後の時代と比べて三国志の時代は圧倒的な人気を誇る。何故か。英雄豪傑が合従連衡し、死闘や謀略を繰り広げ、裏切りや忠誠など心に残るエピソードが多いことはその一因ではあろう。しかし、前後の時代だって同じだ。人間のやることなので、そう大きな違いは無い。
人間模様ではないとすると何が残るだろう。
私が思うに、前後の時代のどうしようもなさが三国志の英雄たちの活躍をいっそう魅力的にしているのではないだろうか。
後漢末は幼帝、暗君が続き、漢王朝は末期症状を呈していた。外戚、宦官、知識人たちにも衰えていく漢を救う力がなかった。地球規模の寒冷化が襲っていたことを考えればその能力不足の一部は責められては酷かもしれないが。
では、三国志後の世界はどうか。乱世を制した晋は、しかしたちまちのうちに権力争いによって国土を荒廃させてしまう。呉平定後、後宮に納めた大量の女官のうち、誰の相手をするのかヤギに決めさせたのが晋の開祖・司馬炎。女官たちは寵を得るため、自室の前に盛り塩をしてヤギが舐めるために立ち止まるようにしたという(料理屋などで見かける盛り塩はこれを起源とする)。それでも司馬炎の時代はマシだった。
続く恵帝は無能で暗愚。たちまち皇后や皇族が血で血を洗う抗争を始める。所謂、八王の乱により司馬一族の主だった者達は死に、国土は荒廃、弱体化した北辺には異民族が流入し、晋は東遷を余儀なくされる。通常、東遷前は西晋、後は東晋と呼び分けられている。
これを読んだだけで、不人気なのも頷けるだろう。ようやく乱世を収束させたと思ったら、すぐに荒廃が続くのだから。
そんな不人気な晋王朝の盛衰を描いたのが本書。司馬一族がいかにして魏王朝を乗っ取ったのか。皇帝たちはどのような振る舞いをしたのか。八王の乱の経過と収束の状況はどうだったのか。それらをとても丁寧に描き出していると思う。
ただ、一冊でまとめるのは無理があるように思う。なにせ、八王と言われても記憶にとどまらないほど短期間に権力が移り変わってしまう。しっかり記憶に刻むには何度か読み直さなければ駄目だろう。
著者の問題としては、悪文がいくつか目に留まる。著者が分かっている故の説明不足と思われるのだが、読者としては判断に迷う文章が散見されたのは残念であった。
だが、西晋の時代をコンパクトにまとめてある意欲作ではあると思う。三国志のその後を知るには丁度良いかもしれない。
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白帝社 (1995.10)
\1,680
評価:☆☆☆
唐は安史の乱で事実上滅亡する。その後、北辺には異民族王朝が乱立し、南方には漢民族の王朝が盛衰を繰り返す乱世が訪れる。五代十国の時代である。この時代を終焉させたのが、宋だった。
本書が取り上げるのは宋の名臣と称えられる范仲淹(はんちゅうえん)。だがしかし、范仲淹が政治の中央で活躍したのはわずかな期間に過ぎず、名臣との世評から想像されるほどの功績は挙げていない。
そんな范仲淹の実像に迫るため宋建国の情勢は勿論、北方異民族の強国・遼との関係まで丁寧に説明されているので、范仲淹が活躍することになる舞台をよく理解できると思う。
貧しく、刻苦勉励して科挙に合格した范仲淹は、民を救い、軍を率い、朝廷では改革を断行する。しかし隠し立てしない発言は政敵をも生み出し、やがては改革は失敗に終わってしまう。
いつの世も既得権益を守ろうとする守旧派はつきもので、改革は困難を極める。范仲淹がどのような改革を目指し、何を成し遂げたのか。改革に付きまとう困難を見るのに良いかもしれない。
私としては范仲淹が常に貧しい民のことを丁寧に保護しようとする姿勢にこそ魅力を感じる。なお、先憂後楽とは彼の言である。
死後、彼の名は高まり続け、宋代一の名臣とまで言われるようになるが、そのような噂に基づくのではなく、冷静に筆を運んでいるのが印象的だった。宋の雰囲気を知るのに適しているだろうと思う。
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ジョン・W.ダワー著 / 猿谷 要監修 / 斎藤 元一訳
平凡社 (2001.12)
\1,680
評価:☆☆☆☆
日本側は相手を鬼畜と蔑んだ。一方の相手側は日本を野蛮なサルと連呼した。
何の話かと言うと、太平洋戦争における日米の罵り合いである。太平洋戦争は確かに人種戦争としての側面を含んでいたのだ。
アメリカが枢軸国と戦争に入った途端、日系人だけが財産を奪われてゲットーに叩き込まれた。ドイツ系、イタリア系の移民はそんなことはなかったのに。その際、「毒蛇は、どこで生まれても毒蛇である」と言われたことが記録に残っている。
そんな相互のプロパガンダ戦を通して、太平洋戦争の持った人種戦争の面に強烈な光を当てたのが本書。戦後生まれの身には想像もつかないほど、相互に罵倒し、軽蔑し、殺しあった姿が克明に記される。その生々しさに、たじろがずにはいられない。
日本軍の捕虜を輸送中の飛行機から突き落とし、切腹したと報告するオーストラリア兵。降伏を望む日本兵を、「死ぬまで戦え」と押し返して戦死させるアメリカ兵。白人が確かに持っていた有色人種への蔑視を強く感じさせる。
だが、一方の日本も負けてはいない。日本の純潔さを誇り、アメリカは惰弱で凶悪だと言い募る。人種差別されていると言いながら、自らの支配地の先住人たちとは決して平等と考えなかった、その矛盾。
日本のイメージは、劣ったサルから開戦当初の勝利を背景に超人へと変貌することも明らかにする。その切り替えの極端さは、しかし、日本人を彼ら白人とは違う存在であると捉える立場は変わらないのだ。
同じことでも自分たちがやれば崇高、立派となり、相手がやると野蛮となるダブルスタンダード。相手を非人間化し、単純化する姿勢。それらは驚くほど日米の間で共通していた。互いの軍隊が犯した、胸の悪くなるような事例を豊富に取り上げながら示す事実は、重く、苦しい。だが、学ぶことは多いだろう。不必要な相手の軽視が何を生んだか、日本は60年前に身をもって知ったのだから。
類書としては『戦争プロパガンダ10の法』がある。こちらの方が記述が大人しく、安心してよめるだろう。できれば併せて読んでおきたい一冊。
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立花 隆著
文芸春秋 (2004.4)
\1,300
評価:☆☆☆
週刊文春が、田中真紀子の長女が離婚したことを報じた。それ自体は面白くも可笑しくも無い、低俗な記事だ。
その報道に対して長女側は、長女が公人ではないことから個人のプライバシーを盾に週刊誌の出版禁止を訴える。なんとも驚くべきことに、この訴えはたちどころに認められ、長女の離婚に触れた記事が載る限りこの号は出版してはならないとされてしまった。
文春が発売禁止となると、各界から”あんな低俗な記事で出すべき価値も無いものなのだから、禁止は当然”といった類の言説が噴出する。
だが、我々はそんな言説を投げかける人物に問わなければならない。低俗だから、といった理由で発禁を認めて良いのか、と。そう熱烈に問いかけ、状況の異常さ、言論の自由との戦いであることを見据えないだらしのないマスメディアを痛烈に批判するのが本書である。
マルチン・ニーメラーの有名な格言(引用元はこちら)はご存知の方も多いだろう。
はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。
低俗だから規制されて良い、という考えは、残念なことにその範囲を拡大するだろう。事実上、裁判所が検閲の機能を持つこととなり、言論の自由なんてものは憲法に書かれただけで実体を伴わないものに成り果てる。
たとえば、である。ある有力政治家が法を犯して献金を受け取っていたとする。あるいは一企業と癒着していたとする。その事実を暴こうとした時に、政治家が個人のプライバシーを盾に一切の報道を禁じたらどうなるのか。我々は不正のあった事実すら知ることができなくなる。そんなことでは民主主義は成り立たない。
本書を読めば、問題は田中真紀子の長女のことなど下らないことにあるわけではなく、あまりにも拙速に裁判所が発禁の決定を下し、まともな理由も答えない、ということが良く分かる。欧米では考えられないようなとんでもない判決だった。
そして朝日新聞はライバルの文春が発禁になったと見るや、ここぞと文春を批判するという驚くべき態度をとった。この事件の持つ真の意味を省みることなく。
裁判所には裏の事情、いつか発禁の本を出してやると手薬煉(てぐすね)を引いていたという事実の指摘も重い。民衆を見下し、低俗なものは取り締まろうと考えるのは裁判所の責務からはかけ離れているはずだ。裁判所は、低俗ではあったとしても社会を構成する人々の生活を、自由を、幸福を護るためにあるはず。だから行政や立法から切り離された権力機構として存在しているのだ。本業を忘れた裁判官は批判を免れない。
その事実を、実際の裁判記録を提示しながら示している。読んで楽しい本ではない。だけど、”やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった”となる前に抵抗するためには、知っておかなければならない事実が沢山含まれていると思わずにはいられない。
本件は、地裁で長女側が勝ち発禁が認められたが、抗告を受けた高裁では文春側が勝訴。民主国家として極めて当然の結果となった。
高裁判決が出るや、朝日が手のひらを返したくだりは笑った。
高裁決定が出た翌日の「取り消しは当然だ」と題する朝日の社説にはビックリ仰天したが(地裁決定が出たときの朝日社説は、「地裁決定を暴挙とした文春声明」を叩くのに忙しかったが、今度は地裁決定がどれだけひどい決定だったかを叩きまくっていた)、またあの手で行けば良いのである。
戦争中は戦争の煽り役の先頭に立ち、戦争が終われば一億総懺悔の先頭に立つなど、臆面も無い論調変更例は朝日の歴史にいくらもある(略)。
我々に必要なのは、もっと腰の据わったジャーナリズムだろう。バランスが取れた視点を持ち、下らない争いに汲々としない、そんなジャーナリズムが。そのためには、まず我々自身が賢くなろう。政治家も裁判官もジャーナリストも、国民の身の丈に合った人々しか得られないのだから。
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世の中には色々な本がある。ためになるから読むべき本、ためになってかつ楽しく読める本、ためにならないけど楽しいから読む本。
そんな中には、ためにならない上読んでも楽しくないような本がやはりあるわけです。
たとえば、『ゲーム脳の恐怖』だとか『なぜフェミニズムは没落したのか』なんてのはタイトルだけでは駄本であることが分からない。その内容の酷さは各所で指摘されているわけだけど、未だにゲーム脳はゲーム嫌いの人々の間で蔓延しているそうだ。
『他人を見下す若者たち』はタイトルを見ただけで駄本と分かる。そもそも、少年犯罪は戦後減る一方なのに理解できない若者が増えているとか、犯罪が増えているとか、凶悪化しているなどと事実に反することばかりが透けて見えるのがおかしい。だいたい、3、40年程前にはゲームはなかったはずだけど少年による殺人は今の3〜5倍くらいあったのだが?まさかトランプとか将棋が悪い、なんて言わないよね。
そんな駄本列伝に新たなる一冊が加わったようだ。その名も『誇大自己症候群』。ああ、もう内容の薄さが透けて見える。人間は、というか、男は自己評価が甘い生き物なのを知らないのか。
ドライバーに聞くと、自分の運転は平均以上と思っている人が8割程度いる。どう考えてもおかしい。他の技能も同じ。あらゆる心理学的な証拠から、自分の評価は甘く、他人への評価は厳しいことが分かっているのだ。
ちょっと結論を急ぎすぎたのかもしれない。BK1の照会文を見てみると……
あーあ、やっちゃった、という感を否めない。犯罪の態様が変化したということは無い。昔の犯罪は貧しさから起こっていたわけではない。なんてことはない、今は変な報道が増えただけなのだ。ウソだと思うなら、少年犯罪データベースをご覧いただきたい。ここまで不勉強なのが画期的なのかもしれないけど。
最近のこの手の本はお粗末なものばかりで目を覆いたくなる。きっと、この著者の世代はおかしな脳の持ち主で、従来の精神医学では捉えきれない病理をはらんでいるからこんなことになっているのだろう。嘆かわしいものである。
そんな中には、ためにならない上読んでも楽しくないような本がやはりあるわけです。
たとえば、『ゲーム脳の恐怖』だとか『なぜフェミニズムは没落したのか』なんてのはタイトルだけでは駄本であることが分からない。その内容の酷さは各所で指摘されているわけだけど、未だにゲーム脳はゲーム嫌いの人々の間で蔓延しているそうだ。
『他人を見下す若者たち』はタイトルを見ただけで駄本と分かる。そもそも、少年犯罪は戦後減る一方なのに理解できない若者が増えているとか、犯罪が増えているとか、凶悪化しているなどと事実に反することばかりが透けて見えるのがおかしい。だいたい、3、40年程前にはゲームはなかったはずだけど少年による殺人は今の3〜5倍くらいあったのだが?まさかトランプとか将棋が悪い、なんて言わないよね。
そんな駄本列伝に新たなる一冊が加わったようだ。その名も『誇大自己症候群』。ああ、もう内容の薄さが透けて見える。人間は、というか、男は自己評価が甘い生き物なのを知らないのか。
ドライバーに聞くと、自分の運転は平均以上と思っている人が8割程度いる。どう考えてもおかしい。他の技能も同じ。あらゆる心理学的な証拠から、自分の評価は甘く、他人への評価は厳しいことが分かっているのだ。
ちょっと結論を急ぎすぎたのかもしれない。BK1の照会文を見てみると……
「普通の子」が些細なことから突発的に凶悪な事件を起こすのはなぜか。従来の精神医学では捉えきれない病理を「誇大自己症候群」という切り口で探る。自己の呪縛が肥大化した現代を検証しつつ、その超克を見据えた画期的論考。
あーあ、やっちゃった、という感を否めない。犯罪の態様が変化したということは無い。昔の犯罪は貧しさから起こっていたわけではない。なんてことはない、今は変な報道が増えただけなのだ。ウソだと思うなら、少年犯罪データベースをご覧いただきたい。ここまで不勉強なのが画期的なのかもしれないけど。
最近のこの手の本はお粗末なものばかりで目を覆いたくなる。きっと、この著者の世代はおかしな脳の持ち主で、従来の精神医学では捉えきれない病理をはらんでいるからこんなことになっているのだろう。嘆かわしいものである。
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中沢 弘基著
新日本出版社 (2006.4)
\1,995
評価:☆☆☆☆
生命はどのように誕生したのか。”鶏と卵のどちらが先か”を問い詰めれば、最後はこの問題に行き着くだろう。しかし、生命が誕生したのはあまりにも遠い過去であり、説得力のあるシナリオは困難だった。そこで生命を生み出した存在として神が仮定されたのも無理からぬことだろう。
ところが、ミラーらがアンモニアやメタンで満ちた地球では雷が生命の元になるアミノ酸を作り出すことを示したことから生命の起源について科学的な調査が本格化することにある。
現在では、太古の海でDNAが誕生するに先立ってRNAが遺伝情報を担い、増殖を重ねていたと信じられている。特に酵素としての働きをも併せ持つRNA(このRNAをリボザイムと呼ぶ)の発見が決定的だった。一般には。
しかし、そんなシナリオに重大な異議を申し立てると同時に、大変興味深い別のシナリオを提示する説が現れた。
生命誕生の舞台が海と想定されたのは、水が多くのものを溶かし込む能力を持つからだ。しかし、海の中にはメリットだけではなく巨大なデメリットがある。海の中で有機物が合成されたとしても、多すぎる水によって分解してしまう(これを加水分解という)。つまり、海の中では単純なアミノ酸は生まれても、複雑な分子は生まれない。ということは、RNAワールドを仮定するのは無理があるのではないか。
どこで生物は誕生したのか。我々は再び神による創造に回帰するしかないのか。
そうではない、というのが面白いところ。生命は海の中ではなく地下で発生したのだ、というのが本書の主張である。
アミノ酸の生成として意外なシナリオを提示し、それを実験で示しているところは推理小説を読んでいるのに近い感じがする。このあたりはぜひ本書を手にとって読んでいただきたい。
生命が地球独自のものかもしれないと示唆するあたりは承服しがたく、その点を中心に筆者の論に全面的に賛同することはできないが、生命の起源について興味を持つ方にはお勧めしたい。驚きとともに常識を覆される楽しみを味わいつつ、楽しんで読めると思う。
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鹿島 茂著
文芸春秋 (2005.5)
\1,700
評価:☆☆☆☆
所謂雑学本が嫌いだ。あたかも要素還元主義が如く、知識だけを切り出してきても全体の文脈を見失う。すると、面白さは激減してただの情報だけがそこに残される。知を楽しむには体系的にまとめられた情報、明晰な分析、そして独自の視点がなければならない。その上、文章も面白くなければ。
本書はそんな過大ともいえる要求を全て叶えている。膨大な知識を駆使したこのエッセイを読むと、次から次へと目から鱗が落ち、小説や歴史に興味が沸く。
秋葉原事情や日本における制服への憧れの起源(コスプレという話だと、どうしてもcomplex fraction:COLUMN(コスプレ好きなブルガリア人)を思い出してしまう)のようなことから西洋におけるロウソク文化の複雑さなどの文化論まで話題が非常に多岐にわたる。そして、その一つの話題ごとに豊富な実例を面白く紹介してくれているのだから、これはもう読まないのがもったいないくらい。
本書を読んだおかげで同じ著者の他の本も読んでみたくなってしまった。また積読の山が高くなりそうな予感。
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日垣 隆著
日本実業出版社 (2006.2)
\1,365
評価:☆☆☆☆
日々の忙しさに追われていて、ふと気が付くと世間を騒がせた大事件や大事故であっても一時の話題づくりにしか寄与せず、消えていっているように思う。
本書は、この5年間に著者が週刊『エコノミスト』に連載したコラムを集めたもの。後書きで「コラム執筆にあたり、そのときどきに最も注目された事件や事象を睨みつつ、数年後または数十年後に振り返って、あれがエポックだったのか、と思い起こせるテーマを選ぶことを心がけました」と記すだけのことはあり、確かにあの年のあの頃にはこんなことが話題になっていたと思い出す。
しかし、著者が日垣隆であるからには、そんな懐古趣味だけで収まるはずが無い。
政治、経済、事件、事故とそれぞれの話題において時に激しい糾弾を、皮肉を、そしてたまには共感を交えながら書いているわけだが、著者らしく徹底した下調べと自身に対して最も過激に発揮されるプロ意識が底にある。だから、読んでいて著者の憤りや思いを素直に受け止めることができるのではなかろうか。
素直に感情を表現することはもちろん責められることではないが、根拠も背景もなければただの誹謗に堕してしまうだろう。そんな姿勢と無縁な著者のスタイルが、このまま続くことを願ってやまない。ついでに、その皮肉な物言いも。
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ジョン・メイナード・スミス著 / エオルシュ・サトマーリ著 / 長野 敬訳
朝日新聞社 (2001.12)
\2,100
評価:☆☆
ジョン・メイナード=スミスに惹かれて買った本。
本書は大変な意欲作である。なにしろ、無生物から生物が生まれるところから、人間で言語が発達するまでの歴史を取り上げているのだから。
複雑な分子であるDNAが突如誕生したわけではなく、人間や象のような複雑な生物が最初に誕生したわけでもない。化学進化を経て、単純な自己複製機能を持つ組織が誕生した。進化の力はやがて複雑な生命を生み出していったのである。
そこに8つの謎を設定し、生命がどのような軌跡を辿ってきたのかを明らかにしている。
だが、訳文が悪いのか原文が悪いのかは分からないが、イマイチ魅力を感じられない。話題が話題なので、面白い点も沢山あるのだが、引き込まれるような魅力に欠ける。文章が無駄に難解なのもマイナス。
また、分子生物学の基礎的な知識がなければ読むのが辛いところもあり、読者のレベルにあっていないように思われる。私のレベルが低いというのは措いておくとしても、難解すぎるように思う。
同じ話題であれば、もっと面白い本は沢山あると思う。これよりも、『生命最初の30億年』をお勧めしたい。
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ゴードン・トーマス著 / 東江 一紀訳
光文社 (1999.7)
\2,100
評価:☆☆☆☆☆
世界最強の諜報機関といえば、どこだろうか。職員を万単位で数えるかつてのKGB?いや、ちがう。CIA?あるいはNSA?それも間違いだ。その栄誉を担うのは、わずか2,000人あまりの工作員からなるイスラエルのモサドこそ相応しいだろう。
アルゼンチンに身を潜めていたナチスのアドルフ・アイヒマン誘拐、イラクのミグ21奪取、ミュンヘンオリンピック事件の犯人暗殺のように関与が知られたものから、クリントンのテレホンセックス盗聴、ダイアナ妃事件、イツハク・ラビン首相暗殺事件のように知られていないものまで実に多くの事件にモサドは関わってきた。敵国の中枢にまで工作員はもぐりこんだ。
イスラエルが核武装するにあたり、核の査察で核兵器開発が分からないように隠蔽し、サダトが仕掛けたスエズ運河急襲も事前に情報を察知していた。イラン・コントラ事件に関わり、あるときは法王庁に、またあるときはCIAに、果てはKGBにも接近し、目的を達成してきた。
彼kらは国内外を問わず、沈着で冷酷な工作を多数行い、その多くで全く証拠を残さなかった。敵に囲まれたイスラエルを守り抜くという理念と不屈の意思と恐るべきテクニックを武器に。
本書はそんなモサドの活動を生々しい事件を振り返りながら、秘密に包まれたこの組織の歴史を追う。
読み終わったあとでは、世界はこれまでのような単純なものではなく、悪意と暴力に満ちた組織同士が覇権と生死を巡って争う闇を内包していることに嫌でも気づかされるだろう。そこにあるのは利己主義とリアリズム、そして暴力の行使を厭わない組織の数々なのである。
闇に包まれた諜報組織、モサドはどのように生まれ、どのような工作を行ってきたのか。また、その結果どのようなことが起こったのか。多くの謎を解き明かし、未解決の事件に光を当てていることで本書の価値はひときわ高いものといえるだろう。
なお、モサドや諜報機関およびイスラエルについては下記の本も面白かったのでお勧めしたい。
ミュンヘンオリンピック事件の犯人との戦いを描いた『ミュンヘン』
巨大な傍受網を築き上げたアメリカのNSAの実態に迫った『すべては傍受されている』
CIAが官僚組織へと変貌した歴史を怒りとともに告発する『CIAは何をしていた?』
NSAによる傍受の中心をなしているエシュロンについての『エシュロン』
イスラエルに手痛い打撃を与え、エジプトとの和平を余儀なくさせた第四次中東戦争など、幾つかの戦争を概観している『戦略の本質』
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CIAは何をしていた?の書評をBK1に投稿したところ、今週のお勧め書評に選んでいただきました。
毎週10本を取り上げていて、見事当たれば3000ポイントもらえます。というわけで私ももらったのですが、何が嬉しいってまた本を買えることだったり。
そんなわけでまた物色しなければ。
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レナード・サックス著 / 谷川 漣訳
草思社 (2006.5)
\1,365
評価:☆☆☆☆☆
ある女性は、ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という言葉を信じていた。たまたま彼女の子供は男の子だった。そこで、彼女は自分の息子に自身がとても大切にしていた人形を与えた。自分が大事にしたように、息子も宝物としてくれるように。
しかし、結果は無残だった。その息子は、自分のできる限りの分解、つまり人形の服を脱がし終わるとそれっきり興味を失ったのだ。それをみて彼女はボーヴォワールは誤っている、と悟ったそうである。
この女性とは私の母のことであり、その息子とは私のことだ。こんな経験は、男の子を持った母親にはありふれているのではないだろうか。
では、そんなありふれた経験はなんらかの理由があるのだろうか。男の子と女の子の差を決定付けている要因が。
かつてその要因は社会的なものと考えられた。男の子には周りが男の子であることを期待するが故に、本人は期待に応えようとして男の子としての振る舞いをする。たとえば人形よりも車のオモチャを選ぶように。女の子の場合には逆に、車のオモチャより人形を選ぶような圧力がある、と。それこそボーヴォワールに代表されるようなフェミニストの(しばしば政治的影響力を振るう)見解だった。
しかし、現在では男女の脳には生まれながらの性差があることが明らかになっている。脳の少なからぬ部位で性遺伝子に基づく違いがある。そして、その性差は想像以上に大きいのだ。
ところが、男女に本質的な違いは無いとする政治的な主張はあまりに力を持ちすぎてしまっている。そのため、男の子にとっても女の子にとっても幸福とは言い難い状況が発生してしまっている、と著者は主張する。
自分の家庭医としての経験を織り交ぜながら男の子と女の子の違いを明らかにする。男の子と女の子の振る舞いの違いを事例としてみるだけでも面白く、自分自身や周囲の状況を極めて上手く説明していると思う。出てくる名前が欧米風ではなく、日本人の名前だったら日本人が日本の社会について書いたのではないかと思い込んでしまうほどに。
また、本書がユニークなのは、決して自分の持つ政治的なイメージを性差に押し付けることはしないことにある。著者自身はこう述べている。「(略)ひとつだけ自分に課したことがあった。女の子と男の子はこんなふうにちがうと主張するときには、かならずそれを裏づける証拠がなければならない。だから性差にかんするわたしの主張はすべて、審査を受けた科学雑誌の記事や論文がもとになっている。」
この冷静さが本書をさらに面白くさせている。得られた違いは明白で、決して小さいものではない。子供の頃から男女は違うもの。その子にあった育て方をするのはもちろん大事なことだが、性差を正しく認識し、違いを踏まえた育て方はもっと根源的な作用をする。
大切なのは、男女どちらに優劣があるかを面白おかしく書き立てることではない。ただ育ち方が違うというだけの話だ。ナイフとスプーンは全く違う機能を果たす。どちらが優れているかと問うのはナンセンスであろう。
男女に差があるという主張は直ちに優劣の議論に結びつきがちだが、そこから離れているのも本書を面白くしているポイントだと思う。
この様な本が多くの子供を教え育てる立場にある人々、つまり親や教師に読まれることを願ってやまない。
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『エリザベスとエセックス』を読み始めたのだが、すぐに挫折。
読み始めたのはエリザベス一世という稀代の女性に興味があったからなのだが、失敗した。
少なくとも、訳は悪い。原文に忠実なのか妙に英語的な組み立てがされている。その結果、組み立てがどうも落ち着かない。そして、著者も悪い。装飾過多で読んでいて疲れる。私としては淡々とエリザベスの実際の動きや客観情勢を伝えて欲しかったので、もう全くウマがあわない。
そんなわけで、途中で読み捨てることとした。唯一の救いはブックオフで買ったこと。定価で買っていたら救われないところだった。
読み始めたのはエリザベス一世という稀代の女性に興味があったからなのだが、失敗した。
少なくとも、訳は悪い。原文に忠実なのか妙に英語的な組み立てがされている。その結果、組み立てがどうも落ち着かない。そして、著者も悪い。装飾過多で読んでいて疲れる。私としては淡々とエリザベスの実際の動きや客観情勢を伝えて欲しかったので、もう全くウマがあわない。
そんなわけで、途中で読み捨てることとした。唯一の救いはブックオフで買ったこと。定価で買っていたら救われないところだった。
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スティーヴン・ホーキング著 / 佐藤 勝彦訳
ソフトバンククリエイティブ (2006.7)
\788
評価:☆☆☆
車椅子の科学者、スティーブン・ホーキングの手によって最新の宇宙論が語られる。ブラックホールが蒸発するという説を中心に、思いもかけない宇宙の姿を生き生きと語っている。
分かりやすいようにとの配慮だろうか、図版がとても多いのでページをめくるのが楽しい。詳細は理解できなくとも、どんなことを説明しているのかを視覚で追うことができるのは心強いことだ。
話題も多岐にわたる。ホーキングが提唱したブラックホールの蒸発やひも理論、果てはタイムマシーンの実現可能性など、理論的予想に留まることであっても臆することなく踏み込む様は頼もしい。また、節々にジョークが織り込まれているのも楽しさを増している。
問題は一般人のレベルを知らないことにある。とにかく難解なのだ。もっと初級者向けに書かれていれば手放しで絶賛できたであろう。図版を見て楽しみながら、分かるところだけ文字を追うのが正しい読み方かもしれない。
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ロバート・ベア〔著〕 / 佐々田 雅子訳
新潮社 (2006.1)
\860
評価:☆☆☆☆
CIAと聞くと、やはり諜報世界の雄として想像しえないほど各国の事情に通じ、様々な工作を行っている姿が思い浮かぶ。その知名度と存在感から陰謀論やフィクションの舞台にもなっている。陰謀論の真否はともかくとして、それだけ注視されるということは、それに相応しい力があるからだろう。
そんなCIAで活躍したロバート・ベアの怒りに満ちた告発である本書を読むと、我々が抱くイメージが過去の残滓に過ぎないことが分かる。あの911も、CIAには食い止める能力も気概もなかったというのだ。
本書はロバート・ベアがいかにしてCIAのエージェントになったのか、に始まり、中東などでの活躍をつづった後、失意のうちに辞職するまでの歴史である。フセイン暗殺未遂事件など、手に汗を握るようなシーンもあればワシントンでの政治闘争もあるのでエピソードとして面白いものが沢山ある。
しかし、驚かされるのはCIAはいつしか官僚主義に陥っており、国民の命や安全よりも石油メジャーの利得を守らんとするようになっているということだ。いつの間に、諜報界の巨人は官僚主義の権化と化してしまったのか。
それを語るのに、著者は最適な位置にいる。CIAが理念を持って危険にも立ち向かった時期に入局し、図体が大きいだけのただの政治勢力になってしまう姿を目の当たりにし、その変貌に付いていけずに離れることになったのだから。
数多のスパイ小説より面白く、ワシントン情勢を語るノンフィクションに劣らず現実を知ることができる。諜報の世界を覗き、陰謀と破壊と力と政治の入り乱れる様を横目に見ながら冒険小説をすら上回るシーンを目の当たりにできる。一冊でいろいろな楽しみ方ができる本である。
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立ち上げ時期で終電が続く。閉じそうになる瞳をそれでもこじ開けて読書に励もうとは思うのだけど、本を読むスピードがガタ落ち。読みたい本は沢山あるのに。購入済みも、未購入も。
今興味があるのはサイモン・シンの3作目、『ビッグバン宇宙論』。サイモン・シンだからさぞかし面白くしあげているだろうと思う一方、ビッグバン宇宙論については一通り分かっている(と思う)ので迷う気持ちもある。
で、ふと気が付くと『フェルマーの最終定理』が文庫に落ちている。面白い本なので、手に取りやすいようになるのは良いことだと思う。特に、科学書の場合には文庫になることもなく消えていく良書・名著が沢山あるので嬉しい。
オンラインでもリアルでも本屋に行くと欲しい本が沢山あって困る。読む時間が少ないのはもっと困る。でも、読む本がなくなることほどは困らない。活字を追い、知識を得ることの悦楽が続く限り、無趣味とは縁遠い生活を送れそうである。
今月がピークだと信じて頑張って本代を稼ぐことにしよう。
今興味があるのはサイモン・シンの3作目、『ビッグバン宇宙論』。サイモン・シンだからさぞかし面白くしあげているだろうと思う一方、ビッグバン宇宙論については一通り分かっている(と思う)ので迷う気持ちもある。
で、ふと気が付くと『フェルマーの最終定理』が文庫に落ちている。面白い本なので、手に取りやすいようになるのは良いことだと思う。特に、科学書の場合には文庫になることもなく消えていく良書・名著が沢山あるので嬉しい。
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