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![]() | とるこ日記―“ダメ人間”作家トリオの脱力旅行記 (2006/03) 定金 伸治、乙一 他 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆
定金伸治、乙一、松原真琴という、ジャンプお抱え作家3人がトルコへ旅行した時の模様を綴った日記。定金さんといえば、『ジハード』シリーズのあの人ではありませんか。マイナー地域の歴史を取り上げることで定評のある彼のこと。トルコ旅行記は楽しいに違いない。ダメ人間が冠されているのも魅力だ。
と思って読んでみたら、本当にグダグダの旅行記だった(笑)
トルコに行こうと唐突に思いついたのは、定金さんがトルコ文明展に行ったこと。そこのアンケートに答えたら、トルコ旅行ツアーの案内が届いたというのだから、旅行会社恐るべし。そこで乙一さんにトルコ行きを誘ったらすぐに賛同。
ところが、例の戦争のせいで、この時には行くことが出来なかったそうである。この程度で思い立ったなら、この時点で旅は終わりになっていたかも知れないが、どういうわけか松原さんを交えてビリヤードをやっている時に再びこの話題が出たら、2秒で行くことが決まっていたという。トルコですよ、トルコ。仕事もあるだろうに、それで良いのか。羨ましい。ああ、つい本音が。
トルコでボラレまくったり、異様に不味いレストラン(呼び込みがいるレストランは不味いらしい。トルコに行くなら注意しよう)に入ってしまったり、遺跡跡で定金さんは喜んでいたが残る2名は雑草を抜くくらいしかやることがなかったりするのだが、その間はひたすらダメな会話が続く。
とは言っても、そこはヒッタイトの遺跡。この辺りの時代に興味がある人なら行ってみたくもなる。でも、バスは必ず大暴走、生きた心地もしないといのは困るなあ。松原さんはしっかりデジカメをスられてしまったというイベント付き。油断できないぜ、トルコ。
こういう時、気のおけない友人が一緒で、ああでもないこうでもないと煩くできれば楽しいのは分かる。それがそのまま文章になっているので、確かに役に立つことは欠片もない。著者たちが冒頭で述べているのは正しかった!なので、著者のファンでなければ読むのは辛いかも。いや、ファンなら幻滅してしまうかもしれないか(笑)。
とりあえず、私は完結前に挫折してしまった『ジハード』シリーズにもう一度手を出してみようかと思った次第であります。
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![]() | 残夢整理―昭和の青春 (新潮文庫) (2013/01/28) 多田 富雄 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
ざんむせいり。通常であれば、残「務」整理と書くべきところを、「夢」としているのに気がついて手に取れば、それは『免疫の意味論』で専門家以外の人々の間でも高い評価を得た多田富雄さんの本だった。
生きることは、死を見つめ続けることに他ならない。親しい人の、そして、自分自身の、死を。
本書は、著者が自分の前を通りすぎていった死者のことを、深い愛惜と共に語ったエッセイである。それは親族であったり、学生時代の友人であったりと、実に多様だ。共通するのは、著者が彼らと深く付き合ったこと、そして全編を通じて流れる重苦しい雰囲気である。
温かみに溢れながらも、どこか死の香りを漂わせる冷たさを感じさせる文章。そう感じながら読み進めていって、後書きに辿り着いた時、その理由がはっきりした。
この短編を書いている最後の段階で、私は癌の転移による病的鎖骨骨折で、唯一動かすことができた左手がついに使えなくなった。鎖骨を折ったことは、筆を折ることだった。書くことはもうできない。まるで終止符を打つようにやってきた執筆停止命令に、もううろたえることもなかった。いまは静かに彼らの時間の訪れを待てばいい。昭和を思い出したことは、消えてゆく自分の時間を思い出すことでもあった。
(p.228より)
病に侵されながらも執筆を続けた著者の、絶筆であった。唯一動く左手で、時間をかけて紡いだのは、共に生きた人との思い出であるのと同時に、死を受容するためのものだったのだ。失われた人への寂寞とした感じ、消えゆかんとする自らの生が、どこか重低音らしく全編を漂っていたのも不思議なことではなかったのだ、と納得した。
旧制高校時代、そして大学時代の悪友たちとの交流。親戚。学問の師。それに、親しく付き合うことになった能楽師。ある者は自ら死を選び、またある者は若くして病に倒れた。だが、誰もが自分の中の、名状しがたい何かに突き動かされていた。
医学部に進みながら文学関係者とも親しく交わり、能にも深くのめりこんだという著者の懐の深さが、彼らのとの親交を産んだのかもしれない。
これほどにも深く他人と付き合った著者を、羨ましく思えてならなかった。そして、このような文章の名手を失ったことが残念でならない。いつか、また他の本も手にとってみよう。
関連書籍:
![]() | 免疫の意味論 (1993/04) 多田 富雄 商品詳細を見る |
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![]() | もしもあなたが猫だったら?―「思考実験」が判断力をみがく (中公新書) (2007/12) 竹内 薫 商品詳細を見る |
評価:☆☆
おお!面白そうなタイトル!あぁ、それなのに、著者は竹内薫なのね。。。と、逡巡したが読んでみることにした。そして、やっぱり竹内薫は竹内薫だった。内容の薄さ反比例する勿体ぶった書き方に、辟易しながらも何とか読み終わりました。俺、エライ(※偉くない)
さて、本書はサブタイトル通り、色々なシチュエーションの思考実験をしたもの。時間をかけて読んで欲しいそうで、章の代わりに日を使っている。目次を記しておこう。
第一日 もしもあなたが猫だったら?
第二日 もしも重力がちょっぴりだけ強かったら
第三日 もしもプラトンが正しかったら
第四日 もしもテレポーテーションされてしまったら
第五日 もしも仮面をつけることができたら
第六日 もしも悪魔がいたならば
第七日 もしもアインシュタインが正しかったならば
第一日にだけ最後にクエスチョンマークが付くが他は付かないとか、"~ら"で終わったり"~ならば"で終わったりする不統一感が気になるが、まあ良い。大切なのは内容だよね!
猫だったら?というのは、猫の見え方の話になる。犬や猫が色を見分けられないと聞いたことがあるだろうか?何故そんなことが分かるかというと、色を見分ける錐体細胞を何種類持っているかに依っている。犬や猫を始め、哺乳類は基本的に2種類である。人間は、突然変異が起こったために3種類持つ。だから色が見分けられる、という話だ。だが、これはちょっとおかしい。なんとなれば、赤緑色盲の人もカラフルな世界に生きているからだ。赤と緑を見分けられないだけで。だから、犬や猫もそれなりに色のある世界で生きているはずだ。
しかし、もっと面白いのは鳥類や爬虫類である。彼らは、錐体細胞を4種類持つのである。しかも、4つ目は紫外線領域にあるので、彼らの目に映る世界は、我々人間のものとは全く違うと推測可能だ。
これらのことは、視覚に興味がある方にとってはもう前提条件みたいなものなのだけど、それを得々と説かれても困る。せめて、新しい視点が欲しい。あるいは、新しく分かった情報が欲しい。いや、それらが無いなら、それはそれで受け入れる。だったら、せめて事例を面白くして欲しい。残念なことに、こうした希望は全く叶えられることが無い。
二日目は重力に限らず、宇宙定数と呼ばれるものの数値が本の少し違ったらどうなるか、三日目は社会の統治システムが民主主義ではなくプラトンが唱えた哲人による独裁制だったらどうなるか、といった調子で進む。科学だけではなく、社会も視野に入れているのが斬新と言えば斬新か。
ただ、私の感じた不満を逆に言えば、初歩的なところから丁寧に解説している、ということにもなる。勿体ぶった文章は鬱陶しいが、それを我慢できるなら、それはそれで入門書には向いているのかもしれない。あるいは、忍耐力を鍛えるのに向いているのかも(笑)
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![]() | 役にたたない日々 (朝日文庫) (2010/12/07) 佐野 洋子 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
『100万回生きたねこ』の著者、佐野洋子さんのエッセイ。晩年になってからのもので、自分をババアと読んでいるのであるが、これが確かに近くにいたら☓☓ババアと呼びたくなるかも知れないと思わせる(笑)
満州で過ごした幼少時代(彼女の父親は満鉄に勤務していたそうである)、誰もが貧しかった青春時代、これまでに出会った変わった人たち、親との確執、本ばかり読んできた人生を、特有のシニカルな視点で語る。
なにせ本ばかり読んできた著者のこと、知っていることは多いはずだ。それなのに、自分は何も知らないと繰り返す。そこから導き出されることはたった1つ。彼女は、知っている、知らないということを、物凄く深い意味で使っているということだ。そして身につまされる。自分は知ったつもりになっているが、実は何も知りはしないのだ、と。
学生時代の思い出が、淡々と、しかし熱く語られるのが良い。彼女にひたすら絵を描かせた男。あるいは、本を貸してと頼んだら「買えば」とそっけなく返した女。あるいは、寮の食堂へこっそりと忍び込み、パンを取ってきて食べてしまったこと。私ももう人生を半分は終えたような気がしなくもないのだが、思い出といって出てくるのは愚かだった学生時代のことばかりだ。惜しむらくは、愚かであるということに関して言えば、それが過去形で留まらないところが残念である。
閑話休題、著者がそうした思い出をとても大切なものとして抱えてきたことが、文章の端々から感じられる。だからこそ、そこに哀切を見出してしまう。
その一方で、決して満ち足りた少女時代を送っていたわけではなさそうだ。実際、母親との確執について、繰り返し書かれる。と言っても、具体的に仲が悪かったことを書くわけではない。年をとってボケた母親を許せるようになったとことあるごとに書くことで、それは示される。そういえば西原理恵子も、人生に大切なのは仕事と家族だが母親は家族ではないと切って捨てていた。
また、彼女は自然を愛している。毎年毎年、植物の育つスピードに驚き、感動すると綴る。北軽井沢という、軽井沢とは別世界の田舎の暮らしを、それも冬を愛していると宣言するのである。恐らくはそれと全く同じ視点から、月に人類が到達したのは面白くないそうだ。この点に関しては、私と全く思想が違う。
全体的に、恐らく私と彼女は違う星の人間のように、互いに認め合うことはできないのだろう。恐らく、彼女は私が興味を持つあらゆることに興味を示さないと思う。それなのに、エッセイをそれなりに楽しめたのは意外で楽しかった。
ただ、何度も同じ話が出てくるのはちょっと興ざめ。雑誌の連載で読んでいた人は何週間あるいは何ヶ月ぶりに目にするであろうから、"そういえばそんなこともあったっけ"と思うかもしれないが、まとめ読みをすると、さすがの私でも忘れないタイミングで同じ話が繰り返される。編集のしようがあったと思うけどなあ。
関連書籍:
![]() | 100万回生きたねこ (講談社の創作絵本) (1977/10/19) 佐野 洋子 商品詳細を見る |
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![]() | 生命の逆襲 (2013/04/19) 福岡伸一 商品詳細を見る |
評価:☆☆☆☆
ご存じ福岡ハカセのエッセイ。著者が科学者になった原動力に、昆虫への興味が深く関わっていたことが分かるもの。昆虫を集めるのにとにかく熱中していた少年時代。そして、その頃の愛読書は『ドリトル先生』シリーズであった、という。
ああ、分かるなあ。私はそこまで昆虫採集に夢中になったクチではないが、それでもカマキリの卵を見つけては家に持ち帰ったり(春には庭に小さなカマキリが溢れかえり、一部は家の中に侵入したものだ)、カエルの卵を金魚の用に設置してあった屋外のタンクに放ったり(微生物が湧きまくってミニビオトープになっていた)、カナヘビを捕まえては庭に連れてきたのできっと多くのカマキリは餌になってしまったりとやっていた。
そして、恐竜に始まった私の読書遍歴は、ドリトル先生で大きく般化する。動物と話ができるドリトル先生の、世界を知りたいという願いと動物との厚い友情、好きだったなあ。
こうした幼少時代の思い出から、免疫学者として知られた多田富雄さん、やはり虫好きで知られた手塚治虫さん、ハチの大量消失まで幅広いテーマを、温かみのある視点で語る。読みやすさはエッセイの名手として知られた日高敏隆さんに通じるものがあるように感じる。
ウーパールーパーについて、海の魚が真水を得る方法、閉経後の女性が存在する進化的な理由、iPS細胞、そして著者が好むフェルメールと、縦横に話題を振っているので、著者の知的世界を垣間見ることができることもまた楽しい。やっぱり、エッセイは博識な人に限る。
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