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Skywriter

Author:Skywriter
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BK1書評の鉄人31号。
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54冊目 NHKスペシャル文明の道 4
NHKスペシャル文明の道 4

NHK「文明の道」プロジェクト〔ほか〕著

日本放送出版協会 (2004.1)

\1,995

評価:☆☆☆☆


 現在イスラムと聞いたらなにを連想するだろうか。多くの人は原理主義といった極端な主張を唱える一部の偏狭な人々を想起するだろし、また同時に石油の産出国といった経済的な側面を思い浮かべる人もいるだろう。世界最多のイスラム教徒を擁するインドネシアを思い浮かべる方もいるかもしれない。しかし、文明の擁護者としてのイスラムを想起する人は少ないのではなかろうか。

 中世においては、現在多くの日本人が抱くイメージとは違って、イスラムこそ多くの文明に対して開かれた態度をとっており、キリスト教の方がむしろ急進的で宗教的に偏狭な態度を取り続けていた。イスラムが多くの宗教や文明に対して寛容な態度を示していたのは中東という地域が、そこ自体がメソポタミア文明以来の文化の地であったことに加えてエジプトやインド、ヨーロッパ、中国などの文明と隣り合わせの場所に存在したことが非常に大きい。多くの文明に触れなければ、寛容な姿勢は生まれないのだから。

 本書は、そんなイスラムの社会がどのように成立したのかを通史的に説く。この手の本にありがちな、様々な事象をできるだけ説明しようとして結局中途半端になってしまうという幣に陥らなかったのは実に見事で、いくつかのテーマは深く掘り下げ、それと同時に個別ではあっても多くのテーマについて述べているのは読んでいて実に面白い。例えば円形都市バグダットの都市構造や、千一夜物語にはインド人や中国人と思われる雑多な人々の活躍が描かれている、あるいはイスラムがインド由来のゼロなどを含めた数学の発展に寄与して来たことなどはあっさりと流している。そんななかで、多くの紙幅を裂いているテーマがある。それこそ、本書が生まれるきっかけとなった”文明の道”としてのイスラムの姿を垣間見る一つの窓である、十字軍について、である。

 十字軍は周知の通り聖地エルサレムをイスラム教徒の手からキリスト教徒の手に取り戻すために行われた戦争である。ざっくり纏めてしまうと、キリスト教徒側は一時エルサレムを占拠するがその他の地域の占領までは手が回らず、時にイスラム勢力がエルサレムを奪回するといったシーソーゲームが続く。この時代については獅子心王リチャード1世やサッラーフ・アッディーン(サラディン)の活躍によって比較的知られていると思われる。

 ところがこの十字軍の時代、干戈を交えることなく交渉によってイスラムからエルサレムの統治権を譲り受けた人物がいる。その人物こそ、フリードリッヒ2世。なぜフリードリッヒ2世にはそのようなことができたのか、ということには彼の生い立ちやイスラム側の事情といった偶然の要素が少なからず見られるが、それでもこの事実を追いかけていくとイスラムがどれほど豊かな文明を育んでいたのかがよく分かるのである。文明の交差する中東に、どのような文化が花開き、どのような歴史を送ったのか。中東でごたごたが起こっている現在、そのような過去を知っておくのは現在を知ることにもつながるのではなかろうか。歴史に興味があるなら強くお勧めしたい。

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その他歴史 | 2005/03/28(月) 14:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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53冊目 エレガントな宇宙
エレガントな宇宙

ブライアン・グリーン著 / 林 一訳 / 林 大訳

草思社 (2001.12)

\2,310

評価:☆☆☆☆☆


 ニュートン力学の成功は余りと言えば余りに大きすぎた。考えて見れば凄いことで、地球上で見られる物体同士の振る舞いが、太陽系の惑星の動きはおろか他の銀河でも当てはまるという、稀代の成果であった。ミクロの世界と重力の大きい世界でニュートン力学では説明できない現象が知られるようになったのはようやく20世紀になってからのことであるが、それでも日常生活で考慮するのはニュートン力学で済ませることができるのだ。

 ところが、済まないという人々がいる。物理学者である。特に、宇宙の姿を探ろうとする人々にとってはニュートン力学が破綻しているそここそが宇宙を説明するためには重要になるのだ。巨大な重量を持つ天体の傍では時空が捻じ曲げられる。ニュートンやデカルトが前提とした絶対空間や絶対時間といった尺度は失われる。アインシュタインによる相対性理論によって導き出される宇宙観はそれまでの見方を徹底的に破壊してしまった。

 ニュートン力学はさらにミクロの世界でも崩壊する。電子の振る舞いは、ニュートン力学ではまったく説明ができない。例えばなぜ原子核にはプラスの電荷を持った陽子があり、その周辺をマイナスの電荷を帯びた電子が駆け回っているのに電気的に引き合って結合しないのか、という問題は量子力学でなければ解けない。

 では、相対性理論と量子力学という二つの技法を持ってすれば宇宙を理解できるのか?というと、そうではない。相対性理論と量子力学は、普段は全然異なる状況で用いられるのだが、特異な状況では重力と量子力学の理論を用いなければならないようになってしまうのだ。それは巨大な質量が微小な領域に押し込まれた世界。ブラックホールやビッグバンといった宇宙を説明するには必要不可欠な領域で二つの理論を用いなければならなくなるのに、これらの理論は互いに矛盾する点を含んでいる。一般生活で問題になるような矛盾ではなくとも物理の世界では大問題なのだ。

 そんなわけで、物理学者たちは一つの理論で宇宙を説明できるようにしたいと願ってきたのである。そして、その一つの有力な候補が本書で取り上げられている「ひも理論」である。著者は将来を嘱望されている物理学者である。著者の優れたところは、専門家にありがちな専門用語を駆使してひたすら難解になりがちな子の手の本を、巧みな比喩を用いつつ、極力専門知識のない一般人にイメージしやすいように書いてあるところである。

 そして数式を離れて相対性理論や量子力学から導かれる世界を覗き見ると実に面白い現象が目白押しで、そこに巧みな比喩が組み合わさると実に面白い本が誕生することになる。ただ、それでも後半のひも理論の中核に至るとさっぱり理解できないことが多いのだが、それは数式で理解しない身の限界かもしれない。しかし、宇宙論を取り巻く驚くべき理論の進展に目をみはるのは、それはそれで楽しいのだ。宇宙論に興味がある方にはぜひお勧めしたい。
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素粒子・宇宙論 | 2005/03/22(火) 14:28 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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52冊目 真昼の星空
真昼の星空

米原 万里著

中央公論新社 (2005.1)

\620

評価:☆☆☆


 『魔女の1ダース』を読んで以来、私は著者のファンなのである。先日本屋に立ち寄ったところ、本書が並んでいるのをみて、即座に買ってきた。勿論、いつもの米原さんのノリを期待して。

 米原さんはロシア語の通訳を務めて来られた方であり、ロシアの要人との会談などでも活躍されたとのことであるが、当然そういった通訳の内容など書けるわけもなく、通訳を含む外国人との触れ合いの中から実に意外な話を切り取ってくるのが得意である。『魔女の1ダース』ではそもそも東洋では13が尊ばれる数字だったなどと今の我々にはなかなか想像のつかないことから話を進めるなど実に面白かったのだ。

 しかし、今回はちょっと残念だった。一話ごとのページ数が少ないためか、テーマが絞りきれていないためか、どうも他の本に見られる破壊力が少ないように見える。そうは言っても米原節は相変わらずで異文化と触れ合うには覚悟が必要であることと、異文化だからこそ見られる多くの違いに改めて思いを馳せさせてくれるエピソードの数々は面白かった。いつも見ている切り口以外の視点の存在に気付かせてくれる一冊である。『魔女の1ダース』と比較してしまったためつい評価は辛口になってしまった。一つの話題ごとに3~4ページ程度なので、電車の中などの、ちょっとした時間の読書を楽しむにはちょうど良いかもしれない。
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エッセイ | 2005/03/21(月) 14:25 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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51冊目 セックスボランティア
セックスボランティア

河合 香織著

新潮社 (2004.6)

\1,575

評価:☆☆☆☆


 人間誰しも性欲はある。勿論、障害者にだって。しかし、恥ずかしいことに私は本書を手に取るまで障害者の性について存在することに気をかけたことすらなかった。書評で眺めて以来、いつか読まなければと思っていたが、読み始めてすぐに言葉を失うような話に幾つもめぐり合った。

 新生児黄疸によって生まれてすぐに脳性麻痺となった竹田さんは、戦後の引き上げ後独学で文字を学んだ。母親からも障害者は恋をしてはいけない、と言われていたそうだ。そんな彼はソープランドに行くことを楽しみにしている。50代で、はじめて女性を抱いた。15年間恋をした相手が、事故で亡くなってから。その相手とは、キスを一度したきりだという。告白すらできなかったのは、自分の体が不自由であることから相手の負担になることを恐れたためだ。麻痺が進み、自慰すらできなくなった竹田さんの、自慰介護から本書は始まる。

 竹田さんは15年恋した彼女とのことについて、こういったそうだ。「イチド デ イイカラ カノジョ ト セックス シタ・・・・・・カッタ」
 そしてまた、 「おんな の こ と あそびに いきたかった けっこんも したかった こども も ほしかった きょういくも うけたかった でも そう おもうことさえ ゆるされなかった」、と。
 障害者には、人としてごくごくありふれた幸せを追いかけることすら許されなかった。いや、今も、許されてはいないのかもしれない。

 本書は、障害者たちをとりまく社会状況は勿論、障害者相手に風俗サービスを行う業者や、サービスを受ける障害者への取材、性に対する取り組みで先進的なオランダの事情などについて語ることで障害者とセックスについて大まかに現状を纏め、将来取りうる道を模索している。自ら障害を持ちながら、サービスをする側に回る女性。ボランティアでの性交を試みる男女。サービスを提供する側の思い、そして提供される側の思いは様々だが、どれも読むまでは想像すらしたことがなかったことばかりで圧倒される。

 人間は奇麗事だけで生きているわけじゃない。欲求や欲望は誰にだってある。障害者をそういった当たり前の人間として扱わず、箱物だけつくって終わりにする時代はもう終わっても良いように思う。

 こういった問題に、正解はないだろう。特別扱いするのでもなく、無視するのでもなく、対等に向かい合っていかなければならない。そういった点で、本書に登場する健常者の女性と障害を持った男性の夫婦が、相手を認め合ってごくごく普通の幸せを掴んでいるようなあり方に、一つの行くべき道があるように思われてならない。
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ノンフィクション | 2005/03/14(月) 14:21 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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50冊目 小さな塵の大きな不思議
小さな塵の大きな不思議

ハナ・ホームズ著 / 岩坂 泰信監修 / 梶山 あゆみ訳

紀伊国屋書店 (2004.3)

\2,940

評価:☆☆☆☆☆


 どんなものでも細かく砕くことができる。髪の毛の直径よりももっと小さくなった、取るに足らないようなそんな塵が本書の主人公である。塵について語ることがあるのか?そう。沢山あるのだ。

 まず、太陽系からして塵が集まってできている。太陽も地球も月も、もとは塵だ。だから、宇宙からやってきた塵を調べれば太陽系の生い立ちが分かる。宇宙の歴史、と聞くとほとんどの人は銀河やブラックホール、もうちょっと興味がある方はグレートアトラクターやボイド構造が思い浮かぶだろうが、塵からも宇宙の歴史に迫ることができるとはなかなか思い浮かばないのではなかろうか。

 宇宙の歴史だけではなく、地球の歴史だって塵から分かることが沢山ある。どんな塵があったかを分析すると地球の気候について実に多くの手がかりになるのだ。

 塵の集まりであるからには砕けば塵になるのは当然。石が砕けて塵になった砂漠では卵を抱いたオヴィラプトルが砂に埋もれてタマゴ泥棒の汚名を返上するきっかけともなる事件が発生したこともある。サハラ砂漠に吹き荒れる風によって舞い上げられた塵は大西洋を越えてカリブ海のサンゴを死に追いやっている。

 かと思えば、火山の際に吐き出される塵によって火砕流が引き起こされる。工業製品を製造する過程では発生した塵によって肺にダメージを与えられる人々がいる。これを読んでいるあなたも、ひょっとしたら杉の出す塵に悩まされているかも知れない。花粉症に代表されるアレルギーは塵と接触することで軽減される可能性もある。

 とにかく、紹介しきれないほど実に多様な塵の姿が描かれている。なによりも面白いのは、その多様な塵によって実に多くの事実が明らかになっているということではなかろうか。それぞれのトピックごとにエピソード的な面白さも沢山盛り込まれている上、普段考えたこともないような取るにたりない存在が、突然大きな影響を及ぼしうる存在に化けるという驚きも与えてくれる。

 身近にあるものから宇宙の歴史からアレルギーまで多くのことに迫ることができるという驚きに満ち溢れた一冊。世界はまだまだ未知と驚きに満ちているのだなと実感させられた。自然科学に興味がある方は読んでおくべき。
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その他科学 | 2005/03/11(金) 11:17 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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49冊目 匈奴
匈奴

沢田 勲著

東方書店 (1996.12)

\1,575

評価:☆☆☆


 戦国時代から五胡十六国時代にかけて中国北方にて歴代王朝と争った騎馬民族、匈奴について、成立から崩壊までの歴史をまとめている。匈奴が強大化するきっかけとなった冒頓単于の即位は、中国において項羽と劉邦の時代であり中国統一後の劉邦は冒頓によって手痛い敗北を喫して辛くも逃げ帰ったことから新興の漢帝国にとって極めて大きな脅威であった。

 漢と匈奴の力関係が変わるのは、武帝の時代までまたなければならない。衛青や霍去病といった将軍の活躍の他、蘇武と李陵の物語や李広利の勝利と亡命など話題にもこと欠かないのでご存知の方も多いと思う。

 しかし、知られているのは中国から見た匈奴像であって、匈奴を中心とした見方にはなかなかお目にかかれないのが実情であるように思われる。本書はそのような状況に風穴をあけることができるだろう。タイトルに偽りなく、匈奴側からの中国との関係、文化、内紛、社会構成、権力背景に至るまで記されているのだから。

 私としては、否定するにも肯定するにもはっきりした証拠に欠けていると言いつつ紹介されている、匈奴=フン族仮説には非常に好奇心を引き立てられる。中国北方を縦横無尽に駆け回った人々が、遥か西方のヨーロッパ東部に圧力をかけ今もフンの国という意味のハンガリーに名前を残しているのではないか、という仮説はアジア大陸のダイナミックな民族の動きや歴史を垣間見せてくれるように思うのだ。

 匈奴はいくつかに分裂し、一部は中国に入って漢化し、残りは北方で他の騎馬民族と一体化して消えて行った。定住しなかったがゆえに多くの文献などを残さなかった異民族の興亡について広く資料に当たり、よく調べられていると思う。中国の歴史に興味があるかにはお勧めしたい。
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中国史 | 2005/03/07(月) 11:14 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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48冊目 「隔離」という病い
「隔離」という病い

武田 徹著

中央公論新社 (2005.2)

\880

評価:☆☆


 伝染病の患者とは、どのように触れ合えば良いのかということについて書かれている本だと思って購入したのだが、ちょっと失敗した。本書は患者の人権を恐るべきやり方で踏みにじったハンセン病(かつては”癩(らい)”と呼ばれた)を取り上げ、ハンセン病とはどうのようなものか、そして患者はどのような理由で、どうやって排除されて行ったのかを追いかける。

 著者の指摘で最も重要と思われるのは以下の点である。

ハンセン病の記事を書いた僕に「こんなかわいそうな人たちがいたんですね」というしかない人たち。彼らの存在は、本人の良心と良識にかかわらず、条件さえ揃えば、第二第三のハンセン病者隔離問題を生み出すだろう無垢さをいまだに日本社会が宿している証だと僕には思える。排除し、隔離し、忘れてしまうという三段ロケット式思考は、今なお健在であり、しかも誰も悪気があって排除、隔離、忘却を行っているわけではないというところが深刻なのだ。
(p.19)


 私はこの彼の意見には与しないところもある。私が問題だと思うのは、むしろ患者が遠くにいるときには可哀想と思うのに近くにいたら遠くに行って欲しいと思う気持ちと、遠くに行って欲しい者に対して示せる徹底した冷たさである。もう一つの問題点は、感染ということに対しての知識の欠如ではなかろうか。それとはまた別の話として、隔離して忘れてしまうということに極めて大きな問題点があったことはその通りだと思うのだ。

 『環境リスク学』で取り上げられている、リスクゼロを求める病理につながるとも思うのだが、例えばハンセン病やHIVは容易には感染しない。ハンセン病は今では治療薬があるので根治可能であるし、HIVだって治療薬が随分開発されているので一時期ほど致死性の病であるという印象はなくなってきている(HIVは極めて感染力が弱いということも無視してはならない)。

 斯く言う私は、友人にHIVの感染者がいるが、彼との付き合いにおいて他の友人と付き合い方を変えてはいない。また、ハンセン病に感染して隔離施設に幽閉されていた方に話を伺ったこともある。彼らに対して特に差別をする気は全く無い。そうできるのは、可哀想と思っているからではなくて感染についてそれなりの知識をもっているからではないかと思う。

 話は逸れたが、では、感染者と社会はどうやって付き合って行くべきなのか。私は、隔離と言う手法を捨てることなく、感染力と社会的脅威と隔離の解除方法を併せて方法を練り上げていくしかない、と思っている。ハンセン病で隔離が問題だったのは、そもそもハンセン病が感染力が弱く、また感染したとしてもそれが直ちに死を意味したのではないのに隔離が強制的に執行され、治癒しても隔離を解こうとはしなかったこと、そして隔離された人々への扱いが余りに過酷だったことにある。そしてまた、感染者を社会が受け入れようとしなかったことも非常に大きな要因だ。悲しむべきことに、らい予防法が完全に誤っていたことがはっきりした現在でも、元ハンセン病患者に対しての謂われ無き差別が残っている。私はこの病理にこそ光を当てて欲しいと思う。

 ハンセン病がどのような病なのか、患者はどのように隔離されたのか、隔離した人々はどのような思考に基づいていたのか、また彼らの人物像はどのようなものだったのか、ということは本書に譲る。それについては十分に細かく書かれているので、ハンセン病問題について一通りの理解を得るには適した本であろうと思う。

 残念なのは、例えばハンセン病の隔離患者の施設を満州国の都市と比較考証する、といったようなそこにはっきりした共通点があるのかどうか検証ができないような問いかけがあったり、タイトルと内容がイマイチ合致していないことである。O-157やHIVも取り上げられてはいるが、検証不足が否めず実質ハンセン病についての本になってしまっている。

 強い感染力と、感染者に対して大きな脅威を持つ感染症の患者は、隔離も仕方が無いと思う。しかし、そんな感染症など数は限られている上に患者は短期のうちに完治するか(残念なことに)死去してしまうため、隔離期間は長くはならないだろう。問題となるのは、隔離とする病気を定める手段と、どのタイミングで隔離を解除するかということと、医学の進歩によって隔離の必要性の無くなった病については隔離という手法を取らないというような柔軟な運用姿勢ではないかな、と思うのだ。こういった点に突込みが足りないのは大いに不満。ハンセン病で何が起こったかということは知っておくべきだと思うので、その点では重要ではあるかもしれないが、残念ながらそれ以上の視点は与えてくれない。

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未分類 | 2005/03/04(金) 11:09 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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47冊目 世間のウソ
世間のウソ

日垣 隆著

新潮社 (2005.1)

\714

評価:☆☆☆☆

 緻密な取材と論理的な文章で定評のある日垣隆さんが、世間にはびこる怪しげな言説を批判する、となると面白くならないわけが無い。そんなわけでタイトルを見ただけで購入。こんな感じに著者で信頼できるというのはありがたい。

 本書で取り上げられている嘘は以下の通り。<リスク>をめぐるウソ(宝くじ、自殺報道、安全性)、<事故>をめぐるウソ(男女、人身売買、性善説)、<子ども>をめぐるウソ(精神鑑定、児童虐待、部活)、<値段>をめぐるウソ(料金設定、絵画市場、オリンピック)、<制度>をめぐるウソ(裁判員、大国、他国支配)である。( )の中はそれぞれの章で取り上げられている小項目。これらを見たら、日垣さんが何について書こうとしているのか、大体の見当は付くだろう。

 私は常々、宝くじを買う人は数学が出来ない人だと言い続けてきたが、日本のギャンブルは世界中で最も子に不利なシステムだとは知らなかった。ギャンブルには興味が無いのでぼっているのは別に構わないのだけど。安全性では前に紹介した中西準子さんの『環境リスク学』とも共通するような話題が多く、『環境リスク学』を読んでいれば事足りるようなところもある。

 鳥インフルエンザのリスクなど、騒ぎすぎの報道に対して冷静な視点を提供してくれるのは非常にありがたい。ちょっと残念だったのは、曖昧な書き方をされている点。

 唯一懸念材料としては、鳥インフルエンザがヒトに感染し、ヒトの体内で遺伝子の組み換えを起こして新型ウイルスが出現する、という可能性です。しかしこの可能性は、最大に見積もっても100億分の1以下の確率でしかありません。
(p46)


 と書いているが、何の確率について書かれているのか良く分からない。これが、1.感染した人間一人について、その体内で新型ウイルスが出現する可能性なのか、2.年間を通じて感染する人間全員を合わせた場合なのか、3.はたまた人間の体内で増殖するウイルス粒子1個についての可能性なのか、で対応の仕方が大きく変わる。1であれば、感染する人間の数が少なければ少ないほど良いので鳥インフルエンザの蔓延を極力防止しなければ成らない一方、3であれば計算の結果を疑わなければならないところまで来ているだろう。

 そんな点はあるものの、報じられているニュースの裏をちょっと考えてみると多くのウソがあることが分かっていく。本書で批判されているウソは、悪意で付かれているものではなくて表層を追いかけてニュースを消費しているだけの人々によって生み出され、社会に広まっていることが分かると思う。ニュースでも本でも、まずは疑うことが大事であることを感じさせてくれる。話題の持ち出し方も上手いし、それぞれのことを良く調べた上で簡潔に書かれているのであっという間に読めるけど考えさせられる、そんな本である。


2006.7.2追記
 BK1にて日垣隆の著書を見ると、9月議会で日垣隆の"交通費ちょろまかし問題"が
なる記事がトラックバックされている。他にも『売文生活』、『エースを出せ!』、『そして殺人者は野に放たれる』、『偽善系 (文春文庫) 』にも同一のトラックバックが為されていることが確認できる。

 問題は、トラックバックしている記事が全くこれらの本に言及していないことだ。ここで読むことができるのは、ブログの著者が主張する日垣隆の”交通費ちょろまかし問題”についてのことくらいで著書についてはタイトルはもちろん、内容には一切触れられていない。

 本についての記事をトラックバックすることを目的に作られている制度を利用して自分の主張を公表しようとするのはあまりにも常識外れで下品な行為であるということが分からないのだろうか。

 私自身は、日垣隆が実際に交通費をちょろまかしたのであればそれはそれで問題視すれば良いと思う。

 だが、いかなる問題であれ、自分の主張と関係の無いことを表現しているところに強引に割り込み、声を張り上げて自論を広めようとするような行為はしてはならないだろう。
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ノンフィクション | 2005/03/02(水) 10:42 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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46冊目 二重らせん
二重らせん

J・D・ワトソン〔著〕 / 江上 不二夫訳 / 中村 桂子訳

講談社 (1986.3)

\490

評価:☆☆☆☆☆







 ジェームズ・ワトソンの本は、『DNA』過去に紹介している。『DNA』ではタイトルから予期されるようにDNA全般の話題に付いて現在までに解明されていることを広く、専門知識を過度に避けることなく面白く書かれていたが『二重らせん』は随分毛色が違う。本書はジェームズ・ワトソンとその相棒のフランシス・クリックがどのようにしてノーベル賞を獲得する研究を成し遂げるに至ったのかという研究と、当時の研究者たちとどのような交流があったのかということを織り交ぜて書かれた自伝である。

 自伝と言っても、この人の場合は伊達じゃない。まず、書かれているのは25歳までである。このワトソンの年齢を見ただけで、如何に彼が若くして大発見を成し遂げたかが分かろうというものである。また、出てくる人々が大御所ばかり。相棒のクリックは当然として、DNA構造を追うのは天才化学者ライナス・ポーリング、ミオグロビンの解明で化学賞を取ったジョン・ケンドルーとマックス・ペルツ、ワトソンが師事したのはX線解析で物理学賞を取ったローレンス・ブラッグ、ニールス・ボーアにアーネスト・ラザフォード。

 こんな大物に囲まれていつつ、一緒に研究するのは変人で有名なフランシス・クリック。ここに頭脳明晰な若者が入り込んだらなにかが起こらずには済まなかったに違いない。その結果でてきたのは、周知の通りの大発見――ワトソン自身が、「ひょっとしたら、ダーウィンの著書以来、生物学史上でもっとも画期的といえる発見」と言っている――であった。彼らの発見が、生物のもっとも奥底に眠る秘密を解き明かしたといって過言ではない。

 そんな発見までの個人史であれば、面白くないわけがない。ゴールは、DNAの二重らせん構造の発見で、勝者はワトソンとクリック、という結果は分かっていても、たどり着くまでの試行錯誤や他の競争相手に負けないように奮闘する姿には引き込まれるし、発見のその瞬間にはワトソンたちの喜びを少しは共有できるような気になる。

 人間模様だけでも抜群に面白い上、科学史上稀な発見を当事者が語る、と言うこと自体が珍しい。理系の道を志す方も、DNAに興味のある方も、変人をちょっと見てみたいという方も読んで楽しめる良書である。
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その他科学 | 2005/03/01(火) 10:16 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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