アレクサンドル・ソルジェニーツィン〔著〕 / 木村 浩訳
新潮社 (1976)
\1,029
評価:☆☆☆
2巻で犠牲になるのは教会関係者や技術者たち。
教会は飢饉にあたり、政府の没収を認めなかった。神のものを強引に奪うのは罪に当たるとしたのだ。その代わり、彼らは自分たちの財産を自分たち自身の手で寄付しようとした。しかし、それは認められなかった。反対したものには銃殺、あるいは10年の懲役が待ち構えていた。
しかし、飢饉をもたらしたのはレーニンが主導した、農業テクノクラート抹殺である。それなのに決して党主導部はその責任を取らない。もちろん、何事にも例外はある。失脚した人々だ。彼らは帝政ロシア時代の、なまぬるい監獄生活(監守は囚人を丁寧に扱い、散歩や文通の自由は認め、食料は質量ともに高水準のものを与えていた)とは比較にならない過酷な状況に置かれる。
技術者たちには、ソヴィエト政府が現実を無視して立てた計画をクリアしなければ流刑や(やっぱり)10年の懲役が待ち構えていた。無茶な要求を叶えられないのは反ソヴィエト、反共産主義だというのだ。
かくして群島へ向かう人々の群れができる。独房に30人以上を収容し、寝るスペースも無い。数少ない持ち物は、たちどころに奪われ、食料すらピンはねされる。様々な理由で死んでいく仲間たち。しかし、その死は決して明らかにされない。
帝政ロシア時代にも、確かに目を覆うべき現実はあっただろう。しかし、革命後のソ連と比べるとどうだろうか。皇帝の暗殺未遂犯ですら釈放された帝政ロシア時代と、自分の農地ではない土地の、わずかな草を牛のために刈り取って死刑になるソ連と、どちらがまともな社会なのだろうか。
ソ連に現出した地獄とはこのようなものだった。時に皮肉を交えながら、ソルジェニーツィンは自分も体験した異常な世界を描き出す。数千万人が体験した世界を異常と呼ぶべきかは議論の余地がある。なにせ、それはソ連の日常だったのだから。
共産主義のもたらす、破滅的な世界を克明に描き出している。冷酷で恐ろしい世界。そこでは誰もが密告者で、法治国家なら罪になることも無いような些細なことが、容易に死をもたらす社会。それが共産主義が支配した国々での現実だった。
我々もこのような貴重な記録を読み、歴史を学びたいものである。
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