ジョアオ・マゲイジョ著 / 青木 薫訳
日本放送出版協会 (2003.12)
\2,415
評価:☆☆☆☆☆
タイトルを見て、これはゲテモノだ!と思った方。あなたは間違ってます。
アインシュタイン(の相対性理論)は間違っている、というのはトンデモの揺るぎもしない1ジャンルを占めている。光速の不変性という直観に反する主張は、しかし厳密にコントロールされた実験で何度も実証されている、確固たる事実なのだ。それなのにこのタイトルは一体?その疑問までは正しい。
著者が主張する、光速よりも速い光というのは宇宙開闢後のほんのわずかな時間だけに成り立つ極めて限られた現象である。その現象が起こることによりどのようなことが起こるかというと、それはもう様々なことが起こる、という。なんと、現在のビッグバン宇宙論の主流派であるインフレーション宇宙論がゴミ箱に放り込まれてしまうかもしれないというのだ。
インフレーション理論が重宝されるのは、これが地平線問題と平坦性問題という全く別個でありながら、いずれも登場当初のビッグバン宇宙論では解決できなかった問題を解決したからである。知らない人のために簡単に説明してしまおう。
地平線問題というのは、宇宙がどちらを向いても同じであるのはなぜか、ということである。冬のお風呂を想像して欲しい。上は熱くて底は冷たいだろう。温度を均一にするには一度風呂釜全体をかき混ぜなければならない。逆に言うと、かき混ぜられるまでは温度のバラツキがあるということだ。ビッグバン宇宙論では、宇宙は急激に膨張したので一様にかき混ぜられるだけの時間はなかったことが示される。なのに、COBE衛星を使った調査では、宇宙のどの方向を見ても温度のバラツキが極めて小さい。これはなぜか。
平坦性問題というのは重力が問題となる。ビッグバンの爆発のエネルギーで物質はバラバラに飛び散るが、その一方で互いの間に働く重力が再び総ての物質を一箇所に集めようとするはずである。総物質量がちょっと少ないと、膨張を食い止めようとする引力が小さいため、銀河はおろか惑星すらできないほどのスピードで物質は飛び散ってしまう。しかし、ちょっとでも多すぎると膨大な引力のため、爆発のエネルギーでは物質を散らせず、いわば一瞬で巨大なブラックホールができるだけでこれまた銀河もできなくなってしまう。問題なのは、今の宇宙を作るために許される総物質量が余りに微妙な綱渡りに成功したように見えるということだ。許容幅が余りに小さいため、とても偶然にこのようなことが起こったとは思えない。
この問題を解決したのがインフレーション宇宙論で、発見者であるアラン・グースの『なぜビッグバンは起こったか』は非常に面白い本であった(アラン・グースとは別個に、しかも同時期に日本の佐藤勝彦が同じ理論に辿り着いていたことは特筆されてしかるべきだと思う)。インフレーション宇宙論の持つ圧倒的な力が、宇宙論の主流の地位を確立するのにはそんなに時間がかからなかった。
しかし、インフレーション宇宙論には欠点もある。実験によって理論の正しさを証明することが極めて困難なのだ。数学的には問題がないかもしれないが、それでは全幅の信頼を置くには早すぎる。
そこに登場したのが、宇宙開闢当初は光速が今とは違っていた、という理論である。光速が今よりもずっと早ければ地平線問題は消滅する。宇宙が小さい頃に光が宇宙の端から端まで通り抜けていたのであればどちらを向いても同じような条件なのは不思議ではない。そして、平坦性問題にも同時に解決の道しるべを与えることができるというのだ(こちらは話せば長くなるので本書を見ていただきたい)。更に重要なことは、この理論は実験によって当否を判断できるということである。
ニュートンの万有引力の法則はアインシュタインの相対性理論によって修正が必要であることが示された。相対性理論も同様に修正の必要があるのかどうか、この理論の後を追いかけるのが楽しみになる、そんな本だった。残念なのは、私に数学の素養がないため数学的に理解できないことである(本の中に数式はほとんどまったく出てこないが)。
おまけだが、著者はイギリスで学ぶポルトガル人である。その型破りな行動がとても面白く、過激な物理学者の自伝としても十分に面白い。ラテンのノリが発揮されすぎてちょっとお下品になってしまっているところもあるが、どちらかというと面白い方に作用していると思う。宇宙論に興味があるなら読んでおくべし。
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サガン〔著〕 / 鷲見 洋一訳
新潮社 (1990.5)
\407
評価:☆
先に紹介した『塩野七生ルネサンス著作集 6』のボルジアの話ともからむので、古本屋で見つけたサガンの小説を続けて読んだのだが、コレがまた面白くない。多分、作者の狙いと私の希望が全く一致していないのが原因と思われる。
サガンはボルジア家という野望に燃える人々、とりわけチェーザレとルクレツィアとの兄妹間の近親相姦を書きかったのだろう。だから、ボルジア家の野望はそのはっきりした姿を見せないし、チェーザレの行動がもたらした歴史的な意味というのも触れられない。チェーザレの野心を叶えようとするひたむきさ、そのためにどんな冷酷で残虐な方法すらも辞さない冷徹さ、実の妹との愛欲。そういったものに関心が集中している。
でも、私はそんなことにぜ〜んぜん興味がないのだ。サガンが小説を書くにあたって見なかった、あるいは切り捨てたところこそが興味の向いた先なのである。作者と読者の好奇心の不一致であるから仕方あるまい。
なお、絶版のようなので興味のある方は古本屋などで探すしかないと思われる。
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塩野 七生著
新潮社 (2001.9)
\1,995
評価:☆☆☆☆
ルネッサンス期の法王4人を取り上げている。4人とは、時代錯誤の十字軍派遣に執念を燃やして果たせぬまま死んだピオ2世、好色で息子のチェーザレ・ボルジアと共に強いイタリアを作り上げようとしたアレッサンドロ6世、次々と結ぶ相手を代え戦果をあげながらその総てを失う様を眺めたジュリオ2世、遊びと祭りを愛したレオーネ10世である。
それぞれの法王で注目しているポイントが違うのが面白い。ピオ2世は十字軍にどれほど執着し、誰からも相手にされない状況をどう生きたのか。アレッサンドロ6世は教会に歯向かうサヴォナローラとどう相対したのか。ジュリオ2世はその節操のない合従連衡で何を得て何を失ったのか。レオーネ10世では暗殺未遂事件をとりあげ、教会内の陰謀と法王の厳しい処分を述べながら、一転お祭り男のシーンへと移る。
上記のように書くと、節操なく適当な法王を4人ほど集めて見せたに過ぎないように見えるかもしれないが、そうではない。彼ら4人をわざわざ選んだのは、業績や行動パターンが共通しているからではない。様々な視点を持った男たちがいた、ということを示すのにうってつけだから、である。そうやってみると、取り上げられているのは異教徒であるイスラム教徒の排撃を熱望する偏狭な宗教者であり、好色で何人もの子に恵まれ、力でイタリアを支配しようとしながら逆らう者もできるだけ懐柔しようとする老獪な策士であり、利用できるものはなんでも利用して野望を叶えようと精力的に活躍する男であり、暗殺の危機に臨みながらも祭りに多額のカネをかけ、存分に楽しんだ道楽者である。法王と聞いて想像しそうな、”謹厳で真面目な宗教者”と言えそうなのはピオ2世だけ。
ピオ2世の時代をすぎると、ルターらの宗教革命が起きてもっと真面目というか宗教一色の人々が現れる。それと同時にルネッサンス的な複眼的視点や寛容さも失われていく。レオーネ10世の死後にはローマ劫掠が起こり、栄華を誇った都も廃墟と化してしまう。名実共に、ルネッサンスは終わり、偏狭な時代へと突入して行く。ルネッサンスの時代、自由に活躍した
ただ、個人的にはアレッサンドロ6世はやはりチェーザレ・ボルジアとの関連で出して欲しい。勝手に先鋭化して自らを滅ぼしたサヴォナローラとの遣り取りにはあまり興味がない。何時の世も、対立はふと気がつくと些細で取るに足らないものが先鋭化して引き返せないものになりがちである、というだけの話だ。多分、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』という、タイトルどおりにチェーザレ・ボルジアとアレッサンドロ6世を取り上げた作品があるので、重複を避けたのだろう。そんなわけで、アレッサンドロ6世のあたりはちょっと残念だったけど全体的には面白い作品であった。
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