石沢 靖治著
文芸春秋 (2001.2)
\693
評価:☆☆
最も面白みのない選挙戦が終わった。色々なところで指摘されていた通り、今回のはまっとうな選挙なんてものじゃない。小泉劇団の演劇を面白かったと思ったかどうかの投票に過ぎないのだ。刺客騒動だのマドンナ旋風だの、それが具体的な政策とどう結びつくのか全く不明の、空虚な話だけがひたすら声を大にして行われた。
私はテレビをほとんど全く見ないので伝聞に過ぎないが、ワイドショーまで小泉劇一色に染まってまるで自民党の広報番組になっていたという。真偽の程はしらないけど、電車の中吊り広告を見る限り週刊誌はそうだったと思う。空虚だけど、話題だけはたっぷりある。ああ、虚しい。
では、この現象は日本だけなのか。アメリカのメディアはどうなっているのか、過去の大統領選をもとにメディアと選挙の関係を解説している本書を読んでみた。言えるのは、日本もアメリカも実はそう大差のないことが起こっているのではないか、ということ。アメリカのメディアは日本よりもはるかに”資本主義的”になってきているため、やはり”絵になる”シーンがなければ話にならない。そのため候補者の話もつまみ食いされ、政策や理念を十分に理解できるようなものではないようだ。
勿論、アメリカにだけあって日本にないものもある。それは制度的なものであったり思想的なものであったりするのだろうけど、例えば選挙コンサルタントが政権中枢に入り込む場合があることなどは我々からみたらにわかには信じられない。しかし、それは大勢に影響のないことで、やっぱり選挙ニュースは娯楽として消費されているのは変わらない、という指摘は重要である。選挙がスポーツ観戦となる、あるいは候補者が商品となっていくのは日本も同じである。
アメリカでも日本でも政権党と最大野党の主張の差が極小化し、生命への差し迫った危機がなく、少なくとも現時点においては繁栄を貪っていられる場合にはどこも同じようになるのかもしれない。
本書はまた、選挙報道を通じてアメリカのメディア史を追いかけている。この点もなかなか面白いので、ジャーナリズムの歴史に興味がある方にも一読を勧めたい。
ただし、選挙の過程の報道で理念や政策が十分に伝えられないのは、本書の指摘するような”ジャーナリズム内部”の事情だけではなくて”ニュースを消費する”側の事情もあるはずである。しかしながらその点に触れられていないのが残念。
今回の選挙の報道が余りに酷かった理由は、その程度の報道で満足して投票できてしまう情けない国民の姿をさらけ出していると思う。自分が支持しない政党が圧勝したからそう言うのではなくて、自民党に投票した人も他の党に投票した人も、未だに郵政民営化のメリットとデメリットを理解していないだろう。それは我々自身の問題でもある。選挙報道だって、所詮国民の身の丈にあったものに過ぎないのだから。そういう問題に触れてくれなかったのが、評価が低い理由なので、読み物としてはもっと高く評価しても良いと思う。
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