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すかいらいたあ

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314冊目 トンデモ本の世界T
トンデモ本の世界T

と学会著

太田出版 (2004.6)

\1,554

評価:☆☆☆☆


 おバカで笑えるトンデモ本満載!という帯に購買心を惹起されたわけではなくて、この手のトンデモを外から眺めるのが好きなのでこのシリーズが好きだったりする。多分、知り合いのほとんどにはバレてるだろうが。

 本書の感想だが、やはりパワーダウンは否めない、というところだろうか。いや、面白いのですよ。面白いのだけど、『トンデモ本の世界』では満を持しての登場だったのが作を進めるに従ってマンネリ化してきていると思ってしまうわけです。

 ネタ切れを一番感じさせるのが、5章のトンデモ世界研究本のコーナー。ここは従来のトンデモ本ではなくて、それこそトンデモを研究しているまともな本まで含まれている。面白い本であってトンデモではないなら取り上げる価値は少ないと思うのだ。それは読者の期待に沿うものではない。(ちなみに、私が読んだ事があるのは『抑圧された記憶の神話』(大変に知的好奇心を刺激されるのでオススメです!)と『ダーウィン賞!』の2冊。なお、『ダーウィン賞』の書評はこちらに載せております)

 もっとも、一冊目は”それまでに溜め込んだトンデモ本”を取り上げていたため、比較的古い本を扱っていたのに対してこちらは新たなるトンデモが中心なので、異なる楽しみ方で読む事ができるのは魅力かもしれない。

 本書で取り上げられているのは、水が美醜を判断できるとする『水からの伝言』だとか、方々でトンデモだと指摘されている『ゲーム脳の恐怖』のような本。これらが批判する価値すらないアレな本ならせめて笑うしかないと言うのは理解できるなぁ。問題なのはこんな程度の本を有難く拝み、ご本尊の如くに押し頂いてトンデモを実践している人々なのだが。

 なんにしろ、世に送り出されてしまったちょっとアレな本の数々を、外側から眺めてほくそ笑むことができるのは利点ではある。個人的ヒットは『すべての不運は名前厄が原因だった!!』で、外国人の場合はカタカナで書いてその画数を調べれば判定可能なんてことを主張する本。なんと、これは本人でダメなら親しい人で調べれば当たるなどというところまで暴走していて、それだったら的中しないわけが無い(当たるところまで”親しい人”を拡大すれば良い)なんて言っちゃっているところ。ダメすぎ。こういうノリが好きだったりするのだけれども。

 本にはいろいろな楽しみ方があるのだと改めて実感させてくれるこのシリーズ、どこまで続くのかは分からないけど、続けて読むと多分飽きてくるので、次を読むにしても時間を空けることにしよう。
反疑似科学・反オカルト | 2007/05/04(金) 23:43 | Trackback:(1) | Comments:(2)

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287冊目 新・トンデモ超常現象60の真相
新・トンデモ超常現象60の真相
皆神 竜太郎著 / 志水 一夫著 / 加門 正一著

楽工社 (2007.2)


評価:☆☆☆☆


 世の中には不思議が溢れている。そこを通った船や飛行機が謎の消失を遂げるバミューダ海域の謎や、乗組員が忽然と姿を消してしまったメアリー・セレスト号事件などは多くの人々の興味をひいてきた。私も世界の謎といった類の本を読んでは世界の不思議に思いを馳せてきたものだ。

 ところが、実はこれらは不思議でもなんでもなかった。バミューダ海域の謎とされているものは謎でもなんでもなく、何百キロも離れた所で起こった遭難事件までもバミューダで起こったとされているようなでっちあげに過ぎず、メアリー・セレスト号事件では室内にまだ冷めていないコーヒーがあったなどとしてあるのは全てウソで、その謎を解くのに最も重要と思われる鍵である救命ボートがなくなっていたことは意図的に触れられていないことが明らかになっている。

 不思議とされていたものの謎が解かれてしまっては面白くない、というのも人情かもしれない。しかし、そんな事件を通して見えてくる真相の方が、面白いのもまた事実であったりする。事実を捻じ曲げ、不思議を捏造する人々の多さは驚くほどである。

 本書が取り上げているのは、そんな話題の数々。

 オーパーツとされる水晶のドクロ、2000年前のバクダッドで電池が使われていたか、ノアの箱舟はトルコに埋まっているのかといった古代史関係の話題を読めば、珍奇なものよりも実際の歴史の方が面白いと思わせてくれる。

 アメリカでは超能力者が警察の捜査に協力しているとか、日本でもたまにテレビでやっている超能力者の捜査はどれほど真相を当てているのか(皮肉なことに彼らの的中率は一般の大学生よりも低かった)、超能力は実証されているのか、宜保愛子はロンドン塔の悲劇を霊視で再現したのか、果ては聖書には予言が書かれているかといった超能力や霊の話はどれも実証されていないことが明らかにされる。超能力者による捜査は小説としては面白いかもしれないが、実用性はゼロで科学捜査をはじめとする地道な捜査活動がいかに優れているかを思い知らせてくれる。

 その他、宇宙人やイエティなどの謎の生物など、超マイナーな話題からメジャーな話題まで斬って斬って斬りまくっている。マイナーなものの中には、その超常現象が地域の文化に根ざしているものなどがあり、余程超常現象に興味がある人にしか知られていないだろうし、それを解き明かす過程も退屈なものがあるのも事実だ。

 しかし、本書が伝えようとしているのは、メジャーな話題の真相というわけではないと思う。むしろ、不思議とされる話に安易に飛びつくのではなく、懐疑的に、冷静に見つめ、その上で楽しむ姿勢が大切だとしたいのではなかろうか。

 恐らく、このような本は超常現象に対する愛情抜きには書けない。愛情がなければ膨大な文献を丁寧に調べ、事実に当たり、当事者の話を聞くことなどできないだろう。不思議を愛するからこそ、でっちあげられた不思議を排斥したいのではないか。

 世の中に不思議は沢山ある。だから、もう解決済みの話にいつまでもとらわれないで、次なる不思議を探そうではないか。きっとその方が楽しいと思う。不思議や謎を愛する人こそ楽しんで読めるのではないか。
反疑似科学・反オカルト | 2007/03/18(日) 22:37 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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285冊目 なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか

評価:☆☆☆☆☆


 本書を知ったのは包帯アマゾン・ラブというちょっと妖しい雰囲気の漂うブログから。

 アメリカで騒がれているエイリアン・アブダクションについては、多くの日本人が首を傾げるのではなかろうか。なぜそんな突拍子も無い事を、彼らは信じることができるのかと。

 その答えの一つは、そんなことを言うとはどうかしているというものだろう。もちろん、”どうかしている”には幅があって、最も穏やかなものだと「彼らは科学を知らない」あるいは「常識を知らない」となり、最も手厳しい意見は「頭がおかしい」ということになる。

 果たしてそうだろうか。彼らは本当に、”どうかしている”から宇宙人に誘拐されて不快な人体実験をされたと信じているのだろうか。ゲテモノに感じられても不思議はないこの疑問に、正面から切り込む心理学者が現われた。その人こそ、著者のスーザン・A.クランシー。

 彼女はもともと”回復された性的虐待記憶”は本当に事実に根ざしているのかを研究していた。ところが、この話題はアメリカ社会においては実にデリケートで政治的で、熱い論戦を避けられないものだった。

 客観的な事実としては、辛い記憶を抑圧という手段で完全に忘れ去るというメカニズムは全く存在しないことが明らかになっているのだが、アメリカでは冷静で客観的な心理学よりもフロイトの呪いの方が政治的に強いため受け入れられていない。(この辺りの話については『フロイト先生のウソ』や『精神分析に別れを告げよう』に詳しい。『フロイト先生のウソ』については 71冊目 フロイト先生のウソにて紹介しております)

 一読して感心するのは、著者が真摯に研究に取り組んでいること。著者自身は懐疑論者で、宇宙人が存在する証拠は無く、ましてや地球にやってきて人間を誘拐しては人体実験を繰り返しているなどナンセンスであると信じている。そのことは本書の中で何度か触れられているのだが、それでも誘拐されたと信じる人々から話を聞く際には決して彼らを見下したりせず丁寧な対応に終始している。

 そして彼女がたどり着いた結論は、宇宙人に誘拐されたと信じる人々は、決して頭のおかしい人々ではない、ということだ。彼らの多くは親しみやすく親切で、不自由なく通常の社会生活を送っている。宇宙人が自分とブリトニー・スピアーズの脳を入れ替えたなどと訴える人は研究対象から除外しているからというのもあるかもしれないが。

 宇宙人に誘拐されたと主張する人々の話を、懐疑論者が紹介しているというだけで一定の価値はある(ビリーバーが紹介している本は既に何冊も出ている)。しかし、それよりも価値があると思うのは、宇宙人に誘拐されたと思い込む、心理学的な背景と事実関係に踏み込んでいることだ。

 まず指摘されるのは、彼らが宇宙人に誘拐されたという記憶を取り戻すのに催眠術の力を借りていること。催眠術下ではしばし不思議な意識の変容があるが、とりわけ記憶に混乱をきたすことが知られている。また、記憶そのものがあやふやなもので、思い出すという行為は過去の出来事を正確に脳内で再現するわけではなく、現在の思い込みなどを織り込んで自分に都合よく再生されることが明らかになっている(『抑圧された記憶の神話』に詳しい)。恐らく、宇宙人による誘拐を信じる何人もの催眠術者が、多くの人々に誘拐の記憶を埋め込んでいるというのが事実だろう。

 次いで、彼らが何から宇宙人のイメージを得ているのかが語られる。それは宇宙人が地球に攻めてくるという映画やドラマであり、アメリカに深く根ざしているキリスト教である。詳細は本書に譲るが、聖書にある話と宇宙人による誘拐の細部の一致は驚くほどだ。

 とにかく冷静かつ丁寧に、宇宙人による誘拐が信じられる背景に切り込んでいると思う。とんでもない主張にはとんでもない証拠が必要、と信じる科学者としてのスタンスと、温か味のある人間としてのスタンスが研究成果を魅力的にしているように感じられてならない。記憶とは何か、なぜ突拍子も無いことでも人々は信じられるのか、ということに、理解を深めることができる好著であると思う。
反疑似科学・反オカルト | 2007/03/16(金) 23:55 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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273冊目 霊はあるか
霊はあるか

安斎 育郎著

講談社 (2002.9)

\924

評価:☆☆☆


 悪質な霊感商法に騙される人々は跡を絶たない。これまでもそうだったし、未来永劫それは変わらないだろう。なぜかと言うと、霊とかいうものを、信じたいヒトが決して絶えることがないからだ。

 そもそも、霊なるものがどのようなものか、はっきりしたことが分かっていない。これは霊なるものが存在すると仮定したらとても不思議なことだ。少なくとも数千年前には既に霊についての意識はあったのに、解析技術が凄まじく発達した現在でも数千年前と同じ状況と言うのは霊なんてものが存在しない可能性を強く示唆している。もちろん、神も同じ。不在の証明ができないことだけが、霊が生き残る(?)根拠になっているというのはなんとも皮肉だろう。

 本書はそんな霊について、存在するのかどうか、存在するとしたらどのような姿をとるのかを考察している。著者は懐疑主義者である安齋育郎(彼のプロフィールは立命館大学内の安齋先生のページに詳しい。また、安齋育郎研究室にて近著などの予定が掲載されている)。

 第二章で、霊や霊感商法についての各宗派の認識を紹介しているが、その認識の幅の広さは特筆物で、これが元を辿れば一人の人間の思想に行き着くのか疑問に思わずには居られないほど。だが、それでも共通点はある。それは、どの宗派も霊障などというものはないとしていること。霊の存在そのものを認めない宗派はもちろん、霊はあるとする宗派であっても霊障はないとするのはなかなか興味深い。

 ついで第三章で、霊が存在するとしたらどのようなものかを科学的に検討しているのだけれども、これが面白くない。目で見えるなら物質でできていなければいけないとか、エネルギー収支を考えれば幽霊の排泄物がなければおかしいとか、かなりシュールな批判方法のような気がする。同時に扱われている過去の幽霊騒ぎの事例(そのいずれもがインチキだった)の方がずっと面白いのだが、残念なことにほとんど全て有名な事例で、その手の本を読みなれている人には物足りないだろう。

 全体として、霊についての懐疑的な姿勢に触れたことがない“初心者”(何の?)向けで、そういった意味で価値があるのではなかろうか。

 第四章では金縛りについても触れられているので脱線を承知で私のことを。私も大学生の頃金縛りに遭ったことがある(遠い目)。体は動かず、ああ、これが金縛りか、睡眠リズムが崩れていたからかなと冷静に判断して、そのまま寝たら金縛りは終わっていた。それ以降、遭ったことがない。脳と体の不思議を実感したが、予備知識を持たない人であれば霊だとか神だとかいうものを持ち出して説明してもおかしくないのかもしれない。

 で、一番の問題はここにあると思う。なぜ、霊だとか神だとか言った類の、存在が明らかになった例のないものを想定しなければならないのか。すでに分かっている知見で説明できるものはないのか。安易に人知を超えた存在を持ち出す前に、もっとできることがあるはずだろう。

 著者もその不合理なあり方を批判している。そして懐疑的なあり方についての知識を広めるべく努力をしなければならないだろうと提言をされている。本の中には書いていないが、著者はそれを実際に実行しているのは、私が敬意を払う理由となっている(啓蒙的な本を執筆したり、Japan Skeptics会長として活躍したりと、大変な努力をされている)。

 だけど、それで良くなるのだろうか。啓蒙されることを、人々は本当に望んでいるのだろうか。霊なんて存在しないんだということを、喜んで受け入れられる人ばかりなのだろうか。私は無理だと思う。大衆は不合理な考えであっても自分の趣味に合う考えを好み、懐疑主義になんか耳を貸さない。霊感商法に遭って、言われるがままにカネを払って、そこでようやくテレビなどのオカルト番組を恨みに思うのがせいぜいで、そのテレビ番組だって大衆がそのレベルのものを好むことを知っているから低レベルな番組を作っているのであって、事実として騙されることさえなければ大衆は喜んでそんな番組を娯楽として消費しているのだ。その意味で、我々はアメリカ人の90%ほどが天使の実在を信じているなどと嗤えない。

 懐疑主義であることは意味を持たないとは思わない。むしろ、重要なことだと思うし、広報の努力には頭が下がる思いがする。でも、それだけでは騙される人はなくならないというのも間違いない事実だ。懐疑主義になんて普段は目を向けない人、そういう人であっても霊感商法に騙されないようにする、そんな手段を考えないと霊感商法への対抗策にはならないと思われて仕方がなかった。
反疑似科学・反オカルト | 2007/02/18(日) 23:31 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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215冊目 スタイビング教授の超古代文明謎解き講座
スタイビング教授の超古代文明謎解き講座

ウィリアム・H・スタイビングJr.著 / 皆神 竜太郎監修 / 福岡 洋一訳

太田出版 (1999.10)

\2,100

評価:☆☆☆☆☆


 歴史にもいろいろ不思議な話がある。かの有名な世界7不思議はまさにそれだ。だけど、そういった“正統的な”不思議とは違ったところに不思議を見出してしまう人々がいる。オカルティストだ。中には真面目に信じている人々もいるが、真面目だと余計にタチの悪い話となってしまうのが悲劇というか喜劇というか、そんな話になっている。

 たとえば。遺跡や遺物の中には、当時の文明のレベルでは説明できないような高度な技術が使われたものがある。その説明としては従来の歴史に基づいた解釈ではなく、別の説明、たとえば遥かに高度な文明を持つ宇宙人の関与があったのではないか、という仮説。伝説に過ぎないものを実際にあったと信じ込むのもここに入れても良いかもしれない。

 自分が信じたい物語に合わせて歴史的事実を説明したいという人もいる。聖書に書かれていることは正しい。そこまでは信仰の世界なので認めるしかないかもしれない。信じる人々にとっては聖書は正しい、と、そこまでは譲歩する気持ちがある。しかし、彼らは自分の信仰にのみとらわれることはなく、自分の信仰を客観的な真実としたがる。その結果、聖書にかかれたことは事実である。よって何らかの裏づけがあるはずだ。その証拠を出してやろう。という不毛な3段論法になってしまうわけだ。こちらの方がタチが悪いかもしれない。なにせ、信仰を共有する人々が次々に飛びついてしまうことがあるためである。

 本書は、こんな奇妙な主張を俎上に上げ、丁寧に反証を挙げることで異説にどれほどの説得力があるのかを明らかにしている。

 前者の例として取り上げられているのは、ピラミッド製造の謎およびピラミッドに不思議な力や予言はあるのか、アトランティス大陸はあったのか(ついでにムー大陸も)、過去の文明に異星人の関与はあったのか(マヤの遺跡のレリーフに書かれているのは宇宙飛行士なのか、ナスカの地上絵は宇宙人の滑走路なのか、など)、といった類のもの。

 後者の例としては、ヴェリコフスキーの主張する宇宙的規模のニアミスが聖書に書かれる天変地異の物理的背景だったのか、洪水伝説は実話に基づくのか、アララテで見られたという箱舟は例のものなのか、など。

 笑って否定するのは簡単だ。だけど、こんなトンデモない主張でも真面目に批判しようとしたら大変な努力が必要なのだ。だから普通は誰もやりたがらない。開き直ってそのトンデモっぷりを笑うならまだしも。だからこそ本書のように懇切丁寧に批判する本は貴重である。たとえばピラミッドの話では、ピラミッドの石が切り出された遺跡の話から建設中の設計変更まで様々な話題を扱っていて面白い。個人的にはピラミッドを作るための人々が暮らした施設から妊婦のミイラが見つかったことなど、奴隷による強制労働を否定する材料が書かれていなかったのがちょっと残念だったが、本筋から外れる話なので仕方ないだろう。

 異星人が古代文明に影響を与えた、という話はやっぱりデニケンが出てくる。もうこの名前だけでオカルトマニアにはたまらない。彼がどれほど証拠をいい加減に扱っているか、決定的な反証に対してどれほど不誠実か、自分の見聞と異なることでも平然と主張するか、を見ると、彼はビジネスとしてオカルトを扱っているだけにしか思えない。いつの時代もそんな人々はいるし、騙される人もいる。騙されるのも自由かもしれない。だけど、騙された最後に行き着くところはどこだろう。もしかしたらそこはキリスト教原理主義(ファンダメンタリスト)のように、誤ったことを信じていても人命に関わるほどの害を社会に与えない存在かもしれない。しかし、彗星の接近と同時に集団自殺したセブンスデイ・パブディスタント、農場で集団自殺を遂げた人民寺院、そして教祖の暴走からサリンをまき多数の人々を殺傷したオウム真理教。

 学研のオカルト雑誌、ムーがオウムをかなり好意的に紹介していたことは記憶に新しい。オカルトに飛びつく人は、狂信的な宗教にも飛びつく。水の上を歩いただとか、食べきれないほどのパンを出した、というような神秘体験は宗教に付き物で、それらはオカルトと驚くほど似通っている。そんな自称神の声を聞いた人、自称奇跡を起こせる人、自称超能力者、自称最終解脱者たちに心を奪われる人々を出さないためにも、こんな本が必要だと思う。

 問題なのは、信じたい人はこんな本を読まない、ってことだろうか。信じる心は強いので、証拠や論理は太刀打ちできないのだ。だけど、そんな異説に対して免疫を持ちたい方にはぜひ本書を読んでもらいたい、と思う。
反疑似科学・反オカルト | 2006/11/05(日) 23:04 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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