アレクサンドル・ソルジェニーツィン〔著〕 / 木村 浩訳
新潮社 (1977)
\1,029
評価:☆☆☆
ソ連にはたくさんの島があった。と言っても、海に浮かぶ島ではない。この島は海によって大陸から隔てられているわけではなく、兵士と鉄条網と番犬によって外の世界から隔絶されていた。そして、その島の中には大勢の人々が詰め込まれていたのだった。そんな収容所(ラーゲリ)が、ソ連の中には大量に存在していたのだ。
帝政ロシアを滅ぼした共産主義革命は、予想に反して自由にも階級の解放にもつながらなかった。むしろ、人類が作り上げたあらゆる社会の中で最も過酷な社会を現出させたと言っても良い。
技術テクノクラートを憎むべきインテリとして、農業の知識をもち、豊かな実りを実現させていた農民たちを富農として、徹底的に根絶したヴラジミール・イリイッチ・ウリヤーノフ、すなわちレーニンの所業により、革命後たちまちのうちにソ連は農業輸入国へ転落。輸出するものもないソ連はロマノフ王朝が溜め込んだ財宝を売り払っても焼け石に水で、国内では飢えと労働力の不足が明らかになる。
その解決方法として、発明されたのはタダの労働力である。逮捕、そして強制労働。国際法に違反して日本兵を抑留した事件もこの流れに沿ったものだった。レーニンの後継たるヨシフ・ヴィサリオノヴィチ、すなわちスターリンは非情さと地獄の創造能力においても前任者に匹敵していたことが更なる地獄を招き寄せていった。
貴族の末裔で生業に就いたことすらないレーニンと、帝政ロシアとボリシェビキの二重スパイだったスターリン。どういうわけか彼らはプロレタリアートの代表となり、ソ連と東欧の人々を恐怖政治で支配していった。
こうやって見てくると国内を不平等が支配していたように思うかもしれないが、あながちそうとも言い切れない。老いも若きも、男も女も、罪の有無を問わずにラーゲリに放り込まれ、10年や25年の刑期を勤めることになったのだからある意味平等だ。人は平等によって満足しないということだ。
いや、ラーゲリに入れられたのは犯罪者ではないのか、と反論する人もいるかもしれない。刑務所のことをおおげさに言っているだけだ、そう思う方もいるかもしれない。
しかし、著者のソルジェニーツィンが逮捕されたのは友人と手紙をやり取りする中で権力者に対する不満を述べただけであった。それによって大尉の位を剥奪され、反ソヴィエト的行動で10年の禁固。
かくしてラーゲリの住人となったソルジェニーツィンは、やがてこの群島の実態を明らかにさせるべく行動をとる。その成果が本書である。地上に現出した地獄の、貴重な記録なのだ。
日本に住む我々からは想像もつかないような些細なことが、たちまち身の破滅につながる実態には恐怖を覚える。本書に紹介されているのはアメリカには立派な道路があると言っただけでソ連を侮辱しているとして流刑に処せられた人。外国人。あるいは外国を見聞きした(!)一般人。インテリ。軍人。過去のほんの一時期であってもボリシェビキと敵対したことがある人々には決して赦しが訪れなかった。ありとあらゆる階層の、あらゆるタイプの人がラーゲリに放り込まれたのだ。
本書で明かされるのは、逮捕からラーゲリにたどり着くまで、そしてラーゲリの中の待遇についてである。逮捕に続き魔女狩りを髣髴させるような取り調べの実態。結論があらかじめ出てしまっているため逮捕は確実なラーゲリ収容(あるいは銃殺)に結びつくということ。どれをとっても恐ろしい話だ
これらの過去を、過去に行われた事実として知るのは重要だ。現在ソ連ではスターリンの再評価が進んでいるという。ヒトラーを破り、強いソ連を体現したとして。しかし、その強さと収容所群島は一体のものだ。
また、ソヴィエト革命後、世界にはいくつか共産主義を標榜する国家ができたわけだが、その全ての国家で地獄絵図が展開された。これらの国はそのイデオロギーの他に、民主的権力集中制というシステムを持っていることに特長がある。文化大革命で数千万人の命を奪った中国。国民の約三分の一を虐殺したとされるクメール・ルージュのカンボジア。他国の人々を誘拐し偽札と麻薬の生産で命をつないでいる北朝鮮。
日本にも共産主義を名乗る政党があり、やっぱり民主的権力集中制を誇示している。この政党が政権党になれば、どうなるか。過去に他国で起こったことをよくよく教訓にしなければならないだろう。あの党の権力承継の異常さが特筆すべきものであるのは周知のとおりだ。なにせ、選挙に負けても党首は責任をとらずに陰謀論を展開する始末。他の政党では考えられないことであろう。
過去に目を閉ざすものは、未来を失うかもしれない。
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