E・キューブラー・ロス著 / 鈴木 晶訳
読売新聞社 (1998.4)
\1,890
評価:☆☆☆
本書はターミナル・ケアはどうあるべきか、という問題に先駆的に取り組んだ記録として有名である。死を迎えようとしている本人達から死についてどのような思いを抱いているかを聞きだし、それを医療の現場に活かそうとしているのである。従って、『死ぬ瞬間』なるタイトルは内容とずれを生じてしまう。なぜなら、死に直面していて、それを自覚できる症状を呈する人は多数派であるわけではないからだ。
単純に死に方を纏めると、ほぼガンと心臓病と脳疾患が1/3ずつを占めていて、そのほんの残りを他の死因が分けている。若い世代に限ると自殺が無視できない要因になるが。心疾患も脳疾患もその影響は甚大であり、自らの最後を自覚する時間は少ない。発症してすぐに死ななかったとしたら、それは直近の死を意味しなくなる(正確には、直近の死を意味する場合には脳が回復不能のダメージを受けているので死についての意識を他人に語れる可能性は極めて少ない)。なので、死因のおよそ1/3を占めるガンの患者からの聞き取りが増えることとなる。それでは死全般を捕らえているとは言いがたいであろう。
しかし、ガンなどで亡くなる方々は近い将来の死に直面すると言った点で急な死とは一線を画する存在でもある。そういった人々に語ってもらうように働きかけるパイオニア的な存在であったわけだが、それには多くの抵抗があったことを著者が書き綴っている。しかし、一度このような試みが行われた後には多くの賛同が得られたようだ。そのあたりの経験談は著者に譲ろう。
多くの方からの聞き取りの記録をみると、死にいどむ人々もまた実に多様であることが分かる。それを著者は5段階に分類し、どの段階にいるのかを書いていくわけだが、その見解には多くの経験談が裏づけとしてあるので説得力がある。
だが私はその説得力がクセモノであると思うのだ。というのは、著者らがやっているのは多くの人々の経験談を集めてパターン化しているのであって、特定の患者の経時的な変化を追いかけた訳ではないのだから、パターン化された段階を多くのヒトが辿る、というのは疑問である。
そういった疑問点は少なからずありはするが、死を前にした人々が何を望むか、そして周りの人々はどう振舞えばいいのか、ということには多くのヒントをくれると思う。誰もが避けて通れない唯一のことが、死なのだから。
私は母が死んで行くのを目の当たりにしたが、母は殆ど常に堂々として、病院でも生活を楽しむように振舞っていた。勿論、たまには人間的な弱さも垣間見せていたが、どんなに自分の病気が絶望的に思えるときでも闘病期間の殆ど全ての期間に渡って平然としていたものだ。そんな母を思い出し、もうちょっと話をしておきたかったな、と、ふと思った。
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