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4冊目 自然界の非対称性
自然界の非対称性

フランク・クロース著 / はやし まさる訳

紀伊国屋書店 (2002.3)


評価:☆☆☆☆

 自然は対称で美しい、というのが科学者の信仰であった時代というのがある。しかし、様々なところに非対称性は潜んでおり、それは生命や宇宙といったあらゆる分野に深く組み込まれていることが明らかになっている。

 例えば、原子は原子核と電子からなり、原子核はさらにプラスの電荷を持つ陽子と電荷を持たない中性子に分けられる。マイナスの電荷をもつ電子と陽子は、正確に同じ大きさの電荷をもつ。しかし、原子の構造を見てみると非常に重い(といっても電子と比較した場合の話であるが)陽子が原子の中心に居座っており、その周りを陽子の1/2000程度の質量しか持たない電子が飛び回っている、という構造になっている。重量で言えばこの通り実に大きな差がある。

 本書はこのような”対象性の無いこと”がどのような意味を持ったのか、ということを追いかけている。しかし、対象性が無いといっても、それは自然界の奥深くに隠された現象であり、多くの事柄には対象性が存在する。そこで、非対称性を語るためには丁寧に対象性から解き明かさなければならず、対象性を説明するためにはさらに細かく色々説明しなければならないと言う厄介なことがある。自然界における非対称性を見通すには科学史を追いかけなければならないのだ。

 そこで本書では少なからぬ分量を裂いて発見の歴史とその意義について書き進める。ここで面白いのは、偉大な発見には偶然が少なからず関与していることを実例をもって示していることである。つまらない思い込み、観察ミス、そして解釈ミスなどによって才能も能力も持っていた人々が目の前にあった成功への道を見落としてしまう。科学の道は確実な前進だけで成り立っているのではなく、実に人間的な営みとして行われていることが良く分かろうと言うもので、そういった点でも非常に面白いエピソードがたくさん載っているのも魅力である。

 最後に至ってようやく現在の物理学は何を目指しているのかについて触れる。重力は何故存在するのか、など未だに分かっていない問題をどのように解決しようとしているのか。今どこまで分かっていて何が分かっていないのか。巨大な粒子加速器は何を知ろうとするためにあるのか。そういった考えに触れるには良い本であろう。

 専門的な話もかかれているが、あくまで一般向けの本であり、そして一般向けに平易に面白く書くことに成功している本だと思う。ただし、一定以上これらの知識をもっている方にはちょっと物足りないかもしれない。
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素粒子・宇宙論 | 2004/01/30(金) 14:43 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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3冊目 いのちを守る安全学
いのちを守る安全学

日垣 隆〔ほか〕著

新潮社 (2001.3)


評価:☆☆☆☆

 ジャーナリストの日垣隆氏がゲストを招いて行っているTBSラジオ番組『サイエンス・サイトーク』の文庫化第3弾。今回はゲストに小西聖子、廣井脩、中西準子、畑村洋太郎の各氏を招いている。

 登場人物について簡単に記しておく。
 小西 聖子:武蔵野女子大学教授であり、犯罪被害者への援助に取り組んでいる。
 廣井 脩:東京大学社会情報研究所長で、専攻は災害社会学専攻。
 中西 準子:横浜国立大学環境科学研究センター教授として環境リスクマネジメント研究に従事。
 畑村 洋太郎:工学院大学教授で、近年では『失敗学のすすめ』がベストセラーとなっている。

 肝心の日垣隆氏の著作は幾つか読み、その綿密な下準備、徹底した調査と現場を必ず知っておくという姿勢にいつも感嘆させられる。対談形式というのは不勉強な人と専門家が行うともう突っ込み不足でいらいらさせられるのであるが、本書ではそのようなことは無い。日垣氏の言葉として、以下のように記されている。


 毎月のテーマを設定して、そのテーマの最前線にふさわしいゲストに出演を依頼し、ゲストである科学者がこれまで書いてこられたすべての著書と論文をしっかり読んだ上で、各ゲストにつき最低二回から三回の対話を重ねてきました。


 誰もがするだろうというような質問はしない。たくさん事前に勉強はしていくけれど、そのことは表に出さない(笑)。
 (同書はじめに、より)


 これを毎月繰り返している、というのだから凄いものである。このようなダメサイトの更新ですら時間がかかるというのに(一緒にするな)。おまけに自己顕示欲の強い私と来たらもう、面白いネタを挿入するのにどう自然に話の腰を折るか考えるという散漫っぷりをさらしているというのに。

 さて、本書の内容である。第一講は「犯罪被害者になった時」として小西聖子氏をゲストに迎えている。犯罪は、起こす方は計画的に起こすことが出来る場合もあるが、被害者にとってはいつもそれは突然やってくる。いつ、誰が、どのような状況で、事件に巻き込まれるかは分からない。斯く言う私自身犯罪被害者になったこともある。

 しかし、日本では驚くほどに被害者への配慮がなされていないため、被害者がその犯罪の他に様々な被害に遭う場合が少なからず存在する。日垣氏は弟をその中学生時代に殺されており、しかも加害者も弟の同級生だったため何の罰則も受けずに翌日から何事も無かったかのように学校に通っている姿を間近で見ざるを得ないという経験をしている(そして、その時の悔しさや理不尽さが少年犯罪に対する氏の関心の根底にあるように感じられる)。小西氏は精神科医として犯罪の背景解明に関わり、同性である女性の犯罪に目を向けるうちに加害-被害の関係に目が向き新しい分野(!)である被害者の救済に関与するようになったという。

 例えば裁判。刑事裁判では検察-加害者の争いであって、被害者(遺族含む)は関与できない(そしてこれは世界中でも日本だけという)。2000年9月までは遺影の持込すら禁止だった。報道も少しでも被害者に責任があると思うとその点をクローズアップし、殺される相応の理由があったように騒ぎ立てる。最早、被害者には反論することができないというのに。以下の問答は非常に印象に残る。

学生1 自業自得による殺人っていうのは意外に多いのですか。
日垣 そんなものは、ありません。
小西 うん、ないです。たとえ、殺意を誘発するどんなひどいことがあったとしても、相手を殺していいということにはならないでしょう。

 そういうものであろう。

 第二講は「災害報道は何を伝えたか」と題し、廣井脩氏を招いている。阪神大震災、雲仙普賢岳の火砕流、東海村の臨界事故など大事故を取り上げ、報道で何が役に立ったか、あるいは役に立たなかったかを主題に取り上げている。面白かったのは、大事故のあとの電話が極端につながりにくい状況の回避策として、事故の圏内→圏外は通じやすいが圏外→圏内への通話ができなくなることから報告先を遠くに設定しておく、というのは賢い知恵だと思われた。例えば、私の家の近く(埼玉)で大地震が起こったとしたら、自宅に連絡をつけようとするのではなくて北海道の親戚に各自が連絡すれば電話がつながりやすい、というようなことのようだ。それと、そのような事態になったときに安易に会社に逃げ込まないことが重要である、というのは切実であろう。渋滞で救助活動が遅れるうえ、どうせそんな状況で会社に行ってもやることは、無いのだから。

 第三講「化学物質との正しいつきあい方」。環境ホルモンなどと言って現在化学物質の恐怖を煽ることが方々で見られるが、それをもっと冷静に考えましょうよ、という提言にもなっている。


日垣 化学殺菌剤EDBに発癌性があるからこれを使用禁止にしたら、そこにカビがはえて、アフラトキシンを生成しちゃった。
中西 アフラトキシンの発癌性はEDBの七五倍もありました。


 これじゃあ、なんのための規制なのだかちっとも分からん。本講で指摘している通り、「コスト(費用)とベネフィット(恩恵)」、「ハザード(害)とリスク(影響の大きさ)」に基づいた厳密な議論が今如何に必要なのか実感させられる。冷静に考えられる人の母数が大きくならない限り、決して今のこの状況は変わらないであろう。また、ジャーナリズムの煽るような報道手法に対しても批判が行われている。

 最終講は畑村洋太郎氏との対談「失敗に学ぶ」である。畑村氏の、事故は起こるということを前提としてシステムを構築した方がシステムが安全になるという指摘は非常に重要である。失敗を隠すことが自己満足に終始して後につながらないかを論じている。ノモンハン事件は事件などと言っているがその実戦争そのものであり関東軍が完膚なきまでに叩きのめされた事件であるが、その経験は全く生かされることなく敗戦に突き進んで行ったか、など多くの方面に話が進みながら主題である失敗は隠さないことで対策を立てられるという視点からずれていかないのは実にお見事である。

 などと、ざっくり紹介してきたがやはり突っ込みがしっかりしていると対談は面白いということを再確認させてくれた。どのテーマも読み応えがあるにも関わらず簡単に読めるので、興味をひかれた方はまず読むべし。

 なお、著者の日垣氏は公式ウェブサイトを開設しております。こちらもお勧めです。

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その他科学 | 2004/01/18(日) 14:36 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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2冊目 死へのイデオロギー
死へのイデオロギー

パトリシア・スタインホフ〔著〕 / 木村 由美子訳

岩波書店 (2003.10)


評価:☆☆☆☆☆

 最近、久々に読んだ連合赤軍関係の本が死へのイデオロギー  日本赤軍派である。著者はテルアビブ空港襲撃事件の犯人である岡本公三へのインタビューから始まり、そして日本赤軍による血なまぐさい同士粛清、さらに日本の新左翼運動を壊滅に追いやったあさま山荘事件を社会学の立場から追いかけて日本中を駆けずり回ったアメリカ人である。

 日本の新左翼(この名称自体がもうすでに懐古趣味の領域であるのは疑い得ないのであるが)の起こした事件を日本文化の外に居る人がどう読み解くのかに興味が沸いて、買ってしまった。

 連合赤軍事件は、読むたびに暗澹たる気分にさせられる。その理由は、夢を共有していた人々同士が殺し、殺されていく、その過程があまりに過酷で残酷であることに比して虐殺の理由となる原因が極めて些細なものであること、そして、なぜ無意味としか思えない同士討ち(この場合同志討ちというべきか)を彼らが倦むことなく続けてしまったのか、という2点に絞られるのではなかろうか。なにしろ、彼らは仲間が「共産化を遂げていない」という理由で、12名もの男女を殺害しているのだ。

 この間の経緯を知りたい方は、連合赤軍と「二十歳の原点」というサイトが非常に良く調べてあり、なおかつ簡潔に事件の流れをまとめておられるので参考にしてみてください。

 私は現在27歳。まもなく28歳になる。殺し、殺された人々の当時の年齢を見ると、事件の主犯である旧赤軍派の森恒夫、旧革命左派の永田洋子の2名が27歳。私と同じ年である。彼らは丁度今頃の時期には合流して連合赤軍を結成し、合同軍事訓練と称して山に篭っていた。翌年2月28日、あさま山荘陥落によって幹部が全員逮捕されて壊滅するまでのその過程で12名の仲間を殺害しているのであるが、そのうちのほとんど、10名が私よりも年下(最年少21歳)であり、一人が私と同じ年(山田孝;粛清による最後の犠牲者)、一人が年長(山本順一;28歳)である。つまり、もうまもなく私が歳をとったら、粛清の犠牲者(犠牲者に限らず、参加したメンバーという点でも)は全員の年齢が私以下ということになる。

 そして、28歳というのは死刑判決が間違かったであろう、森恒夫が刑務所内で自分自身を「総括」した年齢である。そう考えると、事件そのもののインパクトも相まって、非常に興味が沸いて来るのだ。

 私は、事件が何故起こったのか、という問いには二つのアプローチが可能だと思う。一つは事件に関わったメンバーの個別の事情を追いかけて事件にたどり着くまでの変遷を追う手法であり、もう一つは個人にはほとんど注目せずに事件が起こるシステムについて様々な分野から解釈していく手法である。このうち前者は多くの論者が行っていることではなかろうか。

 つまり、「事件は森恒夫というもう後がない人物と人格に問題のある永田洋子という2名の異常者が起こしたことだ」というようなものだ。特に永田は判決文にもこのような決め付けが行われている。しかし、それでは説明がつかないことが余りに多すぎる。
 例えば共産党はこれまでとっていた路線から転向する時には、必ずや指導者の「家父長的性格」が諸悪の根源であり、それによって党全体が誤った方向に歩んでしまったという失脚した幹部への責任の押し付け(そしてその裏返しとしての自らの責任回避)が行われるが、その新たなる路線が誤っていてもやはり次の指導者の「家父長的性格」が問題となる、というように永久に正常化できないシステムをとっている。それはそれで信者の離反を招かないためには必要不可欠なのかも知れないことではあろう。が、その独善性ゆえにやせ細っていき、今回の選挙でも惨敗した(惨敗した他の政党、新保守党は解党して自民党に吸収され、社会党は長年党首を務めた土井が辞任するなどそれなりに責任をとったが、共産党のみ何の動きも無いのは極めて興味深いことである)ことにつながっているように思われる。
 これを見ても、一部の指導者に責任を押し付けてそれで良しとするのでは問題の真の解決にはならないであろう。

 翻って、後者の方法である。この方法だと、木を見て森を見ずという議論になりがちである。結局悪いのは社会だったり人間の心理的な問題だったりで、そこに関わった人間個人に光が当てられなくなってしまう。連合赤軍事件では森、永田(そして他の参加者達)の性格が大きなウェートを占めるはずであり、それを無視してしまっては社会が悪かったんだから森君も永田さんもかわいそうな被害者なのよ、という、じゃあ悪いのは具体的になんなのかという良く分からない無責任なところに拡散してしまうように思われるのである。

 この本では、事件に至った顛末を3つの要因から説明しており、それが上手く前述の前者にも後者にも偏らないものとなっており、その点で非常に重要に思われる。勿論、森という一人の(左翼運動の中でも追い詰められていた)リーダーに多くの責任があるのは当然としてもそれだけでは収まらなかった要因がしっかりあるのだ、という視点を提供することで冷静に事件を総括しているように思われるのである。

 連合赤軍事件に興味がある方は、一読をお勧めしたいと思う(ただし、今更連合赤軍と思われる方も多いだろうと思われることから評価は低めに設定)。また、紹介したサイト連合赤軍と「二十歳の原点」に目を通しておくことをお勧めしたいと思う。

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ノンフィクション | 2004/01/12(月) 14:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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1冊目 王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史
王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史

ビルギット・アダム著 / 瀬野 文教訳

草思社 (2003.1)


評価:☆☆☆☆☆

 世の中に存在する生物のほとんど全ては極めて微小で人類から見たら取るに足らないサイズであるところの細菌やウイルス(が生物であるかどうかは未だに決着のついていない問題ではあるがここでは措いておく)や原虫や寄生虫(以後一々書くのが面倒くさいので病原体と一括して表記する)であり、彼らにとって生体内は―――免疫系からの攻撃をかいくぐる手段を見つけ出した場合には―――実に快適な場所となる。そして、彼らは次なる宿主を見つけるチャンスを虎視眈々と狙っているのである。

 この手の病原体は接触が無ければ感染しないわけであるが、翻ってみれば接触すれば感染する可能性がある、ということになる。感染力は様々であり、インフルエンザや天然痘の原因となるウイルスは極めて感染力が強い、ハンセン病の原因であるらい菌は極めて感染力が弱い、などピンきりである。エイズに至っては、同じ空間で生活する分には感染する恐れの無いほど微弱である。

 房事、生殖行為、エッチ、セックス、まぐわい(と書くととたんに猥雑な気がするのは何故?)、にゃんにゃん(ふるっ)、と、まあ言い方は何でも良いのであるが、とにかくその行為は濃密な接触を前提とするわけであり、そしてその行為を感染の手段とする病気もあるわけなのである。
 すなわち、性病である。

 人間が生物である以上その究極目的は繁殖にあるわけで、ぶっちゃけた話繁殖にいたる行為は気持ち良い。それは空腹時になにか食べるときに味わう幸福感と同じく、快楽回路が働くためであるが、何はともあれその快感が巨大で圧倒的であるが故に生物はこれまで生き残ってきたわけである。そして、気持ちが良いということは、多くの人がしたがる訳であるゆえ、人類でもっとも古い職業は売春だったという説も出てくる余地があるのである。(職業云々にはまた類人猿で観察されるいくつかの現象が・・・とか色々あるので調べてみたら面白いと思います)

 というわけで、快楽に弱い人類を狙う病気に我々の先祖は悩まされて来た訳である。しかし、その苦しんだ実態というのはなかなか表に出てこない。猥談か、後は良くある保守的イデオロギー普及のための説教じみた苦言の中に、「ほーら、セックスは怖いんだよー。純潔が一番だよー」という形で出てくるくらいのものである。
 ・・・その程度の苦言で人類がこの行為をやめるなら、この本は書かれることが無かったのであろうが幸いにして、というか不幸にして、というかは悩ましいところではあるが快楽の前には説教など無視してきたのである。

 というわけで、ようやく本書の紹介に入るわけである(前置き長っ)。この本の面白いところは、お説教にも病状のリアルな描写にも偏らず、それどころか下世話な興味まで含めて冷静に性病を扱っているところにある。性病にかかった有名人の話(ゲーテの精神異常が梅毒に由来する、とかベートーベンの耳が聞こえなくなったのは先天性梅毒が原因では無いか、等)、性病を蔓延させる原因となった古代の生活などはかなり下世話な話ではある(が、それゆえに面白い)。
 本書の後半からは、近代に入ってからの性病についてまとめている。産業革命以後の被支配者層の置かれていた社会状況は性病の蔓延を招いたが、現在はそれとは違う社会状況がそれでも同じように性病の蔓延を招いている。性病を根絶するのは難しいであろうが、人類にとって性病とはなんなのか、一度冷静に考えるためにはとても重要なのではなかろうか。

 ・・・それにしても、帯の「苦悩に満ちた下半身の歴史!」とするのはちと狙い過ぎかも

 そして選りにも選ってこの本を最初に紹介するので良いのか?>自分
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生物・遺伝・病原体 | 2004/01/08(木) 14:23 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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