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すかいらいたあ

Author:すかいらいたあ
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531冊目 パンとワインを巡り 神話が巡る―古代地中海文化の血と肉
パンとワインを巡り 神話が巡る―古代地中海文化の血と肉 (中公新書)パンとワインを巡り 神話が巡る―古代地中海文化の血と肉 (中公新書)
(1995/10)
臼井 隆一郎

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評価:☆☆





 個人的な感覚で恐縮だが、解釈というやつが好きではない。○○は××を指す、なんてのは幾らでも後付できてしまうので、それを正しいと判定することができないのだ。

 例えばノストラダムスの予言である。ノストラダムスはこんな事件やあんなことを正しく予言していたんだよ!な、なんだってー!!っていう流れは良くあるが、不思議なことにノストラダムスの予言とやらで未来を予想すると、その全てが外れる。解釈なんてものにはせいぜいそれくらいの力しかない。もっともらしく過去だけは説明できるが、それだけ。

 辟易したのが、本書では実に多くのところでこの解釈が使われてしまっているところ。なので、どうにも興味が沸いてこない。解釈学が好きな人には堪らないのかもしれないが、私のように、文章は読んだままの意味で受け取るのが正しいと思うような散文的かつ即物的な人間には向いてないのかも。

 と、苦言から入ってしまったのでちょっとだけ内容を紹介。タイトルどおり、地中海世界においてパンとワインがどのような位置づけにあったかを神話から探る試みである。

 ユダヤ教、ギリシア神話を経て、キリスト教に至るまで、多くの印象的な場面にパンとワインが現れてくる。それは、これらが生活に深く結びついた結果として象徴的な意味をも持ち合わせたことによるのだろう。キリスト教など私にとってはどうでも良い話なので、もっぱら興味が沸いたのはギリシア神話。もう一度ギリシア神話を読み直そう、という気にさせられた。

 あと、美味しいワインが飲みたいな、という気になった。(←一番の収穫)
未分類 | 2008/07/06(日) 22:27 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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522冊目 三国志男
三国志男三国志男
(2008/05/09)
さくら 剛

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評価:☆☆☆☆


 ミーハーファンが、三国志への愛が昂じて中国各地の三国志遺跡を巡ってしまった軌跡を余すところなく、ついでに歯に衣を着せることなく語ってしまう本。

 その旅はこのように行われたという。

「関羽」「赤壁」「張飛馬超一騎打所」と紙に書いてタクシーの運転手や近所のおばちゃんに見せることのみで三国志遺跡を訪れる執念の旅
P.7(強調は著者による)


 これで北伐の舞台となった祁山、劉備の蜀遠征の際に参謀だった龐統が戦死した落鳳坡(実際には龐統が死んだのは絡城攻防戦の間であり、この地名自体が当時は存在しなかった)、趙雲が劉備の子供を抱えて敵中を駆け抜けた長坂、麦城、赤壁、白帝、定軍山、街亭、五丈原、古隆中、虎牢関と三国志ファンならば地名を聞いただけでつい感慨深くなってしまうところを抑えている。

 といっても、この蜀の絡む率の高さはなんだろう。いや、写真とかから、太史慈や朱然、魯粛(著者が巡っただけでも3箇所)、周愈、孫堅、孫権といった呉の武将や夏侯淵、夏侯惇、徐晃、張遼といった魏の武将、華陀、王允、馬騰といった後漢末期に活躍した人物たちの墓を巡っているようなのだが、文章となるとほとんど蜀がらみ。著者の劉備好きが見えてくるのが良い(笑)

 それにしても、中国のおおらかさと言うか適当さと言うか、なんでもごたまぜにしてしまうのにはつい苦笑させられてしまう。諸葛孔明を祭った南陽武侯祠にはなぜか恐竜の展示がある。祁山の「三国城」には孔明にちなんだジオラマに続いて拷問の再現シーンが現われる。恐竜もお化け屋敷も三国志も人気あるから全部まとめちゃえ、とでもいうような、そんな趣がある。

 遥か昔のことだからか、遺跡の扱いも好い加減。石油会社の敷地内にあるため近寄ることもできない夏侯淵の墓はまだマシな方で、夏侯惇の墓は壊され、除庶の像は近所の洗濯物に埋もれている。

 三国志の遺跡を求めて遥かな僻地でも厭わずに出かけていく。そんな旅、ファンならいつかやってみたいものだ。でも仕事やら生活があるので、無理なことも分かっている。だからこそ、他人が辿った足跡で楽しむしかない。ミーハーな著者がディープなファンでも行けないような遺跡を巡っているシュールさがまた楽しい、そんな紀行文。堅物なファンは読んじゃダメな、そんな一冊。
未分類 | 2008/06/14(土) 16:43 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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501冊目 わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)
(2005/09/20)
西林 克彦

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評価:☆☆☆


 我々が書物を読み誤るのは、理解できないためではない。本当は理解していないのに、理解したつもりになってしまうことだ。そう著者は喝破する。

 意外かもしれない。しかし、実際に小学校の教科書を例に読者に分かったつもりの状態を体験させてから論に入るので説得力がある。実際に、一つ一つの文章は容易に理解できるのだが、読み終わった後に詳細を語ろうとすると途端にそれができないことが分かる。それどころか、明らかに間違った理解をしている場合もあり、驚くことになる。

 分かった、という状態が出来上がってしまうと、更に深く読み取ろうという意思が失われてしまうのかもしれない。そう考えれば、確かに読解力がつかないのは理解力の不足ではなく分かったつもりという危険な状態であると感じさせられた。

 ただ、どこまで深く読み込むことが必要かは読む本によって異なると思う。例えば小説などでは自分で納得のいく読み方ができればいいのではなかろうか。著者の狙いから離れたことを読み取ってしまったからといってそれが間違った読み方ではないように思う。勿論、著者の主張と正反対のことを読み取ってしまってはそれは悪意のある誤読か読者が余程アレなのだろうけど。

 自分が如何にいい加減に文章を読んできたか、ということに気付かせてくれたことには感謝したい。
未分類 | 2008/05/05(月) 16:47 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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499冊目 & 500冊目 韓非子 上下
韓非子〈上〉 (中公文庫)韓非子〈上〉 (中公文庫)
(1992/07)
町田 三郎

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韓非子〈下〉 (中公文庫)韓非子〈下〉 (中公文庫)
(1992/12)
町田 三郎

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評価:☆☆☆☆☆


 実に15年ぶりくらいの再読。

 韓非子は戦国時代末期の思想家である。戦国時代に先行する春秋時代には沢山の小国が林立していたが、それらはやがて大国に吸収されて姿を消していく。戦国時代初期には生き残った秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七大国が並び立っていたことから戦国の七雄と言われたが、韓非子の時代には秦が頭一つ抜きん出ていてた。一強六弱の世界で、弱い方はどう生き残っていくかが常に政争の中心で、秦以外の国々で結んで秦を封じ込める合従策と秦に庇護を求める連衡策が凌ぎを削っていた。

 特に韓の国は秦に隣り合っていたために早くから領土を削られていつ滅んでもおかしくないほどにまでなっていた。韓非はその韓の公子である。母国の状況をなんとか打開したいとの篤い思いが、韓非を徹底した法家とさせたのだろう。性悪説で知られる荀子に学び合理的思考を身に付け、道家の思想を背景にしながら法家思想を完成させた。

 一言で纏めてしまえば、官吏が民衆をコントロールすための法と、君主が臣下を使いこなすための術。この二つの重要さと使い方を説いていくのが韓非子という著作の内容と言って良い。徹底して磨きをかけた思考の跡からは、今も学べるところが少なくない。

 韓非はまた、例え話の才にも恵まれていた。

 堯と舜という伝説の帝王を取り上げてこう説く。堯が完璧な聖人だとしたら、その下で舜が活躍することはありえない。なぜなら堯が全ての問題を解決してしまうからだ。なのに堯も舜も聖人だという人々がいる。これはおかしい。

 これに続いて、かの有名な矛と盾を売る商人の話をするのである。どんな盾でも打ち破る矛とどんな矛でも防ぐ盾、これらは両立できない。堯と舜を同時に聖人とすることはできないのだ、と。

 他にも”まちぼうけ”で知られる話や逆鱗など、誰もが知る言葉や話が織り込まれているので、短編集を読んでいるかのような楽しみがある。

 しかし、その思想のあまりの苛烈さにはついていけない、というのも事実だ。例えば、韓非は厳罰主義を説く。軽微な罪でも死刑になるとなれば、ほとんどの民衆は決して罪を犯さなくなる。これによって社会の安定は保証される。だから賢い君主は刑を重く用いるべきとする。刑と対になるのは賞である。この賞も与え方は慎重にするべきだ。なぜなら罰と賞の権限を一手に握ることが君主の権力を保たせるからだ、という。

 だから何も無いのに恩賞を与えてはいけないとする。それは確かに言うとおりだろう。しかし、飢饉になっても食料を供出すべきではない。なぜなら、民衆を救うためとはいえ功の無い者に何かを与えると信賞必罰のルールが崩れ、ひいては社会から真面目に働く者が居なくなってしまうからだ、というのである。ここまでくると諸手を挙げて賛成することはできない。

 韓非に国を救うための熱烈な思いがあったのはひしひしと伝わってくるし、そのために思考を巡らせた事も分かる。だが、その議論は机上で組み立てられたものであって、現実性という点では欠ける点が多いな、と思わされた。

 この韓非は、始皇帝の元に趣き、そこで兄弟弟子だった李斯に讒言されて死を遂げることになる。皮肉なことに、法家思想を社会に広め完成させたのは、この李斯だった。更に秦の後に成立した漢が秦の法律を引き継いだことで、韓非の思想の少なからずはその後の中国を形作った。そういう点からも興味が尽きない著述である。思想に共鳴するかどうかは別問題として、読んで面白い本であることは間違い無いと思う。
未分類 | 2008/05/02(金) 23:59 | Trackback:(0) | Comments:(2)

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491冊目 ゾウを消せ----天才マジシャンたちの黄金時代
ゾウを消せ----天才マジシャンたちの黄金時代ゾウを消せ----天才マジシャンたちの黄金時代
(2006/02/11)
ジム・ステインメイヤー

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評価:☆☆☆☆


 ドラマやら映画やらでTRICKを見たことがある人は多いだろう。ご存知、日本科学技術大学の物理学助教授の上田と自称本格派の(売れない)手品師の山田が次々に奇怪な事件に巻き込まれていく物語である。超能力に見せかけたトリックに、物理学者の上田がころりと引っかかるのに、手品師の山田が次々に超能力の正体を暴いていくのであるが、その過程がコミカルで楽しい作品だ。狂言回しとなってしまっている上田の妙な博識さと法螺吹きっぷりも楽しい。

 これを見たときに、「あ、フーディニだ」と思ったものである。

 ハリー・フーディニは手品師で、交霊術がイカサマであることを暴いて回った頼もしい(?)人物である。交霊術などといっても、なんてことはない、手品や手品とも言えないようなテクニックが使われていたのだ。ありとあらゆる類のオカルトにころりと引っかかる、脅威の信じやすさを誇るコナン・ドイルや、科学者たちが次々騙される中で手品師たちがイカサマを暴いてきたというのは中々に面白い。まあ、今もスピリチュアルがどうとかいう低脳な輩が蔓延っているので往時を笑えないが。

 そんなわけで、フーディニの話を探していて本書に巡り合ったのである。

 本書が取り上げているのは、手品の黎明期における天才的マジシャン達の歩んだ道のりである。まず取り上げられるのが、フーディニがゾウを消したマジック。大きな箱の中にゾウを入れ、窓を開けるとあら不思議。ゾウは影も形も無い、というわけだ。

 ところがこの手品、全然ウケなかったらしい。フーディニは引田天工の元祖のような人で、脱出術は広く知られていて人気もあったのだが、手品のやり方はヘタだった、という。見せ方がいかにも稚拙だったこともあり、注目されないままゾウ消しのマジックは歴史の闇に埋もれていった。

 この逸話に始まり、手品師たちがどのように物を消し去ることに挑んできたかが語られている。手品とは巧みな仕掛けや錯覚を織り込んだ芸術品である、とつくづく思わされた。なにせ、これらの公演を見たくて堪らなくなるのだ。

 消失の原理を応用して、かの人体浮遊術や美女の胴体切りといった著名なマジックが生まれては消えていった。その功績が消えていくのは確かに惜しい。舞台裏を知ってしまえば興が醒める、という方には向かないかもしれないが、手品を愛する人々は楽しめるのではないか。
未分類 | 2008/04/10(木) 23:32 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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