サガン〔著〕 / 鷲見 洋一訳
新潮社 (1990.5)
\407
評価:☆
先に紹介した『塩野七生ルネサンス著作集 6』のボルジアの話ともからむので、古本屋で見つけたサガンの小説を続けて読んだのだが、コレがまた面白くない。多分、作者の狙いと私の希望が全く一致していないのが原因と思われる。
サガンはボルジア家という野望に燃える人々、とりわけチェーザレとルクレツィアとの兄妹間の近親相姦を書きかったのだろう。だから、ボルジア家の野望はそのはっきりした姿を見せないし、チェーザレの行動がもたらした歴史的な意味というのも触れられない。チェーザレの野心を叶えようとするひたむきさ、そのためにどんな冷酷で残虐な方法すらも辞さない冷徹さ、実の妹との愛欲。そういったものに関心が集中している。
でも、私はそんなことにぜ〜んぜん興味がないのだ。サガンが小説を書くにあたって見なかった、あるいは切り捨てたところこそが興味の向いた先なのである。作者と読者の好奇心の不一致であるから仕方あるまい。
なお、絶版のようなので興味のある方は古本屋などで探すしかないと思われる。
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塩野 七生著
新潮社 (2001.9)
\1,995
評価:☆☆☆☆
ルネッサンス期の法王4人を取り上げている。4人とは、時代錯誤の十字軍派遣に執念を燃やして果たせぬまま死んだピオ2世、好色で息子のチェーザレ・ボルジアと共に強いイタリアを作り上げようとしたアレッサンドロ6世、次々と結ぶ相手を代え戦果をあげながらその総てを失う様を眺めたジュリオ2世、遊びと祭りを愛したレオーネ10世である。
それぞれの法王で注目しているポイントが違うのが面白い。ピオ2世は十字軍にどれほど執着し、誰からも相手にされない状況をどう生きたのか。アレッサンドロ6世は教会に歯向かうサヴォナローラとどう相対したのか。ジュリオ2世はその節操のない合従連衡で何を得て何を失ったのか。レオーネ10世では暗殺未遂事件をとりあげ、教会内の陰謀と法王の厳しい処分を述べながら、一転お祭り男のシーンへと移る。
上記のように書くと、節操なく適当な法王を4人ほど集めて見せたに過ぎないように見えるかもしれないが、そうではない。彼ら4人をわざわざ選んだのは、業績や行動パターンが共通しているからではない。様々な視点を持った男たちがいた、ということを示すのにうってつけだから、である。そうやってみると、取り上げられているのは異教徒であるイスラム教徒の排撃を熱望する偏狭な宗教者であり、好色で何人もの子に恵まれ、力でイタリアを支配しようとしながら逆らう者もできるだけ懐柔しようとする老獪な策士であり、利用できるものはなんでも利用して野望を叶えようと精力的に活躍する男であり、暗殺の危機に臨みながらも祭りに多額のカネをかけ、存分に楽しんだ道楽者である。法王と聞いて想像しそうな、”謹厳で真面目な宗教者”と言えそうなのはピオ2世だけ。
ピオ2世の時代をすぎると、ルターらの宗教革命が起きてもっと真面目というか宗教一色の人々が現れる。それと同時にルネッサンス的な複眼的視点や寛容さも失われていく。レオーネ10世の死後にはローマ劫掠が起こり、栄華を誇った都も廃墟と化してしまう。名実共に、ルネッサンスは終わり、偏狭な時代へと突入して行く。ルネッサンスの時代、自由に活躍した
ただ、個人的にはアレッサンドロ6世はやはりチェーザレ・ボルジアとの関連で出して欲しい。勝手に先鋭化して自らを滅ぼしたサヴォナローラとの遣り取りにはあまり興味がない。何時の世も、対立はふと気がつくと些細で取るに足らないものが先鋭化して引き返せないものになりがちである、というだけの話だ。多分、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』という、タイトルどおりにチェーザレ・ボルジアとアレッサンドロ6世を取り上げた作品があるので、重複を避けたのだろう。そんなわけで、アレッサンドロ6世のあたりはちょっと残念だったけど全体的には面白い作品であった。
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