![]() | 天変地異の黙示録―人類文明が生きのびるためのメッセージ (パンドラ新書) (2006/06) 小松 左京 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆
『日本沈没』で知られる小松左京による文明論。構成は四部に分かれている。内容は以下の通り。
第一部 地球文明に未来はあるか?
第二部 終末観と未来のイメージ
第三部 ユートピアの終焉
第四部 地球政治時代への提言
第一部と第四部は内容として近い。著者が過去、現在、未来をどのように認識しているか。また、とりわけ過去や想像される未来から、現代がどのような位置づけにあるかを語っている。広い知識を持っている方らしく、話が縦横無尽に飛び、冷静な視点を持ち続けていることは評価したい。
第二部では、人類滅亡のイメージとしてどのようなことが考えられるかを論じている。この点、『日本沈没』の面目躍如たるものがある。とりわけ世界各地で見られる洪水神話は文化論としても面白いと思う。
第三部のユートピアは、トマス・モアの『ユートピア』から、オーウェルの『一九八四年』まで、人々が未来をどう描いてきたかを論じている。中にはネタバレが含まれているので、これから読もうと思っている方は避けたほうが良いかもしれない。『一九八四年』は恐ろしいほどの監視社会を描き出した。そして、ユートピア小説はここに終わりを告げる。
『一九八四年』の先見性は恐ろしいほどのもので、それが共産主義を奉じる国々で現実と化したことは記憶に留めて置かなければならないだろう。
が、この部分はSFファンタジアに寄稿したものを持ってきているので、全体としてかなり浮いている。ユートピアを語ることで未来の社会を語ろうとした人々が居たことは分かるが、環境問題やらなにやらを論じている中で突然出てきた観は否めない。
一方でちょっといかがなものかという点も多い。未知の病害との対峙について、こう記している。
また未知の病気が蔓延するというのも、人類は何度も体験してきていることです。古くはヨーロッパを震え上がらせたペスト、二十世紀初頭に猛威を振るったスペイン風邪などは有名です。
(略)
爆発的な艦船の恐れがあるといえばインフルエンザですが、現在では鳥インフルエンザに関する情報がいろいろ報道されています。(略)
P.35
これを読んだら、スペイン風邪がインフルエンザだということが分からないのではなかろうか。これは決して些細なことでは無いと思う。人類はかつてインフルエンザの蔓延によって多くの犠牲を払った。だからこそ鳥インフルエンザが恐れられているのだ。現実的な危険度から言えば、鳥インフルエンザがここ数年以内に人−人の間で感染が広がることは無いだろう。しかし、鳥−人の間で感染が増えればそれだけ人−人の間に広まりうる突然変異のリスクは増していく。だから注視されているのである。
次は、もうチラシの裏の落書きと変わらないレベルのもの。
(略)とくに貧しかった時代の記憶をもたないナイーヴで未熟な若い人たちや女性が、この刺激や痛みに敏感で、動揺し、逆上しやすく、それが社会全体の、不安で、刺激に過敏な状態を作り出している。この面で現代の「人類社会」は、数百年前よりもずっと統御がむずかしくなっているのである。
最近の若者や女性が動揺しやすい、あるいは逆上しやすいといった傾向は存在しない。むしろ著者の世代の人々の方が遥かに逆上しやすかった。その証拠に、少年犯罪は戦後下がり続け、今では往時の三分の一程度に過ぎない。この誤った前提で論を組み立てている以上、「数百年前よりもずっと統御がむずかしくなっている」という結論を是とするわけにはいかない。
自分でしっかり調べた分野については地に足の着いた議論をしているが、印象論で語るところで粗が目立つ、といったところか。こういった不完全さが作品全体の評価を下げてしまうのはもったいないと思う。
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![]() | 簡単に断れない。 (文春文庫) (2006/11) 土屋 賢二 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆
ご存知、御茶ノ水大学で哲学の教鞭を採る土屋きょーじゅのエッセイ。
報復絶倒、と評したいところだけど、初期のエネルギーを失っていてそこまででもない。
この人のエッセイ、面白いのだけど、一本調子なのが問題。なので、続けて読めば絶対に食傷します。コーラを飲めばゲップが出るってくらい確実です。なので、寝る前に1本というような感じでゆっくり読めば良いのだけど、そうでもなければ”またこのパターンか・・・”となること必定でありましょう。週間連載をたまに読む、位が丁度良い付き合い方なのかもしれない。
やはり、面白いことを書こう、とし続けるのは難しいのかも。ギャグマンガでも続いているとエネルギー失って面白くなくなることが往々にして起こることだし。暇つぶしとか寝る前のストレス解消には良いかな、という一冊。
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![]() | 空気げんこつ (2001/10) 鹿島 茂 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
「空気げんこつ」というのは、鹿島茂が渋沢龍彦の文章から作り上げた言葉である。これ、なにをするものかと言うと、呪いの流体で相手を殴りつけるものです。
決してお行儀の良いことではないのは分かりきっているが、お行儀の良さだけで人間ができていない以上は空気げんこつの有難さが分かろう。あなたも脳内でなら上司や部下を張り倒したことがあるはずだ。実際にやったら問題になることでも、脳内で済ませるなら問題なし。だったらやらない手は無い。
これをかの鹿島茂がやっているエッセイ集こそ本書。
フランスに関する深い知識が、彼の観察眼と結びついた時に、どのようなものが出るか。例を挙げれば、女性が自由にセックス相手を選べることと社会の自由度の関係、日仏淫乱度対決、才能と商売と、かなりなことになっている。
例えば、文芸書が売れないのは、なんてことは無い、そんなもの読んでもモテないからだ。そう喝破されてしまうとすかっとするのは間違いない。
私見によれば、ひと口に知的好奇心といっても、それには純粋な知的好奇心と不純な知的好奇心の二種類がある。前者は、いわば人間の業のようなものであるから、時代の知的レベルがどれほど落ちようと決してなくなることはない。(略)
問題は、後者の不純な知的好奇心のほうである。太宰治を呼んで、時代病に冒されたかのごとくに深刻な表情を浮かべていた自意識過剰の文学青年(懐かしい死語)の心を探っていけば、かならずやその悩める姿で文学少女の関心をひきつけようとする下心があったはずである。
うーん、この男が抱き勝ちな莫迦な妄想を笑える男がいるだろうか。ええ、わたくしめも胸の奥がズキズキと痛むものでありますとも。遠い日の自分の莫迦莫迦。
敢えて言おう。本を読んでもモテません。どんなに博識になってもモテません。そんなのは、世の女性(にょしょう)の求めることぢゃあなゐのです。ええ、わたくしが身をもって証言致しましょうとも。
日本に比べて、欧米の知的状況がまだましなのは、知のランタビリテに拘泥するスノッブがいまだに健在だからである。文化を支えているのは、実はスノッブなのである。この認識なしに日本文化の再興はありえない。
こういうオチは、所謂センセイ方にはとても言えないことだ。高尚を自認する人は、自説や自論がスノッブの嗜好となると嫌がるものだろう。しかし、衒いなくスノッブが文化を創ると言ってしまう辺りに、凄みがあると思われてならない。また、随所に深い知識に裏づけされているであろう知識が出てくるのも面白い。やはりエッセイストは博識でなければならぬ。
で、内容は良いんだが、なんだこの萌え絵は。なんだかターゲットを忘れたようなこの絵で誤解する人がいそうな気がする一冊。
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![]() | 暦と数の話―グールド教授の2000年問題 (1998/10) スティーヴン・ジェイ グールド 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
子供の頃に言われていたような未来都市が実現したわけじゃないけど、今は21世紀で、きっと22世紀も未来都市は実現していないのだろうけど、それでも22世紀はやってくるはずだ。どうせその頃には生きていないので来ても来なくてもどちらでも良いと言えば良い。
さて、問題なのは世紀が切り替わる瞬間だ。前世紀の終わりは、1999年なのか2000年なのか。まかり間違えば、本当の21世紀の瞬間じゃない時に21世紀おめでとう、などと騒ぐ輩が出かねない。2000年問題を考える人々のお陰でそのような混乱は無かったようだが。
さて、なぜこれが問題になるかというと、感覚の世界と暦の世界が食い違うからだ。やはり、1999年が前世紀の最後で2000年が新世紀の始まりというと美しさがある。なにせ、1999から2000への変化は数字の上では1つだけど、構成する4桁が全て変化するのである。これを世紀末といわずになんとするか。ノストラダムスも恐怖の大王が降って来ると言っていたし。
ところが、暦を作った時にスタートを紀元1年としてしまったが問題の始まりである。なにせ、どの世紀にも平等に100年間を割り付けると、1世紀の終わりは100年となる。以後その繰り返しで行けば、20世紀の終わりは2000年になるはずだ。
面倒くさいこと言うなよ、両方祝ってしまえば良いぢゃ無いかと好い加減な私などは思ってしまうわけだけど、そうは思わない人々もいる。世紀の終わりが近づくたびに、大論争が繰り広げれるのだ。
この大論争、実はかなり起源が古いらしい。博学で知られるグールド迫るのは世紀末論争。前の世紀末でカタストロフィが語られたように、他の世紀でも人類滅亡の危機が囁かれていたというのは予想通りなのだけど、予想通りの中に予想外の発見があるのが面白いところ。
広がった話題は遂にカレンダー計算の達人の話にまで及ぶ。これについてはつい先日紹介した『なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異』が思い浮かんだ。後書きを確認したところ、サヴァン症候群についての本としてこちらが言及されていたのは何たる偶然か。
世紀の変わり目がいつか、などという実世界で生きていくには何の意味もない話題を広げ、素敵な歴史の物語にしてしまうグールドの腕は本当に見事。亡くなったのが惜しまれる。
なお、今の暦が作られるまでの苦難の道のりについては『暦をつくった人々―人類は正確な一年をどう決めてきたか』が大変参考になりますので興味があれば是非どうぞ。
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![]() | 脳のシワ (新潮文庫) (2006/07) 養老 孟司 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
脳の話が流行った結果、すっかり時の人となった養老さんのエッセイ。個人的には『バカの壁』のように目新しい話が無い本より、本書のように著者の感性がほとばしる方が好きだ。
いつも周りに昆虫や魚などの生物がいた少年時代、まだ幼い頃に亡くなった父親の話、タバコを辞めない理由と、身近な話が続くと思いきや、唐突に内臓の話になるあたりの突飛さが面白い。つまるところ、エッセイの面白さは意外な結びつきにあるわけで、楽しく読むことができた。
東大で教授にまでなっていながら功利主義だとか実利主義とは無縁の養老さんのことだから、体内にも無駄があることを嬉しそうに語っているところなんかは、忙しい生活にあってほっとさせられる。
疲れた時に肩の力を抜いて読むのが良さそうな一冊。
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