中西 準子著
日本評論社 (2004.9)
\1,890
評価:☆☆☆☆
ダイオキシン問題や狂牛病、水俣病などの問題に、われわれはどうやって対処するべきなのか。ダイオキシンが出るのはものを燃やすためだから火を放棄する、というわけには行かないし、牛肉を食べないという選択は極端に過ぎる。
水道問題も同じである。清浄な水を誰もが享受しようとすると、環境への負荷が大きくなる。環境への負荷を少なくするために危険な水を飲むべきなのか。それともどこまでも飲料水は安全にして、環境への負荷は大きくしてしまえばいいのか。どちらの極端な側に転んでも、そこには問題が付きまとうことが分かる。
そこで、さまざまな条件を考慮することで環境の負荷と我々人間が引き受けるべき危険の和が最小になるような評価をして、そこそこのリスクとそこそこの環境負荷という道を探るのがいいのではないか、という問題から、環境問題のリスク評価に進んだのが著者である。
耳目を騒がせたBSE問題などを例にとって、リスクを減らすにはどれだけの投資が行われるのかを考慮し、総合的なおとしどころの基準を探る。その背後にあるのは、なにごとも都合の良いことばかりでは済まないという現実がある。たとえば、牛肉は食べても食べてもBSEに犯されるリスクは皆無であることが望ましい。ものを燃やしてダイオキシンが出ても無害であれば好ましい。しかし、そんなわけには行かないのだからこそおとしどころを探る努力がなされなければならない。そのおとしどころを定める基準として、リスク評価を用いることがどれだけの利点をもたらすのか、を丁寧に説いている。
環境ホルモン問題やBSE問題でどれだけ実態からかけ離れた危険情報が垂れ流されて、その結果どうして合理的な判断が出来なくなってしまったのか、というのには考えさせられる。もちろん、各々の問題に付いて著者と意見を一にする必要は無い。それこそ、リスクをどのように評価するかという個人的な尺度の問題になってしまっているだけであり、その違いはむしろ社会的なおとしどころを探るには必要不可欠なはずだ。
具体的には、私はダイオキシンのリスク評価については大西の意見に賛同するが、水俣病と有機水銀についての議論には賛同しかねる。
水銀が原因だとされる前に、熊本大学研究班は、原因物質として、最初にマンガン、つぎにセレン、タリウムを挙げ、その都度膨大な研究論文を出した。この時点で、「予防原則」にしたがって、マンガンを禁止するべきだったのだろうか?この時点で、マンガンを禁止しなかったのは正しかったわけである。
(本書p192より引用)
上記のように著者は述べるが、ここには問題がある。問題となる化学物質が不明な時点でも水俣湾の魚介類が水俣病の原因であったことは分かっており(事実それについては争われていない)、その原因として様々な重金属汚染が推定されていたに過ぎず、水俣病を防ぐためには食中毒としての当たり前の対応がなされていれば良かったのだ。この後で著者はチッソしか原因が見当たらない状況でありながら踏み込んでの調査が出来ない体制そのものを批判している。その批判は実に正しいと思うが、それよりも問題なのは食中毒としての対応をとらなければいけなかったのにとらなかった。化学物質のリスクを評価する前にも出来ることはあるのだ。コレラの病原体が分かっていなかったときでも疫学的な対応で感染を収束させた事例だってあるのだから。
話をもどすと、ダイオキシンについては、本書を読むとそれまでの思い込みが崩れる快感も味わえるかもしれない。特に、ダイオキシンの研究は沢山されていてもはっきり害があると認定された研究が無いことなどは注目に値する。片方に針の触れすぎた意見がどれだけ大きな声で叫ばれ、その結果として偏った意見ばかりが入ってきてしまう現状を理解できると思う。
環境問題や公害問題に付いて考えるための方法を与えてくれる貴重な一冊だと思う。さぞかし売れていないだろうと思ったら、昨年9月に1刷が出て、もう4刷まではされているのでそれなりに売れているようだ。このような冷静な視点を呼びかける本は多くの人に読まれたいので、実に喜ばしいことだと思う。
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