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80冊目 ハンニバル
ハンニバル

長谷川 博隆〔著〕

講談社 (2005.8)

\924

評価:☆☆


 ハンニバルといえば、『羊たちの沈黙』に出てきた怪人、ハンニバル・レクターを思い浮かべる人の方が多いかもしれない。もちろん、この本はレクターじゃないハンニバルの生涯を大まかにまとめたものである。

 ハンニバルは海運国家カルタゴの将軍としてローマと対峙し、第二次ポエニ戦争において大胆で緻密な作戦行動によって多勢のローマ軍を翻弄した名将である。インド象と傭兵を率いてスペインからアルプスを越えイタリアに上陸、連戦連勝しローマの指導者たちの心胆をさむからしめたことが知られている。しかし、知られているのはせいぜいそこまでではなかろうか。

 カルタゴの将軍の息子として生まれ、いかにして自らも将軍となったのか。強さの秘密はどこにあったのか。どのように戦い、そして勝利を収めたのか。変転常無き傭兵を率いて遠征し、背かれることがなかったのは何故か。そして、なぜ悲劇的な最期を迎えなければならなくなったのか。

 一般書でありながら史料に基づき、できるだけ丁寧に書こうとしているのが伝わってきてとても共感が持てる。確定していないところはきちんとそう書きながら、どの説が説得力を持つのかを説いているところは面白い。

 しかしながら、丁寧なのも考えものである。このボリュームの本でそこまで丁寧に書いてしまうと、客観情勢などの記載が少なくなってしまう。一通り分かっている人には良いかも知れないが、私のように碌に知らない者には非常に不親切だと感じられる。加えて、悪文で俄かには意味を飲み込みづらいところが多い。著者にとってはわかりきったことだから書きそびれてしまったのかもしれないが、読者がついて行くのは大変であると思われる。こういったところがなかったらもっとずっと読み物として面白かったのに、と残念に思う。
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その他歴史 | 2005/10/28(金) 10:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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79冊目 奇怪動物百科
奇怪動物百科

ジョン・アシュトン著 / 高橋 宣勝訳

早川書房 (2005.6)

\777

評価:☆☆☆


 テレビも図鑑も動物園も無かった頃、世界は今よりもずっと驚異に満ちていた。もちろん、今でも驚異が無くなったわけではなく、面白いことはいろいろあるのだけれど、昔とは質が違う。なぜなら、その昔は異郷の地のことは旅人から聞いた話から想像するしかなかったわけだから、異郷の地のイメージは想像のみだった。イマジネーションが世界を規定してた。だからこそ、現実の世界以上に不思議が溢れていたのだ。

 例えば世界像では、大地は平らな盆のようなもので、盆の端から海水が落ちて行くのをポセイドンの軍勢が押し戻している(だから波ができる)、というような今の知識からみたら奇天烈なものが出来上がっていった。

 昔の人々が伝聞から想像していた奇怪なもののうち、動物を集めた一種の空想動物園のような本である。中には巨人や小人、りんごの匂いだけで生きている人などの人類、ドラゴンやハーピー、人魚にスフィンクスにグリフィンとファンタジーには欠かせない幻獣がわんさと収められている。更に面白いのは、本書の扱っている奇怪動物が想像上の生物に留まらないところだ。

 実在の奇怪動物には2つのパターンがある。実在するけれども伝聞から想像するしかない動物を書いたため実像と食い違っていることがあるものと、身近にいる動物であっても異郷の地では奇怪な動物になってしまったものだ。ワニやサイ、イッカクなどが前者に、犬やネコや狐が後者に当る。狭い行動範囲をちょっと越えたらそこはもう想像のなかの生き物が跳梁跋扈する、不思議な世界だったのだろう。

 そういった驚異が身近から失われてしまったのは残念かもしれない。想像のなかで息吹を与えられた奇怪な生物達のこれまた奇怪な生態を、永遠に失ってしまうのは実にもったいないことではなかろうか。そう思う人々が多いからこそ、このような本が生き残ってきたと思う。そしてその思いが、奇怪な幻獣達をいきいきと描き出す原動力になったのではないか。ドラゴンなんていない、と呟くその前に、ちょっとこんな世界を覗いて見ると面白いと思う。
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未分類 | 2005/10/25(火) 10:29 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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78冊目 保存食品開発物語
保存食品開発物語

スー・シェパード著 / 赤根 洋子訳

文芸春秋 (2001.11)

\840

評価:☆☆☆☆☆


 狩猟社会だった頃からつい100年ほど前まで、食料の保存は大問題だった。旬の時期には大量に取れるものであってもちょっと季節がずれれば手に入れることはできなくなる。特に、冬は植物が育たなくなり、またその結果として動物に与える飼料もなくなるため多くの家畜も冬を越すことはできない。では、冬の食料をどうするのか。食料の保存には多くの時間と大変な努力が払われてきた。

 そうして発見された保存方法には、乾燥、塩漬け、酢漬け、燻製、発酵、砂糖漬け、濃縮など今も伝えられている技術がある。生活の必要から生み出された保存技術はやがて食文化へと変貌していった。その風味を楽しめるのは、だが近年のほんのわずかな期間にすぎない。食べ物が傷む原理が発見され、大量の食品を長期に渡って保存できる技術が確立したのはつい最近のことなのだ。すなわち、瓶詰めや缶詰の発明である。

 そうした、食品保存の通史として実に面白い。保存方法にこめられた知恵と発見の歴史は、そのまま科学の歴史でもあると言えるだろう。更に面白くしているのは異文化でどのような保存が行われてきたか、である。日本の保存食と言えば、塩鮭や魚の干物、各種の漬物に梅干、納豆、そして酒が思い浮かぶだろう。他国ではまた違うものを違う方法で保管してきた。その違いは現在まで引き継がれ、その文明の味を形作っていると言って良い。ワインやチーズのないイタリア料理、ソーセージやザワークラフト、そしてビールのないドイツ料理が想像すらできないことからもそれは分かると思う。

 そしてまた、食品保存の歴史は戦争の歴史でもある。戦争の際、どうやって食料を確保するかは常に付きまとう問題だった。古では鞍と馬身の間に肉を挟み馬の汗に含まれる塩でハムを作ったフン族、近年では爆撃機の砲門にくくりつけた容器で作ったアイスクリームなどのエピソードがまた面白い。カエサルたちは何を食べていたのか。大航海時代の食糧事情はどうだったのか。ネルソン提督の部下たちはどんな食事にありつけたのか。絶対に必要でありながらあまり目が向かない、食料事情に一たび光が当ればそこには意外な事実が沢山あることを知った。塩辛を肴に酒をちょろっと、という今の日常のシーンに至るまで、どんな発見や苦労があったということに目を向けさせてくれる、面白い本であった。
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その他科学 | 2005/10/22(土) 10:26 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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77冊目 エーテル・デイ
エーテル・デイ

ジュリー・M.フェンスター著 / 安原 和見訳

文芸春秋 (2002.6)

\720

評価:☆☆☆☆


 手術を受けたことがある人、これから受ける予定がある人、患者が苦しむところを見たくない医療従事者は、1846年の今日という日を忘れてはならない。1846年10月16日、この日から麻酔を使った医療がスタートしたのだ。

 記録、という点であれば三国時代の名医・華陀は”麻沸散”なる麻酔薬を用いて開頭手術まで行っていたというが、その技術は一代で失われた(頭痛に悩んだ政治家、王侯貴族の曹操の項に記述あり)。その一方、1846年に行われた麻酔法は現代まで受け継がれ、手術室での無痛の手術を可能とさせたのだ。本書は、ただひたすら猛烈な痛みに耐えながら手術を受けるしかなかった患者と、患者が苦しむところを見たくないという多くの医療従事者の願いが叶えられるようになるまでの紆余曲折はどんなものだったのかを描くノンフィクションである。

 この近代的な麻酔法の端緒となる発見の功績を巡って、3人の男達が取沙汰される。情熱に燃える歯医者ホラス・ウェルズ、金のためなら(まっとうな努力以外)なんでもやるウィリアム・モートン、そして両者よりも古い世代に属する、科学好きのチャールズ・ジャクソン。この3名こそ、麻酔法を世に送り出した功績者達である。ところが、彼らはいずれも”麻酔法の発明により人類から手術の痛みを取り除いた者”に与えられて然るべき栄誉は受け取ることができなかった。

 ある者は、まっとうな人々は相手にしないような道化が使う笑気ガス(亜酸化窒素)を吸引している間だけは痛みを感じないことを偶然見出し、ある者はその偶然を千載一遇のチャンスとばかりに飛びつき、そしてある者は亜酸化窒素よりも扱いやすいエーテルも同様の効果を持つという発見を成し遂げた。それぞれの功績は全く異なるが、しかしこの3名が個々に存在していたのでは麻酔法のすばやい拡散は無く、患者の苦痛はもっと長引いたことになる。彼らの個性が、偶然の発見を世界的偉業へと昇華させていったのだ。

 発見から世界中に麻酔法が広まるまでの経緯も面白いのだが、もっと面白いのは個性的なこの3名が織り成した人間模様でもある。それぞれが違った目標を抱き、そして全員がその夢に破れた。彼らはどのような人物だったのか、そしてどのような行動を取り、どのように失望を味わったかという事実の流れが実に面白い。

 私も手術を受けたことがある。当然、その間は麻酔をかけられていて全く意識がなかった。その当たり前に感謝したい。術中、延々と痛みに耐え続けるしかないのは確実に悲劇である。私にはきっと耐えられなかったと思う。私と同じく手術を受けたことがある方や医療に携わる方、さらに研究生活を送る方にも是非読んで欲しい1冊。

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医学・脳・精神・心理 | 2005/10/16(日) 10:23 | Trackback:(1) | Comments:(0)

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76冊目 科学がきらわれる理由
科学がきらわれる理由

ロビン・ダンバー著 / 松浦 俊輔訳

青土社 (1997.6)

\2,730

評価:☆☆☆☆


 この本は、ある意味で科学史といえる。ある意味というのは、本書で扱っている多くの事例が科学の誤解史であるということだ。なかでもとりわけポストモダン思想への批判は手厳しい。というと哲学の本なのか、ときかれてもそうでもない。なにやらややこしい書き出しになってしまったが、言いたいのは科学史と言われてイメージするような本ではない、ということだ。

 科学と聞くと、やはり多くの人が想像するのは近代以降のものではなかろうか。ニュートン以降の物理学あるいはダーウィン以降の生物学である(人によってはアインシュタイン以降の物理でワトソン-クリック以降の生物学かもしれないけど)。しかし、それだけが科学の営みだったとは言えない、というのが本書の指摘するところだ。

 例えば、みつおしえ、という鳥がいる。名前の通りハチの巣を教えてくれる鳥である。この鳥の生態について、近くに住む人々は詳細な知識を持っている。鳥の飛び方から、ハチの巣までの方角と距離を極めて正確に知ることができる。それはなぜか。彼らがみつおしえの生態を系統立てて知る努力をしてきたから、であろう。個人の主観を超えた客観的な世界が現に存在し、その世界を系統立てて知るための手法こそ科学であろう、というのが本書の指摘するところだ。

 こんなことを書くと、何を莫迦なことを、と呆れられるかもしれない。というか、私も呆れる。しかしながらフランスを中心に欧米で猛威を振るったポストモダン思想は、そうではない、という。知の相対主義と言い、あらゆる学問は(文系の知と同じく)絶対的な正しさをもつわけではなく、それを信じる一団にとってのみ意味を為すと主張する。そのような主張にとって、科学が客観的な真実を探る営みであるとはとうてい認められないことである。しかし、飛行機が飛ぶのはベルヌーイの定理で説明でき、実際に飛行機はそのような科学を基に設計されて今日も空を飛んでいる。このような発見や法則が客観的真実でないのならなぜこれほどまでに科学(と応用としての技術)が上手く行っているのか説明するのは困難だろう。

 相対主義について、多くの事例を挙げながらの批判は大変面白い。取り上げる事例が面白いのだ(この、取り上げる事例の面白さは本書の一貫するところである)。しかしながら、日本ではポストモダン思想というオカルトがそこまでの影響を持っていないと思われる。何故か。それは、彼らの主張が余りにナンセンスで、ナンセンスを覆い隠すために異様に複雑で持ってまわった言い回しをしているため訳すことすらできないためだと思われる。そういったもってまわった言い方を本書から例を引こう。

ある社会学者は、彼が言いたいことをもっとよくわかってもらえるように、前もって論文を用意し、参加者に配布していた。ファインマンはそれを独特の言い方で表現している。

(略)こんなかんじだったことは間違いない。「社会共同体の個々の成員は、しばしば自分の情報を視覚的、象徴的回路を経由して受け取る」。私は何度も読み返し、翻訳した。どういう意味だったと思われるだろうか。「人はものを読む」ということだったのだ。

(本書p.218)


 少なからぬ文系の権威の多くは、じつはこの手の他愛もない手法によって形成されている。複雑な表現を重ねることで当たり前のことを深遠に述べているように錯覚させているのだ。『「知」の欺瞞』や(以前紹介した)『アナロジーの罠』はそのような風潮に対して実に手厳しく批判していた。もうやたらと複雑で難解な哲学書を紐解こうとして頭を掻き毟る必要はない。なにしろ、著者自身も分かってないのだから。西洋思想をただありがたがるのはもう終わりにすべきである。(全ての哲学者がいいかげんであると言いたいわけではない)

 また、同時にポパーやファイヤアーベントといった有名な科学哲学者が批判されている。彼ら、いわば科学の外側にいる人々は科学の内面を知らず、科学者を自分の想像に当てはめて仮想の行動原理を定めている、という。科学のモデルは簡単に反証がでてしまうので反証が出たら直ちにそれまで有効だった理論を捨て去る必要はない。そういった内実について、面白い事例をたくさん持ち出しながら説明している。

 そう。とにかく事例が面白いのだ。エピソード集として読んでも十分楽しめるだろう。ただ、私が思うには、周りの人々が科学を苦手に思い、いくらでも楽しめる科学を忌み嫌うのは、ただ単に数学とか物理が苦手だから、といったレベルに過ぎないような気がする。日本ではキリスト教やイスラム教のような宗教から科学への圧力があることを肌で感じることはないし、科学哲学もそうそう多くの人に読まれているわけではないだろう。日本の状況と重ね合わせるのは無理がある。むしろ、文系と理系の間の乖離は日本だけじゃなくて外国にもあるんだなぁ、くらいの読み方が丁度良いかもしれない。
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その他科学 | 2005/10/08(土) 10:18 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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75冊目 ヒトのオスは飼わないの?
ヒトのオスは飼わないの?

米原 万里著

文芸春秋 (2005.6)

\650

評価:☆☆☆☆


 かつて著名なロシア語同時通訳者として活躍し、現在は時に厳しく、時に温かみのある視点が好評で著者としても名を馳せている米原万里さんの、ペットについてのエッセイ。ネコ派を自認する米原さんが仕事先で野良犬と出会って連れて帰るところからはじまり、歴代の飼いネコたちの話題へなだれこんでいく。

 拾われてきたネコの道理と無理、犬のゲンとノラ(野良犬のノラじゃなくて、イプセンの人形の家のノラ)、ロシアでであって買ってきてしまったターニャとソーニャの6匹のペットととの出会い、暮らし、そして別れを巧みに、さらに愛情豊かに書いているのでペット好きにはたまらないのではないだろうか。

 うちも拾ってきた愛犬と一緒に暮らしているので、出会った時のこと、お互い慣れないうちに犯してしまった幾つかの失敗を思い起こしながら楽しく一気に読んでしまった。ネコ好きも犬好きも楽しく笑って読める素晴らしいエッセイである。ただ、やはり大のネコ派であるゆえか、犬の飼い方もちょっとネコ風にしているような気もするが、それはご愛嬌である。

 たんなるペット愛好家のペット自慢じゃないかと思われるかもしれないが、その通りである。なので、ペットを飼っている人がみたらついつい自分の家の事情を思い返してニヤリとしてしまうのではなかろうか。

 ただし、盲導犬についての記述は一方的で、読者に誤解を与えかねないものなので、注意が必要である。盲導犬については財団法人 日本盲導犬協会盲導犬を引退した犬たちが参考になると思う。
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エッセイ | 2005/10/04(火) 11:11 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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